陰影*Conductor


はぁっ、はぁっ、という荒い息遣いが聞こえる。心臓がドラのように大きな音を立てて鳴るが、そんなことはいまの上条達也(男子4番)にとってはなんら気にならなかった。むしろ、まったく気付くことが出来なかったと言っていい。何故これまでになったか。それは先ほど相澤圭祐(男子1番)の本性を見て元々あった恐怖がさらに募り、適切な思考判断が出来なくなってきたからだ。
間違いない、ケースケはあのナグラケイスケだったんだ!――彼は噂を過信しすぎ、実際見たこともない名倉圭祐の姿が、徐々に肥大していって、まるで化け物か、もしくは悪魔のような形になっていく。
怖い、怖い、怖い怖い……!いつか俺は殺される、俺は殺されるんだ!
胸の中ではその言葉が反響し合い、徐々に正常な場所の割合が減っていく。上条は精神的に限界の場所に立たされていた。
彼はいま無我夢中で走っていた。周りの景色はもう圭祐と遭遇した田んぼ道ではなく、森林がちらほら見えてきたコンクリートの細い道路にきていた。遠くのほうには既に禁止エリアとなっている分校も見える。だが上条の目にはまったく景色の色は失われていた。


逃げなきゃ、逃げなきゃ……!
兎にも角にも、彼は手当たりしだいの道らしい道を走り抜けていった。サッカー部所属だったのでそれなりに速さと長さは保ってられる。それに、上条は卒業したらすぐに進学を決めた高校の練習に参加するつもりだった。だからそのための練習を欠かさずしていたので彼の足の速さはほぼ現役時代と変らない。同じ部活で仲がよい俊足市村翼(男子3番)にはかなわないが、それでも速かった。
道路が途切れ、徐々に森が深くなってきた。太陽の光が森の木々でさえぎられ、行き先は真っ暗だ。しかしそんな暗さにもまったく気にする傾向を見せず、上条は走り続けた。彼の原動力は、いまとなっては恐怖だけだ。
ふと、上条の足がゆっくりと速度を落とした。どうやら体力の限界を感じ、我に返ったのだろう。それにしても十分走った。彼は足を止めると、肩で息をしながらせわしく呼吸をし、いつの間にかこぼれていた涙をぬぐった。
すると突然
「ようっ!」
という軽快な声がした。


「うあああ!!」
上条は即座に叫び声を上げる。そして身を丸くし、しゃがみこんだ。
「おーいおいっ! 俺だ、俺! 世界のヒーロー千田っちだぞっ! なーんで俺がでてくるだけでそんなビビるんだよぉー」
どこから現れたのか、千田亮太(男子10番)は軽く笑いながら冗談をかます。ゆっくりと顔を上げた上条の目に、小学校来の親友の姿が写ると、すぐに飛びついて今あったすべてのことを吐き出すようにして話した。その口車は止まらない。
「千田! 俺いつか話したよな?! ケースケがナグラケイスケかもしれないって奴! あれ、ホントだったんだ! ケースケは俺を殺そうとした! めちゃくちゃ怖かった……! 俺、必死になって……」
最後のほうは、涙を流しながら途切れ途切れに言う。
「ケースケが……。あぁ、あれか? 超怖い不良だったって話? 中学デビューだって話?」
「そう! 俺、ケースケにあったんだ、さっき……! で、話しかけられて……でも、俺がこのこといったから……ケースケが怒って……!」
「あー、もうそりゃオメーが悪いっしょ? まったくもー、あいっかわらず口軽いんだってばよ、お馬鹿」
「だって……だって俺!」
アホですかお前は、といわんばかりに引きつった笑いを浮かべながら、しかしわかったわかった、とうなずき千田は上条の頭をなでる。それでも伊達眼鏡の奥にある瞳が、揺らいだ。
「まったくよぉー、もっと明るく行こうぜ? テンションアーップ! この千田様をみたまえー。プログラムなんてへじゃないよん? これこそまさにお茶の子さいさいってやつー?」
にっこりと笑みを浮かべる千田の表情を見て、幾分上条は落ち着きを取り戻した。普段の学校生活そのままの千田を見て、安心したのだ。


「そそ、話変るけどそー言えば俺、まだ今週のステップ読んでないんだよなぁー」
千田は突然くるりと身体を反転させて、大きく伸びをした。白い制服が揺れる。
ちなみにステップというのは若い世代の男女対象の漫画雑誌で、週一回発売されるものだ。千田は毎週立ち読みではあるが欠かさず読んでいた。今週読めなかった原因は、卒業式の練習という居残り作業を課せられたからである。帰ってからはもう空は暗くなり、面倒だから明日読みに行こう、と思いつつもまた予定が入ったり、の連続だった。
「ネットでもさー、あんまいい情報なくてな」
この時代に大東亜ネットは余り普及していなかった。実際、このA組の中で大東亜ネットにつなげられる家は千田の家と高木時雨(女子6番)のノートパソコンだけだ。もう少し普及していてもおかしくはないが、このクラスメートの中で、いや、学年中で、千田や高木のようにネットなしでは生きていけない人間は、限りなく少ない。

