早速*Primo


「女子9番、蓮川司」
野口潤子(女子8番)が脱兎のごとく、この教室から抜け出してから4分。私と彼女の間には設楽聖二(男子8番)が床をぎしぎしとならしながら出て行っただけだ。それにしても今まで15年間生きてきた中でこんなにも重苦しい雰囲気で名前を呼ばれたのは、”あれ”以来始めてのことかもしれない。私の名前、そんなに重要だったかな。
「はい」
全員が席に着き、静寂のほうが勝っているこの教室で、私はその静寂を切る戦士のように声を出した。冷静に、そしてはっきりと。
一歩一歩、高原第五中の校舎の床とは違う木製のフローリングの上を歩く。まるでどこか知らない外国の地を歩いているかのように、足取りの先はわからなかった。だがしっかりと地に足を付き、前を見る。誰もかもが、私に対して重苦しくてねちっこい視線を送っていた。いっそここで浄化したいくらい、まとわりつく視線。
夏葉翔悟(担当教官)青沼聖(副担当教官)の前までつくと、2人とも揃って少しだけにやっと笑い、あたかも兵士の長が自決命令でも出すように目で訴えてくる。
「合言葉は?」夏葉翔悟は満面の笑みで問う。彼の吸っているタバコの煙があたりを占めていて臭い。
「私たちは殺し合いをします」
彼らの望みはこれでしょう。
「私たちは殺し合いをします」
また、私の望みも、これでしょう。
「よし、いけ」
夏葉の指がさす方向、部屋の入り口のほうの作業用カートのようなものを見る。そこには迷彩服の兵士が2人、脇を抱えており、そのほかに2人、銃を構えている。

私には、何が出来ようか。
私は今、駆け出すべきか。
叫びたくなる衝動に駆られる。
思いをすべてはき捨てるように目をつぶる。
駆け出した。


「司ぁ!」
背後から声がした。だけど無視して妙な形のバッグを受け取り、暗い廊下を所々ついているろうそくの火を頼りに駆け抜ける。


私はただ、有能になりたかっただけなの、一番になりたかっただけなの。
だから邪魔なものは全部、排除しなきゃならなかったの。
お父さんだって、ビョーインとケーサツから6ヶ月帰ってこなかった。
兄弟はたくさんいたけれど私は1人で育った。
誰も何も教えてくれなかったから、本を読んで勉強したよ。
私は、生き残るべきなの?
それとも、野垂れ死にするべき?
ううん、私は、私はただ――。


がたんっ
廊下を少しだけ小走りして、階段を下りて突き当たったところに電灯の明かりだろうか、そんな白い光が見えた。目を細めてその場所に近づくと、どうやらそこがこの建物の出入り口だったらしい。扉の内側に1人、老兵士が銃を脇に携えて椅子に座っている。
「兵士さん」
教室にいた兵士と同じ迷彩服を着ていて、深く帽子をかぶっている。ちらりとその銀色の視線でにらまれたけど、決して怖くはない。


「アドルフ・ヒトラーって、知ってる?」

老兵士は一瞬だけ驚いた表情をしたが、相変わらず表は無表情の仮面のまま。一秒後にはどこを見ているかわからない海の底の様な瞳で私を見た。
「さよなら」
にっこりと、驚くほど綺麗に私は笑うことが出来た。
一歩、一歩、その出口から外に出る。そして空気を吸った。入り口の電灯の隣にある時計塔は針を3時15分ほどをさしている。
とりあえず私はこの配られたバッグという異様な形をしたものをどうにかすることにした。自分の次に出発するのは新宮響(男子9番)。幼馴染で優しいところのある彼と会ったら、まず間違いなく止めらる。そして私の計画はすべて白紙に戻ってしまう。


とにかくもここから離れるためには、そう思ってバッグの中をあさった。
「えっ」
思わず口に出してしまったが、私のバッグの中にあったものは、よく伝統工芸や剣道道場にある真剣。どうやらよくよく見れば長刀に値するものだった。こんなもの、私が持つよりも実家が剣道の道場でかなりの腕前の森井大輔(男子15番)が持ったほうが見栄えがいいだろう。
銃系統に比べればはるかに殺傷能力は劣るが、それでも武器は武器。私はしょうがなく長刀の鞘を左手に持ち、バッグを左肩にかけた。いつ、何があってもこの右手で刀を抜けるように。

ガサガサガサッ……!

