怖気*Elegy


「あ、ヒトデ発見」
ほんのりと潮のにおいが香ってくるここ、H−03エリア付近一帯の砂浜。かなり広い地域に砂浜があって、海の家が点在している。元々使うために作られたわけではないのでパラソルも立っていなければ海の家も使っていた形跡はない。ただ、過去のプログラムでこの場が戦闘によって破壊されたのか、いくつかの海の家には銃弾のあとも生々しく残っていた。
吉沢春彦(男子17番)はその長身をふらふらと動かして砂浜を行ったり来たりしていた。と言うのも彼が友人であり恋人でもある関根空(女子5番)に合流場所として合図した場所が砂浜だからだ。この砂浜は見晴らしがよく、裏を返せば人に見つかりやすい場所と言うことは吉沢にだって分かっていたが、もし彼が関根に合図していなかったとしても――彼はここに来ていただろう。なぜなら彼は、海辺と言う場所が大好きだったからだ。

千葉県の太平洋側にある高原市では、車を1時間ほど走らせればすぐそこに海辺が広がっていた。吉沢はよく父親に連れて行ってもらってこの海が見渡せる場所へと遊びに行ったものだ。今回このエリア28は東京湾を向いているが、彼の好きな自然であることはまぁ、間違いない。人工的に造られた場所だ、ということをのぞけば。
彼は自然が好きだった。機械に囲まれて生まれ、機械の中で育ち、機械に看取られて死ぬ。そんな風に生きていく今の人間より、自然と一体になって生きていくほうが彼には似合っていた。


「ほらっ、逃げるなー」
海岸線の岩肌が見えたところにヒトデがいた。水はさほど澄み切ってはいないが東京湾の汚さから言えばまぁまぁきれいなほうだ。そんな水に手をつけてヒトデをつかもうとした――がやめた。自然に人間が手を加えることこそが犯罪だ、と言うのが彼の父親の口癖だからだ。
――まぁ、のんびり行きますかね。
かがんでいた状態から腰を伸ばして伸びをする。ぼきぼき、と背骨がきしむ音がしたがそれも気にならなかった。
それにしても空、遅いなぁ。
あの分校とやらを出発する際に、関根にこの場所のことを伝えたはずだが上手く伝達しなかったのだろうか?と悩むほど彼女の到着は遅かった。ま、そのうち来るでしょ。と彼はのんびりと考えてもう一度海の中へと入る。ローファーと靴下を脱いでズボンをまくる。ブレザーの上を脱いでワイシャツも腕のところまでまくった。まだ3月の中旬、海の水はまだ冷たかったが、逆にその突き刺さるような冷たさが吉沢には心地良かった。それにいくらか身体がぬれても、とっても皮肉でありがたいことに吉沢に与えられた支給武器はタオル10枚組。身体を拭くことが出来る。


「おいっ、こらっ」
今度は岩肌の陰に隠れている魚を見つけた。石を集めて罠を作ったりするがさすがに魚のほうが一歩速くなかなか捕まらない。吉沢はその細い目を出来るだけ見開こうと努力しながらじっと魚の様子を見た。魚はおびえるようにフルフルと尾びれを揺らしながら水中を泳いでる。
バシャァンッ!と水を跳ねさせて吉沢は水に手を突っ込んだ。その大きな手には魚が1匹握られている。
「よっしゃぁー、ゲットォー」
魚を捕まえられた吉沢はそのまま手を高々くあげて水に反射する太陽の光を見た。魚は水から上げられたことで戸惑いながら身体を左右に降らせて必死に吉沢の手から逃げようとする。
「おっ、そろそろ水に帰りたいか?」
魚はうろこが乾くと弱ってしまう――理科の実験にも必要不可欠な常識だし、そういえばつい先日の一般試験の理科にもそんな記述問題がでたような気がする。とにかくも彼は魚を元にいたところにそっと流してやり、ふぅとため息をついた。


