証言*Cadenza ad libitum


 ある少年院の院長の話。


 ん?蓮川司(はすかわ・つかさ)かい?そぉだね、そいつはよく覚えているよ。まったく、まるですべての悪を悟ったようなきつい目でねぇ……入ってきたときには噛み付かれそうで危なく食い殺されそうだったよ。ここいらじゃそう珍しくはないが、もう絶対、誰も信じるもんかって目つきしてねぇ。
 彼女の特徴といえば……そうだなあ、彼女の家は少数一族で、千葉の……田舎の方の有力家系で大地主の農家の家だ。まぁね、蓮川っていう苗字が珍しいもんなぁ。有力一家って、ほとんど珍しい名前のようだが。ま、その辺りは私の知ったことじゃないけれど。


 おっとっと、話がずれましたか。農家といってもその業はいまや廃れてきており中々うまくいっていないようで、彼女の父親の蓮川修造さんは酒に溺れ今では農業などに手はつけていないらしいですな。代々引き継がれてきた土地も半分以上売り渡し、不動産で巨額の富を築いたようだが、あれほどのアル中だったらいつかぶっ倒れてもおかしくはないねえ。
 一応名家の家なんだから、蓮川の血をたえさないためにも子孫は維持しなければということらしいよ。だから彼女には兄弟が他に5人もいたそうな。父親の代わりに一家の存亡をすべてその両肩に乗せられている長男、晴一(せいいち)。女の子のような容姿が特徴の引きこもりで次男、貴正(たかまさ)。押し付けられた英才教育が嫌で反発し、今はもう立派な不良の三男、時哉(ときや)。それから蓮川司をはさんで、しっかりもので正義感が人一倍強い四男、真人(まさと)。末っ子だから寵愛されて、そのために甘えん坊になった五男、洋介(ようすけ)。だったかな。ほら、ここに入れられたときの資料に書いてあったんだよ。いやあ、今の警察の情報網には屈服いたしますな。必要ないことまで色々書いてあらあ。多分これ、近所の人に聞いてまわったんでしょうね。聞き込み調査ってやつですかい?
 あー、いやいや、話がまたそれましたわ。そんなわけで、食い殺されそうになったのと、兄弟が多いから、彼女はよく覚えてるのさ。
 まぁ彼女はその中の1人っていうことで、男ばかりの紅一点といっていい存在だったみたいだね。ただ1人の女、ということで上の兄弟にはそれはもう毎日けなされて育ったらしいけど……修造さんからは児童虐待みたいなことが遭ったらしい。ま、それはこっちの管轄じゃないか詳しくは知らないがね。詳しいところは鑑別所にでも行ってくれ。


 で、彼女は下の兄弟には色々慕われていたけど、父親が司を悪く言うのであまり近づける雰囲気ではなかったようだよ。たまーに真人君と洋介君が2人して面会に来てたからね、可愛い子だよ。彼女とよく似ている。
 そんな紅一点の彼女にとって、ただ1人の味方といえば、同性の女で母の美津子さんだな。
 美津子さんは彼女ををこよなく可愛がり、例え修造さんに殴られようと蹴られようとも、弱気になることはなかった人だ。そのことは資料じゃなくて蓮川司から直接聞いたんだけどね。彼女にとって、自分を慕う真人君と洋介君以外に信じれる人といえば、美津子さんだけしかいなかったっていってたけど……でも、どうして彼女がお兄さん達のことを嫌いなのかはよくわからないよ?そればっかりは、決して口を割ろうとはしなかった。

 確か彼女には隣近所に住む同い年の幼馴染がいたような気がするよ。思えば彼女はその幼馴染も信じているとこぼしたこともあった。名は確か……響だ。新宮響(しんぐう・ひびき)、こちらも珍しい苗字なのでよく覚えている。彼女と響君は仲がよかったが父親が新宮家を嫌っていたので、あまり遊ばせてはもらえなかったらしい。まったく……つくづく可哀想に。
 そして、恐れていた事件はおきてしまったのだ。それは確か、蓮川司が14歳で中学2年生の夏のころだったと記憶している。


             



 夏真っ盛りに近づいた7月のはじめの頃。いつものように学校が終わり、部活も無所属の蓮川司は終業のチャイムが鳴るのと同時にすぐに家に帰り、お気に入りの外国製クラッシック(といってもこの国にとっての第三者国であるがとてもきれいな音のクラッシックだ)の入ったCDを聞きながら新しく発売された雑誌を手に取り、鼻歌交じりにリビングに下りてきた。今日は確か見逃したドラマの再放送がある日だ。昼間ならあまり好ましく思っていない意地悪な兄貴達もそれぞれどこかに散らばってリビングにはいない。もやは司のオンリーステージとなったリビングは、この家で唯一くつろげる時間だった。

 だが突如として同じ一階の和室から、バリーンという何かが割れた音がする。だがこれもいつものお決まりパターンで、どうせ飲んだくれの父親がまた酒ビンでも割ったんだろうと思われる。日常茶飯事の出来事であるがゆえに司は自然とため息が出た。誰かいないのか、と母の美津子を探すが、音がした和室にも、となりの洋間にも、その奥の書斎にも母親の姿は見当たらなかった。
 なら長男、晴一君はどこにいったんだろう。と探すが、どこにもいなかった。長男だから家を継がなければならないので無職で過ごしているが、その仕事を継ぐにも仕事が父親の手によって廃れてきているのだ、無職のままの晴一は日々家の中をぶらぶらとさまよっているだけだった。
 次男、貴正君は……?と貴正の部屋をノックするが、返事はない。彼は引きこもりタイプで、いつも家に引きこもっているのだ。
 三男坊の時哉はもちろん学校だ。何をやっているのか知らないが、高校生の夜は遅い。乱暴ものでよく警察のお世話になることもしばしばあるくらいだ。
 下の弟達、真人と洋介はもちろん学校だ。最近では2人揃ってミニバスケットボールに入っているので放課後はいつも体育館にいる。


