鵺人*Marziale


「なーつはせんせっ」
不意に目の前で肌色のものが上下に動いた。ああ、俺―夏葉翔悟(担当教官)―、いつの間にボーっとしてたんだ、柄にも無い。
「黄昏てるんすか? 今は朝っすよ?」
「バーカ、何で俺が黄昏なきゃいけねぇんだよチビ」
「あー! チビっていったー! 穂波さんに言いつけるっすよ?!」
青沼―青沼聖(副担当教官)―に言われて穂波(もちろん俺の愛する奥さんだ)の顔が一瞬浮かぶ。だがすぐに消えた。
俺らしくもない、何哀愁漂わせてるんだ。そう思いながら自分専用の銃、ソーコム・ピストルを取り出し、サイレンサーの部分をさすった。この銃で俺は1回藤原優真(男子11番)を撃った。そりゃぁな、担当官として進行上の弊害は除去しようとしただけだし、何よりもそれが担当官としての正義だし、常識だ。それに俺は拳銃の腕は自称:ピカイチ。誰にも負けねぇぞ、かかってこいやゴルァだからな。藤原の腕を撃ちぬくように狙いを定めることくらい、お茶の子さいさいだ。つーかよ、俺もこれで6回目のプログラム担当官だが、居るんだよねぇ、毎回にように俺たちには向かう奴が。まったく、身の程知らず野ガキども達がわんさか居るからこの国はどうかなっちまうんだ。社会のクズはクズらしく掃いて燃やされろってんだよ、なぁ?――人の事言えた義理じゃないけどな。


この教室から全員が出て行って数分も経たない。
しかしまぁ――これが本当に、俺が持っていたクラスなのかと思うくらい人間が変っていた。ほとんどの生徒が、出発前に俺のことをにらんでから出て行った。そりゃぁそうだよな、誰だってどうして俺が担当教官なんだ、って思うかもしれない。担任だから、助けてよ、なんて甘い考えは通用しないって言うことを思い知ったかクソガキども。
どうでもいいが第一俺は元々プログラムの担当教官という国家資格に近いものが主な仕事で、地方公務員の教師の仕事は副業みたいなものだ。もう俺が担当を始めてから6年。今年のように『プログラムを行う生徒をよく観察するために』担任として学校にもぐりこんだのは2年前からだ。今回は50回目のプログラムということだから生徒といる時間が長かった分、生徒が何を考えているか位、手に取るように解る力がついた。


「夏葉担当教官! 青沼副担当教官!」
突然、青沼の持っていた緊急連絡用ディスプレイに迷彩服を着た兵士が映った。これは教室に俺たちがいて、なおかつ外に何か変化があるときに使われるものだ。もちろん、普段はこの教室にいるわけではないが、慎重に越したことはない、というのが兵士長のいう言葉だ。
「連絡します、先ほどから分校近辺に女子9番、蓮川司の姿を感知できます。おそらく、この分校に侵入しようとしているのでしょう」
「蓮川……だと?」
ふと、嫌な予感がよぎった。それと同時にあのきつい目つきの色素薄い女、蓮川司(女子9番)の後姿が映った。
「兵士長を向かわせますか? 首輪を爆発させますか」
兵士は画面の向こうで俺たちの顔色を伺っている。


「オレが行きましょうか」
青沼は言った。そこについ先ほどのにこやかだった青沼はいない。いつも思うことだが、青沼は絶対二重人格だと俺は確信しているのだ。コイツは拳銃を持ち始めるとさながら成人以上(しいて言うなら仙人レベルだ)のオーラを出す。空気がぴんと張り詰め、そして冷えるのだ。おそらく俺と青沼が拳銃を持って対峙したら、俺は絶対に殺される。どうやら本部のほうでも名の知れたスナイパーのようで、暗殺者としての腕前がかなり立つようだ。クソ、来るところが違うんだよ。


「やめとけ、あいつのやりたいことなら俺がわかる」
準備万端、とばかりにマガジンを詰めた拳銃を両手に握った青沼を制して、俺はダッシュで教室を出た。そしてコンピューターがたくさん並ぶ部屋まで走った。青沼も俺の後ろを走ってくる。
「解るんですか? 蓮川さんのこと」半信半疑で青沼が聞いた。
「一年担任してりゃぁ、わかる」
「もう立派な地方公務員っすね」
「バカ野郎、今は国家公務員だ」
部屋につくなり、俺は専用の机においてあった「ある物」を持って指示を出した。


