無智*Morendo


「時雨が殺さないから、私が殺したんじゃない」
張り詰めたような緊張感の上に、そっと雫をたらしたような、そんな特徴的な声。なぜかは解らない。急にナイフを握る手が汗ばんできた。一度目をぎゅっとつぶってから後ろを振り向いた。
「つ……つか……さ……さん!」
そこには白いブレザーを見事に真っ赤に染めた蓮川司(女子9番)の姿があった。右手には拳銃を握り、左手には何か長い棒のようなものを握っていた。外気温が一気に下がった気がする。さすがに春先といえど夜明けは冷え込むと理科で習ったが(それにそんなことが高校入試にも出たような気がした。結局は解けなかったが)、そんな程度の冷え込みではなかった。つまり、砂漠の気温50度ほどから一気に南極のマイナスの世界に飛ばされたような、そんな温度差。
「司……ちゃん……」
数メートル離れているここまで土屋若菜(女子7番)の歯がカタカタ鳴るのが聞こえてくる。声を震わせながら土屋が指をさした。おそらくはその真っ赤な斑点が飛び散る素敵な柄の制服の是非を問いたいのだろうが、なかなか口が回らない、といったところだろうか。しかしそれは私も同じこと。異様なくらい冷静で、異様なくらい鮮やかな色を持つ彼女に、疑問を投げかけない人間などいないだろう。


「時雨も、土屋さんも、声が大きいよ。全部丸聞こえ」ふぅとため息をつき、苦笑しながら肩をすくませる。
おかしい、何かがおかしい。今まで自分は、こんな姿の彼女を見たことがあるのだろうか?普通にため息をつき、普通に会話をこなし、普通に私の名前を呼ぶ。今までの生活の中ではまったくありえないといっていいほどのことばかりだった。
――今まででこの人は、一度たりとも自分のことを名前で呼んだことはあるのだろうか?
「時雨、土屋さんを殺そうとしたんでしょう?」
にやりと笑った。これもまた、どこか違う。そうだ、彼女はきっと壊れてしまったんだ。人のことは言えないけれど。



「じゃぁ、早く殺しなよ」
真っ暗な夜。ほとんど周りの景色は見えないといってもいいほどだけど、その表情だけははっきりと読み取れた。この人は、どこかおかしいと感じるまで、それほど時間は要さなかった。
「つ……司ちゃん……まで!」
土屋がしりもちをついて座り込んだまま後ずさりした。がさがさ、と草が震える音がする。彼女の銃は手に握られたままだったが、このままの状況ではもう一度引き金に手をかけることすら無理だろう。
「どうしたの? 殺さないの? 私がわざわざ神谷さんを殺してまで邪魔者を排除したって言うのに」
その言葉を聴いて心臓の音がドクン、と高鳴った。この人が、今、言った言葉。カミヤマを殺したのは、この人。紛れも無く……!目の前で、あれほどの血を流し、痙攣をし、次第に動かなくなったカミヤマ。元気で、足が速くて、クラスのムードメーカー役でもあった彼女を、いともあっさりと……あっさりと殺した!きっとカミヤマにだってやりたいことはたくさん合ったろうし、まだ言いたい事は絶対にあったと思う。
それを、簡単に。
「司さんがカミヤマを殺したんですか!」
「そうよ」
手足から体温が無くなっていくような気がした。せめてここで1秒か2秒でもいいからためらって欲しかったけれど……。うつむいて罪悪感でも合ったかのようにつぶやいて欲しかった。だけどどうだろう、見事に彼女は即答してくれた。私はそれにどれだけ絶望したか。と同時に、どれだけ恐怖感を募らせたか。
この人は、人間じゃない。



「ほら、早く。土屋さん、逃げちゃうよ?」
拳銃の先で土屋のほうを示した。振り向くと土屋は何とか震える足でも立ち上がり、近くの木にすがり付いて体勢を整えていた。拳銃は、相変わらずその手に握られている。
「イヤ! 死にたくないもん!」
彼女はそう叫ぶと、こっちを哀願するような眼で見た。助けて、助けて、若菜は死にたくないよ。そう訴えているような大きな瞳が、わずらわしかった。そんな弱々しい彼女と、いつものわがままで装った天然の彼女を比べると、バカみたいになってきた。変りすぎだ、二重人格にも程がある。だから、嫌いなんだ。だから、大嫌いなんだ。


「アンタは……そうやって……逃げるの……」

まるで何かに暗示をかけられたように、無意識が働いてサバイバルナイフを順手に持ち替えた。両手でぎゅっと柄を握り、土屋若菜に狙いを定めた。大嫌い、だから、居なくなってしまえばいい。そうしたら私は何にもわずらわしいなんてかんじることもないし、ただ、普通に生きていけただろう。どうしてもっと早く殺さなかったんだろうか、そうすれば、何事もおこらなかったのに。
「そう、そのナイフで心臓を一突きしてやるの」
耳元で声が聞こえた。どうやら思考回路は頭の端からぬけていったようだ。たったその一言の暗示効果は肥大になっていく。私の中で言葉がいくつもの恨みや怒りで増幅されて、神経を伝わり腕に行く。――もう、後戻りは出来ないの?



