兄弟*Prima donnna


箸が豪華な色塗りの食器皿に当たる音と、その食器たちが繰り返しテーブルに置かれる音だけがその部屋に響いた。蓮川家のリビングにある食事用の長テーブル。長方形の短辺にある上座のところには長男の晴一が座っていて、そして晴一から見て左側に次男貴正、右側には三男の時哉が座っている。貴正の左隣には四男真人、その向かい側には五男洋介が2人して晴一の作った夕食をほおばっている。
蓮川家は由緒正しき家庭なので、食事時の座り方も正式に配置されていた。最近では上座に着くはずの父、修造がめったに食卓に着かないので、代わりに上座には晴一が座っている。もちろん、亡き母の美津子や長女は下座にあたる場所に座らされていたが。
末っ子の洋介は何も知らずに無邪気におかずとご飯をいっぺんに胃袋に収めていたが、真人はいつもと違う重苦しい雰囲気に兄達をちらりと見ながらご飯を食べていた。もちろん食卓なので彼らの目の前にも夕食が並べられている。しかし晴一と貴正は手もつけずに、ただ下をうつむいて黙りこくっている。時哉はスープをスプーンですくってはまた皿に落とし、すくっては皿に落としていた。引きこもりの次男貴正がこうして食卓に並んでいることすら珍しいのに、テレビもつけずにしんとしている雰囲気に、真人はいち早く敏感に異変を感じていた。


「なぁ、真人。洋介。男尊女卑って、知ってるか?」
だんまりをきめていた晴一がついに口を開いた。兄弟の視線は弱々しく晴一に集まる。
「ダンソンジョヒ?」
すぐに洋介が口に食べ物を含んだまま聞き返した。真人は「ちょっと知ってる」と小声で答える。
「男尊女卑って言うのはねー、男の人が偉くてー、女の人はその下っていう考え方だよ洋介」
テーブルにひじを突いて手の上にあごを乗せた体勢のまま貴正が答えた。彼の少し長い髪の毛がさらっと揺れ、肩から落ちる。その癖のある喋り方を弟2人は久し振りに聞いた。
「で……それが大切の話なの?」
真人は違う意味で興味心深々に聞き返す。
「ちょっと、前振り長くなっちゃうかもしれないけど、その一部だ」
上座に座っている晴一は食事の隣においてある熱い番茶を口に含み、一呼吸おいてから語りだした。


「昔から蓮川家は代々男尊女卑の考え方が根強く残っていた。ほら、お前らも分かるだろ。母さんや司がこの家ですべてを奪われてたしな」
真人はゴクリとつばを飲み込む。この食事の場も上座近くに男が座り、下座に女である母親と司が座る。正面玄関の開錠パスワードは男衆しか知らない。農業の経営に口出しはおろか、普段の生活ですら彼女らの発言権は皆無。地元で屈指の広い家にもかかわらず、彼女達が行き来できるのは限られた場所だけ。真人も気がついたら父親にいつもこんなことを刷り込まれていた。
――『あいつらはクズだ。クズは排除しなければならない』
「あいつらはクズだ。クズは排除しなければならない」
真人が思い出すこの言葉と同時に晴一の言葉が重なった。彼はふっと頭を上げて晴一をじっと凝視する。
「俺もよく言われた。俺だけじゃない。貴正も、時哉も、真人も洋介も言われていたはずだ」
「でも、オレはあんま言われなかった」
のんきに洋介は答えた。

「そうだな。洋介はなー。俺は……この蓮川家に長男として生まれたから、小さいころから英才教育を受けてすべてを完璧にしろと父さんに言われたよ。ただ純粋で一途なほど馬鹿だった俺は父さんのいうことを全部信じた」
晴一はぎゅっとテーブルクロスをつかむ。苦々しい表情をし、視線を下に落とした。


「父さんのいう通りにすれば俺は将来安泰。父さんのいうことを聞けば俺はいい子になれる。そう思っていたから、そう思っていたからこそ俺は母さんが嫌いだった……父さんに強制されていたこともあるけど……な」
最後の辺り。母さんが嫌いだった、という言葉に反応して洋介も食べる手を止めた。そこで入れ替わりに時哉は自棄になったように夕飯を食べ始める。
「……それに、頑張る母さんが嫌いだった。いつ見ても阻害されてて、いつも父さんに殴られてて、つらいのわかってるくせにいつも部屋の隅で笑っていた。そんな母さんが嫌いだった。つらいならやめてしまえばいい。離婚だって出来ないわけじゃない。逃げ出せばいい、今すぐこんな場所からいなくなってしまえばいい。いっつもそう思っていた。だけど俺は口には出さなかった。生まれてからずっとその光景を見ていたから、それが当たり前のように見えていたからかな……」
そこで一旦ため息をついて、もう一度話し始める。

