哀歌*Lament


耳にノイズ音交じりに草が激しく揺れる音がした。エリアで言うF−07エリアに当たる針葉樹林の入り口の場所で、彼女は自分の耳につけてある超高性能集音機から伸びるアンテナ便りに周りの音を集めていた。
『俺たちみたいだって?』
『……うん』
2人の男の声が聞こえる。知らない人ではなく、自分のクラスメートであることは間違いない。彼女は口元に笑みを浮かべながら、しかし瞳は悲観にくれていた。
「みつけた……」
小さなヘッドフォン型の集音機を耳にぴたりとくっつけながら、つぶやいた。来たるべき自分の最期の前に、どうしてもひとつ聴きたいことがあって、どうしても諦められないことがあった。彼女、遠藤雅美(女子2番)はすぐにバッグを持って立ち上がると音のする方へと向かって走り出した。




工藤依月(男子5番)郡司崇弘(男子6番)はちょうどE−07の辺りにある集落(どうやら農家のようだ)から戻ってきたところで、車道を横切りF−07エリアに来ていた。ひとつのエリアが200メートル四方と言うだけあって、地図で見るより歩くほうがずっと厳しい。しかし禁止エリアならぬものが心配で、できるだけ禁止エリアのない場所へと移動してきたのだ。
彼らは放送を農家の家の近くで聴いた。ちょうど家の中で捜索し、出てきたときに流れたのだ。家の鍵は開いていて、中も人が住んでいたようなつくりになっていたものだから少し武器になるものとしてマシなものを探していたのだ。工藤に支給されたのはバタフライナイフ、郡司に支給されたのはグロック19という拳銃だった。
郡司は自分にこんなものは到底扱えないから、と拳銃を工藤に渡して、自分はバタフライナイフを所持した。
「和宏……、設楽……、神谷……、高木」
工藤は夏葉翔悟(担当教官)が言った死亡した生徒の名前をゆっくりと言いながら噛み締めた。そのうち自分もこうやって夏葉翔悟に死んだ人の名前と言って呼ばれるのかもしれないと思うと、無性に虫唾が走る。
しばらく沈黙が場を制し、懐中時計の秒針がなる音だけがむなしく虚空を切った。
工藤は地図を取り出し、しきりに定規で線を引いている。郡司は民家から拝借してきたノートと鉛筆を取り出し、何かを書きとめていた。


「ももづたう」
郡司が書いていた手を止め、ボソリとつぶやいた。続けて
「いわれのいけになくかもを、きょうのみみてや、くもがくりになん」
といった。それを聞いた工藤は数秒考え、はっと思いついたように手を叩いた。
「大津皇子か」
「そのとおり」
ももづたふ 磐余の池に 鳴く鴨を 今日のみ見てや 雲隠りなむ――、一時期古典の勉強として学習したものだ。便覧という国語の資料集に載っている歌をすべて覚えろとは言われたもので(しかし完全に覚えたのは郡司だけだ)、工藤もその点に関してうっすらと記憶していた。そういえば2人が通っていた塾でも古典の難しさをあらわにさせられたような気がした。難しい語訳や、基本的な係り結び等々。郡司は真面目には聞いていたが、工藤はほとんど話しなど右耳からは行って左耳にスルーするので、脳内にとどまることさえなかった。
しかしこの詩の意味を考えたとき、ぐっと悲しみが込み上げてきたのも今だけ。


「磐余で鳴く鴨を見るのも今日限りで、私は死んでしまうだろう。だったっけ? 訳」
「うん、大体そんな感じ」
「俺たちみたいだって?」
「……うん」
郡司は塞ぎこんで膝を抱えた。放送が定かかどうかはわからないがプログラムはこの国では夢ではない。現に、自分たちが普通に生活していた日々の中でも49校、どこかの中学校のクラスメートが互いに殺しあって死んでいったのだから。特別は許されない。よほどのことがない限り生きては帰れない。悲観のよどみが一気に押し寄せてきた。
「皆、死んじゃうんだね。きっと会長もせいちゃんもカミヤマも梅雨子も、もっともっと生きたいって思ってたよね」
郡司は塞ぎこんだまま小刻みに肩を震わせた。その肩を工藤は抱きこみ「そうだな」と言った。
「血も、涙も、恨みも、慈しみも奪ったところで何になるんだろうな……」
透明で重みもない空気のように、人の命があっさりとはじけとんだ。


今度は先ほどより重い沈黙が続いた。針葉樹林の隙間から見える太陽の光が、まぶしく彼らを照らし出している。地面の草は湿ってまだ冷たい。工藤にはこうやって静かにしていれば、いつかこのまま自然に還ってしまうような気がした。いっそ何もわからずに自然に帰ることが出来たならば。しかしここエリア28は出来損ないの埋め立て地であり、この自然のように見えるものも一皮はがせば人工のものであった。そこに苛立ちが込み上がる。
ざぁああ、と木々の葉がこすれあう音が聞こえた。旋風が舞ったのだ。
それと共に異様に大きながさがさ、と落ち葉を踏むような音も聞こえた。工藤も郡司もすぐにそれに気付き、2人同時に顔を上げた。


