委結*Fetters


「ぐっ……っう……!!」
何が起きたのかわからない、という状況が市村翼(男子3番)の脳裏に生まれた。とりあえず彼は痛みを感じた方に目を向ける。黒い柄のついたサバイバルナイフが深々と腹部の下のほうに突き刺さっていた。たまらず喉の奥から込みあがってきた液体を口から吐き出す。それは赤い色をして、鉄のにおいを含んでいた。
彼がもし、少し医学に精通していたならその状況がどれだけ死に至る確率が高いか知っていたかもしれない。しかしただでさえ中学校の勉強もままならない彼には、腎臓、下背部の辺りをナイフか何かで刺し貫くと、際立って苦痛が大きく、感覚が完全に麻痺して速やかに死亡するということは、もはや未知の世界だったようだ。
「バイバイ! 頭の足りないナイト!」
身体の動きが衰え、ナイフを深々とさした張本人の蓮川司(女子9番)がはき捨てた台詞さえ聞こえないくらい感覚をすべて奪われた翼は、彼女に突き倒されて砂浜に転がり仰向けに倒れる。
嘘だろ、マジかよ。おい、誰かこんな展開知ってたのか?恵、光、父さん、母さん、俺はこんな奴に殺されそうだ。ほんと不甲斐ないよな……!!

「化け……も、のが……ぁっ!!」
そう叫んだあと、もっともっと何か他の事を言いたげに口をパクパク動かすが、口から漏れるのは息ばかりで、気温が下がった春先の白い水蒸気と成り代わった。そんな哀れな姿を見て司はぎこちなく笑う。すぐさま翼の手から離れたコルトキングコブラを握ると、引き金を引いた。


パァンッ!!パァンッ!!
彼の身体が2回、痙攣を起こしたかのように跳ね上がる。そしてしばらくすると、動かなくなった。
市村翼と遭遇したことで、もはや絶対的優位な常態は永遠ではないことを知った彼女は、急に足から力が抜けてどさりとぬれて冷え切った砂浜にしりもちをついた。


はぁっ、はぁっ、はぁっ……
必死に自分を落ち着かせようと呼吸を繰り返すのだが、なかなかうまくいかない。苦しい息だけが漏れ、自分も市村翼も等しく死の瀬戸際にいたことを改めて実感した。銃口が向けられ、彼の指が引き金に掛かった瞬間、情けなくもうダメだと思ってしまった。一瞬の迷いさえあった。おそらく最初で最後の瀕死体験になっただろう。窮鼠が虎を噛むようなことは絶対にあってはならない。
それでも司が生きる方向に一歩リードした理由は、やはり人を殺すことに躊躇いを感じるかどうかの感情の問題だった。一刹那の戸惑いさえ命取りになる。改めて確認した。
このプログラムではたった31人なのだ。総人口約63億人のうち、たった31人死ねばこのプログラムは終了を迎える。だけど世界中のどの貧民よりも酷い死に方をする。友達だと思っていたクラスメートに命を奪われるからだ。
けれども友達に銃を向けられるか?――そんな躊躇いを持たなければ、この世界を生きていくのも容易いらしい。要はすべてを捨ててしまえばいいのだ。
司にはそうしなければならない理由があった。彼女には野望があったからだ。家族に嫌われ、疎まれて、世の中に母親しか味方がいないと思っていた絶対零度の氷の彼女には、ゆるぎない意志があった。もし市村翼にこの話をしていたら、きっと『悲しい奴。オメーが嫌われる理由もわかる気がするぜ』と嘲笑されたに違いない。

『司、油断しちゃダメよ……』
ハッと彼女は我に返った。耳元で囁くように聞こえたのは、敬愛する母親の声。間違いなく、そうだった。いるはずのない、既に他界した母親の声が聞こえた――司は立ち上がって周りを見渡す。誰もいない砂浜が広がる。海辺では、ザザーン、ザザーンと言う波の音が繰り返し奏でられていた。

そうだよ、まだつかさにはてきがいるんだ!はやくころさなきゃ、はやくころさなきゃ、はやくころさなきゃ!

