背中*Quodkibet


定時放送からまだ余り時間は経っていない。この果樹園の背が低い木々の間を縫って森井大輔は移動していた。そろそろ体力自慢の森井大輔(男子15番)でも足に限界が来ている。さすがにここまで歩き続けてきたので筋肉がきしむ。受験後はただでさえ運動をしていない毎日だったから余計に身体に響いた。
早く、圭祐を探さなきゃな――級に老化したような身体にムチを打ちながら大輔は自分自身を嘲笑した。これくらいのことでへばっていては、親友である相澤圭祐(男子1番)を見つける前に誰かに狙撃されてノックダウン、そのままアンダーグラウンド行きだ。
途中で出会ったあの性格ブス、服部綾香(女子10番)に与えられた(と言うより奪ったの方が適切かもしれない)真剣の鞘を左手に持って、バッグを背中のほうへと回した。支給武器はあの分厚い銃が解る本だ。そんなものからしたら剣道に背通していた大輔は真剣を使ったほうがまだマシである。とにかく彼はあてもなくさまよっていた。ただし、禁止エリアを考慮して。


支給された懐中時計を見ると、針は12時を15分ほど回っている。そろそろ腹の虫も暴れだしてくるころだ。どこかに身をおいて一息つこうじゃないかと思い、大輔は頭を回して辺りに適当な家がないかを探った。しかし相変わらず回りは果樹園の木々が生えている。どこかにこの果樹園の持ち主の家はないのか――とは一瞬思ったが、しかし次の瞬間かき消された。元々ここはプログラム用に造られた場所だという。そういった考慮はされていないのではないだろうか?だが大輔がそれからすこし歩いていくと、小さくて古い家だが、一軒の家を見つけることが出来た。
ほっとため息をついて、それから気を引き締める。まず周りをぐるっと回ってから中に誰か居るかを確かめなければならない。気がある果樹園は他の土地より低くなっていて、土の階段を上がるとその向こうには家が見えた。入り口の近くには犬小屋のような小さな家があって、それから玄関が見える。ご丁寧に高梨と言う表札までかかっているではないか。笑いたくなるほど馬鹿丁寧なつくりになっていた。

それから右の方角へと足を進める。するとその家の庭らしいところに、レンガで固められた鯉池のようなものがあった。こんなところにも鯉池なんかあるのか、と自分の家の近くにある料亭の鯉池を思い浮かべる。よく小さいころ、父や母に連れられてその池に鯉を見に行ったものだ。


――っ!!
しかしそんな懐古も目の前の情景に引きちぎられる。
その鯉池池のふちに、白いブレザーと灰色のスカートをはいた人物が浮き上がっていた。
大輔は何も言わずに走り出し、その鯉池のふちまで近づくとすぐにその人の身体を池から救い上げた。まるでドラマに出てくる溺死体が川に浮かんでいるような光景だ。ザパァンッ!と水が跳ねてその人の身体も一緒に跳ね上がる。ぐったりとした顔つきで、制服が十分水を吸っているので大分思い。だけど庭のところにその人を横たわらせると、すぐに誰だかわかった。

「ノグ! 野口!」
野口潤子(女子8番)―昔はやせ細ってとてもラインのきれいな身体をしていたが、部活を引退するとその姿を徐々に失っていった。だけど性格は姐御肌で小学校が同じ大輔とはよく喋ったものだ。そんな彼女が、水面に浮かんでいたではないか?!大輔は野口の頬を叩いて意識の確認をする。しかし野口は無反応だ。大輔は野口の手首を取り脈を確認する。とくん、とくんと小さくだが確かに脈を打っている。とりあえず一息おいてから人工呼吸をしようと試みた。
しかし―大分抵抗があった。大輔もさすがに中学3年生とだけあって緊急事態だと言い聞かせても理性が異性の口に触るなど恥ずかしくて出来ないと叫びあげている。それに第一大輔は人工呼吸のやり方を8割がた忘れている。確か2年のときの保健で必修だったはずだが、もうあれから1年以上経っている。既に忘却の彼方だ。それに下手にやれば命の危険性だってでてくる。これ以上むやみに彼女をこの世から引き剥がすのはよくない。

