最後*Forever


市村翼(男子3番)千田亮太(男子10番)、死亡確認。
それらを確認した後、超高性能情報機は役目を終えるかのように電池切れを果たした。司は情報機を愛着を込めてそっと支給されたバッグに入れた。これが合ったからこそ、理想は果たされた。これがなかったら、どこかで死んでいたかもしれない。もっと敵に怯えていたかもしれない。運命とやらが作用したのだろう、残り2人となったこのプログラムが終わろうとしているときに役目を終えた。
すっごく役に立った。
まるで生きているものを丁重に葬るかのように、司は優しかった。
けれども彼女は立ち上がったとたんに視線を鋭くし、ザウエルのマガジンを取り替え、もう一度空を仰いだ。

お母さん、ごめん。やっぱり最後のひとりにあの子が残った。

あの子――新宮響(男子9番)の姿を思い起こす。
彼女が設楽聖二(男子8番)を殺したときに、目を見開き驚いて立ち尽くしていた響の表情、同じく彼女が藤原優真(男子11番)を不意打ちしたときに見せたあの表情。それに重なって、いつもの優しい笑顔の響、幼稚園の頃一緒にサッカーをやって遊んだときの響、消したくても消し去れなかったものが幾重にも重なっては消え、重なっては消えていく。


本当ならこういう結末は望んでいなかった。嫉妬のあまり司に当たった市村翼に殺されてしまえばよかったのに、と今でも思う。
クラスメートなんて、所詮ユダヤ人、そして私は有能なるドイツ人。そう考えてこの2日ほどを過ごしてきたはずなのに、どうしてか、新宮響だけは司にとって特別な存在だった。
司。
男みたいな名前だと学校でいじめられたときもそう呼んでくれた。
司。
家で兄たちや父親から泣かされて逃げたときも、そう呼んで探しに来てくれた。
もう、呼ばれる資格などないのに。

化け物、化け物、化け物。
女だ、女だ、使えない、死ね。

てめえ、俺にその汚れたツラ見せたらぶっ殺すぞ!
必要とされてないから、そろそろ死んだらどうだ。
お前なんか要らない、何で生まれてきたわけ?
てめえの所為だ、てめえの所為だよ。死ねよ、バーカ。
姉ちゃん、俺、どうすればいい?最近……わからない。
お父さんとか上のお兄ちゃんたちがね、お姉ちゃんに近づくなって言うんだよ。


制服の前のほうは返り血でべっとり赤くなっている。背中側の白さと比べると、見事なくらいツートンカラーだ。水色のワイシャツも、今はどす黒い。
見渡す限りの砂浜。もう誰も邪魔者はいない。風が吹き荒れ、嵐のようだ。司の頭上では、雲が今も覆い占めていて、光さえささない。
太陽は、もう笑わない。雲だけが、泣いていた。
ザザーン、ザザーンと海までが泣き声をあげている。海岸線に沿って立った。冷たい海の水だけが時々靴に跳ね返って靴下を濡らしては、何事もなかったかのようにひいていく。
すべてが泣いていた。まるで悲しむべき法則によって動かされているかのように。


「司」
もう誰も銃で彼女を撃つことはない。なぜなら名前を呼んだ人物、それは司が唯一抵抗の色を示した新宮響だからだ。響の支給武器は救急箱。しかも司を追ってきたとき、無我夢中だったから地図など以外はすべておいてきたので何も武器を持っていない。そうして生き続けてきたことを悪運ととるか強運ととるか――こうして司の元にたどり着いた。
彼女は情報機が電池切れになる前、生きている人間のすべてを暗記していたからこの位の情報を思い出すのは訳ない。
「……もう疲れた……皆、生きる権利なんてないのに寄ってたかって生き残ろうとするのよ。ククッ、笑っちゃう……」
すべてを成し終えて、あとは響を殺すだけの司に残ったのは、憔悴だった。
「弱いものほど自分の弱さを隠すために他人を攻撃し、そのちっぽけな自尊心を満たそうとする……ってどっかの本に書いてあった気がする。ホントね、もう……負け犬ばっかりよ」
負傷した左肩を押えながら、彼女はつぶやいた。押えた右手が、鈍い光を反射させる血にまみれた。

「俺は、……」
一定の距離を保ったまま響が何かを言いたげにそう大声を上げた。雨ばかり降っていて、そこに時々波の音が混じり、この距離だと声色を強くしなければ相手に伝わらない。
「俺は、正直、今何していいのか……わかんないんだ」
響にとっても特別な存在であったことは間違いない司が、彼の目の前で人を殺した。その瞬間から、響はずっと司を止めたいと思っていた。もう二度と、彼の知っている蓮川司から遠ざかって欲しくなかったからだ。親友の市村翼まで巻き込んで、ようやくたどり着いたのに、彼はもうなす術を忘れていた。司を止めようとしたその優しさが時として罪になろうとは、当初夢にも思っていなかった。結果として親友とはぐれ、クラスメートがどんどん死に絶えていったではないか。


