兄弟*Credo


かちゃ、かちゃ、と皿が揺れる音がする。突然テレビからは大衆の笑い声が聞こえてきた。千葉、高原市にある蓮川家の家では、長男晴一は台所で夕食作り、次男貴正がソファーで小型ゲームに没頭し、三男時哉は無気力にテレビのチャンネルを変えている。会話はとうに途絶え、誰もが静かに時を刻んでいたかのように見えた。
先ほど血相を変えて部屋に飛び込んできた時哉の報告を受けて、玄関にいた政府関係の人間から司がプログラムに選ばれたと聞いた。もしその事実がもたらさなければ、彼らは今頃それぞれの人生をおもいおもいに楽しんでいただろう。しかし、聞いてしまったからには、そう簡単に明るくはなれないものだった。
兄弟はリビングに戻り、それぞれの時間を過ごしていた。少なくとも、そこにあった不吉な予感を抱きながら。

「プログラム、かぁ」
これは政府の車が去った後に時哉がつぶやいた言葉だ。プログラムと言えばあの悪名高い戦闘実験であり、もちろん自分もそのランダムの中の候補であったことは間違いない。しかし運良く選ばれることは無く、ある意味で蓮川家は無事に3人の生還者を出していることになった。
そのプログラムに、4人目の兄弟、司が選ばれたのだ。あくまでも偶然に偶然が重なったとしか思えない。偶然だとしても、すべての報復の矢先は必ずこの蓮川家に向いてくる。そのことを予想して、貴正は「優勝する」と言ってのけたのだ。
彼女に感情がないとは兄弟の誰もが思ってはいない。むしろ家族の中では思春期間近の真人や洋介を抜いたら一番敏感かもしれない。敏感だからこそ、意志は固い。敏感だからこそ、気付くのも早い。


晴一はリビングと続いている台所で夕食を作りながら振り返り、弟2人を見てため息をついた。貴正は相変わらず眉一つ動かさないままゲームに夢中になっている。彼は既に成人式を終えていたが、働きに出る様子もなく、ただこの家にいて、金食い虫のように消費生活をしているだけだった。その点で言えばその下の弟、時哉もそれに当てはまっていた。高校2年生という遊び盛りなものだから、夜遅くまで街を徘徊している。警察から電話があったことだってしばしばあったくらいだ。
そんな弟達を持って、長兄はただため息を漏らすしかなかった。この家の会計方は長男の晴一だ。親や親戚からのとばっちりを食らうのも彼である。
しかしそのため息は弟達にあきれたものではない。“自分のしたこと”が、自分自身の首を絞めていたのだ、と言う懺悔のものだった。


「時哉」
不意に貴正が呼びかけた。相変わらず目はゲームに向いている。
「テレビのチャンネルちょこちょこ変えるのやめろ。余計にうるさい」
「いーじゃねぇかよ」
力の無い抑制の言葉に、時哉はぶっきらぼうに答えた。
「うるさい」
「兄貴もな」
「ウザい」
「平然とゲームやってるヤツの神経もイカれてると思うぜ、俺は」
「やめろお前ら。導火線短いんだよ」
晴一は仲裁に入ったつもりだった。しかしそれが不幸を呼んだのか、時哉はぐるりと晴一のほうを振り返り、
「んだよ、だったら兄貴は怖くねえのかよ!!」と叫んだ。
「怖い……?」
「司は……あいつは優勝したら俺達を殺しに来るに決まってる!」ヒステリックに叫びあげ、時哉は頭を抱えた。
それ以降、誰からも反論はなく、その会話は途切れた。


もう一度向きなおして、夕食に出す野菜を切ろうとしたとき、部屋の出たすぐに当たる階段からものすごいばたばたと言う轟音がした。兄弟が一斉にその場に視線をやり、そして3人が同時に目を合わせた。なべの沸騰する音だけが、ただ聞こえてくる。
そのうち、がちゃりとリビングのドアが開き、ゆらりと身体を揺らした父親の修造が入ってきた。入ってくるなり彼は、酒のビンを掲げて「晴一ぃー、新しい酒だぁー」と叫んだ。
「父さん、もうお酒は入っていないですよ」
晴一が修造の身体を支えつつそう答えた。彼はまだ軽度のアルコール中毒で、かかりつけの医者から既に酒を禁止されている。昔からの飲んだくれの性格はいまだに直っていない。そのために引き起こされた病気はついに5を超えた。過去に一度、くも膜下出血で倒れたこともあるのに、それでも彼はいまだに酒を飲み続けている。
「なぁぬぃー? 正真正銘入ってるじゃねぇかー」
空になったビンを振り回して、修造はほえた。晴一は鼻を押える。父の息からは酒のにおいが充満していたのだ。
「ほら、今新しいの持ってきますから……」
生前、母親の美津子がそうしていたように、晴一は納屋から新しい酒を取り出してきて、半ば押し付けるように修造に渡した。


