徒桜*Accelerato


太陽は完全に上り詰め、春らしい暖かな陽気も漂ってきた。
羽田拓海(男子16番)は今、ちょうどE−06にある港に来ていた。埠頭のコンクリートには波があたっては砕け、当たっては砕けの繰り返しをなしていた。そこで彼は一度、ズボンのチャックをあげた。そっと視線を自分の隣にあるバッグへと向ける。そしてほっと安心した。
このプログラムとやらが始まってから、彼はずっと逃げ回っていた。誰にも見つからないようにと、いろいろなところを息解していたが、運良く誰にも見つかっていない。集中力も切れ緊張感がうっすらと消えてきたとき、急にトイレに行きたくなる、といった生理的現象がものを言い、どうしても我慢できなくなった彼は、海のところへと用を足した。ぱたたた……と水面あたる音が聞こえた。まさか海に向かって用を足すなど、普段では口が裂けてもいえないものだったが、こればかりはどうしようもなかった。

ふぅ、とため息をついて、遠くにうっすらと見える陸地を呆然と眺めていたそのとき、突然背後から声がした。
「オイ、羽田」
羽田は驚いて即座に後ろを振り返った。そこには鋭い視線で自分のことをにらむ遠藤雅美(女子2番)がいた。びっくりして慌てふためきながらも、羽田は急いでチャックを上げる。そんな彼の様子を見て、
「ハハッ、別にかまわねーぜ? 俺、男兄弟の中で育ったから、慣れっこ」
と軽く嘲笑し、遠藤は一歩一歩近づいてきた。耳元についていたヘッドフォンをはずして首にかける。


彼女は今まで自分の後ろ姿を見ていたのだろうか――羽田は一瞬疑ったが、それにしても何のため?と首をかしげた。実際、遠藤は工藤依月(男子5番)郡司崇弘(男子6番)に逃げられた後、呆然としながら彼らのいたE−07から、ほんの少し歩いてきたところだった。
しかし先ほどの疑いはどこへやら、女好きとして卑猥なあだ名を持つ羽田は、遠藤の姿を見ただけで安心をした。いつも授業に出てこない彼女を彼は時々しか見たことはないが、それでもすらりとした体躯にきれいな茶色の髪の毛。そして羽田にとっては一種の憧れでもあるピアスが輝いていた。きっと彼にとって男子に声をかけられるより遠藤に声をかけられたほうがずいぶん時が楽だったろう。
ドクン、と心臓が高鳴りを始めた。

だが今でも忘れやしない。分校で彼女が大声で『服部綾香を殺す』と宣言したことを。よくよく思い出してみれば、羽田でも思いつく心当たりはいくらでもあった。余り彼女らの間にある事情を知らない彼でさえこれほど知っているのだ。本人達のやりあいでは相当な量の恨みが募っていることだろう。
その点において、羽田は安堵していた。元々理解能力がないのかもしれないが、遠藤は服部綾香(女子10番)しか殺さない、ということを勝手に決め付けてしまったのである。
「そっ、それより遠藤……お前、その……服部……は、こ、殺しては……」
「ああ、まだだよ。あのクソアマ、逃げてやがるんだ」悔しそうに顔をゆがめて、ちっと舌を鳴らす。
「や、やめようぜそんなことさ!」
「やめる? どうして」
またお決まりのおせっかいか?と遠藤は苦々しく言った。しかしその顔はなぜか笑っていたようにも見える。羽田は一瞬身震いをした。それでも彼は正義を説き続ける。


「ほら、人を殺すなんてさ……俺たちには出来ないじゃん? それに……さ、夏葉先生の言うとおりに殺し合いやるなんて……」
かなり途切れ途切れの言葉だが、羽田は一生懸命に言葉をつなげた。同時に更に緊張した。何故だか一瞬だけ、入試試験の面接を思い出す。推薦試験では面接で上手く自分の意見が言えず、落ちたのだ。――ちゃんと言わなきゃ、今度は最悪の取り返しのつかないことになる。羽田は意を決してこぶしを握った。遠藤に、そしてクラスメートに殺し合いをして欲しくはないのだ。
しかし残念ながら、つい先刻聴いた放送では、有馬和宏(男子2番)設楽聖二(男子8番)神谷真尋(女子4番)高木時雨(女子6番)の名前が連なれていた。誰かが、確実にこの人たちを殺しているのだ。クラスでも中堅グループ辺りだった彼らとは、何かと話すことも多かった。
しかし今もその殺した人間はのうのうと生きているだろう。そしていつか、自分を殺しに来るだろう。
そんな恐怖から、一刻も早く逃げ出したくて、羽田はなかば押し付けがましい説教を始めた。

