覚醒*Renaissance


ガシャンッ、ばたばたっ、とものすごい音を立てて家の中を手当たりしだい荒らしている音がする。その音の背景には藤原優真(男子11番)の怒りが隠されていた。彼の性格上、怒りを感じたときに何かに当たることは逃れられないし、何よりも今、完全に思考回路がおかしな方向へと曲がって行ったのでなおさらだ。
今彼がいるD-05の住宅街では、運良く殺意を研ぎ澄ました人は誰も通りかかってないからよかったものの、通りかかっていれば疑問を抱く、あるいは襲撃に行ったであろうと言うほど大きな音を立てていた。それもこれも、藤原の暴走が原因である。


親友である郡司崇弘(男子6番)が、自分のことを待っていてくれなかったことと、ふがいなくもあの夏葉翔悟(担当教官)に腕を撃たれたことが、なによりも精神を傷つけているものでしかない。夏葉翔悟といえば藤原にとっては何の障害でもなかった。
確かに、元担任という立場にありながらプログラム担当教官という地位にあったのも癪に障るが、教師としては珍しく放置主義なので、暴力主義だった自分のことを注意するわけでもなければ、関心を寄せていないわけでもない。ただ、彼から見て夏葉はろくな人間ではない、と言うことは確かだった。
そんなろくな人間ではない夏葉に撃たれたものなら、彼のプライドがずたずたにならないはずがない。それに撃たれた腕はもう感覚がなく、指もささやかにしか動かなくなってきた。このまま死んでしまうのではないか、という焦燥の意にかられる。彼はよく見ていなかったからわからないが、実際は血に真っ赤になったタオルバンドの下で、黄色い膿が大量に発生していた。同時ににおいもすこしでてくる。


利き腕の右手がもう使えないというのに、彼は左手だけですべてを破壊し続けた。住宅にあった食器棚のガラスをすべて割り、椅子を振り回して窓を割った。こうして暴れていなければ、自分がそのまま死んでしまうかもしれないと思ったからだ。
「ふっ、藤原!!」
突然、藤原の背後から声がする。藤原は動作を止め、そして無言で振り向きその視線の先にいた町田睦(女子12番)を見て、数秒固まった。今まで自分が荒れていて、大きな音を出していたから彼女がこの家に入ってきたことにまったく気付かなかった。しかし今、そのことに気付けるほど、藤原の頭は正常ではない。
「何やってるの?!」
何をしているのかを問われて、彼は多少眉をひそめたが、すぐに身体を元の方向に戻し、椅子を使って手当たり次第に暴れまくった。椅子の足が折れる。
「ちょっと、やめなよ藤原!誰か来たら殺されちゃうよ!」


実際、町田もここを通りかかったときにこの轟音を聞きつけ、ここまでたどり着いたことが出来たのだ。町田に出来て他の人間に出来ないことはない。暴れる彼の腕を抑えて暴動を止めようとすると、鋭い視線でにらまれ、彼女の元々血の気がない顔から更に血の気がなくなった。
「ひっ」
その豹変振りに、町田は思わず声を漏らしてしまった。彼の目の下には精神的疲労からクマができていて、いつものがっしりした身体が妙にやせて見えた。白い制服も右手の部分と右半身に血が飛んで、今では赤黒く変色している。しかし町田自身も分校で出発する前、有馬和宏(男子2番)が隣で殺害されたので多少ながらも血が付いている。その点に関しては、野口潤子(女子8番)のほうが被害をこうむっていたが。


「ねっ、ねえ!」
漏らした声を急いで掻き消すように、町田は叫んだ。藤原の動きが一瞬止まる。その隙に町田がまた続けた。
「私と一緒に、千鶴を探して欲しいの!」
何秒か間を空けて「望月……を?」と藤原が言葉を発した。
彼にとってこの一年間、余り女子とは喋った記憶がない。しいて言えば服部綾香(女子10番)土屋若菜(女子7番)の悪口をいって口論になるか、隣の席の関根空(女子5番)と話すぐらいしか会話をしなかった。その中でも望月千鶴(女子13番)は藤原からみて斜め後ろの席で、なおかつ学級委員という(本人は不服がっていたが)立場にあったので、なにかと藤原と話すことも多かった。

しかし今、この場にいるのはその望月の友達の町田である。望月の頼みであったならば藤原も少しは混乱状態から覚めていたかも知れないが、陰気な印象で、いつもMDを聞いていた町田は、クラスメートと言えど彼にとって疎遠だった。だからこそ、藤原はいまだ頭に正常な思考が戻らず、また本能のままに八つ当たりし始める。
「ちょっと、聞いてるの?」
使えない右腕をぐいと引っ張られて藤原は悲鳴を上げた。感覚がないといえど、痛みの感情は生きている。それに加え女子に腕を引かれた、ということが彼のささやかなプライドを傷つけた。
「うるせえ! すっこんでろ!」
右手が使えないため、左手で思いっきり町田を突き飛ばす。
「わっ」
その力が余りに強かったためか、町田は足元からよろけ、後ろにあったリビングテーブルに向かって体が傾き始めた。


