親友*Flugel


もう何分経ったのだろう――先ほどから繰り返し時計の秒針と睨めっこしている市村翼(男子3番)は、右手に支給されたものである武器(コルト・キングコブラ)を握り、住宅街からまっすぐ北に向かった道路沿いにある、地図にも掲載されていない小さな廃墟に身を潜めていた。もうそろそろ日の出も近いのか、窓から差し込む光には淡い赤が含まれている。
翼はもう一度秒針を見て、そしてため息をついた。現在の時間は早朝5時10分を少し回ったところだ。クラスではまだ遅いほうに出発した翼にとっても今までの時間はたとえようも無いほど長いものだった。ただでさえなんとなく静かに出来ない体質の彼が、どうして1時間も2時間も1人でずっとおとなしく出来ようか。ここに待っている間もずっとあっちに行ったりこっちに着たりとそわそわしていた。


どうしてここにいるか、それは分校の教室にいた際、親友であり部活仲間の新宮響(男子9番)がわざわざ遠回りをして彼から見える位置の通路を通ったとき、見えたのだ。彼なりのシグナルが。

2・4

右手を後ろの腰に当て、指を中指と小指を折った。半年前までサッカー部に所属していた2人は、当時まだコンタクトをつけていなかった翼のために、遊びで作った合図を思い出した。サッカーのときも時々使ったりはしたが、大半は昼休みなどで遊ぶときに使うことが多かった。
今考えてみればその合図を作ったころ以降が一番楽しかったなぁ、と思い起こしながらもそのときの合図をもう一度やってみる。
――五本指のうち、中指を曲げれば3番目の指を引く、つまり2のことだからな!あ、Bとかでもいけるよな!――結局、何に使うのかすらも決めていなかったが、こんなところで使うとはまさか夢にも思っていなかったはずだ。
ふと、天井を見上げた。まだ緑が淡く茂っていたころ、あのまぶしく降り注ぐ夏の光を全身で受け止めていたのを懐かしく思った。毎日あの炎天下でプレーし続けていたこと。冬の厳しい寒さにも半そで半ズボンで耐えたこと。春の大会で県大会まで勝ちあがったこと。秋の新人戦では顧問に蹴られて怒鳴られたこと。季節が巡るように思い出も順番に巡っていった。

2・4……。

2はBのこと、4は04のこと――つまりB−04エリア――だ。その指示通りにここに来て適当な場所に身を潜めたはいいが、その当の本人がいまだに来ない。自分が勘違いしていたのだろうか?実は違う場所を指示されていたのではないか。時間が経つにつれ徐々に不安は募るばかりであった。
ひとつのエリアが200メートル四方だとしてもほとんど障害物の無いこのエリアでは見渡せばほとんどのところが見えた。だからこの廃墟からでも窓から顔をのぞかせれば東側が一望できるほどだった。しかしその景色も、指を折って見た回数を数えるのも疎くなるほどに見た。何度見ても、響は来ない。
何もないコンクリートの道とその向こうの森を見つめながら、たった一縷の望みにすがりつく思いで翼は祈った。
お願いだ、生きていてくれ、響……!
先ほどから何処からしたのかはわからないが、銃声が数回聞こえた。なおかつ場所を指定した本人が2時間ほど来ない、ということはよっぽどのことがあったといっても過言ではないだろう。ただ、翼は心の底から祈り続けた。響が生きている事を。


ザザァン……
近くにある海岸から波の音が聞こえる。テトラポットに当たって跳ね返り、何回も行ったり来たりを繰り返す。その繰り返しは変らないのに、音だけは微妙に変りつつあった。
行こう。響を探してやらなきゃ。
時計を見て、先ほどからまだ時間はそう経っていないことを確認する。今まではずっと誰かに会ってしまったらどうしようという意識から翼はあまり目立った動きをしていなかったが、この長い時間を機に、1回エリアをぐるっと回ることにした。すれ違いがあるかもしれないが、新宮響という人間は、大体すれ違ったらそこで待っててくれる人だ、ということを信じて翼は荷物をまとめて廃墟を飛び出した。