「第一、俺達こんなことするほかにもっとやることってあるんだと思うんだよ。な? 遠藤も、服部が嫌いって言うのもわかる。だけどそれってさ、殺すことで何とかなるのか? 違うことだって、あるよ! あるはず!」
そこで一旦言葉を切り、羽田は続けた。
「確かにさ、お前ら小学校のころからすっごく仲悪かった。第三者の俺から見ても、本当に人間離れした口げんかが耐えなかったよなぁ」
喋ることで幾分か緊張感がなくなったのか、言葉をせき止めていた何かが崩壊したかのように、次々と言葉をつなげることができた。
「俺、一番覚えてるのは4年のときのプールでさ、どっちが早く泳げるかって言うやつだよ。服部はスイミングに通ってたし、遠藤は元々運動神経いいだろ? だからあん時は見ものだったなぁー。確か藤原たちがどっちが勝つかって賭けてたよ」


ふと、同じ小学校の藤原優真(11番)の姿が一瞬浮かんできた。
「あ、そういえばあいつ……大丈夫かな。夏葉に腕……撃たれただろ? すっげぇ血が流れてたよ。でも……藤原みたいなヤツなら……ちょっと大丈夫かな、って俺思ったけどな」
彼が珍しく男子の心配をした。本当のところを言うと、彼は男子の中ではあまり主流とも中堅ともいえなかった。女ばかりと話しているので、男子からは相手にされなくなってきたのだ。女子とばかり話すので男子から疎遠なところに置かれる。すると女子としかしゃべることが出来なくなる。そしてまた疎外される。それの繰り返しで終いにはこの一年間一度も喋ったことのない男子もいる。たとえば森井大輔(男子15番)なんかがそうだ。口数が少ないうえに、男子主流派の相澤圭祐市村翼新宮響郡司崇弘藤原優真辺りといつも一緒にいるので、羽田からすると世界が違う人でもあった。もちろん、総合的に言えば今あげた人物とは余り話したことがない。

「藤原なら大丈夫だろ」
その言葉で羽田の思考が中断した。彼は我に返ったように急いで言葉を続ける。
「そっ、そうだよな。でもさ、ほら、銃声聞こえただろ? もしかしたら他にもたくさん怪我している人がいると思うんだ。だから遠藤、俺と一緒にそいつらを助けに行かないか?」
「……助けに?」遠藤の表情が曇った。
「そう、俺さ、バッグにひってたヤツ、拳銃だったんだ。説明書も読んだ。一回だけ打ってみた。だから、使える。俺が遠藤のこと守ってやるから、一緒に皆を助けに行かないか?」
遠藤の口元が釣りあがった。彼女は腰に手を当てて、肩をすくめておどけて見せた。それが余りにも馬鹿にしている表情だったので、山本はむっ、と思い、頬を高潮させた。彼は自分が女子に尊敬されたり、もてはやされたりするのは好きだが、馬鹿にされるのは嫌いである。



「は? お前、気ぃ確かか?」
「えっ」
一瞬、間を空けて次に羽田の目に飛び込んできた画像は、遠藤が右手を出して自分にボディーブローをかけている瞬間だった。
「がはっ」
その遠藤のこぶしは見事に羽田の胸元にヒットし、彼はよろけながら埠頭のコンクリートの境界線を揺れた。あっという間に彼女は走り出し、羽田に攻撃を食らわしたのだ。どうやら彼は気付いていなかったようだが、遠藤は少しずつ間合いを詰めていたのだ。そして一瞬の隙をついて、遠藤は走り出した。
羽田がバランスを崩したのを見ると、遠藤はその身軽な身体を駆使して、羽田の足をはらった。完全に体が海へと傾いていくように感じる。
次の瞬間、ザパァンッ!と音がして、海面が揺れた。既に青の色を失い、油色がかった東京湾の海が大きく波を打つ。

