挙措*Guilty


放送を挟み、朝がやって来た。
放送では初めてとなる青沼聖(副担当教官)の声が聞こえ、どうやら睡眠をとっている夏葉翔悟(担当教官)の代わりに放送を担当する、と言うものだそうだ。どうやら放送するのは初めてらしいが、夏葉のように無駄な雑談はなく、業務的にテキパキと伝えたいことだけを伝えてきた。それでも声色から少々興奮しているような雰囲気がうかがえる。あちらの人間でも、やはり人の子なのだ。
夜中の12時以降、この朝6時にかけて死亡した生徒は遠藤雅美(女子2番)諸星七海(女子14番)の2人のみ。そして禁止エリアは午前7時からC-03、午前9時からD-05、午前11時からF-05だそうだ。幸いにもC-03とF-05は今回の会場の半分を占める海上のエリアであり、実質的に禁止エリアとなったのは午前9時からのD-05エリアだけだ。このエリアは分校近くの東西に伸びた住宅街にある。

G-07エリアの野原が広がる一帯で市村翼(男子3番)はどっかりと座ったまま朝焼けの空を見上げていた。寝たら死ぬと思い込んでいたので夜中から一睡もしていない。そしてぼんやりとかすんだ地平線のむこうにある太陽を拝み、また目を閉じた。先刻遭遇した蓮川司(女子9番)によって被弾した際に、負傷した右ふくらはぎには真ん丸の穴が突如として出現し、そこから大量の血が流れていたが、今は一緒に行動していた新宮響(男子9番)の支給武器である救急箱から包帯を取り出し、ぎゅっと縛り付けて止血してある。幸い、救急箱には抗菌物質軟膏が入っていて、それを塗ってから止血用の三角巾を傷口に当て、包帯を巻いた。とくに緊急事態ハウツー本など入っていないようだったので、そこら辺は生まれ持った勘で処置を施した。

こんな時に役に立つなんて思ってもいなかった救急箱をみながら、翼はこれが支給された本人である新宮響の事を考えた。翼の小学校来の親友は、人の血に飢えたあの蓮川司の幼なじみでもある。
響は先ほど負傷している翼を差し置いて、翼をこんな目に合わせた張本人である蓮川司を追い掛けて暗闇に消えていった。まさか自分たちがはぐれるなんて事は無いと踏んでいたのだが、万が一のことを考えて地図とコンパス、名簿と鉛筆をポケットに入れるように言っておいたのが唯一の幸運だ。


翼にとっての響は、小学校2年生の時に初めて地元のサッカーチームで出会ってからこの7年間ずっと、掛け替えの無い特別な存在だった。そんな響と長い間の付き合いなのだ、胸の内にあるもの全てをさらけ出し、時には言い争いもして育って来た。そう、翼は響の全てを知っていると自負していた。そう思えるだけの友人を誇りに思い続けてきた。それなのに現実は見事にそれらすら裏切ってくれた。
「司が俺の知らない司になった」――そう聞いたのは彼等二人がB−02エリアで落ち合ったときだ。そんな響の言葉を思い出して翼は舌打ちをする。今の俺にしてみたらお前も俺の知らない俺になってるんだよ……苦虫を噛んだような後味の悪さに翼はこめかみが痛くなるのを感じた。そういえばそんなことを聞いたはじめの頃は、カッチョイイ俺に惚れるなよ?なんて冗談めかしていたことも思い出す。あの時、こうなることを予想していたなら、もっとまともな冗談をいえたかもしれないのに。

――なぁ響。お前の気持ちに俺が入るだけの場所は用意されてないのか?響の目には、あの化け物しか映ってないのか?
きっと響の本能のうちには、翼より司のほうを取ろうという考えが存在していたのだろう。翼にはそれが悔しくて悔しくてたまらなかった。嫉妬や責任転嫁だと言うことは十分承知している。だけどこうでもしないと彼自身が潰されてしまいそうだった。悲しみで胸が押し潰されそうだとはよく言われるが、脚の怪我も手伝って翼の胸は鉄の鎖で締め付けられているような痛みに見舞われた。