「全部終わったら、勇実も見つけなきゃなぁ……」
うわごとのようにぼそっとつぶやく。と言うのも小学校来の友達であり、同じバレーボール部の三浦勇実(男子14番)のことが心配だったからだ。彼はまだ放送で死亡者の欄に呼ばれていないことからして、生きてはいるのだろうけれどもどこで何をしているかまではわからない。優しくて力持ち、そんなイメージがある彼に限ってまさか人を殺したりなどするはずもないだろう。海風に色素の薄い髪の毛をなびかせながら吉沢は目をつぶった。
まぶたの裏に映るのは関根空の姿と三浦勇実の姿。2人とも談笑か何かしていたのだろうか、腹を抱えて笑っている。
『やっだなーハル。ハルがそんなこと言うなんて思わなかったよ!』
春彦のハル、そんなあだ名で親しまれてきた吉沢に向かって関根が笑いながら言う。
『おいおい空、ハルって意外にむっつりなとこあったりするんだぜー?』
三浦が笑いすぎてひーひー言いながら涙を手でぬぐう。

あぁ、そんな日常も、確かにあった。受験戦争に打ち勝って、それから退屈で仕方がない卒業式練習に入って、それから相変わらず退屈な人権教育だかをやらされて、放課後は三浦とゲームをやって――何気ない日常も、もう戻ってきやしない。まるで猫のようにどこかにふらりと行ってしまった。
「楽しかった……なぁー」
ふふっ、と小さく笑いながらもっといろいろな楽しかった思い出を頭によみがえらせてみる。関根とあの海岸で運命的な出会いをしたとき、体格が大きいくせにあえてセッターにいる三浦のトスにあわせて決勝スパイクを決めたとき。テストで初めて学年順位30番の中に入れたとき、運動会の打ち上げでクラス皆して馬鹿騒ぎしたとき。
まるでお手玉をいくつかぽんぽんと回して遊ぶかのように次々と思い出は駆け巡っていく。ふと、目頭が熱くなるのを感じた。
――ノスタルジーだ。ホームシックかもしんない。
眉間のところを指でつまんで涙をこらえた。だけど目頭が細かく痙攣するので更に泣き出しそう。

吉沢はぎゅっと目をつぶってから出来る限り目を見開いた。そうすることで涙をこらえられたら――と思ったが、実際には余計なものまで入り込んだ。広い砂浜の向こう、海岸線に沿って誰かが走ってくる。
吉沢は視力両目とも1.3はあるので見間違えるはずがなかった。白い制服、灰色のズボン、青いネクタイ。はっきりと見えた第五中学校の制服、それに……小柄、すこし長くて色素の薄い髪の毛と色白の肌。
冷や汗が、吉沢の頬にあるそばかすを伝って砂浜に落ちた。


「……ナオ……」
走り寄ってくるのはまさしく牧野尚喜(男子13番)だ。彼はクラスでも問題児的存在な相澤圭祐(男子1番)藤原優真(男子11番)などの遊び道具(というかからかわれ役)だったので森井大輔(男子15番)郡司崇弘(男子6番)、それに新宮響(男子9番)市村翼(男子3番)なんかのグループとも仲がよかった。――そういえば土屋若菜(女子7番)に可愛いからって追っかけられてたっけな。ご愁傷様――そしてクラスとも分け隔てなく接している吉沢とも、当然仲がよかった。特に牧野は背が低くいためいつも長身の吉沢を羨ましがっていた、と言うこともあり、吉沢と牧野は話す回数も格段に多かった。
だからこそ信じられなかった。今牧野が吉沢に向かって走ってきて、そのてには拳銃らしきものが握られているだなんて――。

「ハルゥッ!!」
牧野は吉沢との間を10メートルほど開けたからすぐに下を向いたまま拳銃―S&W M10―を構えた。拳銃――それはこのエリアではざらに配られている凶器。先ほどから銃声も時折している。だがそれは全部他人に起きたことで、当たり前だが吉沢に拳銃を向けられた経験はなかった。だから彼は全身の筋肉が硬直し、身動きが取れなくなる。ただ目の前で拳銃を構えている牧野のことを凝視するしかなかった。


――あぁ、ヤバイ……
バァンッ!!