不意に草の揺れる音がした。静寂の真夜中にこんな音、つまりはこの近くに誰かいるということを意味している。
――考えろ、私の前の出て行ったのは野口潤子、設楽聖二。野口潤子はブラッディレッドに染められた太陽。設楽聖二はさながらゲームにおぼれた肥満体。
おびえの様子からすると目の前で有馬和宏(男子2番)の惨劇を見せつけられた野口のほうが、断然恐怖感を募っているだろう。とすれば彼女が一刻も早くここから逃げるのは相場だ。
ということは。
結論を出す前に、自然に足が動いた。風を切るような、生まれて始めて優勝した短距離選手のように清々しい。走ることが面白い、そう感じた思春期部活少年のような、もしくは病気の葛藤から克服した人のような。とにかくもそんな晴れ晴れとした気分だった。
その人を殺すことに対して。
私の記憶が正しければ分校を出て北に進むと森、そして南に行くと住宅街が広がっている地形のはずだ。今目の前にあるのは森、出入り口は建物の北についていたことになる。確か黒板に貼り付けてあった地図では森はかなりの広さで多い茂っている。つまりは、早く捕まえてしまわないと逃げられてしまう。



私が、殺すの、殺すの、あいつを。なぜかって?だって、私はアドルフ・ヒトラー。たった一人の指導者が、ユダヤ人を600万人も殺したの。私も殺すの。ここにいる『ユダヤ人』たちを。逃げられないようにするの、滅ぼすべきは、愚かなりユダヤ人。
私は、私自身の栄光のために、正義を貫く。


数十秒ぐらいは走っただろうか。例のユダヤ人は愚かにもこれだけの足音を立てているにもかかわらず、まだこちらに気づいていないようだ。それはとってもありがたいこと、後ろからこの長刀でざっくり切ってあげる。私の栄光のために、私の栄光のために。
タタタッ……土を蹴る軽快なステップ音が聞こえる。目の前の人物はやっとこちらに気付いたようで、血相を変えて振り向いた。

ビンゴ。やはり、設楽聖二だ。

「う……うああああ!!!」
私の長刀が鞘から抜かれる。およそ5メートル。設楽のその太った身体が完全に振り向く。スローモーションのようにゆっくりと景色が動いた。
設楽が振り向く――私が長刀を振り上げる――刀の切っ先が設楽の左肩を切る――そしてそのまままっすぐ右腰にかけて線が入る。


ザシュッ!!

「ぁがああああ!!」
ブシュウッ、と音を立てて血が、飛んだ。まるで噴水のように勢い欲からだから飛び出す。彼の身体は後ろに傾き、ドンッ、と鈍い音を立てて倒れた。
そこをすかさず長刀で突き刺す。また、あの音がした。
生暖かい赤い液体が、私の灰色のスカートにべっとりとつく。なんて汚らわしい、だけどとても、綺麗。


あと一発、この刀を心臓に突き立ててやるのよ、そうして私はこの愚かなユダヤ人を殺すの。
ねぇ、聞いて。私って、強いでしょう?人を殺しても、悲しまないよ。
もう一度刀を抜いて彼の胸を斜めに切りつける。
そして最期に、
「さよなら」
――最期の別れくらい、してあげる。


グショッ、と、刀の切っ先が脂肪の間を割り入って内臓に届く。
今度こそ、さよなら。
あたりに赤い水溜りを作り、完全に設楽聖二は事切れたようだった。私は肩で息をしながら、今起きた数分にも満たない惨劇の回想をする。確認のためにもう一度首のところを刀で突き刺した。血は出ない。死んでいる。
ふっとため息をついた。


私は生き残るのよ、そのためなら人を殺してはいけないという倫理は捨てる。
私は生きるために理性を捨て、人を殺すために感情を捨てる。
失いすぎかもしれない。だけど元々与えられていないから、失うも何もない。
たった数分にも満たない時間で、1人の”ユダヤ人”を殺した。
そうよ、私はユダヤ人を殺せばいいの。クラスメートを殺すなんて思わなければいいはず。

私はアドルフ・ヒトラー、滅ぼすべきは、私以外のユダヤ人。


「司ぁ!!」
後ろで叫ぶ声がした。私は驚きのあまり無防備にもそのまま振り向いてしまった。それが後悔の始まりだなんて、そのときはちっとも思わなかったけれども。





男子8番 設楽聖二  死亡
残り30人



Next / Back / Top

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送