一縷*Serpentine


ダダダダダッ……
タイプライターのような連続音がしたかと思うと、温かな液体が制服から出ている掌に降りかかるのを感じた。遠藤雅美(女子2番)は、色がほとんど見えない暗闇の中、諸星七海(女子14番)の身体を抱き起こすために一旦地面に置いた懐中電灯の淡い光を頼りに、手に降りかかった“それ”が何であるかを確かめようとした。が、しかし思うように身体に力が入らない。それよりも、背中のあたりに日がついたように熱く、痛かった。真っ赤に焼けた鉄の箸を背中に貫通させられ、それをかき回されたような痛みが一拍遅れて全身を貫く。
のど元から血が逆流してくるのがわかった。遠藤はすぐさま口元を手で多い、鉄のにおいを感じたところで、掌にかかった液体も、口からあふれ出しそうになった液体もすべて、自分の血であることをようやく理解した。だとしたら何で――遠藤は身体はだめでも精神や理性はまだ正気を保っていられることを確認した。


「七海……」
自分の両手で抱えていた瀕死の諸星七海を見る。どうやら銃撃は遠藤の背後のほうから行われていたようで、遠藤の身体を貫通した銃弾が、いくつも諸星の身体にまで突き刺さったように見える。遠藤がようやく苦労して見つけ出した幼馴染も、既に虫の息。長いことないことくらい、医者じゃなくてもわかった。
そろそろ結論を出そう、体が限界を迎える前に……。男気で口調が荒く気が見近い遠藤が、今はやけに冷静に現状と見詰め合おうとした。

遠藤は小学校のころから犬猿の仲で、殺したいほど大嫌いだった服部綾香(女子10番)を本当に殺害するためにエリア28を駆けずり回っていた。すべては服部綾香を殺すため、すべてはそれだけだった。しかし一番はじめに彼女に支給されたのは超高性能集音機。周りの音をより大きく聞き取り、多方面からの小さな音も察知できるという優れものだ。市販のヘッドフォンのような形をしていて、そこから小さなアンテナが立っている。遠藤はこれを頼りにしてずっと服部を探していた。――ちなみに今はそれを首に引っ掛けている。幸い、そのおかげで銃声は拡張されることなく、また、彼女の鼓膜を馬鹿でかい音で突き破ることもなかった。
そう、集音機があるために少しは手間が省けたが、問題は殺傷能力のある武器がなかったのだ。誰か銃をもってそうなほかの人間を探し、武器を奪うことをまず先決とした。
しかしどうだ、その後、遠藤が以前付き合っていた工藤依月(男子5番)と、その連れである郡司崇弘(男子6番)に遭遇してしまった。遠藤は根っからの問題児だが、工藤はただ単に、彼の良過ぎる頭では普段の授業がつまらない、と言って屋上へ来ていた人間だ。必然的に屋上住居人だった遠藤とは仲がよくなる。しかし工藤はその後3年になってから蓮川司(女子9番)と仲がよくなった。遠藤は蓮川に嫉妬し、工藤すら恨んだ。
そんな工藤と出会ってしまったのだから遠藤は気まずい。自分よりなぜ蓮川司を取ったのか、その理由を問いただしたが両名な返事は得られず、曖昧な回答ばかりが並べられた。
「お前の帰る場所は……もう俺じゃない」この言葉ばかりが、頭を這いずり回る。工藤の意志でその場は別れ、遠藤は諸星以外の数少ない拠り所だった工藤を失ったこととなった。


遠藤はそこまで思い出すと、一旦息をついた。案外死ぬ前の記憶と言うものは走馬灯よりもずっと早く再現され、そして消え散っていくものだと思った。長く感じられた回想だが、実際には5秒ほどしか経っていないことに気付く。白いブレザーのポケットに入っているアンティークな懐中時計の秒針の動く音が、身体を伝って感じられた。
遠藤は自分に残された力を総動員して諸星を強く抱きしめ、「遅くな、って……ごめ……ん、な」と耳元でつぶやいた。諸星からは返答はない。ただ、光のない細い目に、真珠のような大粒の涙を浮かべては流し、浮かべては流していた。その口元がかすかに動くのが見える。遠藤は、もう何も聞き取れなかった。


死なせない、絶対に、絶対に……!!
工藤を失い、もう頼れるものはそこに寝かせた瀕死の諸星七海だけだった。遠藤は痛みも体から消え去り、羽田拓海(男子12番)――女好きで妙に偏屈なあの男だ――を殺害した際に奪ったザウエルP228を右手に構える。もう一度全身全霊をかけてふらふらと立ち上がる。どだい、今から俊敏な動きによって相手を倒そうだなんて事は夢物語、それくらい理解はしていたが、身体のほうは一発お見舞いしてやらなければ気が済まないようだった。元々持ち合わせていた頑固さと負けず嫌いが、こんなところまで影響しているとは、当の本人ですら驚くあまりだ。

