虚偽*Seguido


今やもう、一見荒れ果てた野原か、もしくは手入れの通ってない荒地にしか見えないD−08エリア。道路沿いに沿って四角く切り取られたような田んぼと畑は、自分の家の近くにある場所とどこかに通った場所があり、相澤圭祐(男子1番)少しだけノスタルジーにかられた。先ほどから温かい風が吹きぬける。そのたびに伸びた草がざぁぁ、という音を立てるのだ。
一見この場所は身を隠すところが何もなく、このプログラムという状況下においては不利な場所と言えるが、逆にそのため誰も寄り付かない場所でもあった。圭祐はそこまでは考え付かなかったが、ただなんとなく歩いていたらここまでたどり着いたのだ。バッグの紐を腕にかけリュックのように背負い、手には地図とコンパスを持っていた。時々田んぼ道の中央に座り込む。何もない場所で見上げる空が、格別に青い。

「あー、高原みたいだー」
高原市は千葉県内でも上位に入るような市街地だが、第五中学校の学校区域となると比較的田んぼや畑が多く、自然が残っていた。圭祐は、そんな都会とのギャップが見ているだけで楽しいと思った。ここもまた、ギャップがある。エリア28だけに関わらず、エリアと冠詞がつく地域は工業用の土地として作られた人口埋立地。その中にこうして田んぼがあることはギャップを超え、むしろ違和感さえある。
三年間中学で生活していると、自分が転校してきたことすら意識から抜けていくことがしばしばある。圭祐もまた、柏崎佑恵(女子3番)柳葉月(女子15番)のように転校生であった。しかし、転入してきたのは中学校入学と同時にだが。


「大輔……どこ行ったのかなぁ」
にこやかに笑い雰囲気が明るい彼にとって、友達が出来ないはずはなかったが、ただ唯一の親友森井大輔(男子15番)の存在はどんな友達よりも濃く、圭祐に与えた影響も大きかった。
転校してきたばかりで友達がいなかった彼に、一番初めに声をかけたのは向かい正面の家の大輔だったし、テンションが上がりすぎて暴走しかけたときに押しなだめてくれたのも、『保護者』である大輔だった。そして、このプログラムの始めのほう、まだ生徒が全員古びた教室にいたとき、有馬和宏(男子2番)夏葉翔悟(担当教官)の手によって殺害されたときも、大輔が横にいて圭祐を落ち着かせた。
藤原優真(男子11番)郡司崇弘(男子6番)がいないと意味がなさないのと同様に、相澤圭祐にも森井大輔がいないとすべてが成立しなかった。それはもちろん大輔にとっても圭祐は大切な存在であることは確かだ。だからあの分校を出発したとき、圭祐は絶対に大輔が自分をまってくれるとばかり思っていた。
しかし、現実は違った。分校を出て、あの電灯がまぶしく、手を上げて光をさえぎったとき、そこには誰もいなかった。誰一人として、そこに残っている人はいなかった。


彼が出て行ったあとに続くのは、山本真琴(男子16番)吉沢春彦(男子17番)飯塚理絵子(女子1番)、そして圭祐だ。確かに間が開くとはいえ特に気持ちをイラつかせるような時間はそこには流れていなかった。それに何よりも、幼いころから厳格な父によって剣道を身につけられている大輔なら、そのくらいの時間は集中でき、それまでの時間だってきっと心を落ち着かせて冷静な判断をしてきたに違いない。つまり、よっぽどのことがあったに違いないのだ。圭祐はそう思った。そうであると願うしかなかった。
だから圭祐は大輔を疑わず、また再会できるようにこうして彼を探しにでたのだ。まさか大輔が自分を待っていないとは思わなかったため、圭祐はこれといった合図も送っていなかった。しかし今考えれば、やはり吉沢春彦が関根空(女子5番)にしたように、面と面向かって口で合図すればよかっただろうか。もちろん大輔の出発時、ちらりと目があったが、正面にはドカンと夏葉翔悟が拳銃を手に携えて座っている。圭祐は吉沢ほど周りの空気に圧倒されない力は持ち合わせていなかったので、結局何も出来なかった。
大丈夫、大丈夫、きっと会える。だって俺達は、親友だから。今はそう信じるしか方法は残されていない。



