孤独*Bubble


片足の自由がそろそろ失われつつある。だけれども完全に失ったわけじゃないので、極力被弾した右足を庇いながら市村翼(男子3番)は歩いていた。10時半に一部を除くすべてのエリアが禁止エリアになるという臨時の放送が入り、『冗談じゃない!』と思った彼は、できる限り早く歩いてきた。G−07という比較的近い場所にいたからよかったものの、もしもっと遠い場所にいたなら、おそらく今頃首を吹っ飛ばされていただろう。右足の自由が利かないのでそこら辺で拾った太い木を杖代わりにして必死に無事なエリアまで走っていた。学年1位と言う俊足を誇る彼だが、このときばかりは学年ビリにも劣る速さで歩き続けていた。

カッコ悪……――木の杖がなければ満足に歩くことも出来ず、さらには灰色のズボンは血で真っ赤に染まりどす黒くなっている。白いブレザーに灰色のズボンを男子の制服としている高原第五中学校に入学した頃から他校の黒い学ランにも憧れたものだが、こんな汚い色のズボンに憧れた覚えはない。
地図にも書かれている太い道に沿って南下し、海の家が見えたところで足を止めた。海岸線のところで一旦地図を開き、回りの景色と照らし合わせる。何もない、すべてが黒に近い灰色の砂浜のエリア。東京都のほうの埋立地では人口の砂浜を作ったとニュースでやっていたが、そのとき見た黒っぽい砂浜の画像と酷似している。どちらかと言うと砂浜と言うより巨大な砂場だった。とりあえず時間内にはたどり着くことが出来たのでほっとする。時計をもう一度確認したが、10時16分を針がさしていた。
彼はふと、こんな見渡しのいい場所なら夕方にでも決着はつくのだろうと予想してみる。身を隠すところもないから、万が一銃撃戦にでもなってしまえばかなりしんどい。


そう、決着をつけなければならない。残りのクラスメートはわずか1ケタ台になってしまったが、これに便乗して優勝しようなどと言う気は今の彼にはさらさらなかった。ただ、彼は切実に2人の人間に会いたいと思っていた。1人は新宮響(男子9番)、彼の小学校2年生以来の親友だ。そしてもう1人は蓮川司(女子9番)。出来るなら殺してやりたいと切望している。彼の人生、人を振り回してきたことは幾度となくあったが、ここまで振り回されることはなかった。何もかもが思い通りに行かないのは、非常に腹立たしい。彼の性格がそう憤怒した。

いつの時か新宮響が翼の目の前で『俺なら蓮川司を止めることが出来る』と示唆したのと同じように、翼も『俺なら新宮響を探し出すことが出来る』とどこかで自負していた。だが思った以上に足の被害は大きく、止血したにしろ銃弾により筋肉が引きちぎられているのだから、満足に動かせない。自慢の足は、もう使えそうになかった。足が使えなくなった以上、もしも仮に万が一優勝しても中3の秋から決まっていたスポーツ推薦は当然のように破棄しざるを得ないだろうし、サッカーとの別れも到来する。スポーツ推薦だったのでほぼ98パーセント高校は確定していたから勉強もしなかった。頭のよさで別の高校に行くのも無理だろう。とにかく彼にはサッカーしかなかったのだから。
こんな誇り高い足を犠牲にしてまで、失いたくなかったのは友達。いつもそばにいたからこそ気付かなかった、大切な仲間。


          


『こんちゃーっす、夏葉先生の放送の時間でーす。お昼の12時ですぜーィ!元気にしてるかガキどもぉー』
このやる気のないうなだれた声は翼にとって身体に毒だった。夏葉翔悟(担当教官)のだらけた声がエリア28ないに響き渡る(と言っても聞いている人間は400メートル四方のエリアのどこかにいるのだが)。定時放送――時計を見て今が昼の12時であることを確認した。翼はとりあえず移動をやめ、海の家の陰に隠れて人に見つからないようにしてから地図と鉛筆、名簿を取り出す。神様仏様……もう誰でもいいから、響の名前だけは呼ばないでくれ……!!――そんな願望と共に彼は鉛筆をぎゅっと握った。