どうしよう、どうしようと体勢だけは準備万端なのに心の中での葛藤がまだ終わらない。大輔は必死になって自分に冷静になれと言い聞かせた。早くしなければ野口は目の前で死んでしまう、だけど人工呼吸には抵抗がある。別に野口のことは嫌いじゃない。むしろ友達としてならいい奴だと思う。
――クソッ、俺のバカッ!
珍しく大輔が取り乱す様子を見せた。


ごほっ、ごほっ
突然口から水を吐いて野口が目をうっすらと開いた。2,3秒ボーっとした視界の中で目の前にある大輔の顔を認めると
「わぁっ、近い近い!!」
と言って突然起き上がった。
「ノグ、何やってんだよバカ!」
「な……何って……えーっと……何してたんだっけ」
「お前あの池に浮いてたの!」
「あ……そーなの?」
野口はいまいち煮え切らない態度を取った。そんないつもとは違う態度を見せられて大輔はすこし考えた。自殺するつもりだったのか――という可能性も捨てきれない。もし誰かに水に押し込まれたのなら今頃焦ってその犯人の名前を口にするだろう。だけどそれがないということは、明らかに自殺の傾向があった。本来ならこんなことは考えたくないが、野口は目の前で有馬和宏(男子2番)が死に、始めの放送でもかなり仲のよかった神谷真尋(女子4番)が死んだというのが流された。精神状態が不安定な彼女なら、そういうほうに走ってもおかしくはない。
大輔は考え込んだ後、野口をその場に座らせてから家の玄関から入り込み、中を探った。幸い狭い家だったのですぐに中の下調べは終わり、誰もいないことがわかった。そうとわかるとすぐに大輔は野口のいるところに走っていき、彼女を家の中までエスコートする。そして先ほど調べたときに出しておいた布団をしいて、何か野口の服を乾かすものを探しにでた。


「待ってろよノグ、今何か探してくるからな」
毛布を彼女に包まっているように指示した。さすがに春先、最近は天気も良くて昼間の気温は高い。だが野口の身体はまるで氷のように冷たかった。それもこれもあんな冷たい池にはいっていたのだから仕方ない。
とりあえず代えの服を探してあげたかった。何しろ全身ずぶぬれで震えているのだ、あれでは風邪を引いてしまう。大輔は探索ついでに2階へと足を踏み入れた。2階は先ほど探していない領域だったので、誰か潜んでいるかもしれないと言う考慮を含めて刀を握った。
しかし先ほどと同じく、誰かが潜んでいる様子も見受けられない。たんすなどを開けていくついでに服があるかどうかを探した。すると、着流し程度だが服はあるという事がわかった。とりあえず3枚ほどの着流しをひったくってその場を去り、1回へ降りていく。

「これ、着替えたほうがいい。制服は乾かそう」
着流しを差し出してからハッと気付く。どうしてここまでしているんだ俺は、と考えた。圭祐のことを考えればこんなことをしている余裕などない。万が一圭祐が死んだと放送で流されたなら自分は何のために重たい足を引きずりまわっていたんだ、と言うことになる。となるとすぐにでもまた圭祐を探しに出たかったが、精神的不安定の野口を置いていくわけにも行かない。ちらりと横目で野口を見ると、彼女は座ったまま先ほど大輔が渡した着流しをじっと見ている。
「あ、悪い。俺がいちゃだめだよな」
苦笑いしながら大輔はくるりと身を反転させて座った。数秒後、後ろでは毛布がずり落ちる音がする。しばらく経ってから「もういいよ」と言う声が聞こえた。
着替え終わったと言うことで声をかけた、と言う判断が出来ると言うことなら、もうここを離れても大丈夫だろうと思って大輔は振り返る。蒼い縦じま模様の着流しを着てまた布団をかぶっている。相当寒いのか、歯をカチカチと鳴らしていた。


