驟雨*Rain


「雨……」
ポツリ、ポツリと頬に落ちてきた大きな雨粒は、ひとりD-07エリアの西側、住宅街の大通りを歩いていた新宮響(男子9番)の体温を奪った。朝になってからどんよりとした空模様でいつかは雨が降りそうだとは思っていたが、時計の針が10前を指す今頃になってやっと降ってきた。雨が降ると言うことは気温が他の日よりもぐっと下がる。元々春先の3月だ、まだまだ温かいには程遠いので、雨が降ればなおさら寒かった。
響は夜中12時前ほどに遭遇した蓮川司(女子9番)を追ってこのエリアまで来たのだが、途中で見失い、探しているうちに夜が明けて昼も近くなってしまった。この近くには分校を含む禁止エリアのC-06があるので、うかつに探し回ると禁止エリアに入って死んでしまう恐れがあったため、とりあえず住宅地のひとつの家にお邪魔し、夜を越させてもらった。想像をはるかに超える普通の住宅街だったおかげで、寒さに凍えながら寝る夜は回避された。毛布などもさり気に用意してあり、本当に今しがた誰かが住んでいたような景色が思い浮かばれる。


彼が司を探している間は、本当に無我夢中だった。プログラム開始早々、幼馴染の少女は彼の目の前で、長刀片手に設楽聖二(男子8番)をいともあっさりと殺害してしまった。そんな彼女を止めるべく、親友の市村翼(男子3番)と合流してこの広いエリア28内を探して歩き回った。そうやってようやく遭遇したが、このときもまた彼女は、響の目の前で藤原優真(男子11番)を不意打ちで殺害する。そのとき「待てよ!」と声をかけたのだが、当たり前のように逃げてしまった。
響はそのとき、何かひとつの確信を持って司を追いかけていった。自分が現れたことで妙なうろたえの様子を見せて、どこかはじめの頃と似通った、混乱した様子が見られた。家が隣で、幼稚園からずっと一緒だった司を、自分なら今止めることが出来る、そう考えた瞬間、響は走り出していた。
そうして彼女のあとを追いかけ、そして姿が闇に溶け込んで見失ってしまって初めて、それは自分の思い違いだったのではないだろうかと振り返ってみた。自信過剰に、自分なら何かが出来ると思ったことを響はそのとき改めて恥じる。
結局、司を取り逃がし、行動を共にしてきた頼れる翼ともはぐれてしまい、手元には万が一のことを考えた上で持たされたコンパスと地図、鉛筆、名簿以外、何も残ってやしなかった。

――ごめん翼、今どこにいるんだよ?もう一度合流したいよ……。


一晩置いたので腹も減ってきた。しかし食料を持っていないためにこの空腹感は満たされることはないだろう。そういえばいつだかの放送で、夏葉翔悟(担当教官)が『住宅街にいいものが眠っている』と言っていたのを思い出し、睡眠をとる前に家の冷蔵庫を開けてみたが、どうやら外れだったようだ。冷蔵庫の中身は空っぽで、プラスチックの新品らしい臭いがした。プログラムのルール上、電気が通っていないのだ、使われるはずもないだろう。
今一度響は空を見上げてみる。もう一度家に避難して、雨が止むまで待ってみるか、それとも頑張って司を探しに行くか、もしくは翼を探しに行くか――生きる目的は、その3つに絞られた。
他の友達に会おうと思えば出来るのだが、どうしてか、そういった欲求は起きてこなかった。今生き残っている男子の、榊真希人(男子7番)を除いたクラスメートは皆、男子主流派で響とも仲がよかった。工藤依月(男子5番)郡司崇弘(男子6番)には既に1回会ったが、他のクラスメートには分校で分かれて以来(と言っても、響の出発は早かったので、ほんの少ししか見ていない)、一度も目にしていない。おそらく拉致される前、音楽室に集合したのが最後の風景だろう。あのときはまさか、こんなことになるなんて夢にも思っていなかったけれど――卒業式3日前と言う気楽な日程に身を浸していた、あの時が蘇ってくる。
――卒業式……そうだ、俺たち、受験も全部終わって、あとは卒業するだけだったんだっけ……。


雨脚が強くなってきた。コンクリートを打ちつける雨の音が、サアアと響の鼓膜を打ち、哀愁ただよる雰囲気を膨張させた。
上を向いたまま、響はどこかに雨宿りすると言う手段を忘れて、ひたすら頭から雨を浴びていた。この雨に濡れてしまえば、すべてを洗い流せると思っていた。この雨が上がってしまえば、すべては虹のように美しく消えると思っていた。ただ、そう思い込んでいるだけで無為に時間が過ぎようとしていく。


