嫌々*Poco a poco


静は動より――実家の剣道場に達筆で書かれた教訓が張ってある。すべての行動はまず静から、と言うことを意味しているらしい。確かに剣道と言う競技は声を張り上げることもひとつの判定にあるが、すべて一瞬の出来事である。冷静な判断力が必要不可欠なのだ。だから師である父は、いつも家族に『静』であれと教えてきた。もちろん、そこの子供である森井大輔(男子15番)も同様に。
動は静より、静は静より。
いつもは『どちらにしろ静じゃないか』と思って余り気にも留めてはいなかったが、今この時点で既に通用するほど、実に現実味を帯びる言葉だった。

彼は既に『動』であったためにとばっちりを食らっていた。本来我を忘れずに行動していたならば、こんなことにはならなかったはずだ――大輔はF−08のほぼ中央にある『エリア28』と書かれた石碑を背にし、脚を組んで黙想をしていた。


分校を出てからここにきて今現在までにいたる経路をたどってみると、彼は短時間においてとんでもない生死をさまよっていたことになる。
大輔は分校を出たあと、親友である相澤圭祐(男子1番)のことを待とうとして、分校の横脇に詰まれたレンガの陰に隠れていたところ、突然パァンッ!パァンッ!という爆竹が爆発したような音を聞いた。
すぐに発砲された、と感づいて身を隠し、そして走り出した。危なく銃弾の餌食になるところだったのだ。大輔はその銃弾の破壊力を恐れ、我を忘れてただひたすら全速力で走った。比較的運動はオールラウンドで短距離走も持久走も学年で言えばそれなりに早いほうだから、その足をふんだんに使って、大輔はとにかく荒れ狂う銃弾の嵐(のような気がした。既に今は忘れているが)から逃げていたのだ。

それから我に返り、気付いたらもうエリアをはさむ金網が見えてきたころだったので、縦09ラインのどこかだ、ということがわかった。青沼聖(副担当教官)はレーザーで区切られているとはいったが、どうやら金網のところにレーザーが敷かれているらしかった。
しかしそんなことよりも大輔は一番してはいけない失敗をしてしまう。逃げてくる余り、時間を考えずに走り続けていたのだ。すぐさまバッグを広げ、時計を取り出す。時計の針は既にかなりの距離を進んでいた。分校の教室にあった時計を見たときから既に4分から5分弱が経過していた。
大輔はまた焦った。自分のあとに続くのは山本真琴(男子16番)吉沢春彦(男子17番)飯塚理絵子(女子1番)、そして相澤圭祐だ。自分が出てから4分が経過した、ということは少なくとも吉沢までは出発してしまっただろう。彼は地図を広げ、辺りを見回した。日光が広葉樹林にさえぎられて照らし出されている。地図と一緒にコンパスも取り出した。
それから南に向かってまっすぐ進んだ。このまま行けば、地図に示されている通り大きな道路にぶつかる。産業道路なのか、その先は他のエリアにつながっていた。もちろん、その先は高いフェンスで覆われているようだが。


――急がなくちゃならないな……圭祐とはぐれてしまう。
一番安全な策として全速力で南に向かった。それから大きな道路に出て、それから道沿いにまっすぐ行く。直線距離でいうのよりもかなり長い道を走ることが必要となってくる。途中、左手にエリアとエリアの壁であろうフェンスが高くそびえているのが、今度は先ほどよりはっきりと見えた。その向こうには兵士が数人立っている。
ここから脱出しようと思えば蜂の巣か……それとも本部に連絡されて首輪が爆発か。自分の首輪が爆発、と言うことを想像して大輔は身震いした。プログラムでなくてもいつかは死ななくてはならないが、そんな死に方もさすがにごめんだ。その場を横目で見て、すぐに南の方角を向いた。
地図の一区切りは200メートル四方と、説明されたのを思い出し、大体を換算してみた。道をまっすぐ行くことにより距離にしてざっと600メートルから700メートル。1500メートルを5分20秒で走る大輔にとって、およそ半分、少なくとも3分で分校まで(迷わなければ、だ)つくことが出来る。そこまで全力疾走でいるか、それは大輔の気持ちしだいだった。