『うっし、じゃぁ早速新しく死んだクラスメートの名前言うからなぁー。しっかりメモっとけよー!えーっと、男子5番、工藤依月男子6番、郡司崇弘!以上2名ー!あ、さっきの臨時放送でもいったと思うけどもう一回言っとくわ、男子9番榊真希人!』
そこで夏葉の息が一旦切れて無言になったのを聞いて翼は大きな大きなため息をついた。よかった、と思いながら工藤たちの名前にバツ印をつける。だが3人分の名前に印をつけてからハッと我に返った。

俺、何やってるんだ……?

工藤と郡司は一度だけ遭遇している。クラスでも仲のいいグループで、いつも話したりしていた。特に翼は頭がいいとは嘘でもいえないので、よく定期テスト前なんかには彼らに泣きついて勉強を教えてもらった記憶もある。本命私立高校の入試試験の前日でさえ、先に別の私立高校入学が決定していた工藤に一夜漬けで教えてもらったものだ。サッカー推薦が決まってたとはいえ、あまりの内申点の低さに担任でもあった夏葉翔悟に『お前、絶対落ちる。これで落ちなかったら奇跡』とまで言われたくらいだ。ポッキーとアヒルが大行進している中、体育だけ5だった通知表を思い出す。焦りを感じたのは入試1週間前だというものだからとんだお笑い草だ。結局、努力と徹夜のおかげで何とか合格したものだが。

榊真希人(男子7番)にしても、目の前で助けを求めていたのに見殺しにしてしまったと言う罪悪感が再び蘇ってきた。千田亮太(男子10番)に追われた小柄な少年の助けを振り切り、翼は己の目標のためとしてその救済の願望を拒否した。その結果、彼はおそらく千田に殺されたのだろう。彼もまた、死んでしまった。

むやみやたらと人が死にすぎて、死ぬと言うことに理性が麻痺してきたらしい。翼は無意識のうちに引かれた3人のバツ印にもう一度線を引く。今度はしっかり彼らは死んでしまったんだ、と念を押しながら線を引いた。これでまた、3人のクラスメートがいなくなってしまった。残りはなんと7人。
『ういっし、じゃぁ次は禁止エリア――って行きたいところなんだけど、もう既に4つのエリアに絞られてるからいいよな? じゃ、残り7人! しっかりやってくれよなー』
電源を切るようなノイズ音が一瞬して、放送は短く終了した。


あと7人――その中には翼が必死になって探している新宮響も、殺したいほど憎んでいる蓮川司も含まれている。そして以前翼が気に入っていた柏崎佑恵(女子3番)の名前もまだ線を引かれないままとなっている。

翼はほんの数日前の、3学期になって転校してきた隣の席のクラスメート、柏崎佑恵のことを思い出した。顔も良し、性格は冗談交じりのナルシストだがいい奴。そんなイメージがいつもあとをつけていた為に今まで万人に受け入れられていた翼が、唯一拒否の意を示されたのは初めてで、それは怒りとかよりもむしろ新鮮さを感じるところだったらしい。それから翼は佑恵に話しかけてはその楽しい感覚をもてあそんでいた。
懐かしいな、馬鹿みたいだったけど――いつの間にか渇望していたものが摩り替わっていた。この自然さに翼は苦笑する。


