横取*Duramente


叫び声が聞こえた。あの、汚らわしいユダヤ人の声。
私はアドルフヒトラーの生まれ変わり、私の使命はこのエリア28に住まうユダヤ人の抹殺。
それでも今はまだ夢ばかり見ているの。叶える為にはまず――


蓮川司(女子9番)服部綾香(女子10番)日高かおる(女子11番)の姿を捉えたとき、既に彼女の腕は本能的に上がり、セーフティロックをはずし引き金に指をかけていた。火薬の量が調整されているのか、それとも慣れてきたのか、銃を扱う手が次第に軽くなっていた気がする。
彼女はニヤリと笑った。
この世界にユダヤ人がいるのなら、彼らは泥や汚物に息が詰まりそうになりながら、憎しみに満ちた闘争の中でお互いに騙しあい、滅ぼしあうに違いない。アドルフ・ヒトラー著、我が闘争の一説にある言葉だ。その文章のとおり、2人のユダヤ人はお互いに大声を張り上げ罵り合っている。
これはこれは好都合。どちらにしろ死ぬ前のこっけいな笑劇にしか過ぎない。司はすぐに引き金を引いた。彼女の持つワルサーP38はどうやらダブル・アクション式らしいので、撃ったあと撃鉄を起こす手間は要らないとのことだ。
3発ほど撃った。目の前で閃光がまばゆく光り、爆竹を破裂させたような音が耳を貫く。不快ではない。むしろ爽快だ。

命中精度がいいワルサーの銃弾の2つは見事に日高の身体を直撃。そのまま服部まで及ぶことはなかったが、1人のユダヤ人をこの世から排除することは出来た。
背後から撃ったので、彼女の胸の部分はあふれ出た血でいっぱいだった。白いブレザーも見事に真っ赤に染まっていく。近づいたときに死んでいることを確認した。

やっぱりユダヤ人。おとなしく処刑されていればいいの。
皮肉を込めて笑い始めた。そして服部綾香の方を向きなおし、いつになく笑顔を浮かべる。
「遠藤さんには悪いけど、あなたには死んでもらう」
日高ほどのグロテスクな情景を見たにもかかわらず、司はまったく動じずに饒舌になった。
「あなたもユダヤ人だから、私がすぐに殺してあげる」
服部の長髪が揺れた。今や彼女は司にとってどこぞのお嬢様ではなく、1人のユダヤ人となってしまった。服部は司がわけのわからないことを言っているのに対し、さらに恐怖を募らせた。なぜか司の表情を見るとまるで蛇ににらまれたカエルのように足がすくんでしまう。先ほどの威勢はもう消えてしまった。


彼女が遠藤雅美(女子2番)によって感じさせられたのは恐怖。森井大輔(男子15番)によって体験させられたのは屈辱。日高かおるに対しては優越を誇っていた。しかし、蓮川司には何を与えられただろうか?恐怖、不審、焦燥、驚愕。どれでもない。見当も付かないこのなにかに、服部はおびえた。
声にならないものを振り絞りながら服部は後ずさりをする。手や額には脂汗が浮かんでいた。ドクン、ドクンと心臓が高鳴る。
ばっと後ろを向いて走り出した。この未知のすぐそこにもう1つの幹線道路との連絡道路がある。そこに入ってしまえば家の門が立ち並び、隠れるところはたくさんある。そこまで正確に服部は考えられなかったが、とにかくこの恐怖から一刻も早く逃れたかった。
チッ……小さく舌打ちをすると司はもう一度銃口を向けた。

バァンッ!!

