屋上*Prejude


空が震えている。それにもかかわずこの晴天はなんだろう。蓮川司(高原市立高原第五中学校3年A組女子9番)は屋上の手すりに身体をゆだねながら、落下防止のフェンス越しに住宅街が立ち並ぶ外の景色を見ていた。
持っていた本にしおりを挟んでパタンとしめると、そのフェンスに手をかけた。暇だなぁ、と考えられる余裕すらあるのは、卒業というスペシャルイベントが、あと3日後に待ち構えているからだと思われる。受験も終わり、就職する人も居れば進学する人も居る3年A組では今日、担任の夏葉翔悟の一身上の都合(どうせサボりに違いない)により、午前中3時間の学校生活を全部自習にしてくれたのだ。だから司はこうして、いつものように屋上に来ては空を見上げていた。
空を見ることは嫌いではなかった。こうやって雲の流れを見つめて、平穏すぎる世界を見ていたかったのだ。


「つーかーさっ☆」
突然、後ろから顔の横にかけて何か白いものが(ワイシャツのようだ)伸びて、そこから生えてきた肌色のものが、司の頬を軽くつねった。この屋上に居る人物で、こんなにも彼女に馴れ馴れしいのは、幼馴染を除いてたった一人しかいない。同じクラスの工藤依月(男子5番)だ。
司は無言でその手を振り払うと、きっと工藤をにらみつけていつものように、【何すんのよ、近寄らないでよオーラ】を放った。
「おいおい、そんなに怒ることないだろー? スキンシップスキンシップ!」
彼の肩よりすこし長めの髪の毛が、風に攫われてなびく。そんな風に笑顔でスキンシップといわれても司にはただのセクシャルハラスメントとしか取れなかった。
「何読んでたの?」
工藤は司の持っていた古ぼけた本を指差す。司はさっと後ろに隠して教えない、という気持ちを込め、目の下を軽く引っ張った。――実際その本は、ドイツという国のもので、近所に住むドイツ人に翻訳してもらったもの。何よりもその本はもう出版禁止になっている代物なので、プレミアがつくくらいのものだった。何を好き好んでいたのか、司は本を入手した頃からその本をとても大事にしている――
彼女は工藤から逃げるために、すぐに屋上の階段のところまで行き、この場から逃げようとするそぶりを見せると、――何せ司は彼があまり好ましくない――工藤は焦った表情を見せ、「待ってよ司!」といった。


その声とほとんど同時に、屋上の階段へ通じるドアががらっと開き、多少日に焼けている肌が特徴の、新宮響(男子9番)が立っていた。
「わ、びっくりした。司じゃん」
「響!」
これまたよく気が合うもので、響と司は同時にお互いを呼び合った。司の後ろのほうにいた工藤だけがすごく苦い顔をしたが、すぐに新宮に向かって「何だ、ニイミヤかよ」と嫌味ったらしくはき捨てた。
「あ、エトウ、お前居たの?」
新宮は明らかにわざと、爽やかな笑顔を振りまいて「ぜんぜん気付かなかったな!」と言って工藤に対抗した。
「何がぜんぜん気付かなかっただ! お前、俺の司にさわんじゃねぇよ!」
猫が毛を逆立てるように、工藤は怒った。ちなみにエトウ、というのは工藤の工という字をカタカナのエと呼んで、藤(とう)をつけた呼び方だ。めったに呼ばれないが、彼の呼び名のひとつである。同じく、ニイミヤというのは、新宮(しんぐう)という読み方をせずに、別の読み方をしたもの。これも工藤同様、あまり呼ばれないが呼び名のひとつである。

「は? エトウ、お前いつからそんな口叩くようになったんだ?」新宮はまた、爽やかに聞き返す。だが眉間にしわがよっていることは確かだ。
「ケッ! いまどき幼馴染の恋なんて古いんだよ馬鹿ニイミヤ!」
工藤は右手をグーにして中指だけをつきたて、新宮に向かって突き出した。幼馴染の恋、というのに敏感に反応したのか、新宮は顔を真っ赤にして「そんなんじゃねぇよ!」と否定した。だが実は新宮響と蓮川司は昔からの幼馴染で「こいつら付き合ってんじゃねぇの?」と言う噂さえ立てられるくらいの2人だった。実際、今も司は響の腕に抱きついている。
あの事件――司が父親を殺害し、結果的に未遂に終わったあの事件だ――から、司はかろうじて取り繕っていた穏やかな心を一変させ、暗く冷たい氷のような少女になってしまった。あの事件は世間には知られず、隣の家の新宮響も未だに知らない事実となった。やはりこの高原市の中でも屈指の豪邸を構える蓮川家に、このような事件を丸くもみ消すことなどはたやすいことらしい。もみ消された事実を持って司は家庭の諸事情により一時学校を長期休暇と言って休み、少年院に入所していった。
そして社会復帰をした今、人との交流を遮断し、面倒なときや暇なときは大概本を持ってここ、屋上に来ていた。