そろそろ移動しなきゃな、と思い、彼は松葉杖代わりの枝を使って立ち上がった。雨の降っている砂浜は妙な感触で、黒い砂がじゃりっ、と音を立てた。もっとリゾート地のような綺麗な砂浜だったら、どれだけこの憂鬱な気分を吹き飛ばしてくれただろうか。しかし現実は灰色がかった砂浜。どこまでも憂鬱を深め、むしろ助長するような景色が翼の眼球を包む液体に映し出された。テレビドラマでよくある傘もささずに歩くシーン、それは案外大儀なことだということを知った。手からは感覚が失われる。全身から徐々に体温が奪われていく中で、体の奥底ではどうにかして体温をあげようと葛藤している。繰り出される足に命令を出したのはいつだか覚えていない。吐く息は常に白く、鼻先が赤くなっていくのを感じられる。モノクロームの空を見上げてはいつか雨が止むことを望んだが、雨天が晴れて希望が見えそうな予兆は何一つ残されていない。寒気を帯びた風だけが、必要以上にいたぶる。


行ったり来たりを繰り返す波の海岸線に沿って歩いていると、ふと何か白いものを見つけた。黒に映える白は、時折海風に煽られて動いたりする。海の家がそのすぐそばにあり、それらのことを眺めるかのようにずんと建っている。翼はすぐにその白いものが何か分からなかった。コンタクトレンズは2週間使い捨てのものなので夜間は保存液に入れておかないと心持くもって見える。もちろん保存液など彼が持っているはずもないので、夜通し寝る事もなかった彼は今までずっと同じコンタクトレンズを目の中に入れていた。そのためか、妙に視界がぼやける。その白いものが最初何か分からなかった。

しかし疑問を持った彼が人間が生まれつき持っている好奇心とやらに急かされてそれに近づいたのが、思えば衝撃の始まりだった。
翼は何かわからないそれを確認するために、右手にコルト キングコブラを持ち、安全装置をはずしたあと左手で掴んでいた松葉杖代わりの木を駆使してその物体に近づいた。少し近づくとその数が2つあることが見えてくる。
海風に流されて雨が横殴りのものと化した。雨は暴力を降るかのように翼の身体に降り注いでは、すべてを奪っていく。どこかで眠っていた理性もまた、奪われようとしていた。

「……工藤?」
白い物体が2つ並ぶその場所から4メートルほど離れたところで、翼は足を止めた。緊張の糸をぷっつりと切らしたひょうしに左肩にかけていた支給バッグが腕からするりと抜けた。どさっと砂浜に地面が落ちるのと同時に、彼の膝も砂浜に埋まった。
「タカ、嘘だろ?」
目の前にあった2つの白い物体――それは工藤依月郡司崇弘のものだった。そう、たったさっき放送で名前を呼ばれた2人だ。
カラカラ、と軽く音を立てて転がる木が砂浜の坂道を下っていく。目の前にある2つの遺体には雨が容赦なく叩きつけられ、流しきったであろう血は彼らを取り巻くように丸く広がっていた。それはまるで、雪に浮かぶ赤い椿を反転させたような情景だった。


死んだ。工藤とタカが、死んだ。
目の前で上条達也(男子4番)が千田亮太に襲われて殺された時には、翼は必死に自分と響が逃げ、そして生き残るためばかりを考えていたため、満足に上条の死をいたわることも悲しんであげることも出来なかった。ただ、ふとその数時間後上条のことを思い出しては実感のなかった友達の死を雲をつかむような空虚な思いで感じていた。
混乱して襲ってきた藤原優真(男子11番)もまた、目の前で蓮川司に殺された。そのときも上条のときと同様、生きるため、響を守るために必死になっていたために友達の死をいたわる暇さえも見つけられなかった。
だけど今は違う。目の前で身体を打ち抜かれて倒れている二人をこうして何もない自分が見下ろしているこの場面は、今まで彼の知らないところで死んでいったクラスメート達の死が、一気に凝縮して出来上がったような気がしてならなかった。今まで翼が目を逸らしてきた死と言うものに正面から触れ合ってしまったことで、忘れようとしていた何かがもう一度蘇ってくる。
人を見殺しにした自分を見て見ぬ振りをして、悪の元凶から親友を助け出そうとしている勇者の自分を、必死になって見出そうとしている愚かな自分が、また再び現れた。そんなことをして救われるのは誰だろう、果たして自分か?と自問してみるが、答えはやはり見出せない。勇者の自分を探し出せないのと同じように、誰が救われるのかすらも分からなかった。