「兄貴! そんな野郎に酒渡すことねえよ!」
いきなり時哉が立ち上がり、持っていたテレビのリモコンを床に叩きつけた。顔を真っ赤にし、目が釣りあがっている。
「大体てめーが俺達に余計なこと教え込むから結局こうなったんじゃねえかよ! どうしてくれるんだよクソ!」
「ああん? なーんだ時哉じゃねぇかー。どおした、今日は荒れ気味か? え?」
時哉の神経を逆なでするかのように修造はニタリと笑う。それに「やっぱり1人ぐらいはこういった反抗する奴もいなきゃ面白くねえもんなぁ」と付け加えた。そんな父親に堪忍袋の緒が切れた時哉は歩み寄った。
「馬鹿言ってる暇ぁねえんだよ! 司がプログラムに選ばれたんだ! あいつはのし上がってでも俺達を殺しに来る!」修造の胸倉をつかんで時哉は大声で叫んだ。その言葉を聞くなり、修造の顔から一気に血の気が引く。


「いつ誰がそんな言葉言っていいっていったんだ!!」
彼は《司》と言う言葉に敏感になっていた。それもこれも、以前に自分が刺されたことがトラウマとなっている。司が中学2年生だった約一年と半年ほど前、母親が倒れているので彼女が父親に助けを呼んだのに一切手助けしなかったことに激怒され、腹を包丁で刺されたのだ。元はと言えば自分がまいた種――男尊女卑という名の差別――であるが、修造はそれすらも認めてはいない。修造は手を上げた。
バシンッ!という音がした。時哉が左頬を押えて後ろによろける。
「この家であのガキの話をするんじゃねえ! 虫唾が走る!」
微笑していた表情もいまやキッと引き締まり、形相は怒りに狂っていた。似たような表情をとって時哉が負けじと言い返す。
「けどな、あいつは絶対に俺達を殺しに来るんだよ! プログラムだろうがなんだろうがあいつにゃへじゃねぇよ。人を殺すことだってあいつにとっちゃなんでもないんだよ! 実際てめーが腹刺されてるじゃねえか!」
「るせえクソガキ! 勘当されたいのかボケ!」
大声に大声を張り上げて彼らは罵り合っていた。ふと、何を思いついたのか父親の口元がゆがむ。小声で「やれ、晴一」と言った。
「ハっ?!」と時哉が反応するが早いか、またバシンッ!と言う音がして、時哉が倒れた。


「って……え……」
倒れた姿勢からギロリと晴一をにらむ。晴一は父親の命令で弟を殴ったのだ。
「あーあーあーあーあー、そーですかそーですか。結局晴一兄は親父の駒か」晴一の視線の先には長男の姿があった。少し、寂しそうな表情をした兄が。
晴一の使命――大地主の長男として生まれたからには将来のため一族のため、忠実に父親に従いそして家を更に発展させることが使命であった。そのため幼いころから晴一に課せられた英才教育はかなりのものである。そうやって育ってきた彼は、今でも父親の言うことに従うクセが抜けきれていない。従うことは任意であると言うことはわかっていても、従わなければその後自分がどうなるかということくらい容易に想像がつく。修造は飲んだくれの最低人間ではあるが、それでもれっきとした蓮川家の主人なのだから。


その様子を見て貴正はため息をついてそれから叫んだ。
「どっちにしろ」
一声あげたあとにまた続けた。家族の視線が集中する。
「人って言うのは、適切な条件をつけて適切な環境を整えればほとんど例外なく誰でも人を殺せるようになるんだって。それで、戦闘体験って言うのは、死や負傷への恐怖を減少させるんだってさ」
「どういう意味だぁ……貴正ァ……」
修造がにらみを聞かせて貴正を見る。しかしにらまれたほうの貴正はふいと顔を背けて
「もし司がプログラムで優勝したなら、俺たちが殺されるのは十中八九間違いないだろうねってこと」
は?と言わんばかりに時哉は絶句した。またお得意のわけのわからないことか、と父親は言う。しかし、晴一だけは、深く一度だけうなずいた。