「そうね、それもそうかもしれない」
司が一歩、二歩と響のほうへと近づいていく。血で真っ赤になった司の制服が曇り空の下で灰色がかって響の目に映った。
「響と私は同じ地にこうして立ってる。だけど見ている景色はまったく逆。響は明るい暁の残月を見て、私は薄汚れた血の修羅場を見てる」
手先がつめたいの。あなた、きっと捕まえて?それまで私、ずっと冷たいままでいるから――持ち上げた左指には、自分自身の血が付いていた。
「いつまでそうやって俺をはぐらかせば気ぃ済むんだよ、司……」
2人の距離がゆっくりと縮まっていったとき、響がそうつぶやいた。
「なあ、俺の知ってる司はどこ行ったんだよ? 俺ずっと……翼と一緒にお前探そうとしてたのにさ……!!」
翼、という言葉に司はピクリと反応する。だがいつものようにニヤリと笑うのではなく、力なく引きつった冷笑を浮かべるだけだった。


「市村なら私が殺した」
ぽかんと口をあけて「え?」と聞き返す響きをじっと見て、司は自分の制服に出来たどす黒いしみを指差した。
「これがそのとき付いた血……」
にじみすぎてもうどんなに洗濯しても落ちそうにないそのしみをみつめながら、彼女は続けた。
「人を殺した。もう誰が死んでも悲しまない。こんな私はもう人間じゃないわ……そうね、みんなが言う化け物って奴よ。響の知ってる蓮川司なんて、もう世界中どこ探してもいない。いるのはクラスメートを14人殺した蓮川司」

嘘だろ?といわんばかりに驚愕の色を示す響を尻目に、司はまた続ける。
「私を追い回して何が楽しいの? 私は誰になんと言われようとも意志を曲げるつもりなんて全然ない。それくらい理解してるでしょ?」
親友を殺された――そういう衝撃に全身の血を瞬時に冷却し、凍らせ、砕かれた思いをした響には、司の言葉ももはや届かなかった。彼女はその事に気付いているのかいないのか、一人舞台を続ける。

「……もうやめて、私の目の前に安物の優しさなんてちらつかせないでよ……私に他人の優しさなんていらない。だから遠ざけなきゃいけないの……」

母親が死んでからは絶対零度の中で固まっていた氷だったにもかかわらず、響という特別な人間がいたから、その氷がどんどん解けていくような気がした。しかもその氷の中には何かが眠っていて、すべて解けてしまえばその何かが急に覚醒してしまう。氷が解けることが、恐ろしかった。
世の中は絶望に満ちていると思ったから、そんな優しさが、恐ろしかった。


「だから響、お願いだから、死んで」


引きつった笑いを見せ、眉をハの字に垂らす。嘲笑と悲しみの相反した感情が入り混じって、おかしな表情が出来上がった。司はザウエルを右手に握り締め、銃口を真っ直ぐ響のほうへと向ける。
――バイバイ、響。
パァンッ!!パァンッ!!
獣の咆哮のような絶叫が散り、途切れた。9ミリパラベラムの弾が内臓を貫通し、前後大きさの違った穴を開ける。足の力が抜け、ぐらついた時にはもう砂浜が目の前に広がっていた。
普通に立っていたはずの人間が、急に妙な動きを見せて砂浜に倒れこんだ。そんな光景はもう何度も目にしている。人間であったものが人間でなくなる瞬間は、いともあっけない。このプログラムの中で最後になるはずの光景が視界に広がった。

ザリッ……
終わった。そう思っていた司の耳朶に雨音に混じって砂を握る音がした。不審に思った司は音のしたほうをみつめる。2発とも当たったとみたが、急所をはずしてしまったのだろうか、今もまだ生きながらえている響は懸命に立ち上がろうとうつぶせの状態から腕を砂浜に固定した。
ザリッ……
腕に力を込め、上半身をあげる。そして膝を折り、まずは四つんばいの状態になった。穢れ無き真っ白な制服に施されたは赤。死のイメージがまとわりつく赤は、彼の背中を染めていた。


「どうして……」
生まれたての子馬のような動きを見せる響を目の前にして、司はそうつぶやいた。
「ねえ、どうして? どうして立ち上がるの? 響がそうするなら私は響を殺さなきゃならないし、響も私に殺されなきゃならないでしょ?」
そこは彼の執念だった。もし肉体が死を迎えても、精神だけはいつまでも司を止めようとうろついているだろう。もはや意識なき身体は、懸命に立ち上がろうとしていた。
「俺は……司の一番じゃないんだな……」
物事に対する優先順位のことを言っているのだろうと彼女はそれとなく察した。
――そうよ、私はお母さんを殺したお兄ちゃんやお父さんたちを殺すの。ただ殺すんじゃないわ、これは復讐よ。私は復讐にすべてを賭ける。だからこんなところで死ぬわけにはいかないの!中2のときお母さんが死んでから、私にはそれしか残されてなかったわ。私はお母さんのために生きるの。お母さんの復讐の為に!!――