ダダダダダダダダッ……
今度は少しだけ、先ほどのより長い連続音がした。遠藤が見た映像は先刻彼女が背にしていた方角に、閃光が瞬くようにして光ったものだけ。目を見開いた瞬間、今度は足に激痛が走った。
あまりに瞬間的なことだったので、初めの一秒何が起こったかわからず、痛みさえもまだ信号として脳から発せられなかった。しかし次の瞬間にはきちんと体の各部が痛みを感じ、ようやく『足に銃弾が複数当たったのだ』という結論に至った。痛みに耐えかねず、咆哮にも似た絶叫を闇に轟かせる。
痛い……痛い……!!服部も、こんな痛みを喰らったのか……。

6時間ほど前、ようやく探していた服部綾香を見つけたとき、なぜかと言う理由は定かではないが彼女は土屋若菜(女子7番)と一緒に居た。そのときはまだ夜の7時を回ったほどで、暗いといえば暗かったのだが、こうやって恐怖と共に過ごす暗さよりは、幾分あちらの方が明るかった気がする。
しかし今は服部に対する傷みの憐れみなど掛けてやれるほどの余裕も時間もなかった。第一服部の痛みなど知ろうとするような遠藤ではない。そういう親密な関係ではなかったのだから。それが少しでも交流のあった人間だったなら『ああ、あの時は』なんて悼んでいたかもしれないが、小学校のころから口げんかばかりでそりが合わないとはこのことだ、といわんばかりの2人だったから、当たり前といえば当たり前だ。


「諸星七海、死亡確認。背部被弾による失血死が主な死因」
体から噴き出してくる汗と、めちゃめちゃな方向に駆け巡る伝来のような痛みに体を蝕まれていく一方、遠藤の耳にはそんな冷静な声も入ってきた。並々とみなぎる殺意、その声の正体がわかったとき、それをどうして押えられようか。彼女は歯をぎりぎりと食いしばって立ち上がろうとしたが、痛みに負けて地面に倒れこんだ。
「加害者、蓮川司」
そういわれなくても、遠藤は十分蓮川司が目の前にいると言うことを理解していた。不意打ち同然に発砲してきたことも、今こうしてせっかくで会えた幼馴染をいとも簡単に奪ったことも、すべて蓮川司がやったことだと。人間に対する哀れみだとか、殺してはいけないだとか言う倫理は彼女の頭の中ではまったく霧のように失せているのだろうか。この世に別れを告げさせないほどの短時間で、間髪いれず司は武器であるキャリコM950の引き金を引いた、というわけだ。
冗談じゃない、七海が死んだはずが――遠藤は倒れた拍子に後ろ背にしていた諸星のほうを見る。丁寧に寝かされた体には、キャリコの9ミリパラベラム弾によってまた新しくいくつも小さな穴を開けられていたのが、置いてあった懐中電灯の淡い光に包まれておぼろげながら見えた。おそらく先ほど遠藤が足を撃たれた際に地面に跳弾し、もしくは貫通した弾がその小さな諸星の身体を打ち砕いたのだろう。


嘘だろ?と、遠藤は苦笑する。そのとき口をゆがめた際に、端から血が流れ出てきた。
――嘘だろ、七海。俺、七海が生きてるって信じて、もう七海しか信じられる人がいないからって、必死になって探した。俺って言う存在を肯定して欲しくて、俺が誰かから必要とされているか確かめたくて、服部殺したあと必死になって何時間も探してたのに……!死んだなんて、嘘だろ?なぁ、答えろよ。
「な……なみ」
諸星の目は、うっすらと開けられたままだった。口もかすかに、助けを求めるかのように小さく開いていた。そう、ここにたどり着いた理由だって、諸星が遠藤の名を呼ぶのを超高性能集音機が聞きつけたからだ。そんな声も、もう二度と聞けない。
七海、俺を置いて死んだのか?
彼女を見つけたときに、既に長いことはないとわかっていた。左腹部に受けた銃創は、限りなく雑菌に侵されて正常なものではない。それはむしろ、生きていることすらすばらしいと思ったくらいだ。だからいつか、大切な友との別れだって来ると悟っていた。しかしこういった不意打ちでいきなり引き裂かれるのは、想像してなかった。
もう、諸星は呼びかけにも答えやしない。そう分かると急にすべてが一本の糸でつながった気がした。