「だったら司返せ!」
「嫌なこった! 大体お前には彼女いるだろ!」
工藤の表情が一変し、血の気がいっぺんに引いた。
「その話は出すなぁ!!」
響の言う彼女、というのは工藤の彼女、遠藤雅美(女子2番)のことだ。遠藤は不良と呼ばれる子で、学校に来てはいるものの両耳にはピアスを開けており、口調はそのまま男だ(何せ自分のことを俺という)。
「お前だって遠藤に愛されてるじゃねーか! あれ、あいつなりの愛情じゃん?」
いつものように遠藤はあの女とは思えない強力で、いつも工藤をどこかに連れて行ってしまうのだ。だが工藤に至っても、それが嫌で別れようとは一度も言ったことがないし、そのようなことを示唆する様子でもない。今は工藤が司を気に入っているので、2人の関係は宙ぶらりんの状態なのだが。
「それを言うなあああ!!」
新宮はそれを聞いて、勝った、と誇らしげに微笑した。


「ちょっと、そこのバカニイミヤ!! アンタあたしの言った事、忘れてるでしょ」
突然、屋上のドアのところから声がした。そこには女子学級委員、望月千鶴(女子13番)の姿がある。新宮は驚いてうわっ!でた!とつい口を滑らしてしまったが最後、上履きを思いっきり踏まれた。
「っでええ!!」新宮が足を抱えて泣き叫ぶ。
「おお! さすが学級委員!」
工藤はぱっと顔を明るくした。
「あんたもよ馬鹿エトウ! 雅美ちゃんどこ行ったの?!」
望月は工藤と家が近所なので、当然出身小学校も一緒だ。腐れ縁と言うべきか、特別仲がいいわけではなかったがこうやって言い合えるような仲ではあった。
「え、知らん」
「お前帰れよ、そして死ね」
望月はお得意の罵声を2人に浴びせながら、そのかけている丸いメガネの端をくいっと上げた。


「よぉよぉやってるねぇー! あたしらも混ぜろよー!」
そんな声と共に望月の背後から飛び出してきたのは神谷真尋(女子4番)野口潤子(女子8番)だ。2人は同じ陸上部なので何かと仲がいい。いつも明るく、このクラスのムードメーカーを請け負っている2人組だ。
「おーっと、工藤君お久し振りじゃーない? あんた頭いいんだから内申のためにでてりゃーもっといい公立行けたのにね! ま、もう卒業だからこんな話しても意味ないけどー! まぁ所詮馬鹿校にいくあたしらには関係ないけどねー!」
笑いながら神谷がその大きな目を細くして腹を抱えながら笑う。それに続いて野口も
「頑張ってこの国を動かしてくださいよ、よっ! エリート!」と拍車をかけた。
どこまでもハイテンションな彼女らについていけるのは男子でもごく一部の人間しかいない。少しだけぽっちゃりしている野口も、神谷といるときばかりは人ががらりと変わったように面白そうに笑う。


「あー、はいはい、ちょっとのぐっさんとカミヤマはお口チャック!」
シー、と人差し指を口の前に当てて、あきれた表情で望月は好奇心ついでについてきた神谷と野口をいさめた。卒業式と言う大イベントが近くなっていくにつれ、生徒達の高揚感は全体的に上がってきているのは確かだが、この2人の上がり様は半端ないほどだった。どうやら卒業式あとにある打ち上げが楽しみで仕方ないそうだ。
「で、新宮。とにかくアンタは司ちゃん音楽室に連れてって。そしてバカ依月。お前は雅美ちゃん探して来い」
「何で俺だけ口調が変わるの?!」嘆くように口を尖らせて工藤は反抗した。
「アンタだからに決まってるでしょこのバカ。理解しがたいかな? その頭じゃね」
ふふんと笑う望月に対し、ぐっとつまる工藤。とにかくここでお決まり罵声バトルが始まりそうだったので、響は横脇にいる司に「いこっか」と言った。司は何も言わず小さくこくりと頷き、罵声バトルを繰り広げる2人と、それを見守りつつ爆笑している神谷と野口を置いて屋上の階段のほうへ歩いていった。


階段を下りながら、「なんで音楽室行くの?」と司が聞いた。とにかく塞ぎこむ形で必要最低限な音量の声を発したので、一瞬響は聞き取れず顔をしかめたが、なんとなく聞きたいことはわかっていたので、返事を返した。
「あぁ……なんか、夏葉がレクやるとか何とか……とにかくA組全員集合って奴?」
響はにこっと笑った。だが一方の司は面白くなさそうに口を真一文字に結ぶ。どうやら音楽室にクラスの人間がいることが気に入らないらしい。雑踏やうるさいところが大嫌いな司が嫌がるのもわかる気がする。既に階段のところにいても音楽室の爆音が聞こえてくるほどだ。響は4,5センチしか変わらない司を見て、少しだけ背筋を張ってみた。それから彼女のベージュ色に染められたセミロングの髪の毛に手を置いてポン、ポンと軽く叩く。

これから起こることの予感なんて、欠片も感じないまま、平和な時間は刻々と減っていった。




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