無言を返事とした司の答えを受け、響はついに砂浜に倒れた。司が少し驚いてその隣に駆け寄り、膝を折って彼の顔を覗き込む。
「司……聞い、て……」
撃たれた場所を触って、血で真っ赤になった手をふらふらと力なく上げた。司は手と彼の表情を交互に見、意識とは無関係にその手をとる。雨で冷えた手を力強く握った。ろれつが回らなくなってきているらしい響は、何度かせきをしては口を開こうと懸命に努力していた。


「それでも、俺の中では……司が、一番……だから」
司は頬に何かが流れているのを感じた。響の手を握っている手と反対側の左手でそれをそっと触る。左肩の激痛が感じられないくらい動揺した。
ぐっしょりぬれきったベージュの髪の毛の先から雨が滴り落ちて、響の頬に落ちる。それが響の涙をカモフラージュしていた。


「眠くなったや……でも、起きなきゃ遅刻する……。母さんに怒られちゃうよ……司も……迎えに行かなきゃ、な……あいつも……怒る……遅刻するって……」
光のない、うつろな目がどこかを向いていた。それでも目じりは垂れ下がり、いつものように微笑を作っている。
不意に彼女は市村翼が言っていたことを思い出した。――『響はなぁ、普通の人間なんだよ!!』――確かに、どこからどう見ても彼は普通の人間でしかなかった。勉強も普通、運動は少しできるけれど中の上、ルックスだって市村から比べたらそれほどではない。謙虚で、優しくて、思いやりがある、普通の人間だった。彼の死が歴史的大事件を起こすようなことなどあるはずがない。だけど彼によって司の運命がこじ曲げられたと言ってもおかしくはない。
思い出せば彼だけだった。家庭内の、誰にも言えない悲劇が影響で人様に心を開けない司が、唯一信頼していた友達は。
いや、友達だったのだろうか。少なくとも、友達以上のものがあった。誰一人として溶かすことの出来ない絶対零度の氷に、手を触れた母親以外の人。
悲しむべき法則の、悲しむべき結果が生じた。
そうだ。
空を飛べない化け物に、彼が与えたものは、彼の翼だった。


「響……もうだれも怒らないよ」
彼を仰向けに砂浜に横たわらせると、司は返り血で汚れた響の頬を手でぬぐった。それはなんと哀れな姿だったのだろうか。しかしながらこれが悲しむべき法則の、悲しむべき末路なのだ。
「おやすみ……ひー君。……――。」
雨音にかき消されるくらい声を小さくした彼女は、ザウエルを響の心臓のほうへと持っていった。慣れた手つきで引き金まで指を持っていく。
もう、誰が死んだって悲しくなんてないから――何度も何度も自分に言い聞かせては、奥歯に力を込める。喉の奥からこぼれ出そうなものを必死にせき止めて、自分の中にいる自分を殺そうとした。響を殺すことは、すなわち過去の自分……響と一緒にいた時代の自分を殺すことでもある。もう二度と戻れない。たった1回引き金を引くだけで、2人の間には永遠に縮まる見込みのない距離が開く。

そう、元々見ている場所が違ったのだ。響は明るい暁の残月を見て、司は薄汚れた血の修羅場を見ている。背中合わせに張り付いた2人が、その背中に間をあけるだけ。棲む世界の違う人間が、ひとりいなくなるだけ。たった、それだけなのだから。
意を決したように、司は目を開いた。


これで、誰一人私を止められない。


パァンッ!!
最後に響いた銃声は、すべてをかき消した。雨音、断末魔の叫び、人が死ぬ音。これらは皆、どこかへと、消えた。


ねえ、お母さん。私、これでよかったんだよね?


つかさはひとをころしました。
もうだれもつかさをじゃまするひとはいません。
つかさはすべてをすてました。ひろうものさえありません。
つかさはもうひとじゃありません。
つかさはひとりです。
つかさはふくしゅうのためにいきるだけです。
つかさのそんざいりゆう、それは――


『おーい、蓮川ぁー、お前よくやったなぁー! おめでとぉー優勝だぞー! ってなわけだから、禁止エリア解除するんで分校まで帰ってこーい! 道分かるよなァ? これでもうプログラムは終わりだー』
少し嬉々とした声色で、夏葉翔悟(担当教官)が放送を入れる。


空を見上げた。
泣くことさえ忘れていた彼女のかわりに、雲や空が泣いてくれたみたいだ。
雨どころか、季節を忘れた雷が、警鐘を鳴らした。
血を糧にした化け物の生きる道は、今から開かれるのだ、と。






【残り1人/ゲーム終了・以上高原第五中学3年A組プログラム実施本部選手確認モニタより】





SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送