眠気*Outlaw


あの戦争が勃発している音楽室から比べると、隣の準備室はそれはもう、嵐の過ぎ去ったあとのような静けさだった。見事なまでに決められている人の位置、テリトリーは今日も変わっていない。準備室に入ってすぐ、そこは転校生のこと、柏崎佑恵(女子3番)のエリアだった。彼女は3年の3学期から転入してきたために、今ですらそんなあだ名がついている。どうやら中国とのハーフらしいが、もう帰化しているのか、詳しくは知らないが名前はいかにも大東亜風だ。だが、たまに話す彼女の言葉は少しだけ中国訛りで、時々突発的に中国語が飛ぶ。そんな彼女だから、友達もあまりおらず、どちらかというと私に似ている雰囲気を持っていた。彼女は私のことを一回だけちらりと見ると、すぐに読んでいた本に視線を戻した。相変わらず、無愛想で人見知り。人の事言えないけど。
ふっと見えた窓から見える景色。顔を上げた。そこには青く晴れ上がった空に、太陽がぽっかりと浮かんでいる。だが青い空はいつまでも青いわけではないのに。


「あ、司さん!」
準備室の中央においてある机に、どこからか持ってきたノートパソコンを置いて、カタカタとキーボードを鳴らすのは高木時雨(女子6番)。――よく司さん、司さん、と言うのはいいが、同年代に対してさん付けをすることに違和感はないのだろうか――そして今日も変わらずそのノートパソコンの画面には真っ黒の字に怪しげな赤い文字が並ぶ。彼女いわくアンダーグラウンドなサイトだ。よく面白い画像(血だらけの人間や、すこしグロいもの)を見つけては私によってくる。
「見てくださいよ!」
パソコンの画面を私に向ける。画面の中にはいわく付きの場所を示した地図や、なにやら危ない火薬の調合法などがずらりと並んでいた。
「……いい」
今はなんとなくそんな気分ではなかったので、すまなそうに顔をしかめて断った。彼女はおせっかいだが優しいといえば優しい。その曖昧な優しさに傷をつけることは出来なかった。なぜなら、そういった曖昧だからこそ、深く傷付いてあとで面倒なことが起きるからだ。


「おーっと、ひっさびさに聞いたなぁ、蓮川の声☆」
一番奥の棚に寄りかかっている、伊達メガネの千田亮太(男子10番)がよう!と軽快に、藤原優真や相澤圭祐のようなノリで話しかけてくる。私にとって彼は本当に解らない人間だ。すごく大人しくて漫画オタクと呼ばれる時もあれば、生徒会でこのクラスの熱血漢、有馬和宏と共に、口にガムテープ張ってやろうかと思うくらいはしゃぐときもある。どうやら今日ははしゃげる相方の有馬がいないので、静かにしているときのようだ。
「何? 蓮川も夏葉に呼ばれたの?」
持っていた漫画に馬鹿丁寧にもしおりを挟んで、退屈そうに首をこき、こきと左右に揺らした。その太い淵の四角い眼鏡がどことなくぎこちないのは許容範囲なのだろうか、坊ちゃん刈りとやけにマッチしたその眼鏡の奥で、瞳がニヤリと笑った。
「多分」
「そっか。俺たちもそうなんだよ。にしても夏葉のやろーおせーよな」
首を回転させてマッサージをしながら、千田は隣に座っていた設楽聖二(男子8番)榊真希人(男子7番)に話しかける。

「例のナッパ先生はレクっていってたけど、設楽と榊は何やると思う?」
千田はクラスのムードメーカーであると同時に、男子の主流グループと設楽や榊のような教室の隅っこにいそうなグループの橋渡し役をしている。簡単に言えば誰とでも簡単に友達になれるタイプだ。私にはない才能が、彼にはあると思う。設楽と榊は一緒になってゲームの攻略本を読んでいたが、いきなり話しかけられたことに対してすこしびくびくしながら答えた。
「俺は……昔やった最強椅子取りゲームやると思う」
設楽が野太い声で答える。いい加減その鈍い行動をどうにかして欲しいと思った。
「あっ……あれかよっ! めんどくせーって……」
野太い声とは対照的な高い声で榊が言う。相変わらずどこか引きつった話し方だ。

