慕情*Appenato


「死ね相澤圭祐ええええ!!」
突然手に持っていた鉄パイプ状のヌンチャクを手放し、大声を上げて柏崎佑恵(女子3番)は圭祐の胸倉をつかんで、そして肩にかけられた腕を引いて相澤圭祐(男子1番)の体勢を崩す。
「おぉっ?」
口から声が漏れる間に、佑恵は彼の足を振り払い身体を宙に浮かせる。見事なまでの背負い投げをやってのけた。
どさぁっ、と言う音と共に地面の草が散らばる。そして追い討ちをかけるように佑恵はあいた手でバシン!と圭祐の頬を殴った。
殴られたほうの圭祐は何がなんだかわからない状態で目をぱちくりさせながら佑恵をじっと見た。
「何するんだ馬鹿! 死ねカスが!」
相変わらず彼女は圭祐のことを罵倒している。
――話には聞いていたがこんなにも女たらしだったなんて。
彼にまつわるよからぬ噂は、黙っていても耳に入ってきた。二股だとか、実は腹黒だとか、もしくは森井大輔(男子15番)とホモだ、等々。その噂を聞いたとき、佑恵は余り気にも留めていなかったし深く考えもしなかったが、それにしてもモテるものだとだけ思っていた。バレンタインのときなど受験前にもかかわらず大量のチョコレートが彼に送られた。(まぁ、負けずと劣らず森井や市村も貰っていたが)
そのときは噂など嘘と考えていた佑恵だったが、このとき身をもって感じることが出来た。相澤は軽々しい男だと。


「シャオロン、リュウシア、こんな不甲斐ない佑恵を許して。こんな馬鹿みたいな男に危なく自分の身を売るところだったか弱き乙女を!」
半ばどこかの古い演劇に出てくる主人公のように彼女は演じた。
「もしもーし、そのか弱き乙女に一本背負いされて暴言吐かれた俺の立場は、どこにもって行けばいいですかー?」
倒れながら体勢を変え、手を付いて上半身をあげた。今のところ半分呆れ、半分驚きの心情だ。
何しろ転校生柏崎佑恵といえば3学期から転入してきた人物で、市村翼(男子3番)ならまだマシだが、余り交流のなかった相澤圭祐にとって彼女は未知の世界だと言っていい。その未知の世界はおそらく暗い世界だろうと思っていた圭祐は、予想を見事に覆されて驚いている。まさか、これほどまでよく喋る子だとは思ってもいなかったからだ。実際、佑恵が喋ったことは余り見た事がない。せいぜい野口潤子(女子8番)神谷真尋(女子4番)と一緒にいたときぐらいだ。
無論、佑恵にとってもそれは同じ事と言える。住む世界が違っていた圭祐と言う人物に額に口付けされるという不意打ちを付かれ、驚いたことで本来の自分を出してしまったのだろう。ちなみにシャオロン、リュウシアと言うのは以前同じ学校だった中国人の友人のことである。


佑恵は圭祐のことをにらむと「私はあなたのことを一生許さない」と言い放った。
「でこちゅーしただけなのに?」
「消えろ、そして死ね。土に還れ」
「ひっどいなぁー。あ、もしかしてそー言うのに免疫なかったりする?」
「その口切り刻んであげましょうか。今なら有料で請け負ってあげる」
「ハハッ、ごめーん、俺金欠だから。何しろ財布の中身2桁」
その言葉のあと、佑恵ははぁと深くため息をつき、手で頭を押える。十秒ほどそのままの体勢で固まっていた。そして顔を上げた後、足元に転がっていた鉄パイプを手に取り支給されたバッグを拾い上げると、
「じゃ、ここでお別れね」
と言ってくるりときびすを返した。


彼女自身、もう既に眉間にしわが寄っていたし、これ以上いちいち気に障るような言葉を言われたならば、堪忍袋の尾が切れると判断したので、一刻も早くこの場から離れることが最善策と思われた。こんなところで大声で喧嘩していたならば、もしかしたら先ほどこちらに向かって銃を発砲した千田亮太(男子10番)のように、誰か殺意を研ぎ澄ました人がまた近づいてくるかもしれない。そんなことにでもなれば一層自分のみが危険に陥る。つまり生存率がぐっと低くなるのだ。そんなことはしていられない。佑恵はそう考え、その最善策の実行へとむかった。
このままではまるで背を向けて逃げるようになってしまうが、生か死を争う今、そんなくだらない子供のようなプライドはすべて捨てる決心をした。

