矜持*Rubato


白い筋雲、ダークブルーとモスグリーンを掛け合わせた海。春の陽気を漂わせる暖かな風がふくこの淡いクリーム色の砂浜に、青春という名の天使が羽をもがれて堕ちた。
関根空(女子5番)三浦勇実(男子14番)に押し出されて彼より一足先に吉沢春彦(男子17番)と会うためにこの砂浜へと走ってきた。砂浜のエリアは大分広く作られているので、すこし目の悪い空にとっては探すことも大変だったが、ほとんど障害物がなかったので楽に探せた。

一度、後方から銃声がした。ふと足を止めてその場を振り向いたが先ほどいた場所から変化はなく、ただ波が行ったり来たりを繰り返しているだけだった。
関根はひとりでこの広大な砂浜に立っていることが心細かったが、三浦が最後に言った『あとで行く! だからハルと待っててくれ!』という言葉を思い出すだけで妙に強くなれる気がした。大丈夫、イサ君は絶対あとで来るから、私が先にハルを見つけなきゃいけない。 関根はぐっとこぶしを握ると、前をむいて走りだした。


――ねぇハル。大丈夫よね、あたし、きっとハルに会えるよね。そしたらみんなで沖縄の海見に行こうよ。こんな東京湾の汚い海じゃなくてね、透けるようにきれいな海なのよ。ハルは行ったことないと思うけど、あたしは1回行った事あるの。青くて、白い砂浜とのグラデーションがすごくきれいだった。きっとハルも気に入ると思う。だから、待ってて。すぐに行くから。
ザリッ、ザリッ、と一歩足を出すたびにひねった足首が痛むが、鳴き砂の砂を蹴り上げて、関根はとにかく走った。
そのあと少し走った後、砂浜の北のほうに当たる場所で、誰かが倒れているのを見つけた。それともう1人、その倒れている人の近くで誰かが立っている。一瞬驚いて身構えたが、すぐにその目で倒れているのは彼氏である吉沢春彦で、立っているのが蓮川司(女子9番)だということを認識できた。
吉沢に関しては長身で、色素の薄い髪の毛。蓮川に関してはベージュに染められたセミロングヘアーだけですぐわかった。
しかし一歩近づこうとしただけでもう一度蓮川のほうへと目が行く。彼女の白いブレザーは、数十メートルはなれた場所からでも見えるくらいどす黒く変化していた。ただ事ではない、とさすがの関根も理解できる。しかもよくよく見てみれば彼女の手には拳銃らしきものが握られているではないか。


「ハルーっ!!」
腹の底にこめていた何かが無意識に込みあがり、ついには言葉となって放出された。
「空ッ!!」
吉沢は苦痛にゆがんだ顔をしながら即座に立ち上がり、驚いて立ちすくんでいる関根に向かって走り寄ってきた。すぐに彼女も硬直から開放され、吉沢のほうへと走り出した。
「逃げろぉお!!!」
バァンッ!!バァンッ!!
連続した銃声が、砂浜に響いて海までこだまする。その音のエコーが消えたかと思いきや、今度は走り寄ってきたはずの吉沢の体ががくりと崩れた。蓮川と関根の距離のちょうど真ん中の辺りで、吉沢は砂浜に倒れる。

「いやああ!! ハル!!」
倒れたのをみて関根はすぐに彼に駆け寄った。食いと上半身をあげて吉沢の頬を何回か叩くが、元々細い彼の目が更に一層細くなった気がした。それでも関根は意識を戻そうと必死になって叩き続ける。彼のごつごつした頬に関根の手が当たるたび、関根は涙の量を増やしていった。
「ハル、ハル、起きて、ハル!!」
首元に腕が触れると1回鼓動を打つ感触がしたので、まだ死んではいないと関根は確信すると、また頬を叩いて意識を呼び起こそうとした。

せっかく会えたと思ったのに、そんなのひどいよ!まだ死なないで、ハル!!――口に出して叫びたい言葉達が、しゃくりあげた拍子にこぼれおちる。何もいえなくて顔を歪めている関根を見て、吉沢はそっと目を開いた。
「そ……ら……、逃げろ」
どうやら銃弾は彼の腹部と足を貫通したらしい。だらだらと流れる鮮血の温度とにおいを感じ取りながらも吉沢は口を開いた。彼の中では先ほど思ったことを必死に伝えようという気持ちが氾濫している。――蓮川は俺たち2人を殺そうとしているんだ。だから早く逃げろ!とは思っても、なかなか口に出して伝えることは出来ない。


「嫌だ! せっかくハルと会えたのに! それにイサ君もハルと待ってろって言ってくれたもん!!」
関根は彼の上半身をぎゅっと抱きしめた。運動部らしいがっちりとした体系は部活引退後の今でも保っている。それでいて細身なものだから、抱きしめている感覚がほとんどない。
「ずいぶんと偶然に出来上がったラブストーリーなのね」
不意に司の声がした。吉沢と関根は顔を不意と上げると逆光の中に映し出された司の冷たい視線を受け取る。彼女は左手に持っていた小型のゲーム機らしき物を取り出すと、しばらく画面操作し、にやりと笑った。

