意志*Dissonance


『転校なんてしなきゃよかった』総計528回目の呟きだ。
柏崎佑恵(女子3番)は日の光も差し、ある程度明るくなってきたE−08エリアにいた。正確な場所はわからずあくまでも予想が正しければ、だが。彼女は農家の物置とも言える小さな掘っ立て小屋にあった、作業用機械の陰にうずくまっていた。小窓から差し込んでくる日の光がまぶしい。佑恵は頭をかけて大きなため息を漏らした。
転校なんてしなきゃよかった。


3学期になってまで何故彼女が転校してきたのか。それは彼女の不運が引き金となったからだろう。
彼女の母親が中国人で、そのために周りから偏見の目で見られ、それを苦に自殺してしまったのが去年の夏。
そしてその後を追うように父が病死してしまったのが去年の11月も下旬に差し掛かっていたころだ。
それからまだ半年も経っていないが、当時石川の市街地にあった中国人学校に所属していた佑恵から、明るさを奪ったことは確かである。
引き取り手のいなかった佑恵は、伯母のよしみをたどってここ、千葉県高原市に来たのが今年の正月明けた位。故郷の石川県から比べればなんてことない寒さだったが、何故かやけに鳥肌が立ったのを今でも明確に覚えている。
全国の中学3年生が頭を抱える恒例の入試のほうは、志望校を悩むことなく、もと居た中国人学校に戻るつもりだった。そこの高校生活は寮もあり、この国の中でも待遇がいいほうの学校といえるところである。そのため両親が亡くなっても地元で1人暮らしすることは可能だったが、高校の寮に入るまで1人で生きていくことなど無理に等しいので、こちらに転校してきたのだ。

今思えば1人暮らしが面倒だからといって転入してきたのが間違った判断だったのかもしれない。せいぜい2ヶ月すこししかこちらにいないのに伯母は制服から体操着、かばん等すべて取り揃えてくれたのだ。この国で生きていくのに伯母が彼女をかくまっても金銭的にいいことはなかったが、それでも伯母は佑恵を待遇した。中国では礼儀は重んじるもののひとつである。もちろん、佑恵も伯母に感謝していた。

まさかこんなことになるとは知らずに。



転校なんてしてこなきゃよかった。
もし佑恵がこの高原第五中学校に、いや、もしくは別のクラスでもまったく構わない。そうであったならば、こんなひどい事態になることもなかっただろう。少なくとも、このまま自分の命を諦めることは絶対に出来なかった。
だから彼女はひとつの決心をしたのだ。たった2ヶ月程度の付き合いの人間にこの命をささげることは出来ない。優勝してでも、一刻も早くこんな国から出て行ってやるのだ。

しかし、佑恵は礼儀を重んじることのほかに、もうひとつ信条として倫理を固く信じていた。生物を扱うヒトの手荒さは年々増していくばかりだが、人として他のモノの生命を奪うのはもってのほか、既に論外だ。ということだから彼女は優勝もしたいが自分の手を汚したくない、という観念を持っていた。だからこうして誰もいなそうな場所にしのび、誰もがお互い自滅しあうのを待っていた。


そんな中、放送を聞いたのは時計の針が12時を回ったところだ。
あのいかにもけだるそうな夏葉翔悟(担当教官)の声が聞こえ、まず佑恵の頭に浮かんできたのは彼の社会の授業だった。
高校受験にでる(といっても佑恵にはさらさら関係ないが)範囲の地理を彼が担当するのだが、いつも授業はまるで小学生の範囲。一番始めの授業など高原市についての授業だったから、もう唖然を越えて1時間ずっと爆睡していた。
しかし隣の席の市村翼(男子3番)がやけに構ってくるのでなかなか熟睡は出来なかったが。――そういえば奴にはかなり馴れ馴れしくされた。今までちやほやされていたから、冷たくされることに魅力を感じ、更に構うようになったのだろう。詳しいことはよく分からないが、どちらにしろ佑恵としては迷惑この上ないといったところだった。
また、その次の授業始めのときに千田亮太(男子10番)
「センセー! また高原の事っすかー?」と聞き、ついで上条達也(男子4番)
「俺高校落ちるかもー。夏葉センセ地理やってくれないんだもーん」
と発破をかけたのをきっかけに、夏葉翔悟が教科書類をバンッ!と大きく叩きつけ
「バカヤロウ! 今日はなんで東京ネズミーランドが千葉にあるのに東京がつくのか調べんだよ!」と迷言したのを思い起こした。
あの時はどうしてこんな人間が教師などの職につけたのかと思うと、考えるのも疎くなるほどだったが、今はよくわかった気がする。要するに彼が教師をしていたのは副業だったのだ。ちなみにあの台詞の後には「目指せ千葉の首都化! だけどラブホテルは日本一の数!」というのにつながる。