「最近じゃさー、あれだよあれ、銅魂! 銅さん俺好きなんだけど、あのだらけっぷりが! なんかちょっとナッパ先生っぽいところあるよなー。しかもあのギャグセンス最高! 俺もあんなギャグが自然に口から出るようにしたいよなぁー」
そこで夏葉翔悟(担当教官)の名前が出てきた。千田の中では勝手に銅さん=夏葉翔悟という方程式が成り立っている。本人にすればこれほどありがた迷惑なことはないだろう。
「あと、あと、りんご120%! ていうかあの最中って主人公マジありえねー。普通の少年つったってめちゃくちゃモテてんじゃん! 何あの美女達! 俺もいつかあんなふうになりたい!ていうか言っちゃ悪いがりんご120%とか言ってジュースかよ! いや、100%超えてるから既に固体じゃんっ」
上条は力説する千田を目の前にし、唖然としていた。確かにこういった漫画の話で千田が1人暴走することは大して珍しくはなかった。が、こんなプログラムという状況の中でも(しかし上条は千田の迫力に押されすっかりプログラム中であることというのが抜けている)、彼はこうやってくどくど感想を述べられるものなのか。銀色の首輪が光を跳ね返し、上条の目に届く。一度だけ身震いをした。――そうか、プログラムに――しかし彼の思考は千田の言葉にかき消された。

「ツーピースあんじゃん? あれってば結局どうなるんだろう!海 賊の話だけどさ、マジ天使の実の能力はすごい! 俺も1回食ってみたいんだよなぁー。でもあれ食うと泳げなくなるじゃん? 俺は別にそれでもいいんだけど、海賊となったら大変だろうよ」
うん、うん、と1人うなずきながら、千田はまだ熱弁をふるった。
「んで、やっぱステップ史上最強のストーリーといえばプライスノートだな! 俺、ホントあのノート欲しいわぁー。だってノートに書いた商品は必ず安くなるって言う奴だし! その代わり一生分の金運が半分に下がるって言うのがタマにキズだけど。でもあのノート使って一生分の買い物すりゃぁいいのかな?! 先週かその前くらいからライクが株の投資にまで乗り出してさー。公正取引委員会のMはどうなるかって感じ! だけどさぁ、何で公正取引委員会がでしゃばってるんだろうなってやつ。俺、基本的にライクひいきだから」


上条はそこでほっとため息をつき、次にもう一度長いため息をついた。そしてようやく言葉を出す。
「あー、確かそれ。Mがライクの暴走を止めたいからどーたらこーたらだよ。権力逆手にしてるんだ。それに今週は銅魂休み。作者取材だってよ。俺今週のはもう読んじゃったからさ。でもライクは俺、好きじゃないな。だって経済界の神となるとか言って、所詮安くすることしか出来ないじゃん。デフレだよそれこそ」
どうやら非日常から日常の会話に戻ったことによって、上条の中にあった極限状態の緊張感が解け、いつもの会話が成立し始めた。しかしまた、自分の発言の性で己の首を絞めたなど、今の上条が知る由もない。
「あぁ?」
千田は珍しく怒ったような声色で答えた。それに驚いて上条は千田のことを見る。


「オイ達也。俺言ったよな、今週のステップ、まだ読んでないって……」
「え? あ……確か……あっ、ごめんネタば――」
まだ上条が言葉を言い終わってないころ、突然バァンッ!という爆発音が響いた。被弾したのか、上条の後ろ側の木がひらひらと数枚の葉を散らせる。
「ひとーつ、ステップ読者の心得!」
まだ銃声の反響が終わらず、硝煙の白い煙が出ている銃口を上条に向けたまま、千田が言った。
「決まった曜日まではネタバレはしない」
もう一度、バンッ!!という音がする。千田が支給武器のベレッタの引き金を引いたのだ。
「ふたーつ、ステップ読者の心得!」
みる見るうちの上条の顔がこわばる。嘘だろ?と小さくつぶやきながら、半歩後ずさりした。
「堂々と嫌いなキャラを嫌いといわない」
千田がにっこりと笑った。
「破ったものには、天罰を下す……なーんちゃって♪」


再び舞い戻ってきた恐怖感が募り、上条は無意識のうちに身体を翻して北の方角へと走っていった。これは先ほどここまで走ってきた速度よりももっと速い速度だ。それも当たり前かもしれない。何せ競争相手は銃弾だ。
しかし、上条の頭にあるのは相変わらず恐怖ばかりだった。
怖いから逃げる、逃げるために走る。それ以外に何が必要だろうか。
千田が後ろから追いかけてきた。
彼の笑い声が、森に響いていた。



残り27人


Next / Back / Top


SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送