驚愕*Estino


分校を最後に出発した榊真希人(男子7番)は、放送で流れた禁止エリアだけをその脳裏にしっかりと叩き込んで移動していた。特に目的もなくただ呆然としているため、目はうつろで足取りも不確かだ。頭の中で繰り返し流れているのは趣味であるRPGゲームのゲームオーバー時に流れる曲。主人公一派が全滅してしまったため、画面が切り替わりリセットしますか?という文字へとうつっていく。そのシーンがちょうど今の自分に重なっているため、ゲームオーバーの音楽がエンドレスリピートを奏でていた。
ゲームのようにリセットできたなら、どんなに楽だろう。と榊は何度も考え、何度も答えを探したが、結局はリセットできないと言うことになった。いっそのこと支給武器であるロープで首を吊って死んでしまおうか、そういう自殺願望も一時ふっと姿を見せたが、榊にはそれが出来なかった。
何をするにも怖かったのだ。気も小さく、常に誰かの一歩後ろを友達の設楽聖二(男子8番)と共に歩んできた榊は、自分で自分のことを決定する意志が弱かった。いつもいつも、与えられたことをして、流されて生きてきた。


ぐぅぅ、と腹の虫がなく。手には支給された袋詰めのパンが握られているのだが、食べたらすぐに吐き戻しそうだったので口にはしなかった。実際、設楽の死体を見たときに腹にたまっているものは全部吐いた榊だ、いい加減頬もこけてきて見るに絶えない姿になりつつあった。
空腹感を覚えているのだが食べ物を口にするような気分ではない。分校を出てからすこしさまよっていたところ、友達であった設楽の死体をその目で発見してしまったため、かなりの精神的ダメージが大きい。左肩から右の腰のところまで何かは物で切りつけられたようにぱっくりと切れ、血が噴き出していた。目がぐりんと遥か彼方のほうを向いていて二目とも見れない。実際その姿を見た瞬間すぐに目をそらした。

――聖二が、死んだ。
クラスのほうでもおとなしいほうに入っていた2人は、共通のゲームと言う趣味をもっていたため小学校のころからお互いの家でゲームをしたりしていた。実際、このプログラムとやらに連れて行かれる前、音楽準備室で2人はゲームの攻略本を見て放課後一緒にゲームをやろうと約束していた。にもかかわらずその約束はあっさりと破られている。
そんな友達が目の前で血を流し死んでいるところを見た暁には、脳が上手く機能するはずがなかった。なんとなくボーっとした視界の中でうろうろとさまよっていたのだ。


逃げなきゃ、走らなきゃという思考だけが榊の頭の中をひたすらぐるぐると回っていた。しかし頭の中では分かっていながらも、どうも身体がついていかない。精神的ショックでもう全身に力が入らないし、今こうして歩いていることすら精一杯だった。今すぐに倒れて寝転び、そのまま寝てしまいたい。ゲームの中では主人公は眠りにつくと体力を回復する。それと同じようにすれば――だけど寝てしまえば誰かが襲ってきたときにまず間違いなく寝首をかかれる。そんな不安から、榊はずっと頬に爪を食い込ませて眠気を振り払っていた。幸いして今は昼間だし、太陽が上がっているので体内時計がまだ眠る時間を指し示していない。だからまだ薄暗かった明け方のころよりは平気だった。
「何か……食べなきゃ」
ぐぅぅ、と腹だけはなり続けている。手にはパンを持っているがどうしてもそれを食べる気になれない。口の中は唾液でいっぱいのはずなのに、どうしても目の前に歩いたって普通のコッペパンには食の欲望がわいてこない。次第に周りの雑草すら何か高級食材のように見える。中流家庭に育ってそこそこ普通の生活してきた榊の家では、食べることが出来なかった世界三大珍味、あとはフランス、中国、イタリアなどの高級フルコース。きらびやかなテーブルとりりしい顔つきのウエイター。壁が真っ白に塗られていて天井にあるシャンデリアの光を反射している。

「あ……あ……ああ」
足から力がふっと抜ける。どさっと言う音を立てて榊は地面に這いつくばるような形になった。
何か、何か食べたい。母さんの作ったカレーライス、何ヶ月か前に下の弟と一緒に作った白玉団子、父さんの作ってくれた肉じゃが――あぁ、俺、昨日何食べたっけな……。こんなことあるんだって知ってたら、もっともっと味わって食べたのに、もう何にも食べれない。