「伏せろ!」
工藤が郡司に叫び、そして立ち上がって拳銃を構えた。同封されていた説明書によるとグロック19は引き金と同じところに安全装置があるというので、引き金を引くとき安全装置が外れるというものだった。
「誰だ!」
針葉樹林があちらこちらに映えて逆にそれが障害物となってあたりが見えない。あたりを警戒するように見回しながら工藤が引き金に指をかけた。


「撃つな。俺だよ」
声がした後に正面の木の奥に人影が出来た。幾分高い声だけど無理してドスの聞いた声を装うその声は、間違いなく遠藤雅美のものだった。今の時代珍しい茶髪に染められた髪の毛、耳に光るピアス、スカートの下のはいている黒いハーフパンツがその証拠である。彼女の容姿は忘れるはずもない。なぜなら工藤の記憶容量スペースには遠藤の情報の場所が特別に用意されているからだ。
「まぁ君!」
郡司が伏せた状態から上半身を起こしてつぶやいた。
「雅美」
工藤も驚いた表情で言葉が無意識に口から漏れた。
「攻撃はしない。なんたって支給された武器がこれだから、攻撃したくても攻撃できないだろ」
遠藤は自分の首にかけたヘッドフォンを指差した。そのヘッドフォンと遠藤の表情を交互に見て、それから左右を確かめて他に敵がいないのを確認した。工藤の心臓が飛び跳ねるくらい鼓動を打っている。喉からはなぜか、枯れた息しか出てこなかった。


「俺に殺されるとでも思ったのか?」
自分のことを俺と言う少女は一歩一歩工藤に近寄った。工藤は図星を突かれて一瞬戸惑ったものの、ゆっくりと拳銃をおろした。
「……いいや」
「嘘だな」
工藤の弁解を遠藤はすぐに否定した。その後言葉をつむげない工藤を見据えて、遠藤は口早に話し出した。
「ひとつ……いや、ふたつほど聞きたいことがあってきた」遠藤は腕を組んで仁王立ちした。

「どうして、俺より蓮川司をとったのか」
郡司がぴんと来た顔をした。やはりそのことは遠藤にもわかっていなかったことに少しだけ安堵した。と同時に、そのことについての真実を自分も聴きたいと思った。しかし工藤は言葉を濁すだけで、一向に喋ろうとはしない。


「あぁ、そうかい。結局は俺は捨てられたんだな?」

――工藤依月と遠藤雅美は付き合っている。そんな噂が一年生の終わりのころに流れた。お互いまともな生徒とはいえないもの同士だったので共通点は大体わかるが、凶暴極まりない遠藤が、そして高原の光源氏と謳われた工藤が、それぞれをずっと手元においておくことなど誰が予想しようか。生徒達の裏切りとは裏腹に2年生が終わるまでの1年間、ずっと彼らは一緒にいた。
しかし3年生になりクラスが同じになったときに2人の間に革命がおきた。工藤がそれまでの関係をすべて壊し、なんとあの蓮川司(女子9番)に寄り付いたしまったのだ。当時別にこれといった特徴もないのが急に髪を染め、性格ががらりと変ったとしてある意味で評判だった蓮川だ。
工藤が何故あれほどまでにあっさりと捨てたのか。工藤も蓮川もそのことについて口外するわけでもなく、誰もが知らない謎となり、今に至った。現に、男であろうが女であろうが、工藤の前で遠藤の名前を出すものは、工藤の絶叫によって言葉をかき消されることは、もはや高原第五中学の常識だった。
もちろん、事実上工藤に『捨てられた』遠藤でさえそれらの理由を知らない。



「違う、別に捨てたわけじゃ――」
「じゃあなんだって言うんだよ!」
工藤の言葉もさえぎり遠藤は叫んだ。鳥が悲鳴を上げながら飛び去っていく。遠藤は下をむいてこぶしをぎゅっと握った。
「司が……哀しい子だから」言いづらそうに工藤が嘆いた。
「俺より、依月より?」
「そうだ」
「俺の悲しみを和らげたから、次は蓮川って訳か?」
工藤が黙り込むと、それに釣られるようにして遠藤も黙り込んだ。傍らで見ることしか出来ない郡司は、膝を抱えてその場を見守る。
「それが答えか」
遠藤の視線を撥ね退けるように工藤は下を向いた。さらさらとその肩までの長い黒髪が流れるようになびく。
「もうひとつ聞く。俺の帰る場所は、もうないのか?」