吉沢が心配していた通り、牧野は拳銃の引き金を引いた。一発目はとりあえず当たらなかった。
その大きな音のおかげではっと頭が危険な状況に対して対応できるようになり、身体が軽くなる。体勢を立て直してから吉沢は牧野の顔を見た。以前にも何かあったのだろうか、顔が真っ青になっている。
「やめろよナオ!」
いつもは彼の親友、三浦勇実同様声を荒げないのだが、今に至っては声を張り上げざるを得なくなった。手が小刻みに震えているのが分かる。ドクン、ドクンという心臓の音が首にまで伝わって息苦しい。
「だって……だって……!」
牧野はようやくその顔をぐっと上げた。大きな目からは涙があふれんばかりに浮かんでいて口がカタカタ震えている。――違う、ナオは狂っているわけじゃない。怖いんだ――長年の勘を頼りに吉沢は少しずつ近づいて交渉しようとした。


「大丈夫、怖くない。俺はいつものままだよ?」
「うわあああ!!」
いつもなら何をするのにも後ろで女子がキャーキャー行って湧き上がっていたものだが、今はその黄色い声援はないようだ。彼はその整った顔をくしゃくしゃにゆがめてもう一度拳銃を構える。
ヤバイっ!!そう吉沢が思った時には既に銃声が響いていた。
「くぅっ……!!」
左胸よりすこし高いところに衝撃を覚えた。吉沢は肩を殴られたような衝動に負けてぐらりとその身体を揺らし、砂浜に倒れこむ。
「は……ハァ……ハルゥ……」
息切れと共にそんなつぶやく声がした。そぉっと目を開けるとすぐそばにはいつの間に駆け寄ってきたのか、牧野がさっきの歪めた顔のままそばに座っていた。吉沢は懇親の力を込めて上半身を起こす。

「どうしたナオー、そんなに泣いちゃってさぁ。何かあったのか? ん?」
血が付いていないほうの右手で牧野の頭をなでる。さらさらとした感触が指の先に感じられたが、なでているうちになぜか何の抵抗も感じられなくなった。
「ごっ……ごめんないごめんなさいごめんなさい! お……俺っ……怖くて、怖くて……ハルが襲ってくるんじゃないかって……そう思ったから俺……!!」
わぁっと大声を上げて泣き出すと、吉沢の足元にすがりついた。
「大丈夫……俺のことは、大丈夫だから」息を切らしながらも吉沢は牧野の頭をなで続けた。


「ケースケがっ……ケースケがすごい顔をして俺の前通ったから……怖くて……怖くて俺……!」
「……相澤……が?」
相澤圭祐といえばクラスでも印象深い男子のうちの一人だ。いつも笑顔を絶やさない相澤が血相変えて走っていたのだ、とんでもないことをやらかしたのだろう。
「大丈夫、落ち着けよ……ナオ……」
「ごめんな、ごめんなハル!! 俺……俺取り返しのつかないこと……」
牧野は泣きながら何回も何回もつぶやくようにして謝る。恐怖のあまりすべるようにして引き金を引いてしまったのだろう。それは自分に責める権利はない、と吉沢は心の中で反復した。そろそろ痛みも麻痺してきて感じられなくなってきている。血もだらだらと流れているにしろ身体はまだいけそうな予感がした。