彼女はすぐさまそこに放置されていたキャリコM950の本体を掻っ攫うと、今まで走ってきた道をUターンした。目指すはもと相澤圭祐(男子1番)たちがいた海の家。そこに行けば司のバッグが置いてあり、キャリコの補充の弾50発と、ザウエルが入っている。残っているのは司以外に千田亮太と新宮響。おそらく次の相手は千田亮太だろうから、司は拳銃を用意しておく必要があった。

つかさはまけないよ……だって、まだおにいちゃんたちころしてないもん!

彼女は空を仰ぐと、疲れ果てた表情をもう一度笑みの形に作り変えた。



雨はまだまだ降り続いている。それらは傘を持たない弱い人間たちの服を濡らし、体温を昇華させ、抵抗力を奪い、判断力を下げてゆく作用を起こしている。驟雨と呼ぶには降っている時間が長すぎるが、春雨と言うには強い。まるで何かの罰のように、彼らからすべてを奪っていくようだった。
司は左肩の出血を必死に抑えながらもようやく武器の入ったバッグを隠しておいた海の家にたどり着いた。海の家のちょうど納屋にあたる場所に置いておいたのだ。どうやらこの現場を千田亮太(男子10番)に発見され、武器を奪われるかもしれない、という心配は無用だったみたいだ。彼女はすぐさま持ってきたキャリコに残り50発の弾を装着し、ザウエルP228の予備の弾をポケットに入れた。

あと2人……あと2人殺せば私は優勝できる。
もう優勝が目前に控えていた。怪我の痛みはいまだ続いているが、優勝への恍惚に比べればそんなもの苦痛とも取れなかった。優勝したらまずは――今まで考えに考え連ねて編み出した最低最悪の復讐方法を頭の中で反芻する。もう既に、彼女のシナリオは完璧に近かった。あとは優勝するだけ。司は目の前のことに集中しようとし、情報機のスイッチを入れ、千田亮太の居場所を確認した。
南東40メートルのところにあるもう一軒の海の家の影。最大まで確認したところ、千田亮太はそこにいるらしかった。40メートル、司の全速力で持っていけば10秒ほどあれば十分につく。そこから一気に狙撃、一発で決める。充電してください、とやけに充電の消耗が早い情報機の電源を切って、キャリコの引き金に手をかけながら司は走り出した。


               


雨で一旦はやわらかくなり、風で氷のように固くなった砂が、司の足元でざらざらと音を立てた。音を立てれば気付かれると思ってはいるのだが、それでも早く着くことに越したことはない。彼女は目標の海の家の角を曲がり、引き金を引いた。
ダダダダダッ……
しかし視界に入るのは何もない場所。司はすぐさまその角からはなれ、情報機の電源を入れた。ピコン、と音が鳴ってから☆超高性能情報機☆の文字がゆっくり表示される。――ああもう!遅い!イライラしながらもとりあえず眼前の海の家を視界に入れた。片手で分布を選び、決定ボタンを押す。画面の中央には司を示す赤いマークがついていて、すぐそばに敵を示す青いマークがついている。それも、司がいるほうと反対側の角に当たる場所に。

――ガキか。
小さく舌打ちをした。よく鬼ごっこなどをして遊ぶとき、2人の間に何かがあると、永遠にいたちごっこをしていつまでも鬼が相手を捕まえられないときがある。あれと同じ現象が起きているのだ。
千田が逃げている……?
特別彼のことをよく知っているわけではないから、逃げない理由も見つからないが、逃げる理由も見つからない。とにかくこのいたちごっこに終止符を打つために、司は立ち上がった。逃げるなら、追うまでだ。ただし後ろからの狙撃には十分注意して。
千田亮太が考えそうな馬鹿な案だった。クラスでもいつも素っ頓狂なことを言い出しては、授業が中断する。それが日常だったから別に違和感はなかったが、司はたいしたアホだと思っていた。だけど彼は単なるアホではなさそうだ。少し知恵のある――冷静に事を見るくらいの能力はあるようだ。