「三浦勇実、柳葉月に銃を奪われ腹部被弾による失血死。時間的には……さっき聞こえた銃声かな」
淡々と、言葉に感情なく彼女は言い切った。その言葉を聴いて関根は顔から一気に血の気を引く。
「う……そ」
「嘘だとこっちも困るのよねー」
司は間髪入れずにそう言うと、手をひらひらと振りながらあざ笑う。普段の生活からは感じ取ることが出来ないような誇り高い笑み。いつも関根が見てきた蓮川司という人物像が一気に覆された。
「だって、イサ君はすぐに追いかけるって……!!」
「すぐ、来ないじゃない」
司は関根の希望をぴしゃりとつぶす。関根には思い当たる節があった。先ほどの銃声。あれが三浦の命を絶って銃声だというならどうして自分はのんきにこんなところまで来れたのだろううか?と自分の心に問いかける。
しかし後ろに戻ったとしても吉沢は死に、前に進んだとしても三浦が死ぬというこの選択肢。どちらを取ったとしても関根にとって大切な友達が奪われることには間違いはなかった。


「空……逃げろ」壊れたカラクリ人形のように吉沢はつぶやく。
「嫌! ハルおいて逃げるなんて出来ない!」
涙をろぼろぼろとこぼしながら関根は吉沢に抱きついた。もうすぐこの身体に吉沢という人は居なくなってしまうと思うと居ても立っても入られなかったのだ。
「俺……そ……らが……好きだよ……」
関根の鳴き声と吉沢の言葉がかぶった。
「でも……蓮……川を……責めないで……」
それを最後に、吉沢は息を引き取った。最後の言葉が関根の間の前にいる殺人者の擁護の言葉。目の前に愛しい人を置いておきながらそれか、と彼女は腹立たしい気持ちでいっぱいだったが、それよりも悲しみのほうが勝っていた。
――ねぇハル。あたしを置いていかないでよ。嘘でしょ?嘘って言ってよ。


――


ずいぶんとこぎれいな恋愛シチュエーションだこと、と司はため息をついた。人と人との馴れ合いは見ているだけで虫唾が走る。この超高性能情報機だかいうものの情報に沿って砂浜に来てはみたものの、とんでもないグループと会ってしまったものだ、とため息をついた。こんなくだらない妄想組は、さっさと自殺しちゃえばよかったんだ。と司は苛立ち混じりに思う。
――あぁ、こんなユダヤ人の滑稽な悲劇に付き合ってらんない。さっさと殺さなきゃ。司は日高かおるから奪ってきたキャリコM950を持ち上げて両腕で固定する。説明書で読んだとおり、セーフティを軽くはずしてそれから引き金に指をかけた。
「……そっか、死体ごっこでしょ?」
キャリコの銃口の先、関根が呆然とした表情で吉沢のことを見ている。先ほどの狂気はあっさりと流れ、ただ吉沢のことを見てそうつぶやいた。吉沢も吉沢で目を瞑ったまま動かない。
――死んだかな。
司は思うのと同時ににやりと笑った。最後の致命傷は自分が腰元に予備としてしまっていたワルサーP38の銃弾だ。また一人、司に手によって死に至らしめられたクラスメート(いや、彼女にとってはただのユダヤ人でしかない)が増えたことになる。自分の手で人の命を奪ったと言うことはなんとも快感なことだろうか、と司は嬉々とした気分になった。


「ハルの死体ごっこ、すごく上手いよ。私の降参」
蓮川司という人間は、小学校が違ったこともあったかもしれないが吉沢春彦と関根空とは一度も話したことがない。知っていることといえば、2人は付き合っていた、以上。つまり未練というものはない。司自身、さっさと殺してやろうと思いがあるのにもかかわらず、引き金を引くことが躊躇われた。何も思い入れなんかないはずなのに、どうしてか引き金に指が上手く吸い付かない。他の人間を殺す時にはもっと簡単に、それも思いのほか何の戸惑いも無く撃てたはずなのに。
「だから、もうネタは上がってるんだ……って……ねぇ、起きてよ、ハル……」
力なく関根は吉沢の頬をパシン、パシンと叩いた。そんな行為が2回ほど繰り返されたが、ようやく現実を受け入れたのか関根は声のトーンを落とし
「許さない」と司のほうを向いて睨みをきかした。
睨まれたほうの司は一瞬驚いて目を丸くしたが、すぐにふふんと開き直って
「そう」
と適当にあしらった。