「……大丈夫か?」
大輔はそういったあと自分の口を手で覆った。大丈夫なわけあるもんか、こんな野口は見たことがないくらいだ、と自分で自分を戒めた。
「うん、大丈夫」
それでも野口は口調は変ったとしても大丈夫と言ってのけた。
「えっと……その……」
何か言おうとするのだが言葉が出てこないもどかしさを感じる。
「ねぇ、大輔」そんな戸惑いを一人で勝手に感じている大輔に、野口は声をかけた。
「……なんだ?」
「カミヤマ、死んじゃったね」
一瞬言葉を失った。そんなこと、見てみなきゃ解らないだろうと励ます機会を一瞬のうちに逃してしまった。野口は次の言葉を続ける。
「有馬も、上条も……山本も、町田ちゃんも、かおるちゃんも、時雨も羽田も設楽も。みーんな、死んじゃったんだって」
大輔にはただ黙ってそれを聴いていることしか出来なかった。むやみに「そんなことない」といったとしても無駄なことであって、やたらと「そうだな」と肯定してもただ野口を傷つけることにしかならない。言葉と言うものは本当に厄介なものだ、と大輔は思った。


「普通に生きて、普通に死ぬのかと思ってた」
野口は布団を押しのけてゆっくりと立ち上がると、彼女の制服を広げ、近くにあったたんすのところに引っ掛けて広げた。
「でも、普通じゃなくなっちゃった」
洗濯物を干すように広げてからパン、パンッと手で叩く。生活観あふれるその情景に、銀の首輪さえついていなければ立派なお手伝い少女にしか見えない。
「ねぇ、大輔は何で剣道やめちゃったの?」
突然違う話題になった。しかし大輔はまるで元から答えが用意されていたかのように
「圭祐がいたから」とさらっと言った。
大輔の家は由緒正しき剣道道場で、大輔も幼いころから剣道を生活の一部として組み込まれてきた。しかし中学に入ってからはぱったりとその活動を途絶える。小学校から同じで、何かとよく話すほうだった野口には、それが疑問に思っていたのだろう。
「相澤がいたから?」
そんなまるで昼休みに交わす雑談のような話題の所為か、野口の瞳にはうっすら光が戻ってきた。
「ああ。圭祐がいたから、剣道以外にも面白いこと、見つけたんだ」
普段はこんなこと人の前ではめったに話さなかったが、なぜか大輔の口からすらすらと水が流れるように出てくる。大輔も大輔でそれが不思議とは思わなかった。

「例えば?」
「例えばって……圭祐は軽音楽部だから優真とバンド組んでたりするだろ? あれのボーカルやったり……。あとはいろんな人と遊びにいったり……」
「ふーん、つまり、相澤のおかげで変わることが出来たってわけだね。剣道やめて」
「俺に剣道やってほしかったのか?」
「違う違う。それ、前振り」
野口は顔の前で手を振った。もう一段階でいつもの野口に戻ってくれるような雰囲気が漂っている。大輔も知らず知らずのうちにそれを望んでいたし、そうなって欲しいと心底願った。やはり、昔馴染みの友達は、変らずその姿でいて欲しいと思う。


「大輔には相澤がいた。それと同じように、あたしにはカミヤマがいた」
大輔の穏やかな顔が急に張り詰めた顔になる。
「カミヤマが死んだなんて、信じられなかった。それから6時間ずっとここに隠れながら自分を問い詰めたよ。でも、結論はいつも同じ。カミヤマはずっとあたしの前を風のように走って、背を向け続けている。その背中が届かない場所にある、届くはずもない。そう思ったら足が自然に池のほうに向かったのさ」
池に浮かんでいることについて語っている。そんな精神的不安定な状況を、大輔はなんとなく理解できた。神谷真尋と野口潤子は小学校こそ違うが同じ部活の短距離ランナーでその名を馳せていた。当然、普段の学校生活でもすごく仲がよかったし、それは大輔にも見て取れた。
つまり、大輔と圭祐のような関係は、彼らだけではなかったのだ。お互いが引き合って求めているのは、神谷と野口にも言えることだった。