「父さん、俺達は間違っていたんです」
晴一は正しく父親とむきなおして言った。一家の未来をその背に背負う人としてではなく、ただ、一人の人間としての証言。
「これが、運命なんです。あのときから、そう決まっていた。父さんばかり責めているんじゃありません。俺達にも非は大きくある」
「運命……?」
「父さん、俺達はただ祈るしかないんです」
煮込んでいるなべのふたが動き、コトコトという音がする。キッチンではそんな家庭的な雰囲気があるのに、広いリビングのほうでは相変わらず重苦しい雰囲気が流れていた。


「司が、プログラムで死んでくれるのを……」

くそっ、と舌打ちし、時哉が膝から崩れこんだ。大きな音を立てて床を殴る。どうしようもない衝動がそこにはあった。


すると突然、ピロリロリローという音がインターフォンから聞こえてきた。この音は正面玄関のオートロックを家族しか知らないパスワードで解いた音だ。一瞬誰が入ってきたんだ、といかぶり、まさか司が帰ってきたのか、と考えたが、その思考はかき消された。なぜなら司は表玄関のパスワードを知らない。勝手口から出て行ったほうが学校に近い、と言うこともあったが、この家で正面玄関を堂々と通れるのは司と今は亡き母の美津子以外の人間だけに限られていたからだ。こんなところからも、いかに蓮川家の住民が司と美津子を疎外していたかがうかがえる。
「真人たちが帰ってきた」
インターフォンについているディスプレイを見て、貴正が言った。その場に安堵のため息が漏れる。少なくとも司でないことは確かだからだ。
それからすぐに「ただいまー」と言う威勢のいい声がして、4月で中学生になる四男真人と小学校5年生になる五男洋介がリビングに入ってきた。彼らは地元のミニバスケットボールのチームに所属していて、夜7時ごろに帰ってくる。夕飯にはちょうどいいころあいだった。しかし、兄たちからするとそれはバッドタイミングにしか過ぎない。


「ただいま」
「ただいまぁーお兄ちゃんおなかすいたよー」
まだ小学校のときに母親が死んだものだから、中途半端な愛情は逆に子供を傷つけると考えた晴一は、進んで下の弟2人の母親代わりになった。
それに今度の春から中学になる真人は、洋介のことをよく面倒見ていた。そのため今でもミニバスについていくし(と言っても本当は中学の部活のために体力保持が目的だ)、帰ってきてからの飲み物の片付けなどをすべて担当する。
「あっ……お……お父さん……」
「貴正兄?」
基本的に個人が独立した生活を送っている蓮川家の中で活動時間が洋介や真人たちと食い違う2人の家族がいることに気付き、2人とも固まった。余りに長い間会話をしていないので、何を話していいのかもわからない。また、沈黙が続いた。


「お帰り、真人、洋介。もうすぐご飯できるから、手洗ってこいよ」
晴一は一生懸命笑顔を作り、にっこりと笑って見せた。
「そうそう、後、大切な話があるから、着替えたらすぐリビングにおいで」続けて貴正が口を開く。
「大切な話?」
「そう。だから、早く行ってきな」
少なくともいつもとは違う雰囲気がそこに流れていたので、下の弟2人は首をかしげたが、すぐに手を洗いに洗面台へと向かった。
「おっ……俺は関係ないからなっ!」
吐き捨てるように修造は新しい酒ビンをもって出て行く。その後ろ姿を呆然と見ながら、時哉が
「あいつらに……全部言うつもりなのか?」とつぶやいた。


「あぁ、しょうがないだろ」
「そうそう。それにちゃんと晴一兄の気持ち、汲み取りなよ」
ちくしょう、と時哉はうなって、また立ち上がり、そしてソファーに身を沈めた。晴一はコンロの火を消して、すべての準備を整える。気持ちの整理をするために、深呼吸を2回ほどした。

自分達のしたすべての“罪”を洗いざらい話して楽になろうとは思わない。
しかし、その“罪”を背負うには、あまりにも背中が小さすぎた。




(残り27人)


第1章・終了


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