ごめんなさい、ごめんなさい。母さんの作った料理は、世界一おいしいです。
倒れたまま不意に涙が流れた。頬に曲線を書いてその温かい涙は頬の冷たさを奪って下に落ちる。次々と涙が浮かんできては目じりで垂れ落ち、雫は土に還る。しばらくずっとそのうつ伏せの体勢のまま涙を流していた。走馬灯のように駆け巡る家族との思い出が、不意に断絶されたのは耳に不審な音がしたからだ。


がさがさっ、がさがさがさっ……
辺りの針葉樹林に敷き詰められている枯れ草や枯葉を踏むような音だ。榊は頭では起き上がらなければならないと指示を出しているのだが、どうにも身体がワンテンポ反応に遅れる。要約からだが起き上がった時には、既に目の前に『その人』は立っていた。
「あ……ああ」
叫びあげようとする額力は吐息と共にかすれた声だけが出て、逃げようとするのだがその足は硬直して動かない。
「よぉ……榊じゃんか……」
小柄な榊からすると相反するような大柄で、それなりにがっちりとした体つきをした目の前にいる人物、『その人』――藤原優真(男子11番)はにやりと笑ったまま榊を見下した。彼は住宅街で町田睦(女子12番)を不慮の事故から殺してしまったあと、すぐに住宅街を駆け抜けこの針葉樹林の並ぶ森へと入ってきた。その中でうろうろしているときに、ちょうど榊の姿を見つけたのだ。

「い……いや……だ」
榊真希人にとっての藤原優真といえば、ただの怖い存在にしか過ぎなかった。あの温厚な郡司崇弘と幼馴染だなんて、そんな笑ってしまうような経歴のある彼だが、力ですべてを任せる彼の噂を榊も耳にしている。暴力事件、他校生徒との衝突。どれもこれも異次元の話のように思えて、聞いた当時は『へぇ、そうなんだ、藤原って強いんだな』で終わっていたが、いざこういう状況になってみるとそれは命取りだと言うことが理解できた。
そういう強さがある人間と、そういう強さがない人間。戦ってみれば結果は目に見えている。


怖い、殺される。

夏葉翔悟(担当教官)に撃たれてかなり損傷している藤原の右腕に視線がいった。あのグロテスクな真っ黒い色がその腕を侵食しきっている。それほどまでに血を流しておきながら依然としてたってその威勢を放っている彼の存在自体が不思議だったが、そんなことはいたって榊には関係のないことだった。
榊はうつぶせの状態からゆっくりと身体をひねらせてしゃがみこむような体勢になり、それから立ち上がった。始めは近くの木に伝ってようやく立っていられる状況だったが、数秒後にはもう自分でたつことが出来るようになった。
――逃げなきゃ、逃げなきゃ。
気持ちばかりが先走って、身体が前かがみになる。

「なぁ、俺、人を……」
「やめろぉ!!!」
藤原の言葉をさえぎって榊は叫び上げる。周りの針葉樹林に止まっていた鳥達が驚いて、一斉にバタバタとどこかの空に飛び去って行ってしまった。
「やめろ、殺さないでくれ!俺はまだ……俺はまだ死にたくないんだ!!」
頬に流れている涙をぬぐうことも忘れ、榊は逃げる体勢を作った。体力がもう残されていなくて、叫びあげるだけで身体がぎしぎしとゆがむような激痛が走ったけれど、緊張感のほうが上回っていたので、そのことに気付かなかった。
「ハハ……俺……は」


一方の藤原はゆがんだ笑みを取り繕ったまま動かない。ただ機械のようにかたっ、かたっと関節を動かして妙な動きを見せる。しかしその微笑の裏には絶望が隠されていた。
――拒絶された。
元来藤原が最も嫌っていた行為。拒絶。余りいい家庭に育ったとは言い難く、本当は誰にも見捨ててほしくなくて、奪ったり、暴力沙汰を起こして人の目を引いたりしてきた彼。郡司崇弘(男子6番)も分校を出たあと探したがいなくなっていたし、町田睦も彼自身を止めてくれるのかと淡い希望を持っていたら、偶然の弾みで死んでしまった。
誰もかもが俺から逃げる。独りにしないでくれ、逃げないでくれ。俺は、俺は――。
一歩だけ、藤原が榊のほうへと歩み寄った。すると榊は元々血の気のない顔から一層血の気を引き、
「来るなあああ!!」
と再度叫んだ。