風が吹き、黒髪に入れた茶色のメッシュが派手に揺れる。田んぼの横にあるよう水路にちょろちょろと流れ出ている鏡のような水面に向かってにっこりと笑った。まだ、笑える。圭祐は安心した。この笑顔で高原第五中のほとんどの女子が持つ乙女心を、風のように奪い取ってきたことはまず間違いない。学年屈指のいい男だし、こうして笑っていれば、まず間違いなく男女問わず和やかな雰囲気があった。もし、何かがあってこの笑みが途絶えたとき、おそらく“自分の中のもうひとつの心”が暴発するだろう、圭祐はそう心配しいてた。だから、何度も水面を覗き込んだのだ。この笑みが崩れていないことを確認するために。


ふと、太陽の光が翳った。雲が太陽を隠したのだ。水面に顔が映らなくなり、しょうがなく顔を持ち上げたとたん、圭祐の眼はこの広大な農地の真ん中に、白い制服を着た人が立っているのを捕らえた。市内でも珍しい白いブレザー、そして灰色のズボン。青と灰色のストライプのネクタイが風に揺れ、ほんの少しのびた髪の毛を後ろに小さく束ねている。
上条達也(男子4番)
だ、そう圭祐は思った。

上条達也といえば新宮響(男子9番)市村翼(男子3番)と同じサッカー部所属で、千田亮太(男子10番)と有馬和宏と特に仲がよかった。どこにでもいそうな髪の長い男だが、圭祐にとって上条は少しだけ厄介な人間であった。性格が悪いとかそういうものではなく、やけに情報通で(もちろん、そういう友達がいるのだろう)、上がり症なのだが、どうも調子の波に乗って余計なことまでぺらぺらと喋るので、余り一緒に居ていいと感じることはなかった。そういうところを抜かせば、いい友達として付き合っていただろうに。
圭祐は自分の視線が動いたのを感じた。選択に躊躇している証拠だ。
声をかければ確かに仲間になってくれるかもしれない。だが上条は小学校以来の友達、有馬和宏を殺された。今でも思い出せるものは・・・あの肩をすくめてしまうくらい大きな発砲音と、ドスドスッという人体を異物が突き抜けた生々しい音――あのオタクで物事を軽視する傾向にある千田亮太と違い、上条はそう簡単に自我を保ってられる訳ではない。混乱を招く危険性は十二分にあった。その点圭祐は、千田まではいかないが、きちんと自己を保っていられた(それは席が遠かったためでもあるが)。しかし話しかけた時点で上条に混乱されてもらうと、なす手が無い。

迷っている間に、圭祐が無意識のうちに立ち上がり、「達也!」と声をかけた。声をかけた後でヤバい、と後悔する。だが自分で声をかけたのにどうして後悔するんだ?と自分の中で起こっていることに不安を感じた。
前方約30メートル辺りの田んぼ道を、挙動不審に歩いていた上条は、びくりと肩を派手にすくますと、ゆっくりとこちらを振り向いた。


――お願いだ、逃げてくれ、逃げてくれ、逃げて、逃げて、逃げろ、逃げろ!!――いつの間にかそう心に念じていた。気持ちの整理をつけていないうちに無意識に声をかけてしまったのだ。この後起こることに対して、予想をつけ、対応を考えていれば幾分このように緊張はしないだろう。ちょうど先日行われた入試試験の面接で、答えることは暗記して当日混乱をしないようにするかのように。
「けっ……けーす……けっ!!」
案の定、上条は目を見開きおびえた表情で圭祐のことを見た。
「大丈夫か? 達也」
――逃げろ、俺のことを怖がってくれてもいい。だから早く逃げてくれ!
思ったことと口から出ることは、まるで正反対なものだから、圭祐は今において、上条よりも混乱していた。一方の上条は、圭祐の笑顔(しかし、実際は引きつった笑顔)を見ると安心したのか、そっと胸の部分を押えて少しずつ圭祐のほうへと歩む。


