回想*Epual death


ゴポッ……ゴポッ……。1.5リットルペットポトルの中の水が動く音がする。太陽もその輝かしい顔を見せ始め、エリア28ではほとんどの場所でその光を拝むことが出来るようになった。きれいな朝焼けが誰かの心を浄化しているかもしれない。だがそんなこともまったく気にせずに、蓮川司(女子9番)はペットポトルを右手に逆さに持って髪の毛を洗っていた。
設楽聖二(男子8番)高木時雨(女子6番)の2人の血が直接かかったので髪の毛は固まってしまうという惨事だ。『あのこと』からけじめをつけるためにベージュに脱色したけれど、その髪の毛もいまや例の野口潤子(女子8番)のようにブラッディレッド、もしくはもう既に黒に近い色になっていた。その色が気に食わなくて、司は懸命に水を掛けて髪の毛を洗っていた。
ユダヤ人の血が付いた。
しかし彼女はそう考えていたのである。


設楽の殺害後、幼馴染であり何かと心遣いをしてくれた友人、新宮響(男子9番)に発見され追われるが、間一髪で長刀を投げて無事その場を切り抜けた。
だがその当時、まだ武器といえる武器は設楽の持っていたワルサーP38しか所持していなかったので、分校へと向かうついでに落ちていた長刀を拾ってきたのだ。その場にまだ長刀が残っていたのは奇跡に等しい。そのことから武器も持っていかなかった響は、相当なショックを受けているだろうということがわかる。
家が隣で(といっても広い敷地と周りの田んぼのためお隣さんは30メートルほど先だ)、生まれたころから一緒にいた新宮響が、変わり果てた自分を見たらどういう反応を示すか位、手に取るように司にはわかった。
――響、私のことどう思ってたかな。
司は肩をすくめて苦笑した。それは自分が人道を踏み外してしまったことも、既に自覚済みであることを示唆しているようだった。
お人よしで、自分のことより人のことを優先する。優しくて、笑顔が似合う人。おっちょこちょいだけど、やろうと思えばなんだって出来る。面倒見がよくて、子供に優しい。司の知っている新宮響についての情報すべてが頭の中で氾濫した。一番あんな現場を目撃されたくなかった人に見られてしまったことは、天のいたずらか、それともこの先の何かへのつながりか。
そう、羽根をもがれた鳥のような姿は、とても見せられなかった。せめて、彼の中の自分くらいは、いつまでもきれいな白い鳥のままでいたかったのに。しかし何もかもが終わってしまった。


その後ちょうど森林と水田の境目の辺りに当たるC−08ぐらいの場所で、高木時雨と神谷真尋(女子4番)、そして土屋若菜(女子7番)の声がしたのだ。この極限状態の中、どうしても緊張して声が大きくなってしまうのは解らなくもないが、それにしても大きな声だった。――それは周りが静か過ぎたのも一理あるが。もちろん、司にとって『ユダヤ人』がいるのにその場から逃げることは許されない。すぐにその声のする場所へと向かい、試し撃ちも兼ねて数発撃った。運がいいのか悪いのか、十数メートル先の神谷真尋に当たった。両手でぎゅっとグリップを握り焦点を定めたが、ちょっと反動が強いだけで案外簡単に狙い撃ちが出来ることがわかった。音の大きさは、多少眉をひそめるほどの大きさだったが、予想はもっと大きく鼓膜が破れるほどかと思っていたので、その点はすこし安心した。
土屋若菜には逃げられてしまったが、あの少女が生きていられるのも時間の問題だと思った。性格が性格なので他の人から買う恨みは肥大だろう、直接手を掛けるよりはユダヤ人達への最期の情けとして、同士討ちをさせようという魂胆だ。司は自分の思ったように事が進んでいるのですこし浮かれた。



ペットポトルの一本を空にし、司はそのセミロングの髪を振り払って水気を切った。春先でも気温はぐっと下がる。とにかく健康状態だけは管理しておかなければ、と思った行動だ。不思議と睡魔は襲ってこなかった。それは出発してから3時間ほどで朝日が顔を見せたのと、極度の緊張状態の中にいたのが原因だろう。

今現在はC−07エリア辺りにいるのだろうか――見知らぬ土地での宝探しゲームに司はほとほと困り果てていた。コンパスと常時にらめっこをして分校を西にやり、住宅街を南にする。そうしてやっと自分のいる場所がわかった。たとえここが自分の住んでいた千葉県であっても、土地勘が違うと感覚まで狂ってくるようだった。
荷物をまとめ、司は移動することにした。次に向かうのは分校近くの住宅街だ。そこで必要なものを集めるつもりだった。住宅、というのだからそれなりに物資は揃っているだろうと踏んで、コンパスを見ながら道路に沿って南下した。