「ごめん……」
膝をつき、その次に手を砂浜に付け四つんばいの形になった。ぽたり、ぽたりと雨に混じって何かが頬を伝って地面に吸い込まれていくのを感じた。
いつ以来だろうか、こんな悔しい思いをしたのは。


中学校最後の夏大会。それは県大会でのベスト16決めの試合だった。
後半33分、味方の中盤にカウンターを出され、誰もいないエリアにボールが落とされた。俊足を誇っていた翼と相手方のディフェンダーの一騎打ちとなり、彼はその足で見事ボールに追いついた。その瞬間ゴールキーパーが飛び出してきたので、うまくトラップで足元に落とすと、ゴールキーパーを振り切ることが出来た。
『楽勝ッ』
オフサイドフラッグは上がらず、目の前にはただ無人となったゴールが毅然として構えているだけだった。誰もが歓声を送る中、これを決めれば逆転ベスト16――絶対に決まるであろうシュートにかこつけて、翼はちょっとした遊び心を目論んだ。今まで一度も打ったことないが打ってみたかったシュートフォームでシュートを打とうとしたのだ。
これを決めれば歓声は自分だけのもの、そういった傲慢な態度がボールに当てる足にちょっとした力がこもる結果となり、ボールは見事ゴールバーの上をすれすれで越えていった。
歓声は落胆のため息となり、味方は誰もが彼に絶望した。口先では「ドンマイ」と言いながら、それでも心の奥底ではカッコつけるからだよ、とさげすむ。結局その試合は引き分けとなりPK戦でかろうじて勝ったが、顧問からは激怒され、その次の試合は出場を許されなかった。1年生の時にあった新人戦から培ってきた連続試合先発スタメンメンバーであった功績が、音を立てて崩れ落ちた。

翼が出なかった次の試合は3−0でボロ負け。結局高原第五中の3年生の代は県大会ベスト16の成績を残して幕を閉じた。翼はその幕を、ベンチで引いた。エースナンバーの11を付けておきながら、彼はベンチでそのナンバーを脱ぐこととなったのだ。あのときの涙の色は、今でも忘れたことがない。
悔しかった。人生の汚点だった。きっと将来いつどんなときにでもこの話は笑いの種となって、他愛ない思い出話に花を咲かせるに違いない。サッカーに関しては誰よりもプライドの高かった翼が、そんなことを許すはずも無かった。エースナンバーを背負い、サッカー推薦の話まで来ていた彼が、だ。

そんな悔しさよりも勝る悔しさが、ここにあった。少なくとも引退試合の時には自分のおごりのあまり試合をめちゃくちゃにしてしまったと言う自分に対する悔しさがあったが、今この場にあるのは、どうしようもない人間の死に対する悔しさだった。どんなに頑張っても覆すことが出来ない、もう元に戻らないもの。例えるならガラス細工。繊細なまでに美しいそれは、崩れてしまえば何の価値も示さない。崩れて初めて分かる命の重さ。生きた人間が死んだ人間をいつくしむ常套句が心の中に現れた。

この悔し涙は、明らかに引退試合のときに流した涙とは異なっていた。どうしてか、もっと濁っているように見えるのは。


「ごめんな、ほんとごめん……」
見殺しにした上条や榊に向けてか、それとも失って初めてその大切さに気付いた友達に向けてか。やりどころのない無念は、翼のパッチリとした瞳から悲しみの象徴となって流れていった。
目の前で倒れる2人の顔を見るだけの余裕はなかった。見たら見たできっとまた涙がこぼれそうになるからだ。
友達を失うことは、身がよじれるほど辛い。だから彼は、もう一歩歩き出さなければならなかった。
親友にして、一番そばにいてくれて、支えてくれた友達を守るために。


翼は力なく歩き出した。



残り7人



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