「よかった……け……けーす……。っ!!」
2人の間が10メートルほどに縮まったとき、上条がいきなり血相を変えて後ずさりし、しりもちをついた。そして圭祐を指差すなり、震えた声で叫ぶのだった。
「ちがっ、ちがう……お……おまっ……そー言えば……きいたことある!」
圭祐は自分の心臓の鼓動が跳ね上がる音を聞いた。同時にまさか、と言う考えが浮かび上がる。
――言うな、それ以上言うな、言わないでくれ、言うな、言うんじゃねえ!
おおよそ彼の口から出てくることは圭祐にも察しがついた。だが、言葉にしたくない一心でその先を上条は言わないことを、ただただ祈っていた。
「まさかだとは思うけど……いや、違うよな、よりによって……ケースケじゃないよな? な?」
「な……なんのことだよ」
圭祐はばっと口を押えた。これ以上口を開いていると、心にもないことが漏れ出してきそうだからだ。歯が寒いときのようにカチカチと震え音を立てる。


「昔……聞いたことあるんだ……ナグラ ケイスケのうわさを……」
上条はしりもちをついたまま圭祐を見上げた。おそらくプログラムという過程において上条の心の不安が一気につもり、不安やおぞましい事に対しての情報がいつもより瞬時に取り寄せることが出来たのだろう。多分、上条の頭の中では死についての情報、そして“ナグラ ケイスケ”についての情報がひしめいている。


――うるさい、うるさい、それ以上言うな! お願いだから……!
自分が無意識のうちといえど、この上条達也に声をかけたことを圭祐は悔やんだ。今にも泣き出したい気持ちでいっぱいである。昔の傷ほど、呼び起こされると痛いものはない。
「サッカーの……県大のとき仲良くなった友達が……黒髪に茶色のメッシュを入れた……超怖い不良がいるって……」
圭祐はとっさに耳を塞いだ。だが上条の声のほうが寄り大きいので、いくら耳を塞いだとしても、否応なしにその手を超えて情報が入ってきた。
「それが……ナグラ ケイスケだって……似たような奴がいるって言ったら……そう、あいつ親が離婚して……相澤圭祐になったって……!」


――大輔、助けてくれ大輔!
「ケースケじゃないよな? な? あの、高校生にも殴り合いで勝つ小学生の、ナグラ ケイスケって、ケースケじゃないよな?!」
半ばそうであって欲しいと哀願するような口調になってきた上条は、ものの見事に顔色が青白くなってきていた。おそらくそういった『怖い人間』であることによって、このプログラムのよからぬ思考に走っているのではないか、ということを上条は杞憂しているのだ。
しかしその杞憂は、残念ながら杞憂とはいえなくなったようだ。圭祐の心の許容範囲を示す天秤が、余りのプレッシャーの重さに耐えられず崩れ落ちた。


「るせえよぉ、上条ォ……」
圭祐はそっと耳を覆っていた手をはずす。ぼわん、と空気が膨張するような音を聞き、それから風のささやく音が耳に入ってきた。太陽の光がまた出てきて、灰色のズボンがほんのりと熱を吸収し暖かくなってきている。
「ケ……ッ、ケースケ!」
一変した態度を取る圭祐に、上条は更に怖気づいた。
「ぺらぺらぺらぺらぺらぺら……いらねーコトまでしゃべんじゃねぇよ……おめーは日が当たり続けてる限り喋る太陽電池式人形か」
先ほどのにこやかな表情とは明らかに違う表情を見て、上条は慌てた。つまり、上条の憶測は不幸ながらも図星を突いていたのだ。
確かに相澤圭祐の前身となった名倉圭祐は、昔住んでいた地域では有名なほどの悪少年だった。しかしいろいろなきっかけを元に、彼は必死になって自分を変えようとしてきたのだ。3年間で蓄積された仮面が一気に溶け出してくる。