――な、何なんだよ!――羽田の脳内では混乱が場を制している。目の前に見えるのはやけにぼやけた水面と、きらきらと反射する太陽の光だった。本能的にコンクリートまで泳ぎ着き、手を陸地に伸ばして顔を上げた。
ざばぁんっ!と波がもう一度音を立ててしぶきが上がった。羽田の頭が水面から持ち上がり、彼は懸命に岸辺に上がろうとした。しかし制服が完全に水を吸ってしまったのか、やけに身体が重い。水で手を滑らせ、彼は埠頭のコンクリートの字にへばりつくような体勢になった。


「えっ、遠藤!」
海の水を吐き出し、苦痛にゆがんだ表情を浮かべて羽田は叫んだ。まだ水から上がったばかりなので視界がぼやけている。それでも、その景色のそばにある白い制服、灰色のスカート、そして黒くてすこし細長いものが、はっきりと目に焼きついた。
ザウエルP228だ――!!!そう思った時には、全身から力が抜け、危なく手をコンクリートの端から離しそうになった。間違いない、その灰色を帯びた黒の作りの銃は、自分に渡されたバッグの中に入っていた銃であった。付属の説明書を読んで、試し撃ちもした記憶もある。
「ホント、馬鹿でおせっかいで、くだらねーとは思ってたけど……」
カチャリ、と言う音が聞こえ、遠藤が両手でしっかりとザウエルを固定している。


バァンッ!!という一度だけ、爆竹を破裂させたような音がした。
「ま、最後ぐらいは役に立ってくれたな」
岸にかけられた羽田の手がぴく、ぴくと小刻みに痙攣を起こしている。その真っ赤に染まったグロテスクな仮面をかぶった顔を後ろにそらして、頭の右下半分が熟れたざくろのような状態になりかけていた。そして5秒もしないうちに、遠藤がその痙攣している手を蹴り、羽田拓海の身体は、海の中へと沈んでいった。


「いってぇ……」
遠藤は海の中に血が浮き上がってくるのを見ながら、右手首を押えてつぶやいた。さすがに拳銃となるとこれほどの力を要するか――テレビなどで見たものとはまったく違う現実を、改めて理解した。それでももう撃てない、と言うわけではない。そのことを理解すると彼女はにやりと笑った。
彼女の場合、羽田の無残な姿が海に沈んでしまい直視を避けたからよかったものの、拳銃で撃たれたりしたならばそのような醜い姿になることを想像すると、しかしさすがに身震いが起こった。結局、人を殺すことはこういうことなのだ。今になって遠藤の脳裏に工藤依月が言った言葉が蘇ってきた。

『だから……服部を殺すのはやめてくれ』

始めは工藤も服部のことをかばっているのかと遠藤は思った。しかし、実際は違ったのだ。服部もかばわなければいけないが一番工藤が恐れていたのは、遠藤自身の手が血に染まることだ。ようやく彼の真意を理解した遠藤は、どうしてもっと早く気付かなかったんだ、と後悔した。
だが――彼女にとって今更もうそんなことはどうでもよかった。理解できなかったのではなく、あえて理解しなかった心が、彼女に合ったと言ってもいい。今、彼女自身が恐れていたことは、手を血に染めることでも自分が死ぬことでもなんでもない。誰かの言葉によって自分の決意が揺らぐことが一番怖かった。
そのためにすべてを理解しようとは思わなかった。


自分の決意のために、拳銃を持っているといった羽田を隙を突いて殺した。
そして今、こうして新たな武器を手に入れることが出来た。
何が悪い。死ぬかもしれないという状況で、最後の信念を貫くことが、すべて悪いのか。
冗談じゃない、遠藤は今まで出てきた思考をすべて払いのける。そして膝を突いて海に浮かぶ赤い液体を手にすくって持ち上げた。
「俺は、悪くない。俺は悪くない」
すくった水を少しずつ手から流して、遠藤は立ち上がった。羽田のバッグを取り、急いでその場から身を翻し、適当な場所へと走っていった。

全部、服部綾香を始末してからやろう。
ただ1人の親友、諸星七海(女子14番)を探すことも、工藤依月にもう一度会うことも。
そう思うことだけが、彼女にとってのたった一つの生きがいだった。



男子12番 羽田拓海 死亡


残り27人



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