「おっ……俺はっ……武器なんて持ってない! そっ、それに……」
榊はまた引きつったような口調で喋りだす。
「俺は……」
言葉に詰まっている榊をじっと見ながら、藤原は口を開いた。
「必要と……されて……ない?」
表情こそはそのままだが腕をぶんっと振り上げた。手を上げられたと勘違いした榊はすぐに身を翻して走り出した。


「うわあああああ!!!」
どこへ向かったかは分からない。だけど榊自身、目の前にある恐怖の対象がついに自分に手を下したかと思うと、いてもたってもいられなくてついに逃げ出したのだ。走って、走って、永遠に走り続けられるような気がする。まるで足に翼が生えているような、そんな気分だ。運動は余り得意分野ではなかった榊だが、今日はじめて、こんなにも速く走れたかもしれない。とにかく足元の枯葉を蹴散らしながら走り続けた。
「あ……」
一人残された藤原は、走り去って行く榊の背中を焦点の定まらない目でぼんやりと見ながら細く開けられた口から何か言葉をこぼした。榊の姿がどんどんど遠ざかっていくに連れ、視界が真っ暗になっていく。まるで劇場の幕がどんどん閉められていくように、光が遮断され、闇の黒一色へと変化していった。


――


誰もオメーのことなんてハナから信用してないのさ。見てみろよ、榊だって逃げていったぜ、この座間だ。
お前の目に焼きついて離れない光景、あんだろ?
あいつはお前に来るなって言った。あいつはお前を拒絶した。
当然お報いさ、お前、今までずっと他のクラスメートにすっげぇ目で見られてたもんな。怖い人だって。
一応不良じゃないみたいだけど、それでもお前の暴力沙汰はみんな知ってるんだよ。
誰が好んでそんな暴力男を信用するか。
郡司だって、ホントはお前のことが怖くて、信じられなくて、おまえの事待たなかったんじゃないのか?


耳の奥で響いている幻聴が、ボリュームノズルを左に回したり右に回したりするように、大きく、そして小さくを繰り返して聞こえてくる。本来心の中にあった不安の数々が幻聴となって藤原の耳へとはいってきた。藤原は即座に耳を塞いだが、頭の中で反芻するその言葉の連なりが、彼の耳を捉えて離さない。

なぁ、認めちまえよ。お前、誰にも必要とされてないんだぜ?

「違う、違う違う!」
ぶんぶんっ、と頭を必死になって振るが言葉は離れない。目の前にある背の低い木の幹が自分から離れていった榊真希人の姿と重なった。
「違う……俺は……」
否定もされなければ肯定もされない、そんな人生が嫌で。かといって誰にも振り向いてもらえないような自分が嫌いで。誰かに振り向いて欲しくて騒動を起こしたりするわがままな自分が確かにそこにいる。
はたから見ればわがまま極まりないと思われるだろう、それでも彼はやめなかった。
藤原は、その背の低い木の幹に額を突けたまま、しばらく固まっていた。


――その場から懸命に逃げ出した榊のほうはというと、100メートルほど走ったところでふっと力が抜け意志につまづいて転んでしまった。その転んだ体勢のまましゃくりあげて肩を揺らす。手に握っていたコッペパンの袋をぎゅっと更に強く握ると、身体を起こして立ち上がり、そのコッペパンを涙を流しながら全部食べきった。
母さん、父さん、俺、もう嫌だよ、逃げたいよ、助けて。
一種の届かない望みというものだが榊は必死になって頭の中で反復する。コッペパンの中のジャムの甘さが身体に浸透するころ、ようやく榊は息を落ち着かせた。
――もう、クラスメートは信じられない。皆こうやって俺のことを殺そうとするんだ。
榊の中にあるクラスメートの信頼というともし火が、何物かによってふっと吹き消された。


人は悲しいとき、苦しいとき、つらいときになぜ人を頼るのか。
自分も他人も同じ無力であることはどうや公の常識ではないらしい。
彼らは、余りにも長い間悲しみと孤独の中に浸りすぎた。
ただ、それだけの話なのに。


残り23人


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