『あー、あー、テストテスト。本日は雨天なりー。おらー、聞こえるかガキどもー』
雨音と一緒にノイズ音が耳にはいってきた。響はハッと我に返り、左右を見渡す。こんなところでのんきに立っていて、もし誰かに見つかって襲撃されたら(もちろん、そんなことは決して無いと信じたい)元も子もない。彼は急いで近くの家の玄関の軒下まで走った。
この住宅街にもスピーカーはあるようで、夏葉翔悟のだらけた声が間延びしてエコーがかかるため妙な不協和音を奏でつつ聞こえてきた。その声が夏葉のものだと分かるまで、数秒要したくらいだ。
『はいはいはーい。オラ、ちゃんと聞けよー? えー、つい先ほど榊真希人が死亡したんで残りはついに一桁の9人になりましたーイエー。で、そこで本題なんだけど、お前らのプログラムをちょいと早めて、優勝した奴が晴れて卒業式にでれるっていう感じにしてやろうかと、この優しい優しい夏葉先生は思いましてねぇー。んで、ちょっとお前らの動きを制限させてもらうことにしたぞー』
一度そこで一拍置いた。

榊が、死んだ?
ゲーム好きな小柄で、少し引きつった特徴のある話し方をする榊が、もうこの世の人ではないと言うことに衝撃を受けた。榊だけではなく、響は放送ごとに告げられる新たな死亡者の名前を聞いては、衝撃を受けていた。皆、殺しても死にそうにもない人間ばかりだったはずなのに、誰もが何も言わず死んでいってしまった。
そうやって人間はみんな、誰にも知られず静かに死んでいくのか。俺も、いつかそうなっちゃうのかなぁ……。
柄にもなく響はそんなマイナス思考に走った。


『えーっと、これから30分後にG-04、G-05、H-04、H-05以外のエリアをすべて禁止エリアとするからな!!』
4つのエリア以外を、すべて禁止エリアに?――また響は後頭部を直接殴られたような衝撃を受けた。だとすれば響のいる場所は当然のごとく禁止エリアとなる。急いで移動しなければ首が吹っ飛ぶと言うことか。いやしかし、何よりも……4つのエリアが正方形の形を作っている。それは行動範囲が実に400メートル×400メートルと言う狭い範囲になってしまうと言うことを意味していた。誰かに遭遇する確率がぐっと増える。それは、その分翼や司に会う確率も増える、と言うことだろう。
『いいかぁー、一応お前らに支給してある時計は全部あわせてあるからずれはないと思うけど、今がぁ……9時50分近くだから、そうだな、10時半ぴったりには全部禁止エリアにすっから、とりあえず死にたくないやつは移動してくれなー』
あまりに無責任なその指令は、出すものだけ出して消え去ろうとしていった。この指令を司や響に逢えるかもしれないと言う幸運に取るか、別の誰か、人を殺している人と会うかもしれないと言う不安に取るか、そればかりが気がかりだった。
『じゃっ、残り9人だけどしっかり殺し合って家に帰ろうぜ! あばよー』
ぶつっと言うノイズが切れる音と、雨の音がまた重なって、しばらくすると雨の音のほうが一層強くなってきた。ザアアアという音は容赦なく叩きつけている。


行こう、ぼやぼやしている場合じゃないみたいだ。
響はポケットに入っていた地図を開き、今いる場所と禁止エリアにならないといわれる4つのエリアの距離を確認した。今いるD-07から南に3つのエリア(つまり600メートル)を過ぎ、それから西へ200メートル行く。この場所が禁止エリアになるタイムリミットまであと35分ほどある。余裕を持って移動したいし、万が一のことを考えてもここから走っていくほか方法は無かった。とりあえず住宅街の南にある大きな道路沿いに走り、それから海岸沿いに走っていけばいつか海の家があるエリアに入る。そこは禁止エリアにならない場所だ。目印があるだけ幸いである。
さっそく響はコンパスを見つつ雨宿りしていた屋根の下から飛び出した。小学校2年生のときから続けてきたサッカーは走る競技なので、こうやって雨に打たれて走ることもそれほど苦痛ではなかった。雨の中試合をやった事だって何度もある。白いブレザーを雨がぐっしょり濡らし、潜熱で体温を奪っていくのが徐々に感じられるようになったが、構わず彼は走り続けた。

走りながらずっと響は物思いにふけることとなる。それは蓮川司が背中に大きく黒い羽を生やし、泣いていた夢のこと。足に銃撃を受けたのに、それをそのままにし置き去りにしてしまった翼のこと――大雑把に分類してしまえば3つあった。司のこと、翼のこと、その他のこと。実に単純明確で分かりやすい性格の彼らしい考えだった。しかしやはり、一番強い想いは司を止めなければ、と言う使命感だ。


君に会うためなら、なんだってやってやろうと思った。
君に会うためなら、なんだって捨てようとさえ思った。
だけど俺はまだ子供だ。
努力の仕方も、捨てられるモノも知らなかった。
つぶやいた弱音は誰にも届かない。
死と生の実に簡単な境界線は、今もなお、はこびよる。
だとしたら俺と君の境界線は?
二度と交わることない平行線
これは君が俺に向けた、言葉のつるぎだ。
守り方さえ、分からない。


雨が急に、強くなってきた――



残り9人



Next / Back / Top



SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送