ザッ……
ダダダッ……
足音に反応して司はすぐさま引き金を短く引く。あまり長いこと続けているとまた銃弾が切れてしまいそうだ。
もしかして、それを狙ってる?
弾切れ狙い、だとしたら千田亮太をアホと照合するのは今からやめようと思った。だが冷静さでは司のほうが一枚上手だったようだ。彼女は周りの様子を見ながら、キャリコのらせん状マガジンから弾をすべて抜き取った。足で砂浜に穴を深く掘り、9ミリパラベラムの弾をすべて埋め込む。そして派手な音を立ててキャリコを投げ捨て、更に走った。
ザッザッ……と言う足音がしても今度は撃ち返さない。我慢勝負だ、と自分に言い聞かせて司はキャリコに背を向けた。


パァンッ!!
ほらきた、といわんばかりに銃声が響き渡り、司はダッシュで海の家から離れる。とにかく走って、弾をよけることが先決だった。案の定、痺れを切らしたらしい千田亮太が追いかけてくる。
「この時を待ってたんだよね、我等がクイーン☆」
やっぱりただの馬鹿だぁ……。
司が予想していた通り、千田は彼女の弾切れを待っていた。先刻のやり取りを見ていたのだろうか?弾がないことは見て取れるはずだからだ。
嘲笑しながら司は後ろを振り向いた。拳銃を構えてこちらに飛び掛ってくる千田の姿が見えたが、彼が引き金を引くより一瞬早く、司の指のほうが早く動いた。
バンッ!バンッ!バンッ!……!――最終的には10発の薬きょうが排出された。おそらくその間に千田の悶絶する絶叫が轟いたのだろうが、司の耳には届いてなかったらしい。撃たれた拍子に指が引き金を引き、1発ほど千田の拳銃から火花が散ったが、見当違いのほうへ飛んでいってしまった。


「いち……に、さん……よん、ご、ろく……なな」
10発の銃弾を千田亮太に向かって一斉に撃った司は、倒れたまま動かない千田亮太を見下し、その白い制服に咲いた赤い花の数を数えていた。
「10発中7発……イマイチ……かな」
むぅと口をへの字にゆがめる。それと同時に千田が右手に持っていたベレッタ84を足で蹴っ飛ばした。黒い物体はどこかへと飛んでいく。
「ヘイ、クイー……ン?」
司の靴をぎゅっとつかむと、千田はあっけなく倒れたまま口を開いた。代名詞ともいえるあの古臭い眼鏡はどこへいったのか、今はその色白の顔ににごった黒い碁石のような目がぽんと置かれていて似合わない。
「……そんだけ……当て、といて……致命傷に、なってないって……いうのも……どう……か、と、おも……ぜ?」
千田が口の端から血を流しながらそうつぶやいた。どうやら10発のうち何発かは肺に当たったようだ。銃弾が入った部分は見事に穴が小さいのだが、背中側からの大量出血を見ると背中に開いた穴は相当なものだろうと思われる。放っておいても、血液の80%を失い、死に至る。先ほどまで狂喜を楽しんでいたようにも見えるが、今は果たしてどうだろうか?体内中の血液がどんどん流れ出ていくので、徐々に自分が死に近づいていることも分かり、恐怖に怯えるだろうか。