――空と会うまでは、何がなんでも死ねない。
そのことだけが吉沢の心の生きる希望となっている。
「ナオ、自分を責めないでくれよ」
そう、これは運命だと……自分の生まれたころから決まっていた運命。自然の摂理が人間にも及ぶように、人は生まれ、生き、そして死ぬ。それがちょっとだけ生きる時間が短かっただけ、それだけの話。だから吉沢は泣いたりわめいたり、悲しんだり怒ったり嘆いたりはしなかった。せめて最後の最後まではありのままの自分で死にたい。それが自然を好いてきた父親の言葉でもあった。
「俺は、死ぬのは惜しくないよ」
「お……俺が……! 俺が撃たなかったら!」
「大丈夫。……ナオは……強いよ」

牧野は自分自身を責め続けたところで何の得もしない。吉沢だってこのまま彼に罪を追及したってなんと損得は得られない。だったらいっそ死んだほうがマシかもしれない。だがそこで彼はふっと考えた。もし、彼の目の前で自分が死ぬとしよう。そうすれば牧野は自分が殺したと更に自分を責め続け今度こそ狂乱の道へとまっしぐらに進むのではないだろうか?そうすれば……やりそうなことは大体目星がつく。手には拳銃、正常な理性はもう失われているとなれば、進む先は血の海しかない。
「な? だから、ナオは強いんだ。……だからな……よく聞いてくれ」
「……え?」
「この近くに……誰かいるみたいなんだ。さっき音がした」
「っ!!」
これ以上クラスメートの変わり果てた姿は見たくない。いつものようにただ普通に生きて普通に食べて、普通に授業受けて普通に遊んで――そんな風なクラスメートを見ていられることが幸せだったなんて。
とにかく、吉沢は牧野の肩に手をおいて痛む左肩の下あたりにぐっと力を入れた。


「いいか? ……いいな、よし。俺はもう動けないから、せめてナオだけでも逃げろ」
「そっ……そんなこと――」
「いいから! ……よく聞けよ」牧野の言葉をさえぎって叫ぶ。
「誰かに会ったならな……まず落ち着いて10回深呼吸するんだ」
「しんこ……きゅう?」
「そう……深呼吸。……それから……拳銃はみだらに手に持たない」
血液が回らないからか、寒気が襲い同時に口元もからからになって来た。上手くろれつが回らない。かすむ視界の中で牧野がうなずいたのを見ると説明を続けた。
「出来るだけ相手を……信用してやれ」
「は……ハルみたいに?」
「……まぁ、そんなところ」
からかわれて追い掛け回されていたからか、牧野は気が弱くて小心者になってしまった。だから何にしてもすぐ怯える傾向がある。だからこのあと、こうでも言って釘を刺しておかなければまた同じことを繰り返してしまうだろう、と吉沢は思った。
「分かったか……? 深呼吸して、落ち着いて……拳銃は持たないで……信用して……やるん……だぞ」
「わ……分かったよ……」
「行け!! 逃げろ!」


震える腕を懸命に動かして、吉沢は牧野の背中を叩いた。牧野はバランスを崩しながらも立ち上がって一瞬吉沢のことをちらりと見ると逃げていった。――もちろん、この近くに誰かがいるだなんていうことは勝手な想像だが、そうでもしない限り吉沢が生きている間に牧野をこの場から離れさせることは出来なかった。
吉沢は牧野の姿が砂浜から消えるのを確認したあと、そっと撃たれた場所を見た。血で真っ赤に染まって肉片が見えるとてもグロテスクなものになりつつある。呼吸をするたびに息苦しさを感じる事から肺を撃たれたのかもしれない。ぼんやりとする思考回路の中、必死に答えばかり探していた。

――空、早く来てくれよ。俺、死んじゃうって。
ターコイズブルーで遠浅の東京湾。その向こうにはピンク色をした浮きがあって、そのまた向こうにタンカーや監視船が揺れている。あぁこれは俺が好きだった海じゃない。昔関根空と出会ったあの広くきれいな海を思い出した。こんな人工的な場所で、俺は生まれ変わるのだろうか。
そっと、目を閉じてみた。




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