 頼れる(兄弟言えども信頼なぞしていないが)兄貴達は誰もいないようなので、しょうがなく和室のふすまを開けた。当たり前のように畳には酒のしみがついている。といってもその畳にはいつものことなので、たたみは変色しきっている。
 無言で割れたビンのガラスをほうきとちりとりで拾おうとすると機嫌の悪い父、修造は「てぇめ何しにきやがったぁっ!」と多少ヒステリック気味に叫びあげた。
 これはいつものことなのでそんなには気にしていないが、今日はビンの破片が飛んできた。頬に当たるとそこから血がたれてきたのが分かる。


 司は無言でほうきとちりとりを投げ出すと、冷たい目で父をにらみつけ、そのまま和室から出て行ってしまった。このような場合は喧嘩になる前にその場から逃げ出すのが一番の方法だった。あの父親は心の底から司のことが嫌いなのでよく司を殴っては気を晴らしている。司はそのたびにいつも思っていた、いつか仕返ししてやると。
 和室をにらみながら自分の部屋に行こうとすると、その先の部屋で、誰かの足が出ているのが見えた。晴一君が酔ってぶっ倒れているんじゃないのか……?と思い行くと、そこには晴一の姿はなく、代わりに母、美津子の姿があるだけだった。しかし今日の彼女の姿はいつもとは違っていた。ぐったりとしていて、呼吸が荒い。


「お母さん?!」
 前々から心臓に持病があり、それに加え最近では過労が重なっていたのでよく美津子は体を壊す事が多々あったが、今回は倒れている。司は急いで美津子の上半身を起こすと、美津子は半分閉じられた目で司を見つめた。息は荒く、触れた手からは体温を感じ取ることは出来なかった。
「おっ……お父さん呼んでくるからちょっと待っててよ!」
 司はゆっくりと美津子を寝かせて父を呼びに行こうとしたが、美津子のかすかな声に気づいて後ろを振り返った。
「待って……つか……さ」
 息が荒いので言葉は途切れ途切れ、司は何とか聞こうとして耳を傾ける。
「か……母さんは……あなたが……誇りだったわ」
 突然何を言い出すんだ、といいたかったが、なぜかこみ上げてくる涙にかられる。何でだ?まだ母さんは死んでない、いや死なせない!当たり前だ、救急車さえ呼べば……!


「もう……母さんだめみたい……」
「ヤダよお母さん! 待ってて! 今救急車呼ぶから!」
 司は電話のあるところまで急いでかけていこうとしたが、その袖を美津子につかまれた。
「いいの、司……いいのよ……」
 途切れ途切れ、確実に美津子は何かを言おうとしている。
「司……有能でありなさい、一番でありなさい……すべてを……司り……お父さんたちを……見返してやりなさい」
 その言葉を言った美津子は、満足げに一度だけふっと笑い、それっきり、何も喋らなくなった。


「お……お母さん?」
 一瞬にして、美津子の頬から血の気が引き、母親ならではの温かさがなくなった。司ははっと目を見開き、何があったのかわからない、といった表情で数秒呆然としていたが、すぐに我に返り急いで父親である修造を探した。
「お父さん! お母さんが……お母さんが……!」
 母親の病状を報告しようと、にくき修造の元へうらみも忘れて飛んでいったが、当の修造はまた酒をおび、焦点の合わない目でこちらを見る。そしてはぁ、と一息ため息をつくと、何もかも悟ったような笑い方をして、
「ほっとけ」
 と言い切った。この瞬間、自分すらも殺されたように、恐怖を覚えた。この人は、何か間違っている。そう感じたときには、修造はまた司の怒りをあおるような言葉を放った。
「あいつなんて、子供生む道具にしかすぎねぇからな」
 はっはっは、と酔いながら、もう一度酒の入ったグラスを傾け、司をにらんだ。
「んだよワリィかよ! 悔しかったらてめぇはそんな男に捕まるんじゃねぇよ!」
 司の睨み返す視線さえはね退けて、修造は容器に酒ビンを傾ける。司のこぶしはぎゅっと握られ、小刻みに震えていることなぞ、気付くはずも無かった。


 修造が「まぁ、あいつはオヒヨトシだからなぁー」と笑いながら言っている時、司は何を考え出したのか、不意に台所まで走って行った。そして、棚の中にある長い出刃包丁を取り出し、もう一度先程いたところに、そう、修造のいる和室に向かっていった。
「アンタにとって、お母さんはそんなものなワケね」
「あぁ?! てめぇなに気取ってるんだよ! 親に向かってアンタとは何だクソガキ!」
「……アンタは、最低。人としてね。生きている価値すら……無い」
 司は持っていた出刃包丁を、修造に向けた。すると修造は今まで酒を帯びてへらへらしていた顔から一気に血相を変えておびえだした。そして、ふふんと余裕を持っているように見せかけた。
「俺を……殺す気かぁ……」
「そうね」
「やってみろよ! どぉーせクソガキなんかに人を殺せる度胸はねぇさ! はっはっは!!」
 修造が高笑いしているところにかぶさって、ドスッ、という鈍い音がした。またさらに血相を変えて、修造は途切れ途切れ声を絞り出した。それはあまりにも一瞬の出来事だったので、刺された本人も何があったか理解できない状況だった。
「……なんだってやってやるわよ」
持っていた包丁を修造の心臓付近に突き刺し、半回転させた。今まで聴いたこと無いような鈍い音が、聞こえた。


「あんたを殺すくらい、出来る」





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