しかし、事はまた唐突に起きたのだ。また、分校のところにいたときと同じような爆発音がする。
バァンッ!!
今度は一度きりだったが心臓に響くような低い音だった。
コンクリートから何かが飛び出した。大輔はワンステップで切り返し森に飛び込むと、次の銃声を聞き、しばらくしてからそっと顔を出した。先ほど音がしたあたりのコンクリートでは、黒い物体が転がっている。
跳弾したのか?と心で思いながら恐る恐る周りを様子をうかがい、体勢を整えた。転がりながら森に飛び込んだので、大輔の制服は真っ黒になっていた。
クソ、時間がない!!
大輔は時計を凝視し、焦る気持ちを何とかなだめた。タイムリミットまで後1分をきっている。わずかな望みが今、銃声によって奪われようとしているのだ。だがしかしここでうかつに出て行って銃弾の餌食になってしまっては、人間としての望みが薄れる。もう一度頭を戻して考えた。
――落ち着け、落ち着くんだ。冷静になれ森井大輔。
暗示のように反復する。心臓がドクンドクンと鼓動を打っている。眼鏡のずれを直し、頭を抱えて身をかがめた。前髪が軽く膝に当たる。



――



結局そんなこともあり、相澤圭祐を取り逃がしてしまった。あの銃声の後、急いで分校まで行き、日の出までは分校の近くのエリア(もちろん禁止エリア外だ)のところにいたのだが、圭祐らしい姿を見ることもなく、そして誰にも声をかけることもなく、大輔はただ呆然としていた。もしかしたら自分の行動を悔いていたのかもしれない。
もっと冷静に判断していれば、こんなことにはならなかっただろう。
悔いてももうどうしようもないと言うことはわかっていたが、ここでせわしく行動して圭祐に会う前に自分が死んでしまったら元も子もない。だから大輔は早々に別の場所に移動してきた。それがここ、F−08エリアほどにある針葉樹林だ。
まばらに生える針葉樹林の木々たちは、決して効率よく避難して来た人間を隠すような場所ではなかった。なにせ一つ一つの木の間はおよそ2メートルは開いているし、木自身も細い。南北に通る二つの道路がよく見渡せるほど、ここはある意味で見晴らしがよかった。
鳥がさえずりながら飛んでいく。風は木の葉を揺らしながら冷たく吹きつける。静と一体になり、自然を感じることが、今の自分に与えられた使命、と大輔は心の中で反復した。


その林の中で見つけた石碑を背にして、大輔は脚を組んで手を握った。心を無にしていると、周りのほんの少しの変化にも気付くようになった。時々銃声が聞こえたりもしたが、それも余り長い間続かなかった。時々脚を組み替えたりしては、水分を取ったり時計を見たりしている。だが時間はそう簡単には過ぎてはくれなかった。あわただしく過ぎたここまでの経路よりここに来てからの黙想の時間は、倍以上長いが、大輔にとっては銃声が身近でした先の時間のほうが、濃く印象に残っていた。
何度も風が吹き、木の葉が揺れる。地面に敷き詰められた土も、たまに転がってきた。
そんな折、いつもとは違う風の音がしたと思った。



「それでも足音を消したつもりか?」

大輔が黙想から目を覚まし、その姿勢のまま声を上げた。
「俺はここにずっといる。だからどんな音でも敏感に反応することが出来る。忍者ごっこはやめておけ。くだらない」
大輔の後方に、人影が出来る。木陰からちらりと顔を出したのは、服部綾香(女子10番)だった。その姿を見て大輔は心の底でため息をついた。服部は偉そうに振る舞い、その長く伸びた髪の毛を振り払って近づいてきた。

「さすがは森井君。音ってやっぱり違うのかしら」
「お前に褒められても嬉しくは無い」
「相変わらず無愛想ね」
「せめて褒め言葉として受け取ってやる」
ザアアア、と木が揺れ、重い沈黙が流れた。大輔はプイとそっぽを向き、黙想を再開した。それを服部がさえぎる。



「単刀直入に言うわ」
その言葉の後、何かを放り投げた。カシャン、と軽い音がして、大輔の左脇に黒い棒が放り投げられた。
「これをあげる。だから私を守りなさい」
フフン、と自信ありげに服部は笑う。しかし大輔は無言のまま目を閉じ、黙想を続けているだけだ。
そういえば、と大輔は黙想の傍らに思い出した。分校に居た時点で、遠藤雅美(女子2番)が大声で服部綾香を殺す、といった。それはそれは素敵な殺人宣言だった。誰か1人でもそのことについて反対した人間はあの場にいたのだろうか?性格ブスと有名で土屋若菜(女子7番)と一二を争う『煙たがられていた人間』の彼女が、誰かの同情をもらったのだろうか。
心の底では今この場で大声で笑ってやりたかった。お前に味方する人間は誰一人としていない、と。しかし、言葉に反応のない大輔の魂胆を見透かして、服部は続けた。