ザザァン……
相変わらず波の音が聞こえる。拳銃のグリップをぎゅっと握った。皮肉にもありがたいことに銃の説明書とやらがかばんの中に一緒に入っていた。それは昔流行ったおもちゃのモデルガンの扱い方と非常によく似ていたので――ただし力は要するが――その説明書をぺらぺらとめくるだけで使い方は一応理解できた。ただしそれで完全に自己を守るとは言い切れない。それに何よりも、翼はこの拳銃を使って人を殺そうなどはたから考えていなかったので、使い慣れないものでもあまり深くは考えないことにした。深く考えれば考えるほど、誰かが襲ってきたことを考えてしまい、そしてこのクラスの誰かがそうやって人を殺そうとしているのだ、ということになってしまう。翼はそういうことだけは考えたくなかった。今まで普通に暮らしてきた人間が、いとも簡単に人を殺すのか?そんなことは、決して思いたくなかった。
特に、柏崎佑恵(女子3番)については。


彼女は性格がすごくいいだとか、顔がとびきり美しいわけでもなんでもない。どこにでもいるありきたりな転入生、普通の中国人とのハーフの子だった。だけどそんな彼女に翼が惹かれたのは、出会い頭に即刻彼が持つプライドを崩してくれたのと、意外性がそこにあったことが要因であるといえる。つまり、市村翼にとって柏崎佑恵は正反対であり、話すたびに今まで味わったことの無い刺激が得られる不思議な人、であった。
とにもかくにも翼としての考えはまず佑恵を探したかった。(本来なら校舎を出たあとにすぐ探せばよかったが、あいにく翼が出たあとにそこには何の影も形も無かった)もちろん、響が賛成してくれるなら尚よしである。32人いるクラスで(違う、有馬和宏(男子2番)はもう死んでしまった)たった一人のために自分が動くというエゴを響は承諾してくれるだろうか。いつも振り回してばかりいたが、今日においても振り回している。――本当に死ぬ前には、あいつにお礼を言っておかなければならないな。そう翼は心に決めた。



廃墟をでるとそこはコンクリートの平らな地面が広がり、その先には森林の緑に続いている。森に続く道は一本の舗装道路が出ているようだ。しかしうかつに何もないところを歩いていたもので、は誰かに見つかってしまうかもしれない。そんな考えが翼の行動に躊躇させた。
クソッ、こんなに緊張して挙動不審にならなきゃ、いくらだってスピードが出せるのにっ!
学校一のスピードを誇る翼の足は、今は少しだけ震えていた。コンタクトをしているといえど、洗剤液が無いので心持ちかなり見えにくくなっている。だから外の景色は色だけで判断しているようなものだ。そんな視覚の不自由さも、不安と恐怖の引き金に一役買って出ていた。


数分歩き回っただろうか。朝焼けの太陽がさっきよりもぐっと高くなってきたような気がする。翼は海の方角を向いて目を細めた。対岸の岸辺の煙突が見える。東京湾エリアはすべてが工業地帯だ。その工業も今では24時間年中無休で煙を排出している。海を越えた向こうでは誰かが世のため国のためと働いているに違いない。向こう岸では誰かが命を張って殺しあっているということも知らずに。
森林のほうを向きなおした。木々が風に揺られて音を立てている。あまりエリアを離れることは好ましくないが、こればかりはどうしようもない。すべては親友を守るためなんだ、そう心に言い聞かせて翼はまた歩き出した。
「あっ」
歩き出したその次の瞬間、森の入り口のところに人が立っているのを見た。白いブレザー、灰色のズボン。男子であることは間違いない。翼の中では柏崎佑恵の可能性が消された。
目を凝らしてじっと見る。向こうの人はまだこちらに気付いていないようだが、1,2秒対峙した後に、ほとんどお互い同時に走り出した。