「めんどくさいっていうなよ……」
その横からサンドバッグのこと、牧野尚喜(男子13番)が出てきた。彼はそのカワイイ系の容姿に小さな身長という容姿を馬鹿にされて、このクラスの問題児である例の相澤圭祐や藤原優真、そして市村翼などのサンドバッグとしてよくからかわれている。今日においてもまた、逃げてここに隠れているんだろう。それでもまぁ、実際はちゃんと仲がいいのだが。確か響が言っていた。今度の休みに尚喜とかと一緒にネズミーランド行くんだ!と。
「ねえ蓮川、優真とか圭祐、まだベース弾いてる?」
この準備室を出た瞬間に突撃してくるかもしれないのだから、彼は相当びくびくしている。おそらくここまで聞こえてくるベースやドラム、そして服部綾香のキンキン声が納まるまでかわいそうだがここに収容されていることとなるだろう。
「服部さんと喧嘩してる」
外の状況をそのまま簡潔に伝えてあげると牧野は、あぁ、よかった。とほっと胸をなでおろした。どうやら彼らが飽きて尚喜襲撃、の道に入らないようだからだ。



「はいはーい、皆ー、有馬君が職員室から戻ってきたよぅー!」
突然、音楽室のドアを勢いよく開けて入ってきた柳葉月(女子15番)は、その関西弁交じりの標準語で(何せ生まれも育ちも大阪の転校生だ)、皆に呼びかけた。彼女は中学2年生のときに転入してきた生徒だ。持ち前の関西人らしい明るさが受けて、今では千田のように万人受けしている。ピンやゴムを使った面白い髪形が奇抜なものを好む彼女らしいところでもある。
有馬が戻ってきた、ということは少なくとも夏葉翔悟(担任)の伝言を聞いて戻ってきた、ということだろう。有馬はクラスの中での保護者という立場を持たない代わりに、問題教師の夏葉翔悟を一生懸命お世話している。あんなダメ三十路教師のどこがいいのか、この1年間ずっと彼を引っ張ってきたのも有馬だ。
『有馬君がなー、準備室にいる奴は全員音楽室に入れーやってー』
柳の後ろからちょこんと出てきた狐の人形、そう、先ほどまでの戦争に油を差した土屋若菜(女子7番)のローズマリィだ。へたくそで中途半端に関西弁をまねる。
「若菜ちゃん!」
葉月はローズマリィの指の部分を握る。そういえば彼女達は仲がよかった気がした。5大性格ブスの一角として知られる男好きでぶりっ子の土屋若菜を年から年中見ていて、どうしてあれを嫌にならないのか時々疑問に思う。
「葉月ー、なんだか皆おとなしくなっちゃったのぉー」
相変わらずのぶりっ子口調。吐き気が催します。


「おとなしくなった? 何言ってんだお前」
千田があきれながら(そしてどこか一歩ひきながら)突っ込むが、確かに先ほどの罵声は聞こえてこない。私は扉から出て音楽室に入ると、あの煩くてかなわなかった軽音の奴らが、しっかりと床に座って――寝ているではないか……。
「あ、ハル君、イサ君。こっちこっち」
設楽は数冊の攻略本を手に取り、音楽室へと向かおうとしたとき、奥の奥にある暗室で寝ているハル君のこと、吉沢春彦(男子17番)と、イサ君のこと、三浦勇実(男子14番)を呼んだ。彼らは同じバレーボール部だからとても仲がいいが、なにぶん両方とものんびり過ぎるので、暇さえあれば寝ていたり、何かを悟ったりしていた。要するに、ジジくさい。だがそんな態度も好ましいかと、例の服部綾香(女子10番)の付き人の1人、関根空(女子5番)は吉沢と付き合っている。私は直接聞いたことはないが、彼女いわく「ハルはのんびりしたところがいいんだよ!」らしい。その割には、いまどきのアップテンポのダンスグループの追っかけをしているのだが。

「うー……、眠いんだよね……」
吉沢はあくびをしながらその長身をさらに伸ばす。さすがにバレーボール部でアタッカーをやっているだけある。
「やっぱ昨日ゲームしすぎたかなぁ」
もう受験が終わったからといって、2人して夜中までゲームをやっていたのか、三浦はそんなことを示唆するようにつぶやいた。
「アレ? 皆どうしたの?」
ノートパソコンを抱えて高木が扉の向こうに出た。私は中の異変に気付き、すぐに市村翼と新宮響の座っていた椅子まで走ると、響の肩をつかみがくんがくんと揺らした。彼は眠たそうな目をこすり、ボーっと私のことを見ると、「つ……かさぁ……」と寝言を言って、そのまま隣の市村の肩に頭を預けた。
「どうしたの……?」
明らかに異変のある彼の様子、そしてクラス全体の様子。そして先ほど入ってきて私たちに集まれと言った(らしい)有馬も、入り口付近で行き倒れたように寝転んでいる。





何もかもが分からなかった。気がついてみれば、周りの皆は誰一人として、起きているものはいなかった。
そのすぐあとに、不意に眠気に襲われた私は、響同様に、座り込んで倒れてしまった。



―――それが地獄行き列車の乗車条件だとも知らずに。




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