だがこんなところでうろうろしている暇はなかった。こうやっているあいだにも響とはどんどん離れていく。火種が燻っているような痛みはいまだ続いているが、痛みを堪えてでも走り出さなければならない。響が止めに行くといった司はかなり危険な人間だ。例え一番仲がいい響でも、たやすく殺害されるだろう。そんなこと、彼にとっては許されるはずも無いことだ。
いつも側にいるから気付かなかった支えは、失って初めてその必要性に気付く。
――ヒビ、絶対死ぬな!!俺が絶対探しにいってやるから……絶対に……。
翼が改めて決意を固めた瞬間、その決意を弛緩させるような銃声が2発ほど聞こえて来た。

「銃……声か?」
彼はどこかで聞こえて来た銃声に気付いて頭を上げた。身体の重要な器官がいつもより使えない状態にあるので、どこから聞こえて来たか判断できない。近くで聞こえたかもしれない。翼は身をよじって走り出した。それはつまり響が襲われているのかもしれない、そう思うと全力疾走に近い速さが出る。けれども右ふくらはぎに被弾しているハンデは大きい。50メートル走学年1位だった栄光はもう取り戻せなさそうだった。
銃口から発せられる光が朝方の冷たい空気を突き抜けて翼の目に映った。そしてその光の向こうに四角い太縁眼鏡と坊ちゃん刈りのよく目立つ千田亮太(男子10番)の姿が見えた。一人で銃を持って暴れ回る位トチ狂ったのだろうか、翼は怪訝な顔付きで彼のことを見たが、次の瞬間にはそんなはずがないと言い切った。何故なら翼は一度目の前で千田亮太が、翼らと同じサッカー部所属だった上条達也(男子4番)をかなりの悪意をもって殺害した瞬間を目と鼻の先で見てしまったからだ。今は何を狙っているのか分からなかったが、とりあえず自分の身を守るために周りにある竹林の一番密度が高いところに隠れた。
――ちくしょう、こっちまで来たらマジでぶん殴ってやるからな千田ァ!!
苦々しい気持ちで翼は腹ばいに横たわった。


          


榊真希人(男子7番)は後一歩踏み出せばいつでもあの世に行けるほど危険な状態だった。元々空腹過ぎて動く気にもなれなかったのが幸いして、彼は藤原優真(男子11番)に遭遇した以外は誰にも会うことは無かった。しかし彼が留まっていた場所が禁止エリアになるのと、まわりが明るくなってきたことも含めた感情が移動する気持ちを促していた。支給されたパンと水は既に底をついているから、空腹による気持ち悪さは否めない。酒に酔った中年が歩くような千鳥足で榊は蛇行しながら歩いていった。
比較的野原が多く障壁がないG-07エリアの南部まで出てくると、重く膨らんで飽和しきった雲が空を占めているのがみえた。太陽は勿論出ておらず、希望の朝と正反対などんよりとした朝を迎えていた。早く移動しなきゃ――と思うのだが、あいにく地図とコンパスを使って移動するという細かい作業は今の彼には向いていない。足が向くがままに野原を縦断していた。


歩くこと約5分ほど過ぎた。
何も考えずただ不安定な足取りのまま野原を歩いていたときだ、突然大きな風船を針で刺して割ったような単発音が聞こえてきた。榊は驚いて顔を上げたがその刹那、肩を掠る何かが通った。
「あ……ああぁあ!!」
元々引き攣った口調で話す甲高い声の持ち主である榊は、慟哭の叫び声をあげた。肩を掠ったものは白いブレザーの布ごと引ったくり、小さく赤い花を咲かせた。
またパンッ、パンッという音が聞こえた。
幸いなことにそちらのほうはどっちも当たらなかったのだが、榊を恐怖のどん底に落とすには十分過ぎた演出だった。

「あ……ああ……」
咄嗟に血が溢れている右肩を押さえた。手に温かい液体が付くのよりずっと、目の前の驚異のほうが恐ろしかった。あの千田亮太が、笑いながらこちらを見ているでないか――!!
榊にとっても、千田亮太は変な人だった。何を好んだか、端正な顔立ちには似合わない黒淵の四角い眼鏡に坊ちゃん刈り、どこからどう見ても引きこもりオタク系なのにテンションの高さだけはA組の中でずば抜けている。学級委員長だった有馬和宏(男子2番)たちと仲がよく、外見と性格とその下に隠された顔は、どれも一本の線では結べない相反した存在だった。