分校を出てからえらい長い時間同じ場所にとどまり続けたので、さすがに足腰が窮屈になってきた。そのことを境に佑恵は移動することにした。荷物をまとめ、ヌンチャクのように鉄パイプが4つに分かれている支給武器を手に取り、重い腰をゆっくり上げた。地図を広げコンパスを手に取る。その行為はまるで昔友達とやった宝探しゲームのようであった。しかし今回は命がけのだが。
今回のプログラムにおいてゆえの行動方針はこうだった。他人に殺し合いをさせ、自分が最後に残った人を殺す。いわゆる漁夫の利という奴だ。単純かつ簡単で、つまるところ逃げていればいい。このエリア28がいくら他のところよりも狭いと言えど、学校の校庭よりは広い。それに住宅街や森など隠れる場所にはうってつけのものがたくさんある。要するに逃げて、隠れて、誰にも会わなければいいのだ。

手にした支給武器の鉄パイプはよく分からない構造になっており、鉄の筒の中に鎖(先のほうにはおもりがついている)が入っていて、その鉄の筒を動かすことによってトンファーのようになったり、ヌンチャクになったり、ぴったりあわせれば鉄パイプのようなものにもなった。昔居た中国人学校で教わった中国実技で一時期槍術を学んだこともあり、佑恵にとっては鉄パイプ状のときが一番扱いやすい武器であった。

まずは何か物資のありそうな北側の住宅街に行くことにした。放送で流れた「特別なもの」がその住宅に眠っているかもしれない、それに何とか身を隠す場所もある。そんなことを考えながら佑恵は歩を進めた。


倉庫を出てから左右を見渡し、人がいないことを確認する。想像していた以上に太陽は高く上っていて、日の光の所為で目がくらんだが眩暈が終わるのを確認してから頭を振った。倉庫から少し進むとちょっとしたベニモチの木の壁があり、そこを抜けると農道のような道が走っていた。そこをまっすぐ来たのだから、もちろんたどればまたあの分校の方面に帰ることが出来る。佑恵はそのまま道なりにまっすぐ行こうとした。
しかし一歩道に出た瞬間、ベニモチの木の壁からは死角だった道から、人影が現れた。


その影に気付き佑恵は似非ヌンチャクを4つ伸ばして鉄パイプ状にした。誰かに見つかってしまった限りは逃げるか説得するか……あるいは殺すか。選択肢はだんだんと絞られてきた。
その影が近づくにつれ、心臓の鼓動が比例して高まっていく。誰にも出会わなければいいと思っていた矢先にこれだから、佑恵は偶然を呪った。


「転校生!」
裏返った高い声が聞こえ、すぐに死角の場所の影がこちらへと近づいてきた。だっ、だっ、だっ、と石ころがずれる音が聞こえる。佑恵はバッグのヒモをぎゅっと握ると、パイプ状になったヌンチャクを前に突きつけた。
「あ……アタシやで、葉月葉月!」
葉月、という声が聞こえてすぐに柳葉月(女子15番)の姿が目に写ったが、それは約1日前、音楽室の準備室に笑顔で入ってきたときの彼女の顔とは、まったく違うものがあった。ピンで留められた髪型は見事にほつれ、血相を変えてこちらを見ている。白い制服が、見事に泥だらけだ。
「よ……よかったぁー、アタシ、皆んこと探してたんだ」