元々両親が余り子育てに積極的でなく、男兄弟の末っ子ということでひねくれて育った遠藤の、唯一の心のよりどころだった工藤が今、こうして遠藤から離れようとしている。それが彼女には耐えられなかった。捨てられたと思うことが屈辱だった。しかし、死ぬ前には是非を聞いておきたかったのだ。それが自分の最期につけるけじめの一歩、そう思っていた。


「お前の帰る場所は……もう俺じゃない」
工藤は重い口を開いた。
「これからは……せめて自分のために生きて欲しい」
――自分のために生きて欲しい――その言葉が遠藤の心をちくりと刺した。約1年前、やれ進級だなどと忙しい時期になっていたころ、遠藤が工藤に言った言葉を思い出したのだ。俺は今、依月のために学校来てるんだよ、と言ったことを。元々才があった依月とは違って、勉強もできない遠藤にとって、学校に来る理由は本当はなかったのだが、工藤依月が笑ってくれるから、それだけで理由は成立した。
依月のために――。そんな初々しく、何も知らなかった自分がバカかもしくはただの無知な子供のように思えてきた遠藤は、嘲笑の意味を込めて笑った。

「だけど、服部を殺すのはやめてくれ」
冷たい笑いが遠藤の腹の奥から込み上げてきて、ついつい噴出してしまった。
「ハハッ! クソアマを殺すなって? 冗談じゃない、それは依月の頼みでも聞けないね!」
ハァ、ハァと笑いの名残を息に残しながら遠藤は目じりをぬぐった。笑いからあふれてくる涙か、悲しみからわきあがってくる涙か、それは判別はつかなかった。しかし、その涙は止まることなく続けてあふれてくる。
「アハハ……ハハ……冗談はよしてくれよ……」
その涙を必死にぬぐいながら遠藤は続けた。


「俺は郡司と行動する。お前と一緒に行くわけにはいかないけど、服部をやすやすと殺させるわけにもいかない」
「説得力がまるで無しだな。郡司と一緒に行くって? お荷物なだけだろ」
「タカをバカにすんな」
「あぁいくらでもバカにしてやるね! 所詮学校のオベンキョウだけの野郎だろ? 運動も出来やしないくせに足引っ張ってんだよ!」
傍らで聞いている郡司には、自分が馬鹿にされているにもかかわらず、なんとなく彼らが別世界のことを話しているような気がしてならなかった。遠藤は本当に渾身の力で自分のことを馬鹿にしているのではない、なんとなくそう感じ取ったとき、遠藤の瞳から涙があふれているのが見えた。
「まぁ君……」
「うるせぇ!」
郡司の目に映る遠藤は、少しだけ哀れに見えた。事実をすべて飲み込めずに吐き出してしまって、汚物処理まで完全自主責任を強いられたようで、見ている方が目を覆いたくなるくらい、悲しくて哀しい少女。


しばらく静かに黙っていた工藤が口を開いた。
「死ぬと思うな、誰かがお前に死んでほしくないと願っている。殺そうと思うな、誰かがお前に手を汚して欲しくないと思っている」
堅苦しい物腰が真剣な工藤の口調に拍車をかける。
「……誰かって?」
「そのくらい考えろよ」
もはやそこに弁解の余地は無いように見えた。完全に糸が切れた、といったほうがいいのかもしれない。二人の間に合った切断寸前の橋は、音を立てて崩れ去ったということだろう。

「行こう、郡司」
身を反転させて後ろ側に立つ郡司に工藤は光のない目で訴えた。郡司は戸惑い「えっ」というだけで、ずんずん我が道を行く工藤と残された遠藤を交互に見て困惑するだけだった。
「逃げんのかよ!」その背中に向かって大声で遠藤が叫んだ。すぐに工藤は振り返って同じように大声で「逃げるんじゃない」と言う。続けた。

「わかれるだけだ」
その言葉だけが、こだまして森に響く。遠藤の頭の中ではグワングワンと何かが大きく脳内反響をしてなんだか無性に気持ち悪くなってきた。ちょうど遊園地のコーヒーカップに乗ったとき、訳もわからず気持ち悪くなるのと一緒だ。


分かれる、別れる。同音異義語とは言ったもので、今工藤が言った事が果たしてどんな意味で語られたかは解らない。すべてを知るのは工藤だけだ。
残された郡司ははっと気付き、自分のバッグをひったくってその背中を追いかけた。ちらりと後ろを振り向くと、そこには遠藤が呆然とした表情で突っ立っているのがわかる。そのうちに木陰で見えなくなってしまった。
工藤の考えていることがまったくわからなくて右往左往している郡司は、励ましの言葉をかけていいのかそれとも責めてあげればいいのかわからずただ、その白いブレザーの背面をじっと凝視するだけだった。


ちょうど、太陽の光が雲で遮断されてきた。うっそうとした森が、また一段と暗くなっていく。


残り28人


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