ふと、近くに竹林のような雑木林があるのを発見した榊は、硬直しかけていた足に鞭を打って、あそこへ走れと命令した。青々としている竹は彼にとって最強の盾のように感じた。ちょうど榊が好きなロールプレイングゲームに表すのなら、なにかのイベントの後にもらえる伝説の盾が妥当だろう。榊はそこに市村翼が隠れているなど夢にも思わず、口を吊り上げながら右手に持っている拳銃の引きがねに指をかけ、容赦ない攻撃をくらわす千田亮太から逃げるために無我夢中で走った。


まだ……まだ死にたくないよ!


          


銃声がどんどん近づいて来ている。翼は腹ばいになってピッタリ地面と平行にしていた体を少し持ち上げた。良からぬ不安が頭の中を駆け巡るが、翼は響に会うまでは決して死ねないので余計な沙汰を起こして死線を走るのは極力避けたかったからだ。頭を伏せていれば見つからないと思った。だから頭を動かそうとした瞬間、最悪の事態が起こったのだ。
「市村君っ!」
向こう側から見えるはずもないのに声をかけられた。この特長ある声色から判断すると榊真希人だろうか、そう考えたのもつかの間、すぐにまた銃声が轟いた。
かなり……近い!!
先ほど聞こえた銃声とつきあわせるとこちらのほうが断然大きな音だ。体全体の血の通いが悪くなって、器官の機能が低下していたとしても、それだけははっきりとわかった。榊の死にそうな声が聞こえてきたと言うことは、きっと千田に襲われているのだろう。先ほどは竹の死角で見えなかったのか、榊の姿は見えなかったが今はっきり、ようやく物事がつながった。千田が笑みを浮かべたまま、榊を相手に拳銃をぶっ放している、と言うわけだ。
――クソッ、上条の時といい榊の時といい……ほんっと怨むぜ千田!
竹林に身を隠してこの場を何とかやり過ごそうと思ったのが浅はかな考えだったのか、榊に大声で名前を呼ばれた以上、ここに翼がいると知った千田が彼を見逃すとも思えない。一回目に遭遇したときは逃がしたが、今度はそうはいかないと考えているだろう。


逃げろ、逃げるんだ市村翼!!自分の心にそう言い聞かせると、ぎゅっとコルトキングコブラをにぎりしめ、持ち前の瞬発力とボディバランスを駆使して俯せから立ち上がり、始めの一歩を軸足にして直ぐさま反転した。この道は竹が鬱蒼としているので、進むために掻き分けるとばさばさと言う大きな音が立つ。それでも気にせずに翼は突き進んだ。
ゴメン榊。俺はまだ死ぬわけにはいかないんだ、許してくれよ……と、心の中で何度も反芻する。結局は榊を目の前で見殺しにしてしまうと言う形になってしまった。翼にとって榊は、クラスメートであってクラスメートでなかったような疎遠な関係だったが、それでも榊は誰かの子供であり、誰かの親友であり、一人の人間なのだ。目の前で苦しんでいるなら、手をさし伸ばしてあげるのがそれを見ている人間として当然の行いだろう。それでも翼は、そうと分かっていたとしても榊を裏切る形で逃げてきてしまった。がさがさ、と言う竹の葉がこすれる音がしてくる。その音が榊の翼を呼ぶ声をかき消そうとしていた。
助けてよ、市村君!!
そう聞こえたのかもしれない。
背後から曖昧な声となって届いた救済を求める声を振り切って、翼は目を閉じながら走った。

俺は、俺は響を誰にも渡さない。他の誰にも、もちろんあの化け物にも。渡してたまるか。響は、俺のダチだ!!!
響のことを考え、榊のことは考えないようにした。人を見殺しにした自分を見て見ぬ振りをして、悪の元凶から親友を助け出そうとしている勇者の自分を、必死になって見出そうとしている愚かな自分が、いつのまにかそこにいた。

バァンッ!!

一発の銃声がして、それ以降は何も聞こえなかった。ただ、千田の高笑い以外は。
それは一つの命が弾け飛んだことを意味するなんて、翼には知る由もなかったが。




男子7番 榊真希人 死亡
残り9人



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