「あたしから大切なもの全部奪ってった!!」
大切なものを全部奪っていっただって?――司は何も知らないこの哀れな少女を腹の底から哂った。
私は元から全部奪われていたのよ、この絶望は誰にも分からないし、この上に絶望なんて文字はない。たとえ、愛する人が目の前で殺されたとしても、生まれたときからすべてを奪われ、たった一人の味方を奪われたこの悲しみは。
司にとっては小指の爪ほどにも満たない悲しみを、しゃあしゃあと語っている関根を見てまた苛立ちを覚えた。その絶望と悲しみのボーダーラインはもちろん司の偏見によるものに過ぎないが。
「それでも何も思わないの?! ……アンタは……アンタは化け物よ!!」

――化け物、か。

司の視界がすべて真っ暗になった。
化け物、聞き覚えがある。そういえば高木時雨(女子6番)も死ぬ前にそんなことを抜かしていたような気がする。私が化け物?冗談じゃない。私は神よ、死と世界をつかさどる神。化け物なんかじゃない。私は、私は。
不意に真っ暗な視界の中に光が現れる。
――司、有能でありなさい。一番でありなさい。彼女の母親が残した言葉がはっきりと脳裏に蘇ってくる。
「かわいそうなハル……化け物に殺されただなんて……」

……ヘタな演劇のように哀愁を漂わせてどんな悲しみを語ろうと思ってるの?司はそう叫んでやりたかった。目の前に座り込みただ吉沢を抱いて泣きながら睨む関根を、思いの限り罵倒してやりたかった。今すぐにでも視界から消し去ってやりたかった。
自然と司が握っていたキャリコの銃口があがる。関根は余り驚かずもう覚悟したのだろうか、ふぅとため息をつくとまっすぐに司を睨んで
「怖くなんて、ない」
と言いきった。
それから小声で早口に、さも遺言か何かのように悲しげにつぶやく。
「あたし、ハルと会えてホントによかった」
――嘘吐き
ダダダダダッ……!!閃光と共に手に衝撃が来た。司の眼下2メートルほど、そこに『あった』はずの吉沢と関根の身体にはいくつものどす黒い穴が開いているのが分かる。この至近距離ではずすはずもない銃弾は、すべて彼らの身体へと突き刺さった。
「嘘吐き」
司はキャリコの口をあげてセーフティをかける。それからもう一度、穴だらけとなった2人の遺体に手を触れ死んでいるかどうかを確かめた。
「嘘吐きユダヤ人」
ピクリとも動かず呼吸も止まっていて、鼓動も感じられない。2人のカップルは今、大好きだった海辺の砂浜で命を落とした。


「怖くないだなんて、何言ってるの? 死ぬことが怖くないの? それとも彼氏がもう死んだから寂しくないとでも言いたいの? ……嘘吐きよ、自分の力の無さを口でカバーするなんて卑怯者のすること。そう……弱い人たち」
誰に語らずとも司はぶつぶつとつぶやき続けた。
君はもっと強くなければいけないね!これを読んでごらん!いかにヒトラー閣下が強い人だっていうのかがすーぐにわかるぞ!――司のディバッグに入っている我が闘争の書物を与えてくれたミハエル・エアハルトの声が蘇ってきた。近所の公園でいつも誰かしらにヒトラーの偉大さを語っていた彼は、ある意味では司の友達だった。司の思想を助長するきっかけのひとつだった。
「私はそんなに弱くない……私は、強い。私は、強い」
返り血を浴びた足元を見つめてまた何かの暗示のようにつぶやく。有能でありなさい、という母親の声と、君はもっと強くなければいけないね!というミハエルの言葉。それから吉沢が言った「悲しい目ぇしてるよな」というのと「化け物!」という関根の辛らつな叫び。蓮川司という小さな器に入りきらないほど大きな意味を含んだ言葉達がさまよっている。


「私は、強い。私は、ヒトラー」
こぶしを握りながら司は叫び上げた。その悲痛な叫びは自分に言い聞かせた言葉なのだろうか、しかし次の瞬間に司は開き直って晴れやかな笑顔で空を仰ぎ、近くに落ちていた吉沢のディバッグから必要なものだけ引っ張り出した。それからコンパスを見ながら西に向かってすぐに移動する。これだけ大騒ぎをしておきながら誰も攻撃してこないということは近場に誰もいない、ということだろうと踏んで、司はとりあえず身を隠せる海の家まで走った。
海の家はそれほど大きくはない。むしろ小さいほうの一軒家だった。そこで彼女はあの超高性能情報機の電源を入れると、吉沢春彦と関根空が死亡したということを改めて確認した。それから情報機で地図を写し自分が今いる場所を確かめる。砂浜が広がるG-04だ。その地図の中心には自分を示す白い星マークが点滅していた。そしてその近くに敵を示す黒い星マークがひとつある、ということも同時に見つける。
「……ふふっ」
ニヤリ、と司は笑った。そして海の家のわらぶきの天井を見上げて目を瞑り、何かに祈った。
「運命に、感謝」




男子17番 吉沢春彦
女子5番 関根空       死亡

残り20人


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