「響ッ!」
そこにたっていたのは待ち合わせをしていた本人の新宮響だった。背丈も自分と同じくらいの中背で、現役のころから比べすこし長い髪の毛。そして少しだけ色黒の彼を見ればすぐに誰だかわかったのだ。翼はすぐにキングコブラをポケットに突き刺し、その俊足を使ってすぐ響のところまで走り寄った。
「おいっ! 響じゃん! お前何処行ってたんだよー、おっせぇぞ!」
肩を二回バンバンと叩くと、響の体がふらっとよろけた。翼はそんな響の様子を変に思い、うつむいている顔を覗き込んだ。
「響?」
「翼……どうしよう……俺……」
顔をゆっくり上げた。驚いたことに、引っかき傷のようなものが顔に数箇所ある。おそらく木か何かで引っ掛けたのだろう。
一瞬だけ、翼は不安に駆られた。どうして彼はこんなに怪我をしているのだろうか。――まさか?そんな、まさかな――ありえないほどの疑いを長年の友人にかけてしまったことに翼は心で詫びた。要は、翼は響に対して半信半疑だったのだ。
「司が……」
あわただしく響は翼の腕をつかみ、ぎゅっと力を込めた。その尋常ではない力の込め方に、一瞬戸惑った。いつでも逃げ出すことが出来るように――しかしそんな思考をまず始めにする自分に嫌悪の念を覚えた。どうして俺が響を疑わなきゃいけないんだ!落ち着けよ俺、響がそんなことするはず無いだろう?翼は心の中で反復した。


すぐに我に返り蓮川司(女子9番)がどうかしたのか?と問おうと思ったが、同時に記憶のところにスライドショーの様な映像が飛び込んできた。
彼女は響とのつながりで小学校のころから知っていたが、どうにも今の彼女と小学校のころの彼女とではイコールで結びつかないものがある。どこか、人並みはずれたものを持ち合わせていたのだろうか。中2になってから(翼とはクラスは違ったが)、「家庭の事情」で一度半年だけ北海道のおばのところへ引っ越した、というのを聞いた。そして3年になり、クラスが同じになって帰ってきた彼女を見たとき、完全に彼女は豹変していた。おとなしかった彼女は、同じく静かだが瞳の奥には冷たいものがいつも燃えていた。
この変りようを見て翼は思ったのだ。彼女はこの半年間で家庭の事情ではない「何か」があったのだ、と。
「蓮川が……どうかしたのか?」
響に対する恐怖と、蓮川に対する恐怖が掛け合わさって、翼の鼓動のペースを速めている。皮膚から空気が出入りするのがわかる気もした。
「司が……俺の知らない司になった」
すぐにしゃくりだす声が聞こえた。響が、泣いている?翼は小学校2年生のときから同じサッカークラブにいて友達の中は深く長いが、一度だって泣いた無かった。いつも穏やかに笑って、優しい男だったのだ。人のために泣いたり、隅っこで1人で泣くことはあったが、表立って大泣きしたことは無かった。もちろん、翼自身も泣いている響の姿を見るのはあまりない。それは男としてのプライドがそこにあったかもしれないが。



「蓮川が……どういう――」
どういう風に、と聞こうと思ったが大体想像は付いた。このプログラムで言う「変った」なんてものはたったひとつしかない。
「なぁ、俺が悪かったのか? 俺が司を呼び止められなかったからあいつは設楽を殺したのか? なぁ翼、教えてくれよ! 何であいつはあんなになっちゃったんだよ!」
翼はポケットに手を入れてハンカチを取り出そうと思ったがそこには何もなかった。――クソッ、私物は全部押収かよ――しょうがなく翼は響の顔を上げ、指でその涙をぬぐってやった。
「情けない顔すんなよ、ヒビ」
設楽聖二(男子8番)が蓮川司に殺されたという事実はおおよそわかった。また1人、クラスメートがこのエリア28のどこかで死んでいった。銃声も開始直後から多々聞こえてきている。まだまだ、誰かが死ななければならない。その死ななければならないリストの中に、漏れなく自分たちも入っているかもしれないのだ。