「青沼、お前はここに待機だ。兵士達は通常の作業をしてもらっても構わない。外の兵士にも万が一のこと以外絶対に撃たせるなと言っておけ」
俺にしては珍しく上手く指示を出せたような気がする。部屋の中にたくさんいる迷彩柄の服を着た兵士達はこちらを凝視していた。
「夏葉担当教官、護衛はいかがなされますか? 蓮川司は既に一人殺しています」
兵士のひとりの言葉に俺は一瞬固唾を飲んだ。時間はあまりたっていない。ということは入り口での襲撃か……。もしくは行動派の殺人者か。どちらにしろ、行く末恐ろしい女であることは間違いない。
「誰だ、野口か」
「設楽聖二です」
「じゃぁいい。いいか、誰も来るんじゃねぇぞ。命令だ」
命令、というところを特に強調して言った。他の奴らはほとんど俺の行動に唖然としているが、部屋の奥にある大きなディスプレイ(生徒の居場所が分かる奴だ)には、女子9番を表す赤い9の文字が点滅して、今にも分校に入ってきそうだった。デジタル電波時計を見て、榊真希人(男子8番)が出て行ってまだ10分もたっていないことを確認した。この場所は最後の生徒が出て行ってから20分後に禁止エリアになるので、今は誰でもどうぞご自由にお入りくださいませだ。何処のバカがこの時間に襲撃しに来るんだ。禁止エリアになる前は兵士にぐるりと囲まれているんだぞ?
とにかくも青沼の拳銃をひったくってハンマーを起こした。二丁拳銃。ふー、ひっさしぶりぃ。愛ガキが生まれてからは一度も二丁拳銃なんて派手なことはしてなかったからな。


階段を駆け下りる、だけど足音は立てずに。広い廊下に出た。太陽電池式電灯が見える。兵士の数人は電灯の下でショットガンを構えているようだ。よしよし、獲物に手はつけてないな?
「そこのお嬢さん。何をお探しかな?」
電灯の逆光を浴びて、肩よりすこし長いさらさらの髪にすらりとした体が見えた。蓮川司、間違いない。確認したと同時に拳銃の引き金に指をかける。体内にある緊張の糸がビン、と音を立てて張った。
「もしかして、自殺希望? だったらこの夏葉様があっちに逝かしてあげるけどよ」
蓮川の顔色を伺おうとしたが、逆光の光が強く回りがあまりにも暗すぎるのでコントラストが強調され、見えなかった。拳銃を強く握る。自分が、汗をかいていた。どうして、俺がどうして汗なんかかくんだろう。そう思ったのはその一瞬だった。
がしゃん
何かが地面に落ちる音がした。形と音からして、こっちから配ったバッグと支給武器か。影で物語るのは細長いものと、それから、拳銃。


「攻撃はしない。だから私の望みを叶えてくれるかしら? 死神さん」
皮肉を込めたのか、いつもの蓮川らしくない言葉がうかがわれる。
「これはこれお嬢様、何がお望みでしょうか? この死神めでよければ何なりと」
拳銃を両手に握ったまま、腕をおおきく広げた。だがすぐににやりと笑い、俺は洋服のポケットから取り出した「ある物」――そう、一冊の本――を取りだした。
「なーんてな。これだろ?」
俺はすぐに自己突込みを兼ねて言った。取り出した本は古ぼけた印象のいたって普通の本。だけど中身は開けてびっくり驚き桃の木。


「アドルフ・ヒトラー著、我が闘争。どっからこんなの仕入れてきたんだよ。絶版のプレミア品だぞ? つーかこれ、輸入されていいのか?」
蓮川はかなり驚愕の表情を見せたが、どうやら「これ」があることに対してほっとしたのか、短いため息を漏らした。ちなみにこの国にとってドイツ――まぁ、古い言い方だと独帝とかいろいろ言うけれど――は同じような思考の国家である。しかし性格上、そりが合わなくてなかなか表立った友好関係は結ばれていないが……。もちろん製品は多少たりとも入ってくる。でもやはり、準鎖国だから輸入品はプレミア物なのだ。ましてや“あの”アドルフ・ヒトラーの著書ならば。
「良く知ってるのね」
「その言葉、そっくり返してやるって。バッター夏葉選手、ピッチャー投げた、ホームラーン」
「馬鹿でしょ三十路ダメ教師」
「――っと思ったら外野手のファインプレーで取られたー」
俺のプチギャグがつまらなかったのか、それとも拳銃を構えているからか、はたまたそういった感情をもともと持ち合わせていないのか、蓮川はただじっとこちらをにらんでいた。