だが、振り向いてすぐにその腕をつかまれる。ぎゅっと握られた腕に力がこもっていた。
「……何?」
そっと後ろを振り向き、圭祐がつかんだ腕を見て、それから顔を見る。やけに腕が痛い。細身のどこからそんな力がわいてくるのかが不思議なほど、力が強かった。


「何で俺を助けた?」
腕をつかむ力がぐっと強くなった。佑恵は目元をぴくりと動かしながらも答えるのを少しためらった。
「世の中には知らなくていい事だってあるんだよ」
その言葉のあと、ふっと圭祐の表情から温かみが消える。背筋がゾクリとした。先ほど見た妙な雰囲気の『あの顔』だ。まるで既製の仮面を貼り付けたような、あのたとえようもない恐怖を与える表情。
――こいつは、何かある
佑恵はそう瞬時に思った。圭祐はその表情のまま言葉を続ける。


「俺をその場に置いていけば、きっと転校生は自分の思うとおり走れたし、こうして俺にぼかすか言わなくてもすんだ。なのにリスクのある俺を助けることを選んだ。それはなんで?」
そんなこと聞かれても困る。反論しようとは思ったが、佑恵は身動きひとつ出来ずに震えていた。思ったことも上手く言葉に出来なくて、何かもどかしいものを感じた。いっそのこと無理やり腕を振り払ってしまってもいいかもしれない。しかしそれは出来なかった。今でも圭祐の顔にある表情が、まるで金縛りをかけるように佑恵の身体を固まらせる。そのため彼女は何もいえなかった。
「もしかして……」
圭祐は何も言わない佑恵を尻目に言い続けた。


たとえ佑恵が無意識といえど圭祐を(事実上)助けたことを、「何故そんなことしたか」なんて問われても困るだけだ。なぜか手が勝手に動いた。こんな曖昧な答えが今の彼に受け入れられるのだろうか?
確かに圭祐の言うとおり、佑恵は自分だけで逃げれば助かったかもしれない。それにこうしてイライラを感じる事や何か得体の知れない恐怖感を感じることもなかっただろう。でも、結果として佑恵は銃声の響く中、圭祐を助けたことになる。それも、自分の身を省みらずに。

「俺のこと、好きだったり?」
「……はぁ?」
余りにも素っ頓狂な言葉に、佑恵は思わずあいた口がふさがらなかった。と同時に顔がかーっと熱くなるのを感じることが出来た。圭祐の表情がゆっくりと解け、いつもと変らない笑顔になった。表情が変ったことにより恐怖感がなくなり、言葉がやっと言葉らしくなって口から出てくる。

「自意識過剰にも程がある! 市村じゃあるまいし!」


――どこまでもわからない人だ。佑恵は無性に頭痛を感じた。ぱっと花が咲いたような笑顔を浮かべることもあれば、さっきのように冷たい氷のような表情になることもある。そんな多重性を持った彼を目の前にし、これから自分はどう対処すればいいのか、また、これから先何が起こるのかがうかがわれた。
「翼ー? 大丈夫、俺、あれほどナルじゃない!」
「同じだ!」
圭祐は市村翼(男子3番)のように髪の毛を振り払って背景にバラの花を添えるような真似をしてはいないが、佑恵にとってほぼ同等の行為が今の行為である。いとも簡単に、軽々しく額に口付けをする。たったそれだけのことだけれど、彼の言うとおり、免疫のない佑恵にとっては恥ずかしいことこの上なかった。
確かに世界には60億人の人間がいて、多少性格の似た人間がいたとしてもそれはそれでおかしくはない。しかし市村や相澤のような人間が世界に何人もいたら、過労死する人の割合が多くなりそうだ、と佑恵は思う。