そこまできて一気に不安が解消された。ようやっと理解できた。翼は今までの事を順番に整理する。
つまり、響は司が設楽を殺すところを見てしまったのだろう。だから幼馴染で多少気のあった彼女の変貌にショックを受け、今までこのエリアのどこかでふらふらしていたのだろうと思われる。だからここに来るのが遅かったのだ。
心の中で舌打ちした。それは紛れも無く、親友を少しでも疑った自分に対してのもの。翼はもう絶対に響を疑わないと心に決めた。


「お前は、何をしたい?」
悲しみがすこし和らいだくらいに、響の手をぎゅっと握って、明るくなりつつある水平線を見てから、顔を見た。
「俺は……司を……止めたい」
大分落ち着いてきたのか、ゆっくりと、そしてはっきりと答えてくれた。それを聞いて翼は少しだけ安堵のため息をついた。そしてお得意の髪の毛を振り払うポーズをとって
「ドーントウォーリー響君っ! 絶対に君は蓮川司を止める事が出来るさ!」
と親指をぐっと立てながら笑った。
「なぜならこのフューゲル市村様が君の味方だから!」
響は顔を上げてあっけにとられた表情で、笑う翼を凝視した。


「フューゲル市村様が蹴ったフリーキックもコーナーキックも、コースはずしたこと無いだろ? 有言実行なのさ!まっ、実力が実力だからなぁー」
まだ口を大きく開けたままあっけに取られている響をよそに、翼はさらに自分の世界に入っていった。
「いやだなぁ響、俺に惚れちゃダメだぜ? なんたって俺には佑恵ちゃんがいるんだからな! あぁ、いとしの彼女は今日も俺に冷たいんだ! でもそんなところが好きだ!」
背景には花を、ピンク色のオーラが完全にでて、つい先ほどまでそこに「プログラム」と言う冷たいものがあったなど、どうして信じられようか。あっという間に暗い雰囲気を吹き飛ばした翼は、更に自分の世界(これを翼ワールドと呼ぶ)に深々とはまっていく。
ふと、響の顔が緩やかに変った。


「バーカ」
ピンク色の妄想に歯止めをかけるその一言で、翼は我に返った。
「そのフリーキックやコーナーキックに華麗なるヘディングで合わせるのは誰かな? え? ウィング・シティヴィレッジ君」
火照って赤くなった頬を持ち上げ、挑発するような表情に代わった響の言葉に、翼は敏感に反応した。自称フューゲル市村は俗称のウィング・シティヴィレッジ(市村翼の直訳だ)で呼ばれることを一番嫌っている。なぜならウィングよりフューゲルのほうがかっこいいからだそうだ。――しかしこの俗称をつけたのは紛れも無く柏崎佑恵だという皮肉がある――
「まっ、部活一得点率の高い新宮様にかかればウィングなんていらないんじゃない?」
「てめっ……! 言うようになったなコノヤロウ……」
頬を引っ張りながらつめを立ててやると、響は何かを話しながらかすれた声を出した。



「おっしゃ、何処までもやってやろうじゃねぇか」
翼は吹っ切れたようににやりと笑った。
「蓮川を止める? 殺し合いだと? 上等じゃねぇか、真っ向勝負だ。与えられたチャンスは必ず得点にする。それが俺のポリシー」
つまんでいた指を離すと、すぐにパシンッ!と頬を叩いてやった。

「カッチョイイ俺に、惚れるなよ?」
まだ目元が赤い響は、いつものことだがこの市村翼と言う人間の自己愛さにあきれて物も言えなかった。しかしそれがいつものことだったのだ。新宮響という人間は、それに合わせていたからこそ、今日この時までずっと仲良く出来た。もし彼の自己愛がなければこの仲も継続しなかったであろう。
「誰が惚れるかっ」
いつものように言い返す。そしてお互い笑いあった。
水平線の向こうから、だんだんと明るい日差しが上り詰めてきた頃だった。




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