「そうか……」
「でもね、大輔にこうやって助けられてよく分かった」
大輔がうなだれていた状態からくいと頭を上げて野口を見る。彼女と目が合った。
「きっとカミヤマが、あたしの分まで生きろって言ってくれたんだって……そう思った」
一瞬、野口の顔がぱぁっと明るくなり、普段の彼女とまったく違わない表情になる。大輔はふぅとため息をつくと、眼鏡を下ろして袖で拭いた。それから左目にかかる長めの前髪を振り払う。


「何? ため息なんてついて」
「いや……。良かったなぁって思ってな」
先ほどまでこのまま野口は自分で自分を殺めてしまうのかという不安があったが、彼女自身が『神谷が生きろといってくれた』と言う風に認識したことによって、大輔がずっとここに連れ添う必要がなくなったということだ。
「何が?」
「ノグ、このままじゃヤバイと思ったから」
「失礼な。あたしだってね、それなりの冷静さはあるぜぃ? 大輔には負けるけどね」
「そうか?」
そのあと、野口は答えずにただ嬉しそうにふふっと笑う。

「大輔は変ったねー」
ニコニコと笑ったまま大輔のほうを向く。いつもいつも馬鹿笑いばかり続けてきたその顔に、こんな優しさを含んだ顔はなかった。だけど大輔は妙に心地よい気分になる。
「俺が?」
「そうそう。小学校のころは、全然話さなかったのにねぇ」
「……まぁ、そうかも」
「オーラ張り詰めてさ、俺に話しかけるなみたいな視線で睨んでくるし」
「そうだった?」
「そうだよ」
そういえば昔町の祭りに誘われたことがある。だけどそのときはかなりの大人数だったし、元々大輔の好まない人たちが集まっていたから、無視して断った記憶があった。そのときから大輔はずっと『そういう人間だ』として周りに認知されてきた。
だけどそれはもう昔の話。もう二度と戻れない日常の話……そう思うと無性に笑いが込み上げてきた。大輔は微笑する。


「大輔、あんた相澤の事探してるんでしょ?」
「……ああ」
「そっか。じゃぁ早く行きなよ。あ、あたしはもう大丈夫だからね」
「ノグは……これから……」
「あたしは、皆に殺し合いなんかすんなーって呼びかける!」
野口はドンッと自分の胸を叩いた。威勢のよさが深々と伝わってくる。
「だってさ、人間って生きて何ぼのもんじゃない?」
「そうだな」
大輔は自分の荷物と刀を取り出すと、立ち上がった。少しだけ後ろを振り向き、じゃぁなと告げると、出入り口まで歩いた。

「待って」
ふと、途中で呼び止められる。野口は着流し姿のまま右手に何か銀色のものを持って近寄ってきた。
「大輔……最後に会えてよかったぞ!」
そういいながら彼女は拳銃とその説明書らしき紙束を渡す。
「これ、スミス&ウエスンM29って言うらしいんだ。あたしにゃ必要ないから、大輔持っててよ」
戸惑う大輔をよそに野口はそれらを押し付けた。
「和平に武力は要りません」
にっと笑うと身を翻してさっき居た布団のところまで向かった。その後姿を呆然と見ながら、大輔はため息をついた。小学校のころ、クラスの姉貴的存在として名を馳せていたころの彼女の後姿となんとなく重なる。
大輔は無言で出口まで歩いていった。今度こそ、圭祐を探すために。後ろには背中を押してくれる野口もいて、その足取りは確かに強いものになっていった。



残り23人


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