「つらいなら、逃げればいいのに。かっこ悪い抵抗ばっか続ける母さんが見ててウザかったし、うっとうしかったし、とにかく……邪魔だったいらなかった大嫌いだった」
晴一は頭を抱えて黙り込む。思い出せばこの方、晴一は実の母親をいつも恨めしく思っていたのかもしれない。次々と出てくる過去の事実が晴一の脳裏を突き刺すようにして暴れる。弟達のお守りの中せっかく来てくれた小学校の授業参観、クラス全員の前で子供ながら罵声を飛ばしたあの時。反抗期になると更に行動がエスカレートし、一時母親の作った食事には一切手を触れずそのまま本人の目の前で生ゴミのところに捨てたこともあった。


「俺もあの人が嫌いだった」
晴一が罪の意識にさいなまれていると、今度は貴正がそっと口を開いた。あの人というのは、もちろん母親のことだ。
「記憶がある限り俺はずっと独りだったのさ。気がついたころには下には時哉が生まれてたし、晴一兄はもう卒園して小学校上がってたからその点では独り立ちして、父さんは仕事だったから俺はずっと独りだった」
特徴ある話し方の癖は抜け、悠長にさらさらと流れるような話し方で語った。感情のこもっていない言葉達、それが貴正の精一杯だった。精一杯自分を抑えて、今にでも込み上げてくる怒りや悲しみをこらえている。
「悲しかった、すっげぇムカついた。……今でも覚えてるよ。幼稚園のひな祭り発表会って言う演劇の奴……みんなは母親が来て演劇のこと褒めてくれるのに、俺には誰一人褒めてやくれなかった」
ただっ広い幼稚園の教室。クラスの子は皆親に手を引かれて笑いながら帰っていったのに自分だけがそこに取り残される。演劇をし終わった後だというのにまるで真っ暗な舞台に一人立たされて、まぶしい限りのスポットライトを浴びている悲劇のヒーロー。孤独と寂寥が幼い貴正に襲い掛かった瞬間。

貴正も晴一同様お茶を口に含んで、それから話し出した。
「引きこもりになったのも……あの人に気にして欲しかったのかもしれない」
彼が自分の部屋に引きこもるようになったのは小学校に上がってからすぐだ。だが彼の母親に気にして欲しいという願いもむなしく母親は時哉の次に司、真人、洋介と次々と出産し、貴正に構っていられる程暇ではなくなった。だから上の兄たちの世話は手薄になり、いくら貴正がこもったところで、彼が必死に出していたSOSのメッセージは母親に届くことはなかった。
「だから俺はあの人が嫌いになった。母親のクセに、俺に構わないでずっと他に目がいって。まるで俺がいなくてもいいように、まるで俺が死んだかのように、まったく俺のこと、気にしてくれなかった」
彼は着ていた黒いハイネックの長袖シャツの袖口をめくり上げる。あらわになった左手、いくつもの傷跡が横に走っていた。
「こんなこともしちゃったしね」
――リストカット。貴正は自嘲気味に笑った。


だんっ!!と勢いよく茶碗をテーブルに叩きつけた。時哉は茶碗を握り締め、いつも余裕綽々な表情をしているくせに、今は切羽詰った、というより死ぬか生きるかの修羅場に立たされているような顔をしていた。
「……いっつもなんであんな母親から生まれてきたんだろう、って思ってた」
時哉は今にも茶碗を割りそうな勢いで腕に力をいれ、箸をおいた。
「俺は……小学校中学校って私立だったけど、ずっといじめられてた。それもこれも母さんからの遺伝。兄弟の中では……俺と貴正兄と司が受け継いでるのかな。外人みたいに真っ白な肌、色素がめちゃくちゃ薄い髪の毛。いつまでたっても小柄な身長。そんなの、暴れ盛りのガキにとっちゃいじめて下さいって言ってる様なもんだった」
今となっては成長期を過ぎて時哉の身長も180を過ぎ、色素の薄い髪の毛をわざと茶色く染めたが、そのすけるような肌の色はいくら日焼けをしても変らなかった。今の時代でこそ色黒ブームが過ぎ、色白ブームが到来したので時哉は誰からも羨ましがられていたが、昔は散々なものだった。

「だから、どうして俺があんな女の腹から生まれたんだろうって、ずっとずっと責めていた。父さんにそのことを話せば母さんを恨めしか言わないから、俺、その言葉どおり、ずっと母さんを恨んでたよ。大嫌いだった」
しばらく間が空く。時哉はため息をついて
「そりゃぁ、八つ当たりだって思うかもしれない。実際、俺もそう思った」
と言った。それから洋介と真人の事を見て、また視線を落とす。
「でもな、そうでもしなきゃ俺は俺じゃなくなりそうだった。父さんは嫌でも家から追い出して学校行かせようとするし、行けば行ったで学校においてある物は全部捨てられてるし、ガキ大将に尻にしかれるし、もう……散々だったな」