「オメーらの私物を押収したときに、あんまりにも珍しいもんだったから、読ませてもらってたのさ」
俺のご丁寧な説明もそっちのけで蓮川はまだにらみを利かせている。
「ねぇ」
蓮川は表情を変えずに口だけを動かした。
「ここでは人を殺したら死刑になるの?」
一瞬、俺は自分自身がアホかと思うど呆けてしまった。『ここ』――それがこの島ならまったく通用しないしむしろ奨励されるほうだ。しかしこの島以外の場所であるなら、それはそれなりに処罰されるだろう。俺は面倒なので両方をいっぺんに説明することにした。これでも一応社会の先生。専攻は地理だけど公民も歴史も出来ることは出来るんだから。
「この島ならいくら殺しても法は通用しない。だがシャバに出ればそれなりに処罰される。特に、この国では犯罪者には人権がないといっても過言じゃねぇ」
眉一つも動かさず、視線を固めたまま立つ蓮川の姿に俺は逆に動揺した。
これが、中学三年生か?
はじめてみる光景。確かに冷静な奴は今まで掃いて捨てるほど見てきた。だがここまで冷静で、なおかつ何かが足りない奴は、類まれを見ない。


「あ、そ」
それだけで納得したのか、彼女は肩をすくめ、すぐさま床に散らばったものを拾い集めると、きびすを返して出て行こうとした。そのすばやく何事も恐れない行動と姿に恍惚さえ感じる。
「待てよ」俺はその後姿に言葉を投げかけた。
不思議で非常に不可解な幻覚にさいなまれたのだ。彼女の背中がすぐそこにあるのに、どこか遠く遠く、お互いが世界の果てと果てにいるような位置関係のような気がしてならない。そんな、幻覚。


「お前は、死ぬのが怖くないのか?」
はじめてこんな気分に陥った。ゾクゾクと体の奥から鳥肌が立ち、初めて年下の子供が恐ろしいと思った。と同時に、初めて生徒に心底興味を持った。蓮川司はそんな俺の嗜好対象にぴったりな人格をしている。


「私は死さえも凌駕してみせる」


答えにはなっていないが、即答だった。一般人から見れば意味は通じていないが、それでも言葉に重みがあった。
「私は、アドルフヒトラーの生まれ変わり」
蓮川は振り返って、その冷たい目を俺に向けた。
「滅ぼすべきはユダヤ人」
幻覚の冷たい風が、俺の横を通り過ぎた感じがする。くわえていたタバコが、気付けばもう短くなっていた。煙が鼻に直接かかると、そのにおいで俺はようやく我に返った。そのころには彼女の姿は消え、ただあの太陽電池式電灯が淡く光っていた。くわえていたタバコをつかみ、床に捨てて足で踏む。


「夏葉担当教官」
入り口に見張りとしておいといた老兵士――紛れもなく、兵士長だ――は席を立ち、こちらに向かってきた。彼も俺同様に身震いがしたのか、多少おびえた目で「彼女は」といった。そして

「彼女は、恐ろしい」
確実に、そう言った。俺もまた、そう思った。
何が決め手かはわからないが、そう思ったもんはそう思ったんだ。
あいつは鬼か、それでなければ悪魔か。
もしかしたら、そんな可愛いもんじゃないのかもしれない。


「兵士長、入り口を封鎖してくれ。教室と同じように金属でも張っとけよ」
俺は階段下にある倉庫を指差してあと数人助けを呼んでくる、といった。ふと、思い出したようにつぶやく。
「塩でもまいとくかぁー」
ポケットから押しつぶれたタバコを取り出して、火をつけた。煙を肺に入れる。ふぃー、と吐き出した。



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