関西弁なのか共通語なのか、その境目がよく分からない言葉で話しかけてくる。佑恵の記憶上、聞いた話によると彼女も大阪からの転校生で、2年生のときに来た、ということだそうだ。転校生、といったところではお互い共通するところがあるが、さすがにお笑い天下の大阪と知れているだけあって、柳自身もかなりおおらかで明るい人種だった。きっと受験の際、自分のいいところはと聞かれたら即座に明るいところだ、と答えただろう。すこし八方美人なところもあったが友達の輪は広く友好的なので、あの土屋若菜(女子7番)と一緒にいるといっても、男子から嫌われることはめったになかった。

彼女についての情報が一通り頭の中を一回転し、佑恵は我に返った。

出来るだけ彼女とは一緒に居たくない。情報が巡っていくうちに出した結論だ。容姿、そして口調のことから考えて、少なくとも自分よりは冷静ではない。まだ支給武器もわかっていない今、一緒にいたらきっと自分の性格も関与し、彼女の堪忍袋の緒を切ってドンパチが始まるのが関の山だろう。こちらはあいにく拳銃は持ち合わせていないし、それ相応な武器もあるわけではない。力もなければ身長も柳より佑恵のほうが5センチほど小さい。ここは早々に身を引くのがいい解決策だ。


「悪いけど私はあなたと一緒には行かないから」
ほんの少し中国訛りが入り混じった言葉だが、それでも率直に言いたいことを述べ、一歩一歩遠ざかった。彼女の死相からさらに血の気が引く。その様子を見て危険を察知し、佑恵は歩を止める。
「どっ……どうして? 転校生は……ア……アタシの事、嫌い?」
別に好きでもなければ嫌いでもない。そもそも、そんなことは一度も考えたことがないから安心して――そう言ってその場から逃げてしまいたかったが、どうやら柳にはそのようなことは許してもらえなそうだ。彼女はふらふらと近寄り、哀願するように佑恵の腕にすがりついた。

「そ……そうなん? 黙ってるってコトはそうなんね? いやっ、見捨てないで! アタシを助けてよぉ!」
泣きじゃくる彼女に悪意はないというのはよく分かったが、それでも精神的に少しいってしまっていることから、情けも同情もかけられないという結論に至った。
――自分のことをそれでも疑わないことはお礼を述べる。が、今は彼女と一緒にいてはこちらが参ってしまう――どうにかその行為はやめて欲しかった。大声で泣く彼女に対して周りに人が寄ってくることだって考えられる。突き放すことが最善策、それが自分にとっての一番得する話であって。そう言い聞かせて佑恵は柳の肩を突き飛ばした。


「ファン カイ!(離して!)」
とっさに中国語が口から出て、手にこもる力も予想より強くこもっていた。佑恵は鉄パイプ状ヌンチャクをまっすぐに伸ばし、その先を膝立ち状態の柳の首に突きつけた。佑恵の表情には開き直ったような笑みが浮かんでいる。
「いいことを教えてあげる」
「い……いいこっ……と?」突き放して鉄パイプを向けた上で『いいことと』は、柳の顔に疑問の層が浮かんだ。
「そう、あなたにとってはいいことだね」
鉄パイプの固い先のほうでのどをつつかれた柳は、突き放された精神的ダメージもあってか、抵抗はまったくしなかった。むしろ佑恵が思うところのいい方向に進んでいる。
「土屋さんを見た」
佑恵の一重の目がまっすぐ柳を捕らえて離さない。にらまれた彼女は震えだし、ぺたりと尻をつけて座り込んでしまった。だがその視線だけは1ミリもずらさない。