「しん……じ、ねえ」
もう誰も信じない。信じようとすると、すぐに裏切られるからだ。工藤依月だってそうだ。信じていたのに、すっかり忘れ去られていた。何が理由かもわからず、ただ独りよがりに恨んでいた遠藤も遠藤だが、そうすることでしか自分を正当化できず、さらにはそうする事しか知らなかった彼女の、せめてもの抵抗だったのだろう。
「もう誰も信じねえよ」
柄にもなく涙を浮かべながら、それだけははっきりと発音した。それから手前5メートルほどと言う至近距離に立つ蓮川司を、殺気を孕んだ目で睨みつけた。遠藤も茶色に染めた髪の毛を持つが、それよりももう少しベージュに近い色の髪の毛が、やはり懐中電灯の淡い光でぼんやりと浮かんできた。彼女の白いブレザーは正面から真っ赤に染まっている。

――依月、もうオメーとも会えない。じゃぁな。……もうお前のことも信じない。だけど代わりに、もう誰も信じないからな……。
頭の中では、彼氏だった工藤依月の姿が映し出されていた。肩まで長い黒髪と有名私立進学校にストレート合格したほどの知恵を持つ男。それでも妾の子であるがゆえに虐げられてきた人生を歩んできた男。そんな工藤の残像を見て、遠藤はただ、工藤に憧れていただけなんだとようやく理解した。ただ、自分に持っていない才能を持っていた工藤が羨ましくて、自分のものだけにしたかったというエゴが働いていたことを、どうしてずっと気付かなかったんだろう。遠藤は今更気付いた大事なことを、ずっと知ろうとしなかった自分を恥じた。
だからこうして、最後には無意識に許せてしまったのかもしれない。
「かわいそうな遠藤さん。中途半端に信じることなんかするから、裏切られるのが辛いんじゃないの?」
司がそういいながら遠藤の背後に迫ってきていた。振り向こうと試みるが遠藤の身体はもう動かない。硬直するしか出来なかった。
「でも私、そう言うの、好きかな」
いつもクラスではめったに喋らず、ただでさえ異彩な空気をまとっているだけの蓮川司だったが、なぜか今は饒舌だった。信じるか信じないか、その境界線でさまよっている遠藤を見て、彼女は続けた。
「そうやって、無理なことわかっててもがいているユダヤ人はね……」

バァンッ!!バァンッ!!

言い終わるのが早いか、それとも銃声のほうが早いか、どちらにしろほとんど同時に司は遠藤の頭めがけて引き金を引いた。服部綾香や土屋若菜の血で赤く黒く染まっていた白いブレザーが、また一段階、大量の赤で染められていくのが見える。撃たれた反動で、遠藤の体が前へつんのめり、ちょうど諸星の体と折り合う形になった。
「ユダヤ人掃除完了……」
硝煙を立ち昇らせていたワルサーP38の銃口にふっと息を吹きつけ、余裕の笑みを浮かべながら遠藤に近づく。遠藤の右手に握られ、ついぞ使われることのなかったザウエルP228を剥ぎ取る。そして彼女が首にかけていた超高性能集音機を奪おうとしたが……それは血まみれだったのでやめにした。ユダヤ人の汚らわしい血が付いたものなど、到底使いたくないとでも思っていたのだろう。
折り重なっている2つの死体を見て、司はふっと嘲笑した。
「哀れなユダヤ人。さっさと死んじゃえばいいんだから」
死ぬそのときまですこしでも幼馴染を信用しようとした人と、信じる数少ない人をすべて奪われて絶望を見た人。司にとっては、どちらも飾られた小さなステージで踊る、演技の下手くそな道化師にしか過ぎなかった。この世に何か未練を残す暇も与えずにクラスメートを殺すことが出来るのは……やはり司が自分を「有能なるユダヤ人」と考え、遠藤たちクラスメートすべてが「滅ぼすべきユダヤ人」と決め付けて、骨の髄までトランス状態になっているからだろう。


司はブレザーのポケットから超高性能情報機を取り出してもう一度電源をつける。
――あと9人。
あと9人死ねば自分の優勝が決まる。司は優越感に浸った。
私はアドルフ・ヒトラー。この世に運び寄るすべての邪魔な異分子・ユダヤ人は、情けも同情もかけずに容赦なく一人残らずすべて殺す。ただ、それだけ。
さっそく司は残り9人をすべて自分の手で殺す覚悟を決めて、情報機を頼り次なるターゲットを探し始めた。

2人重なって横たわる哀れなユダヤ人を見た彼女は、先ほどの限りなく落ち込んだ精神状態さえ忘れるほど、心の中で哂っていた。
そうして今一度、輝ける栄光の一歩を踏み出すこととなる。


女子14番 諸星七海 死亡
女子2番 遠藤雅美 死亡


残り10人


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