「いやああ!!」
土屋若菜は木にすがり付いて、それから勢いよく逃げていった。それはあまりにも脱兎のごとくだったので、逆にこっちがあっけに取られた。火事場の馬鹿力と言うのか、それとも万が一のための力、というのか。それなりに足の速かった土屋の短距離走は、いまや神谷でも勝てないだろう。
その場にまた、静寂が訪れた。私から見える天球の中では、土屋若菜が乱暴に走った際に起こる木々のざわめきがよく聞こえてきた。また、耳のすぐ後ろでは小さなため息も聞こえる。私は横目でそっちをちらりと見ると、すぐに順手に持っていたナイフを逆手に戻した。
ふと、そのとき。



「使えないね」
突然、ナイフを逆手に持っている右手を後ろからぎゅっとつかまれ、強い力で押さえ込まれた。一瞬銀色に光るナイフが動いた。またもあっという間の出来事だったので、ついつい力のいれどころを間違え、気がついた時にはナイフの先端が自分の胸の近くまで来ていた。あと0.1秒でも気を抜いていたら、即座に肺に突き刺さっていただろう――!!
「どうして殺さなかったの?」
また、耳元の後ろで暗示のような声が聞こえる。今度はもう言葉自体にエコーがかかって脳内反響、何回も何回も繰り返し、途切れることも無く続いていた。
危険だ、この人は危険だ。今更だがようやくわかった気がする。つまり彼女が持ついつもの冷静さは、実は冷静なんかではなかったのだ。彼女が持っていたのは、すなわち冷酷だった。人によそよそしいのも、何か冷たいものがあるのも、全部説明がいくらでもつけられる。
それであったら『あのこと』についてはどう説明がいく……?あの時彼女は紛れも無く私を助けてくれた。だけど、それはどうやって説明すれば冷酷な彼女がする行動となるのだろうか?

わからない。彼女が。



「どう……して……って!」
何回も言うようだが、私ははっきり言って今の現状を最初から最後まで何一つ飲み込めてやしなかった。それはもちろん、このクラスがプログラムに選ばれたことも、目の前で神谷が殺されたことも、土屋若菜が逃げていった事も、そして、信頼していたはずの蓮川司に今、殺されようとしていることも。
司さんがこめる右手の力がさらに強まった。もうナイフの先が制服についている。一生懸命反抗しようと、やっと震えの止まった左手を右手に重ねようとしたとき――。


グショッ
何か、豚の内臓でも高い場所から落としたような鈍い音がした。
「え?」
何か――ちょうど黒いインクをつけたような長細いものが眼下に現れた。それが何かである前に、私の思考の中ではありとあらゆる未処理物があふれかえっていく気がした。ちょっとでも気を緩めようものなら、すべての穴という穴から情報のプログラミング語源が流れ出てきそうな、そんなものだ。
一瞬遅れて、痛みが走る。
ごほっ。生暖かい液体が口内に広がる。

頭の、なぜか『あのこと』が浮かんできた。
私が以前、3年になった春の出来事――。近所にある大手スーパーで万引きをしたところ、不良の塊といわれる高原第四中の不良どもに運悪く見つかって逆に脅されていたときだ。あのとき、後ろから彼女が声をかけてくれなかったら。金で不良から私を買い、彼女のコネで警察が反対に第四中の不良を補導してくれなかったら、私はもっと違う人生を歩んでいたかもしれない。真っ当な人間とは正反対の道を。

また耳元で暗示のようなエコーのかかった声がする。
「やっぱり、ユダヤ人はユダヤ人なのね」
やっぱり、ユダヤ人はユダヤ人なのね
やっぱり、ユダヤ人はユダヤ人なのね
やっぱり、ユダヤ人はユダヤ人なのね



めくるめく思い出の中に、おばあちゃんの姿が見えた。あぁ、ろくな孫じゃなくてごめんね、何一つ、孝行なんてしてやれなかった。でも恨むのは私にしないで、私を殺そうとしている、蓮川司をうらんで。あぁ、そうそう。私のパソコン、絶対に開けちゃダメよ。隅から隅まで、おばあちゃんが心臓麻痺を起こしそうなものばかりだからね。

「曖昧な優しさは、いつか身を滅ぼすよ」

恩を返そうとした人に殺される。私が死ぬことが恩を返すことなら、それはひとつのいいことだったのかも知れない。
人生最大の矛盾。死にたくないのに、彼女のためなら死んでもいい自分がいる。
史上最強のわがまま。一番尊敬し、敬う人を、悪魔の化身と思う自分がいる。
いいえ、悪魔?そんなもんじゃない。
「ば……け……もの」
ふっと足の力が抜けたとき、私の思考回路の電源ボタンが、オフになった。



女子6番 高木時雨 死亡



残り28人


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