「わ……若菜ちゃん……を?」
「そう、柳さんの友達でしょ?」
友達、という言葉に反応し、柳はすぐに頭を地面につけた。いわゆる土下座だ。そんなに土屋若菜のことが大切か、と佑恵は内心あきれた。中国人学校ではあのような『ぶりっ子』と呼ばれる生徒は見かけなかったので、こちらに来たときまるで未確認生命体を見たような気持ちに陥った。男子に媚びるようにわざとらしくかわいく振舞う。そして何より子供じみた人形をいつも連れて歩いている行動に、佑恵はこの国の人間はなんて頭が悪いんだろうと思った。
「お願い! 若菜ちゃんのいる場所教えたって! あたし、若菜ちゃんも探したいんよ!」
佑恵はクスリと笑い、鉄パイプの先で柳の頭を小突いた。
「じゃぁ、交換条件よ」その言葉の後、柳が顔を上げる。ちょうど額の場所に鉄パイプの先が当たった。
「こ……交換?」
「君の後ろにあるバッグ……それと、武器を全部出しな」


柳の視線が泳ぎ、後ろのバッグに言った。まず武器を見ないことからいって、おそらくパニック状態の余りバッグを一度も開けていないということがわかる。また、彼女の眉間に少しだけ困ったようなしわが現れたことを見取り、どうするか躊躇していることも察することが出来た。ここで判断を求めることからして、まだ少しは正常な思考が残っているのだろう。しかしその正常な思考は佑恵にとっては邪魔でしかない。
拍車をかけるために「そういえば土屋さん……誰かに襲われてたなぁ……助けてあげなくて、よかったのかな?」と言った。
その言葉が引き金になったのか、柳の決意は固まったようで、すぐにバッグを差し出し
「アカン! 若菜ちゃん危ないわ! はよ教えて!」
と叫んだ。佑恵はそのバッグをひったくって「ほかに武器はないの?」と聞きながらバッグの中身を確かめた。中を開けるとこれまた小さな拳銃が数枚の小さな紙束と一緒に出てきた。


「それだけや! 早く若菜ちゃんの場所教えて!」
柳が興奮の余り身体を揺らしてくるので、佑恵はすぐに
「H−07。住宅地の近くだったかな」と空を仰ぐように上を見上げながら言った。
「H−07ね?!」
「まぁ、せめて地図とコンパスぐらいはあげるよ」最初で最後の情けとして地図とコンパスを与えた。もう二度と会わないであろうクラスメート、いつかこのエリア28の中で死体となっているだろう。それも、3日以内に。

柳は目を見開いて地図とコンパスを熱心に見比べた。その目には既に現実は映っていない。状況判断などできようものか。柳の変りようを見て佑恵はフフンと鼻で笑うと、一歩一歩、彼女から距離を離した。
行き先がわかったのか、柳はすぐに立ち上がり何も言わずにその場から消えてしまった。
後ろ背を撃つことも可能だったが、やはりそこには倫理と礼儀が働いていた。――敵の後ろをとるなんて礼儀に恥じるし、人を殺すなんてことは倫理に違反する。柳のバッグの中に入ってた小型の拳銃、説明書によるところコルトD・Sを取り出し、もう一度さっきのベニモチの陰に隠れ説明書を凝視した。


まぁ、まさかあっけなくあーなるとは思わなかったけれど。
木の隙間から走り去る彼女の背中を見ながら、自嘲ぎみに肩をすくめた。何が礼儀と倫理を尊重するだ、生きる為に嘘をついているではないか、と佑恵は自問した。
そう、つまり今、柳に言ったことは真っ赤な嘘だったのだ。
本当はこの場から離れてもらうために考えたものだったが、彼女はそれを鵜呑みにし、バッグまで置いていってしまった。佑恵にとって一石二鳥であることは確かだが、それにしても事が上手く行き過ぎるので逆にきもちわるかった。

銃の短い銃身を見つめ、ブレザーの内ポケットにしまった。しまえるほど小さくて軽いのである。撃ち方を簡単に読んで、説明書はかばんにしまった。先ほど柳がおいていったバッグの中からパンを取り出しかじり、水を飲んで軽く食事を取った。
そして立ち上がり、先ほど柳が走っていった道の反対方向へと進む。その顔には、薄く笑みさえも浮かんでいた。


転校なんてしてこなきゃよかった。
もう、そんなことは思わないことにした。人間は何か目標を立てると強くなりやすいらしい。そんなこともあり、佑恵の足取りは確かに強くなっていた。





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