「決して悪い条件じゃないとは思うけどね。もちろん私はあなたのことは殺さないわ。これはどうしてだかわかるよね、いい加減馬鹿じゃないもの。それで、あなたにとってもいいと思うの。交代で睡眠をとったり、襲ってきた相手がひとりだったら数的にも有利じゃない」
これ以上の好条件、どこにも無いわ、とつけくわえて服部は大輔に更に歩み寄った。彼の背中のところまで来ると、大輔が動かないのをいいことに手を肩に回し、耳元で
「どう? 結構いい条件だと思うわ」といった。鼻腔を突く香水の匂いが漂う。
彼女は土屋若菜ほどではないが男子に対して多少性格(口調)が変ることがしばしばあった。今回も例に漏れずそうだろう。しかし2人は3年になって初めて同じクラスになったので、その馴れ馴れしい態度に大輔は腹を立てたこともあった。ちなみに言うと大輔は土屋のような馴れ馴れしく、何かに媚びるような女は大嫌いであった。



「断る」
大輔はさも当然といわんばかりにキッパリと言い放った。目を開け、組んでいた脚を解くと、ゆっくりと立ち上がり、服部と距離を開けにらんだ。
「元はといえばお前がまいた種だろ。なのにお前は種の世話を人に任せるのか?」
反吐が出る、と付け加えて大輔は横脇にあったバッグを持ち上げ、ついでに服部の放り投げた刀を取り、その場を去ろうとした。
「これは依頼じゃないの、命令なのよ!」
服部がそのヒステリックな叫び声をあげた。五大性格ブスのひとり、服部綾香は、気違いじみた気性の荒い女だった。おまけに高飛車と来ればこれ以上の性格の悪い女はいない。豪邸で育った彼女はわがままはすべて通ると思っている。大輔はそんな服部綾香という人間が根っから大嫌いだった。
「いい? もう一度言うわ、これは命令よ。あなたはあの相澤や藤原みたいにバカじゃないって私は信じている。それにあなたは工藤や郡司のように知恵はないけど誰にも負けない強さがある。その強さを無駄にする気?」
服部はブレザーの内側にあった黒い物体を取り出し、大輔に向かって突きつけた。彼が振り向き、服部の持っているものが銃だ、とわかるまで、それほど時間は要さない。大輔はその銃口と服部の顔を見て、ふっとため息をついた。眼鏡のフレームをくい、と上げる。


「まだあがくか高飛車女。哀れで仕方ないな」
眼鏡の中央部分を抑えたまま、服部をにらんだ。
「自分がよければ人はどうでもいいのか。お前はいつもそうだな。関根がハルと楽しそうに話しているときも、飯塚が窓際で洋裁をしているときも、決まってお前は2人を呼び止め、そして翻弄する」
関根空(女子5番)とハルのこと吉沢春樹は、特に仲がよく、付き合っていた、という噂もあったが(大輔はその真相を知らない)、まぁまぁ噂どおりに仲はよかった。飯塚理絵子も文科系の少女だから、いつも洋裁を好み、明るい場所で微笑を浮かべ一生懸命縫っていた。

そんな彼女達の至福の一時を、服部は声をかけて断ち切った。
やれ荷物を持てだ、それ宿題をやれだとか、ほとんど召使、もしくはそれ以下の扱いをしてきた。そのことはもちろんクラスメート全員がわかっていたことだ。しかし誰一人として止めなかったのは、彼女達が笑って「大丈夫。これが仕事だから」と言うからである。仕事というのはもちろん、服部綾香のご機嫌取りだ。


「かわいそうな2人。もし彼女らの親がお前の親のグループと契約している社員の子供じゃなかったら、どんなによかっただろうな。お前は権力を盾にしながら矛は持ち合わせていなかった。だから関根や飯塚の至福に対する妬みが次第に矛になったんだよ。わかるか? 矛で攻撃すれば相手も逃げる。しかしお前の矛はもろいから、攻撃すれば自分にもダメージが来る」
大輔は一度息をおいて、続けた。
「つまりお互いが離れていくのさ。お前のわがままな矛のせいでな」
「うるさいっ!! 黙りなさいよ愚民が!」
つらつらと並べられた批判の声に、ついに服部の我慢の限界が訪れた。
「やっぱり相澤たちと同じだったね……所詮愚民は愚民、評価した私が馬鹿だった」
「ようやく自分を馬鹿だと認めたか」大輔が嘲笑し、怒りに拍車をかける。
「そんなに撃たれたいの?!」
服部が手にしていた拳銃を両手で持ち、きちんと構える。その目はもう既に、我慢の限界を超え、果てしなく広がる嫉妬の炎が燃えていた。その炎に対して、氷のような冷静さを持つ大輔は、ただその手をじっと見つめたまま、ゆっくりと口を開いた。