この言葉を最後に完全に誰も動かなくなった。肩にのしかかる罪の意識と、そんな話を聞いてしまった罪悪感が共に兄弟達へ攻撃を仕掛ける。しんとしたリビングに響くのは、近くの道路から聞こえる車のエンジン音のみ。
「で……でも」
話の内容がよく分からない、といった風に真人は立ち上がる。


「司が」
真人が立ち上がるとすぐに晴一が声を上げて真人を静止させた。『司』という言葉が出ただけで兄弟全員がぴくりと反応する。
下の兄弟は辺りを見回してみた。いつもならこの辺りの時間帯にこのリビングに下りてきて、食事を取るはずだが今日は見当たらない。塾などには一切通っていなかったので(というよりも通わせてもらえなかった)姿が見えないことはおかしい。物静かで隣の家に住む新宮響以外の他人との交流を極端に嫌がる彼女だから、学校の友達と打ち上げに行くというわけでもなさそうだ。
「司がプログラムに選ばれた」
その瞬間、洋介が箸でつかんでいたミニトマトを落とした。
「プ……プログラ……」
洋介ももうすぐ小学5年生に上がる。プログラムのことは学習済みだった。もちろん、真人も同じく。

「嘘……だろ?」真人は目を見開いたまま軽く笑った。
「嘘じゃない。政府の人間、うちに来た」
こんなことをいう貴正からは何もかも諦めたといったような脱力感が感じられる。
「訳分かんないよ! 兄貴達は母さんが嫌いで……それでいきなり司姉がプログラムに巻き込まれたって? じょ……冗談……で……しょ?」
先刻時哉がやったように真人は机をだんっ!と叩いて立ち上がる。


「俺だって冗談であって欲しい!」
その大声よりももっとおおきく、晴一が声を張りあげた。全員がびくりと身体を揺らし黙る。特に一番下の洋介は兄達が母親のことを嫌いといったことと、司がプログラムに巻き込まれたというショックで頭がパニック状態になっていた。
「いいから……落ち着いてよく聞け。ここからはもしもの話だが……司は……その、プログラムに……優勝したら……俺たちを……こ……殺しに来る」
「何で?! 何で司姉が兄貴達を殺さなきゃならないのさ! 俺たち家族だろ?!」

真人のいう、家族、とやらに兄達はため息をついた。自分達が物心ついてこれまで司や母親たちのことを一度でも家族扱いをしたことがあるだろうか。反抗期、というのも彼らに合ったとしても、あまりにも反抗期の度を越している。母親の生前に一度でもまともに面と面向かって「母さん」と呼んだことがあっただろうか。妹である司に兄らしいことをしたことがあっただろうか。
この家は客観的に見ればすべてが異常だった。だがそれがこの家の普通だった。
兄達にとって『女』である母親と司はもはや家族ではない。特に家主である父を殺そうとした司に彼らはどんな仕打ちをしてきただろうか。
彼らが母親や司に優しくしてやったことなど一度もないことに気付く。


「家族なんて……今まで一度も思ったことなかった……なぁ」
貴正が思い出したようにボソリとつぶやく。目をつぶって数秒した後、目を開いた。すると貴正の正面にいる時哉のテーブルの上に握られたこぶしがガタガタと震えているのが見える。
「時哉?」
人一倍、司の報復を怖がっている彼にとって、彼女を思い出すだけで身の毛もよだつ思いをするのだろう。しかしそれにしては震えすぎだ。これは単なるたとえ話にしか過ぎない。プログラムとは壮絶な環境であることをよく耳にするほどだ、優勝できる確率だって約30分の1。プログラム自体が宝くじで一等を当てるようなものなら、その中で優勝する確率は年賀状宝くじで4等を当てるようなものだ。杞憂にも程がある。

「俺、怖いんだよ……」
外では悪ぶった態度を見せていても、本当のところは気が弱い時哉の恐怖症が出た。

「司が……あいつ、髪の毛脱色して……、母さんの形見のヘアピンを左耳のところにつけたら……後姿とか、横顔とか、そっくりなんだ。母さんに」
思い当たるだろ?と時哉は顔を上げて兄弟に意見を伺う。心当たりがありすぎて他の兄弟はただ目を合わせて弱々しくうなずくだけだった。


「時々間違えそうになったよ。死んだはずの母さんがそこに立ってる……ってな」

セミロングの茶色い髪の毛、上から下まで細い体つき。いつもニコニコ笑っているところはさすがに違ったが、それ以外を除けば完全に司は美津子の生き写しだった。その姿を見て時哉は幾度背筋に悪寒が走ったことだろうか。そしてその瞬間『あのこと』が脳裏に浮かび上がってくる。


「怖いんだよ……。司を見てるとまるで母さんが……俺たちに復讐しに来たんじゃないかって!!」


(残り22人)

第2章・終了


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