容赦なく銃弾がその背中に向かって降り注ぐ。しかし、服部のほうが運がよかったのか、その弾は当たらずに彼女のほうが先に道路を曲がっていってしまった。
「逃がすか!」
決して足の速いほうではなかった。だが、今ここで逃してしまえば恥となる。それは自分の中での誓約。

逃がすな、殺せ。そう、殺すんだ。人とは思ってはいけない。あいつらは豚だ。
そう、これはただのゲーム。私はこんなところで負けてられない。
最高額のベット。見返りはロイヤル-ストレート-フラッシュかしら?
高額の勝ち金を持って、私はその先を目指す。


追って司も細い道に入った。こちらも道路の両端には家の門が並んでいる。しかし、そのおかげかは知らないがもう既に服部の姿はない。
――隠れたか。
神谷真尋(女子4番)の持っていた双眼鏡を使って日高と服部のやり取りを見ていた限り、服部にたいした武器はない。もし何か有力な武器を持っていたならばそれを使って脅せば、気の弱い日高なんていちころのはずだ。しかし彼女はそれをしなかった。自分のほうがえらいから、とでも思っていたのだろうか。
どちらにしろ、こちらにも武器はある。まるで銃をお守りのように硬く握り締めた。
道路の一番近いところの家の門をのぞく。服部の姿は見えなかったが、互いの家を隔てる塀のところの土がやけに荒れているのが見えた。靴の跡も見える。こっちに逃げたのかな、と頭を上げる。案の定、塀の突き当たりにある膝の高さほどの箱の上にも足跡がくっきりと残っていた。
まずはワンペア。冗談交じりに思う自分に苦笑するが、司の心はそれほど目的から反れていなかった。服部綾香を見つけ出し、殺す。ただ、それだけ。
彼女がやったのと同じように足を箱にかけて塀を登る。上った先に見える向こうの家の庭にも同じような足跡が付いていた。


いかなきゃ、追いかけなきゃ。そう思った瞬間、ずるっと足が滑って司は高さ1メートル80センチほどの塀から落ちた。
どさっと鈍い音を立てて司は背中から落ちる。
「っ……」
肋骨を派手に打ったようだ。背中を丸めてうなる。全身にまるで電気が走ったような一瞬の痛みがよぎる。すると反射的に目が潤んだ。

――やーいやーい、弱虫つっかさー、泣き虫つっかさー
彼女はすぐに立ち上がって頭を抑えながら塀に寄りかかる。いけない、泣いちゃだめだ、思い出しちゃだめだ。必死になって反復するが、どうも昔の思い出のほうが強いようで何回も何回も同じ場面が繰り返される。突然、やけにリアルに昔のことが蘇ってきた。
――母さんにべったりの甘えんぼー、おめーなんか死んじゃえー!
それでもまだ直撃したところの背中はジンジン痛む。焦らず冷静に塀を飛び越えていなければ今頃こんな思いをしなくてすんだかもしれない。司は自分を責めた。
――うっわ、あいつ1人で遊んでるぜ!さっびしー!友達いないんだー!
うるさい、うるさいうるさいうるさい!
司は背中を塀につけたままゆっくりとしゃがみこんだ。頭を抱えてその茶色の髪の毛を引っ張る。痛みはあるが、今はそれどころじゃなかった。

「だま……れ」
――父さん殺そうとしたお前なんて、もはや『蓮川』じゃねーよ
背中よりも頭のほうが痛くなってきた。まだ耳の辺りをうろうろしている言葉達をさえぎるように耳を塞ぐ。
――使えないんじゃなーい? オマエ。生きてる価値、ゼロ
呼吸がつっかえるようにむせてくる。苦しい、どこか気管をつぶされているような幻覚に陥った。違う、私には洋介も真人もいる。お願い、奪わないで、これ以上失わせないで。
ふっとフラッシュバックのように下の弟の真人と洋介が笑顔で手を振っているのが見える。白昼夢。その可能性も否定できない。
弟たちに立場はなかった。1人の蓮川家の男として生まれたのだから、もちろん父親の影響はあった。しかしまだ幼いので母親の影響も大きい。だから歳の近い司のことを慕っていた。少なくとも、兄以上に。だが彼らが父親に圧力をかけられたら、苦渋の選択で父親をとるだろう。
――母さんも死んで、誰もお前の味方なんていくなったな
違う、違う違う違う。私は今、アドルフ・ヒトラーの生まれ変わり、れっきとした蓮川司。味方はいなくったって、私は強いの。今に見ていなさい、そう言ったことを必ず後悔させてやる。ホロコーストと言う名の殺戮ショータイム。
――姉ちゃん、俺、姉ちゃんが怖いのかいい人なのかわからない
違うよ、真人。私は。私は……。
――どうして司姉はいつも僕らと一緒に食事とらないの?
きっとこれは誰にもわからない。女だからって虐げられてきた人生は。