「撃てるものならな」
その一言でついに服部の堪忍袋の緒が切れ、絶叫と共に服部は引き金に指をかけた。
「生意気なのよぉぉっ!!」
しかし、一呼吸おいた後、服部はかたで大きく息をしながら、引き金にてをかけた指を震わせ、血相を変えて動きを止めていた。どこかでこだました服部の叫び声がまた返ってくる。そして静寂が訪れた。
「撃てないのか?」
大輔の短い眉がぴくりと動いた。服部の顔がどこかのホラー映画に出てくる幽霊女のように、色白でどこか頬がやせこけたような顔になりつつあった。
「撃てるわけないよな」
彼女の足が細かく震えている。灰色のチェックスカートまでもが揺れていた。
「モデルガンだろ、それは」
言ったが早いか、大輔は全速力で服部のほうへと駆け寄った。


小さなパンッ!と言う音が聞こえた。そして彼女の持つ拳銃―いや、モデルガンだ―からオレンジ色の小さな玉が出てきて、大輔の肩すれすれを通り過ぎる。服部のと距離を1メートルまで縮めた後、勢いをつけて飛び、その長い脚を駆使して回し蹴りをした。
少なくとも大輔は服部より身長10センチほどのアドバンテージをもらっている。そのこともわきまえて、大輔のローファーのかかとが勢い良く服部の後頭部に回った。

ゴンッ、と言う鈍い音がして、服部は地面に押し倒された。大輔は拍車をかけるようにもう一度、服部の首の辺りにかかと落としをする。ぐえ、と令嬢の服部綾香にすれば、はしたないような言葉がその口から漏れた。もう一発、奪った(向こうが投げたのだ、大輔に非はない)刀の鞘で頭を殴ろうとしたが、神聖な刀を汚したくはない、と大輔は瞬時に思い、鞘を手に握った。
服部には目もくれず、ただ先に見える道路に向かって走っていた。今どちらに向かって自分が走っているかは定かではない。だが、目の前に見える『道』に向かって走っていることは確かだ。針葉樹林は2つの産業道路らしきものに挟まれている。なんにしろここから逃げ出すことが最優先だった。
後ろからの反応はない。ただ、相手が持っているのがモデルガンでよかった、と言う安堵が大輔にあったのは事実である。


大輔は産業道路に出て、適当な掘っ立て小屋に身を隠した。余りに慌てていたので、回りを確認することを忘れていた大輔は呼吸を正すことも忘れ、はっと顔を上げた。物音ひとつもせず、人が入ったような形跡もない。
ひとつずつドアを開けたりして誰もいないことを確認すると、大輔はようやく深呼吸を始めた。


――優真に教えてもらったことがはじめて役に立った――まさか大輔も藤原優真(男子11番)直伝の喧嘩技法を初めて使うのが、こんなプログラムと言う状況で、しかも女に使うとは思わなかっただろう。余り体術は慣れていないため、自分でもわかるほど不恰好だったが、結果的には服部を倒すことが出来、こうして逃げることも出来た。
左手につかんでいた刀を取り出す。鞘から取り出すと真新しいような光が大輔の目に入った。
本物だ。
そう感じたときには大輔は真剣を鞘にしまい、立ち上がって掘っ立て小屋を出た。もう一度移動して、本来の目的だった相澤圭祐を探さなければならない。
ふと、自分のバッグが空いていたことに気付く。閉めようとし、床に置くと、中からひっそりとおいてあった本があった。


お前のおかげだな、ありがとう。
その本のタイトルは『銃が解る!読解本』。大輔の支給武器であった。
黙想の合間にぱらぱらと読んでいた項目の中に、本物の銃とモデルガンの違いが載っていたのだ。読んでいけばあぁ、なるほど、とうなずけるものが多々ある。だから先ほど服部の持っているものがモデルガンだとわかったのだ。
本物の銃とは、光沢が違う。よくよく見ればわかることである――本にはそう書いてあったのを大輔は思い出したのだ。
ふっと軽く笑うと、彼はバッグの口を閉め、服部から投げられた刀を左手に持って走り出した。


残り28人


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