するとそんな時、突然がーがーというノイズ音が鳴り『えー、マイクのテスト、マイクテスト、テス、テス』と言う声がしてすぐに『うらー、ガキどもー朝だぞー!』という間抜けな声が聞こえてきた。声の主は当たり前だが、夏葉翔悟(担当教官)であった。バッグをあさり懐中時計(なんてステキでアンティークな)を取り出すと、針は午前6時をさしていた。
『朝の定刻放送だー、生徒の諸君、地図と名簿と鉛筆をバッグから出したまえー』
なんて高々しく命令するやつなんだ、と司はいかぶりながらも身を安全な木の影まで翻し、すぐさま地図と名簿と鉛筆を取り出した。


『いいかー、これから今までに死んだガキどもの名前呼ぶぞー』
島のあちこちにスピーカーが設置してあるのか、どことなくエコーを繰り返しながら憎き夏葉翔悟の声が響いた。
『ほんじゃ、死んだ順になー。男子2番有馬和宏ー。男子8番設楽聖二ー。女子4番神谷真尋ー。女子6番高木時雨ー。まっ、こんくらいかねぇー』
島でエコーがかかっていることを配慮してか、夏葉翔悟にしてはえらくゆっくりとした口調だった。
『んー、まぁ開始が3時だったからこんなもんかぁ。オメーら、さっさと終わらせてくれよー。んじゃ、次、禁止エリアー』
すぐに名簿と地図を入れ替えた。
『これから1時間後、午前7時からB−09。で、午前9時からG−02。午前11時からがA−06なー。あ、それとお前らー。海も一応出ていいんだからなー。浮きがあるだろ? そこまでは普通にでてって構わないぞー』
一息置いて、分校の中のざわついた音が小さく聞こえた。

『あ、それといい忘れたけどなー、お前らにちょっと嬉しいこと教えてやっから、耳クソかっぽじってよくきけー。このエリア28の集落のどこかにお前らが有利になるようなものが隠れてんぞー。なんたってエリア28は半分が海だからな、行動範囲が狭くてかわいそうなお前らにー、この夏葉様からの恩恵ってワケだ。ま、暇があったら探してくれや。宝探しみたいでおもしれえだろ? ってなワケでまた6時間後。さらばだガキどもー』
もう一度ノイズ音がして放送は聞こえなくなった。


司は鉛筆で名簿の男子2番、8番、そして女子4番、6番のところの欄を黒く塗りつぶした。そして地図を取り出し、禁止エリアの時間を書き込み、他を黒く塗りつぶした。そこまでを一通り終えると、ふぅと大きくため息をつき、もう一度名簿に目をやった。
「私が殺した人ばっかりじゃない」
要するに、自分以外のクラスメートは誰も人を殺していないのだ。つまり、彼女の考えるところユダヤ人は同士討ちをしていない、ということになる。このプログラムで普通の人間だったらいかに自分の手を汚さずに優勝するかというのが考え方の焦点かもしれないが、司にとってはもはやそんなことどうでもよかった。人を殺せば優勝できるのなら、いくらでも殺してあげるといった危険思考にあったのである。だから、今回の放送という情報源は司にとっては嬉しいことで、逆にやる気を出させるものであったには違いない。


だがひとつ司の脳裏に引っかかることがあった。分校にいた時点で遠藤雅美(女子2番)服部綾香(女子10番)を殺すと宣言している。にもかかわらずいまだ服部綾香のことが呼ばれていないのは、きっと遠藤が服部と出発時刻のブランクが合ったのと、服部が必死になって逃げているからだろう。容易に予想がつく。服部なら我先にと逃げ出すであろうから。もし自分が服部を見つけたとき、その場で殺すべきか、それとも遠藤に受け渡せばいいのか。そこはすこし考えた。何せ遠藤と司の間柄には複雑な、しかし人によっては単純なものがあった。


ふと、名簿の女子6番のところに目がいった。高木時雨だ。
――あれはまだ中学3年生になりたての5月ぐらいのことだっただろうか。司はふっと、天を仰いだ。
やっとの思いで少年院から退院し、学校生活に復帰したあとだった。とあるディスカウント店で見覚えのある人が5,6人の生徒に囲まれている。この辺りの店はほとんど高原第四中の不良どもの集まりで、ああいった抗争も珍しいことではない。その日も当たり前のようにそこを過ぎていこうとしたが、よく考えればその囲んでいる人たちはあまりにも愚かだなぁ、と思ったのだ。
いまや所轄では退化しきっていて地元の不良学生の対処すら出来ていない。そういうことを少年院にいるときに少しだけ聞いたことがある。名誉挽回のためにほかのことをしているようだが、まだまだ高原市署に顔負けしている、ということだそうだ。
そのことを踏まえ、司はにやりと笑い、なんの後悔もなくその輪の中に入っていった。