「ねーぇ、お願いあんだけど」
呆れ顔の佑恵を覗き込むようにして、圭祐は猫なで声で話しかけた。
「お願い?」
「そ、俺と一緒に大輔探してくんね?」
今までにないほど、にっこりと表情を崩して笑った。森井大輔(男子15番)――佑恵は記憶のスペースから大輔に関連する情報をかき集めた。この相澤圭祐の親友で、実家が剣道場らしい。クールな眼鏡野郎で左目のほうの前髪だけ異様に長く、たまにものもらいになっていたこともあった。
「……と言うことは一緒に行動する……とでも?」
佑恵の言葉にためらいがあった。なぜなら心の底では判断に困っていたのだ。
「ちょっと考えさせて」
そういうと、佑恵は困惑の表情をみられないよう身体を斜めにし、それでも視線は圭祐のほうを向けていた。不意打ちを食らったならば、元も子もない。

一番その判断に支障をきたしているのはやはり先ほどの『あの顔』である。本人はまったくづいていないのか、それとも隠しているのかは定かではないが、とにかく佑恵にとってそれが心配であった。
確かにタッグをくむことで一人のときより安心感は上がるし、2人で攻撃に出る事だって可能。それに交代で見張りをしたり仮眠をとったりもできる。しかしそれは――3学期に転校してきた、つまり本当に心から信じることができる人がいない佑恵にとっては、不利なのではないだろうか?余り交流がないし、これと言った意識も薄いので別に殺してもいい、と言う考えが彼に会ったとしたならば、容赦なく彼は佑恵のことを殺すだろう。
その点を含めると、明らかにタッグをくむことは不利であった。しかし……一か八かにかけてみるのも悪くはないとも思った。
もし、彼が本当に悪意なく佑恵を誘っているのであれば、佑恵もいくらか安心できるだろう。さらには逆に彼女から仕掛けてもいいということにもなる。ちょうど懐には銃もある。寝首を掻く事はこちらにも出来るのだ。


佑恵は振り返って圭祐と対峙する。条件を突き出した。
「条件がある。君の武器を全部出して」
出来るだけ口調は温厚にし、ビジネスライクな態度で交渉に臨んだ。
「武器ー? つったって俺はこれしかないけど」
制服の腰のところ、ベルトのところに突っかかっていた黒味を帯びている銃を手渡す。
「本当に持ってないね?」
制服の上から身体を触る。疑心暗鬼な表情を浮かべる佑恵が面白かったのか、それとも触られたことでくすぐったくなったのか、圭祐は小刻みに笑った。
「何が面白い」
「あ、いや、ごめん。なーんか転校生ってこんな人だったのかなーって思って」
隠し持っている武器がないことを確かめると、佑恵は圭祐から受け取った拳銃、IMIデザートイーグルを手に取ると、ずっしりと重いのを感じた。小型のコルトD・S(それでも大きさの割には重い)と比べると、その重さは圧倒的だった。銃身の長さも違うが、重いのが一番驚いたところだろう。


佑恵が黙っていると圭祐がまた「転校生?」と声をかけた。その声ではっと我に返り、佑恵は焦って拳銃を右手にちゃんと握る。
「で、森井君を探せばいいのね?」
なかば焦りを隠すように佑恵は言った。
「うん。俺、大輔探そうとしたら迷っちゃって」
彼は笑いながら答える。善意の塊のようなその笑顔を見るたびに、佑恵は身震いがした。また「あの顔」を見るのではいか、と。
それでも、一度は信用してこうやってタッグを組むことを決めたのだ。危険と安全は紙一重の状態にある。しかし独りで居たならばどうしても危険のほうが大きくなりがちではないだろうか。

「で? あなたのカンならどこに森井君がいるのかわかるでしょう? すごく仲良かったみたいだし」
「うーん、大輔ならあんまりうごかなそーなんだけどね」
「勝手に決めて。私も従うから」
「じゃ、南のほうでもいい?」
どうぞご勝手に、佑恵はそう言いながらヌンチャクを手にした。圭祐は相変わらずへらへらしながら手を頭の後ろに組んでいる。そのアホ面を見てため息をついた。

――信用するかどうかの前に、頼れるかどうかを判断すればよかった
今となってはもう遅いことだけれども、彼女はそう考えた。




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