「わりーな、達也。俺から話しかけたって言うのに……」
支給された武器を護身用として、ズボンのベルトのところに刺しておいたIMIデザートイーグルに、その手が寄り付く。しかし圭祐は後一歩のところで自分の手をはたいた。

「消えろ、今すぐに」
そういわれたものの、上条には混乱の余りどうすることも出来なかった。腰は抜け、足は震えて、声すらもまともに出ない。そんな中、唯一動く思考回路は、既に恐怖の言葉で渋滞している。
「早くいっちまえよ……じゃないと俺の中の名倉圭祐がお前の事殺すぜ……」
圭祐も震える力で立ち上がり、両手で頭を抱えた。こちらの頭の中でもいろいろなことがたくさん詰め寄って、我先にとどこかへ逃げようとしている。だけどどこにも逃げられない。
鋼鉄の檻は、忘却の炎にさえも強く、溶けることは絶対にない。


父は物心がついたときから義父さんだったし、母は市街地のキャバレーの若きママを勤めている。
よりどころの無かった一人息子は不良の道へと走った。
『いーい? 圭ちゃん。圭ちゃんは今日から名倉圭祐じゃなくて、相澤圭祐よ』
笑顔の仮面の下に隠し通してきたはずの記憶が、いとも簡単に切れ、氾濫する。――助けてくれ、俺はもう名倉圭祐とは違うんだ。俺は、俺は相澤圭祐だ。なぁ、大輔、そうだろう?助けてくれ!俺はどうかしちまうよ!
『転校してきたんだろ? 俺の名前は森井大輔。そこの剣道場の息子さ』
差し出された大きな手に、いつしかすべてをゆだねるようになって。
『ママ、圭ちゃんの通う学校に手続きしてくるから、大ちゃんと遊んでてね』
初めて出来た息子の友達に、母親が嬉しそうに微笑んだこと。
『圭祐は、笑ったほうがいいんじゃないのか?』
無口で滅多に笑わないくせして、大輔がそういった。
『圭ちゃんが笑ってるところ、ママは好きよ! もー圭ちゃん大好きー! 愛してるわぁん』
小学生時代はろくに口も利かなかったけど、友達が増えるにつれ、母親との会話が増えていった。



「ひ……ひえええ!!」
ようやく上条が腰を上げ半ばばたつくように逃げていった。白いブレザーに一点の黒いバッグが背負われている。その点を見つめながら、圭祐は激しい息切れに耐えた。

たかが過去、されど過去。
人によっては忘れたい過去があるというのは当然の話で、圭祐にとってこちらに転校してくる前のこと、つまり名倉圭祐として生きていた時の事はすべて邪魔な記憶だった。その古傷を直すために3年かかったのに、たった10分と満たないうちにあっさりとぶり返させられた。
またこの傷を修復し、忘れるまで3年。だけどここにいる限り、あと最高3日しか生きることは出来ない。銀色に光る首輪が、そして腰のベルトに差し込んである本物の拳銃が、それを意味していた。

忘却か、共存か。選択肢は二つしかない。しかしその前に傷をなめていくうちに牙をむき出したりしないよう、慎重でなければならない。
圭祐は地図にある大きなコンクリートの道路まで歩き、そこへ腰をおろした。意識がはっきりとしているうちに移動しておかなければならない。無性にため息が出た。
冷や汗を拭い取ると圭祐は立ち上がり、辺りを見回した。10分ほど黙っていたことで落ち着きを取り戻し、ようやく相澤圭祐としてそこに立ち上がることが出来たのだ。圭祐はもう一度水が張っている用水路の水面をのぞきこむ。そこには確かに、相澤圭祐の笑顔があった。


「よっし、おっけー」
パシン、と気合を入れるために両頬を叩くと、彼は歩き出した。
先ほど覗き込んだ水面が、すこしゆがんでいたとは、誰も知らない。




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