「ねぇ、君たち。何やってるの?」
輪の中心にいたのは自分と同じくらいの女の子だった。どこにでもいるような女の子で、ちょうど紙幣を周りの男子生徒に渡しているところだったようだ。グッドタイミングと入ったもので、その場が恐喝の場であったことはまず間違いない。紙幣の厚さからしても大分ある。
「なんだお前」
司より身長が20センチも高い人間ににらまれたが、もう既にそのときはすべてを『失っていた』ので何の怖いものもなかった。
「恐喝?」
少女が手渡した紙幣を不良から奪い取り、数を数えた。ひい、ふう、みい……ざっと5万だ。何をやらかしたのかは知らないが5万とはまだまだ安い。仲介に入ったことを後悔した。
「万引きでもしたの?」
金を数え、少女に対しては万引きをしたの?と聞く。その行動に敵か味方かはわからないバカな不良生徒達は、対応に困っていた。
このご時世、万引きなど別に珍しくも無い時代だったが、司にとっては初めてみる光景だった。しかし犯人の少女は特に不良、と言ったほどでもなくどこにでもいそうな普通の少女だった。
「なんなんだよお前は」
「私? 私は普通の通りすがり。はい、お金」
お金を生徒に返し、少女の手を引いて「次はいくら?」と聞いた。少女は待ったく訳がわからないといった顔をして口ごもっていたが、後ろの男子生徒が「万引きの黙認料。次は10万だぜ」といったのを聞いて司はにやりとした。

「そう。私が立て替えておく」
司はポケットから札束を取り出し、10枚数えて不良生徒に渡した。
「この子は買った。文句ある?」
生徒は十枚の札束を見て目の色を変えて笑った。そして「どこにでも連れて行けよ、そんな万引き女使えるんだったらな」と言った。
「あなた……あんなお金どこから?」
「ポケットマネーって言う奴」
「ポケットマネーって……!」
「名前は?」
「……え」
「名前は?」
少女は口ごもりながらも「た……高木時雨」と答えた。そのときがそう、高木時雨との出会いだった。


「そう、もしかして第五中の3年A組?」
司の頭の片隅に合ったほんの少しの記憶許容範囲の中に彼女の姿が写っていた。高木時雨、そう聞いてその多分は確信に変ったが。驚いたように高木は「どうしてわかるの?」と聞いてきたが、もちろん3年になってから一度も学校に行っていない生徒のことなど『同じクラスだよ』といってもしりやしないだろう。
とにかくも、蓮川司がはらった10万のおかげで、その場からは逃げられた。
その後、高木はそこに寄り付かなくなり、万引きの噂もパタッとなくなった。その代わり、アンダーグラウンドサイトにはまるようになり、同時にまるで神か仏のように司のことを崇高なるものとして拝むのだった。

しかし――その高原第四中学の生徒達は、当時まだ司の後ろについていた保護監察官により、警察に通報されすこし絞られた、というのを彼女達は知らない。そこで所轄の活躍の場がひとつ増えた、ということも同じくだ。



あぁ、そういえばあんなこともあったかな――目を細め、改めて回想にふけった。
自分が出した10万など大地主蓮川家からしたら、はした金に過ぎない。いつでもあの家から家出出来るように財布には20万ほど入れてあった。『あのこと』以来一刻も早く自分の家をつぶしたかったからだ。金が出て行けば呑んだ暮れの親父も、無職でぶらぶらしている長兄、そして引きこもりの次兄、遊びほうけている三男坊も皆つぶれる。下の弟2人には何もうらみはないが、恨みに優しさは変えられない。そこは目をつぶるしかなかった。


さて、とにかくも今は目の前の事を片付けなければ。司は我に返った。
一度は捨てたがもう一度拾った長刀、設楽聖二のバッグにあったワルサーP38。高木時雨の持っていたサバイバルナイフ、神谷真尋のバッグにあった双眼鏡。一見使えないようなものが混じっているが、今の司にはそれであっても十分いけるという確信があった。なぜなら今さっき放送で呼ばれた名前は、自分が殺した人間だけだからだ。


果たしてそこに『人を殺してはいけない』という倫理は活動していたのだろうか?おそらく、答えはノーだ。蓮川司にとってこの島にいる人間は、自分の人生においての踏み台にしかならず、はたまたこのプログラムさえも過程にしか過ぎないからだ。司は自分を取り巻く環境のすべてが一本の線につながると信じていた。信じていたからこそ何も迷わず行動できたのだ。

今、司を動かしているのは自分にとってもっとも忌まわしく最も悲しかった『あのこと』。その敵を討つまでは絶対に死なない、司は肝に銘じていた。
すべての荷物をまとめ、スカートのベルト部分にワルサーを差し込んだ。集落に行き、夏葉翔悟いわく『有利になるもの』を探すべく、司はまた歩き出した。
その瞳が、青い炎で焼き尽くされようとは。


残り28人


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