次の瞬間、ごんっ!!という大きな音がする。
だが藤原はまったく気にせずにまた暴れ始めた。


事が発覚したのは、しばらくしたあと、その部屋が完全に壊滅状態になり壊すものがもうなくなってしまったころだった。藤原はいまだ正常に戻らずともほんのすこし混乱から目が覚め、はぁ、はぁと荒く息を継いだ。窓の割れたガラスの隙間から日光がさんさんと降り注いでくる。藤原はその光を見て、まぶしいと感じることが出来た。手で目を覆う。しかしそこに見えたのは、自分の血で真っ赤になっていた左手だった。
「っ!!」
余りに派手に暴れすぎたため、ガラスが飛び散ったことも気付かずに、ずっと左手を傷つけてきたのだ。しかし痛みも感じずにここまで血が吹き出ていることに藤原は不思議を感じる。
ふと、周りを見回してみた。痛みは麻痺しているのか、まったく気にならなかったが、それなりに思考回路が徐々に回復してきていた。


――そういえばさっき、町田がいた。
窓から差し込む光を頼りに、彼は部屋をかき回す。するといつの間に瓦礫の下に埋まっていたのか、町田の体が発見できた。
「おい、町田」
さっきは悪かった、まったくわからなかったんだ。と謝ろうとしたが、彼女の様子を見て彼は絶句する。
「……町田……?」
まるでチアノーゼを起こしたように顔色や皮膚の色が青く変色していた。その様子を見て藤原は口をつぐんだ。言葉が出ない代わりに、息が漏れる。
「おいっ、どうした……?」
瓦礫の向こうにリビングテーブルがあった。その四隅の角の1つにはべったりと赤黒い液体が付いている。そして気付かなかったが、町田の頭の辺りからその周囲にかけて血が流れていた。彼女の目が大きく見開かれている。その白目は赤く充血し始めていた。


ただ事ではない。
そんな不審な様子に驚いて、藤原は恐る恐る町田ののど元へと手を伸ばす。一度ためらったが、震える左手を押え、強引に手を伸ばす。
そのとき、何かが怖かったのかもしれない。真実を知ることが、また、どうかなってしまうのではないかと。
指先が彼女の首元に当たると、ひやりとした感触が感じられた。体温が低く、冷たく感じるのだ。藤原はすぐに手を引っ込めたが、震える手をもう一度首元へと持っていく。
今度は頚動脈の場所へと指を這わせる。しかし、どこを探しても脈らしいものは感じられない。大概生きている生身の人間なら、首を押えればすぐに鼓動が感じられるはずだった。しかし、町田にはそれがない。


「……嘘だろ?」
何回もさすったり、場所を変えたりしてみるが、どこにも脈らしい脈は感じ取ることが出来ない。終いには藤原の首からも脈がなくなっていくのではないかという幻覚に襲われた。
「違う! 俺じゃない!」
――死んでいる。
その言葉が頭の中に浮かんでくるのと同時に彼は叫んでいた。カタカタ、と歯が震えだす。時間は何分経ったかはわからない。10分、いや、30分。もしかしたら1時間前、確かに藤原はこの手で町田を突き飛ばした。
「違う……違う……俺じゃ……俺じゃぁ……」
目の前にある町田の死体を見つめながら、藤原はつぶやき始めた。
――自分が突き放した所為で、机の角に運悪く後頭部を激突し、死に至ったのではないか。そんな医学的結論までには至らなかったが、自分が町田を殺してしまった、と言うことくらいは理解できた。
「俺じゃない俺じゃない俺じゃない! 俺は絶対に殺してなんか――」


叫びだした途中、突然プチンと切れたように言葉が止まった。彼はすぐに何も持たず、その家を出て行った。
道がある限り、どこまでもまっすぐ走っていく。その最中、心の中ではずっと「俺じゃない、殺したのは俺じゃない」という言葉がうごめいていた。
全力疾走を続け、しばらくしたあと、いきなり立ち止まった。そして空を見上げて口元をほころばせる。
「あ……あはは……あはははっ」
小さく笑い出したかと思った瞬間、すぐに大きな声で笑い出した。
「あっはっはっは!!」
雄たけびにも似たような無理をした笑い声が、エリア28をこだました。


俺が殺したんだ。
今ではそのことばかりが、胸にある。



女子12番 町田睦 死亡
残り25人



Next / Back / Top


SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送