――泣かないで、司。お母さんと約束したでしょ?
うん。つかさ、おかあさんとやくそくしたよ。もう、ぜったいになかないよ。つかさ、つよいこだもん。


その後、しばらく塀の向こうでうずくまっていた。気付いた時には太陽が少し傾いて影だったところが日なたになったころだった。司は頭を重そうに持ち上げて時計を見る。もう既に11時を切っていた。禁止エリアはA-06なのでこちらとはまったく関係ない。
ゆっくりと立ち上がると、その庭から出て先ほどいた幹線道路へと歩いた。
逃がしちゃったねぇ……。まぁ、しょうがないかな。
もし、あの時塀から落ちさえしなければ服部を死亡者名簿に葬り去ることくらい出来ただろうに。
バッグを左脇に抱えたまま突き出た長刀を握る。そして歩きながら日高かおるの亡骸がある場所へと向かった。


彼女はうつぶせのまま倒れていた。血はもう流れていない。乾いてはいないが、これ以上広がることもなさそうだった。司は日高が何かを大事そうに抱えているのを見つけ、足の先で身体を持ち上げた。彼女は太っていたので片足一本では動かすことも大労働だったが、90度傾ければあとは簡単だった。断末魔の叫びを上げそうな顔が見える。胸はその先にコンクリートが見えるくらいの細い穴があいていた。真っ赤な血がもうドス黒く変化している。
ゆっくりとしゃがみこみ、その胸に抱えられているすこし大きめの銃をつかんだ。まだ日高の身体は死後硬直が始まっていないようだったのでするりとその銃は持ち上がる。血が大部分についているにしろ、何とか新しい武器として使えそうだった。
その銃身を見て「……キャリ……コ?」とつぶやく。多少思想的に人を超えていると言えど、一般人だった彼女に銃の名前など知るはずもない。司は日高の左腕にかけられた支給バッグを取り、中から水の入ったペットポトル、袋に入ったパン、バッグに入っている限りの銃弾、それから説明書らしき紙束を取り出した。

「キャリコM950……か」
それだけ言うと彼女は立ち上がり、すぐそこにある民家(それは先ほど日高がいた家だ)へ入った。入り口に鍵をかけ、靴も脱がずにずんずんとリビングへと向かう。和風のつくりの家は、どこか自分の家と似通ったところがあった。
ある程度家の中を探索し、誰もいないことを確認すると、まずその家にあったタオルで持って銃を丁寧に拭いた。必要なら日高の持っていた水を使って血を拭い取る。すると黒い銃身がはっきりと姿を見せ、彼女はようやくその脅威を目にあたりにする。


ずっしりと重いその銃を手に取りながら、説明書をぱらぱらとめくる。驚いたことにこの銃は50発の連射可能タイプと言うではないか。更にコンバットモデル……まさに天の恵みだ。司は笑みを含みながらページをめくる。銃弾の取り付け方、撃ち方などが多く書かれていた。元々読書が好きなほうなので活字が並べられていてもまったく苦にはならない。ものすごい速さで読み進めていった。
1ページ、また1ページと読み進めていくページに比例して司の気分は高揚となっていく。
「さいっこう」


いいものを手に入れた。これはきっと天から与えられた勝利への切符。
天に神様がいるとは思わない。何せ神は私だもの。
だけれど神に匹敵するほどの何かがそこにあるに違いない。
その人、あるいはものがほのめかしている。
自分は生き残るべき人間で、なおかつ有能なるアーリア人の生まれ変わりだと。
彼女はそれからしばらく目を説明書から離さなかった。



残り24人



Next / Back / Top


SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送