「あらら、綺麗なお顔がずいぶん赤くなっていますが、よろしくて?」
軽く腕を組み、見下す司は勝者の余裕から少し冗談をほのめかした。千田は眼鏡が無い自分の顔に自身の血が飛び散って汚くなっていることを示唆しているのだろうと、かすかながらに残っている思考回路で感づいた。ふっと息を吐いて呼応する。
「まあ、ベレッタ84だけで5人殺したのは素直に尊敬する。だけどもう年貢の納め時?」
こらえ性のない性格が結果的には死を招いた。その事実は忍耐力も時には必要なんだと教えてくれる。意図もあっけない、まるで彼の繰り出す冗談のように、さっきまでピンピンしていた人間が息絶えようとしている。これもまた、現実だった。千田は指一本動かせない状況に笑いさえ込み上げてきそうだった。いっそ一思いに脳天を打ち抜いて殺してしまえば、どんなに楽だったか。しかし彼は今の苦しいままでもいいとさえ思った。なぜなら、求めていた死の痛みが、そこにあったからだ。

「でももう弾切れだったのね。あれがラストの一発だったのかしら?……違うか、もう一発残さないととどめはさせないからね」
息することもままならないが、かといって死ぬこともできない。千田は必死に無言を答えとして返す。
「ククッ……もぉ、俺ダメ……」
げほげほと咳を繰り返しながらそう言い切った。それにもかかわらずいまだ表情は笑みを作っていることに彼女は疑問を抱いた。
「……苦しくないの?」
「……べぇーつに……。だっ、て、俺が……ほ、欲しかったのは、こぉいう……リアル感。痛くても……嬉しいし、楽しい」
狂気の沙汰とはまさにこのことか、と司は人の事を言えないが冷笑した。千田が追い求めていたのは結局優勝したいと言う気持ちではなく、ただ単にリアルを求めていただけ。司とは意志の固さが違った。それでも残り3人まで拳銃一丁で駒を進めていたのは実力の賜物と言えるのだろうか。それとも、人が死ぬリアル感に駆り立てられた底力というものなのだろうか。


「蓮川……だ、って、人殺……すの、たのしーでしょ?」
口のはしから血を流しつつ、彼は目を細めてにしし、といたずらっぽく笑ってみせた。もうそんなことをするだけの体力は残されていないはずなのに、それでも千田は笑い続ける。この能天気さにはいささか笑いさえ込み上げてきそうになった。世を渡り歩くには、こういうずぼらで鈍感な才能も必要なのかもしれない。
「そうね……もう、誰が死んだって悲しくなんてなくなっちゃったから……」と彼女は軽くあしらう。
千田の事を見下した。雨が無抵抗の彼をひたすら叩きつけては、血を余計に流させる。流れた血が水で薄められ、綺麗な赤になっていった。彼女はこの血を何度も見てきた。同じように千田も何度も見てきた。


「……レディジョーカー、蓮川は……、クイーンじゃ……なかった」

光のないうつろな目が、こちらを必至に向こうと頑張っている。なぜ眼鏡をつけていないのだろうとすごく疑問に思ったが、一瞬にして吹き飛ばされた。
「それは残念。女王もいいかもしれないけれど、私は神。死と全能をつかさどる人間……私は、アドルフ・ヒトラー」
久々にヒトラーの名前を出した気がする、とひとり心地つぶやきながらも、彼女は銃口を千田のほうへと向けた。
「ユダヤ人は、ガス室に送られて、苦しんで死んでいくの。それが第三帝国を脅かす影の逝き先」
拳銃を向けた先、千田と目が合った。見ているこちらがゾクリとするくらいの笑顔、それは求めていた死体のリアル感を自分で感じることが出来ると言う、至上の幸福を掴んだ狂喜沙汰の男の表情。今までは痛みを感じることが出来なかったが、今回はパーフェクトだ。
彼は決して、死ぬことを恐怖と取ってはいなかった。今まで殺してきた人間の、苦渋に満ちた顔を思い出しては、自分は違うと言い聞かせていく。千田はそういう男だった。
これが、幻想を追い求めた人間の最期。

彼の身体にうずまる、8発目の銃弾が破裂音とともに発砲された。



男子3番 市村翼 死亡
男子10番 千田亮太 死亡


残り2人



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