容疑*Rhapsody


和平に武力は必要ありません。そう言って野口潤子(女子8番)森井大輔(男子15番)に支給された銃、S&W M29を預けてきた。彼女は親友で同じ陸上部にいた神谷真尋(女子4番)が死んだというショックから一時期自暴自虐になっていたが、大輔との会話のおかげでどうにか立ち直ることも出来たし、こうして前向きに和平を呼びかけようと考えることも出来た。
彼女は今、鯉池に飛び込んだ際にぬれた制服を乾かし、それを着て農家を飛び出した。コンパスが北を指す方向に向かって足を進めている。その足取りが確かになっていたのも、やはり大輔の存在が大きかったかもしれない。特に異性として好きだ、とかではなく友達として好いていた部分もある。もしかしたら羨望に近い感情も無意識に抱いていたのかもしれない。頭は決していいとはいえないけれど、クールで冷静沈着で、口数が少ないくせに出る言葉がとげとげしい。おおらかで活発的な野口とはまるで対照的な彼を、見ていて飽きないと思った事は何度もある。

彼に誓った言葉――皆に和平を呼びかけるんだ!――が今でも野口の心に希望のともし火として輝いていた。もし彼がいなかったら今頃野口は死亡者として次の放送のときに、あの夏葉翔悟(担当教官)に放送で名前を呼ばれていただろう。そう考えると身震いがした。
悩みというのは、誰かに話すだけでも気が楽になる部分がある。野口の場合もそんな状況だった。


しばらくはあたりを警戒しながらまっすぐ北へと進んだ。分校付近の禁止エリアに引っかからないように、警戒しながらゆっくりと歩いていく。普段なら200メートルくらい2,3分で歩ける野口だが、今回は200メートルに10分強かけて歩いた。それだけ周りを警戒していたこともある。特に今は武器を捨て無防備の状態なのでさらに警戒心が高まった。
突然ガサガサッ、という音が響き渡る。まるでコンサートホールでハーモニーが壁に当たって何回も響き渡るかのように、雑草がこすれあう音が野口の鼓膜を振動させた。不安が一気に現実となった瞬間、野口は身構えた。

――誰か、居る。極度に警戒心と緊張感を一気に高めた彼女は、身構えた格好からすぐさましゃがみこんだ。すると自然にクラウチングスタートの格好になる。陸上部・短距離に所属していた彼女はついつい昔のクセでそんな格好に座ってしまうことを改めて馬鹿だなぁ、と思った。しかし今はそんな状況じゃない。しっかりするんだ、潤子。と自分に檄を飛ばして彼女はぎゅっとこぶしを握った。
それからゆっくりと立ち上がりまわりを見渡す。コンクリートの上に立って物陰に隠れた彼女はすぐにその場所から出て、周りを見回した。近くには草が覆い茂っているとこがある。草の音がしたのだから、おそらく誰かそこにいるのだろう。


「誰? 誰かいるの?」
声が震えて上手く思うように出せない。向こうがもしやる気のある人間だとすれば、こちらは格好の餌食になることは間違いなかった。いきなり撃たれてそのまま死ぬには余りにも惜しすぎる。まだ遺言だって最後の言葉だって考えていない。野口は死ぬならせめてかっこよく、と思っていたのだ。まるでテレビドラマの女優か何かのように。
「……もしかして、藤原?」
視線の先に目立った格好の男が立ちすくんでいた。昼間なので大分回りは明るいが、第五中学の制服は上のブレザーが白なのでその分見難い。彼女は目を細めてその先にいる藤原優真(男子11番)らしき影を見つめた。藤原優真と野口潤子は中学1年生のときに同じクラスだったので、3年生になってからも何かとよく話すことが多かった。つい先日まで座っていた席順も野口は藤原の左斜め前。給食の時には同じ班で食事を取っていた。暴力沙汰で自宅謹慎を喰らった事もある彼だが、普段はひょうきんで明るかったりもする。ただ、人見知りが激しいのでそんな態度を取ってもらうのに1年は要したが。
「……野口……か?」
やっぱり藤原だ、と野口は確信する。普通にしていても低い声は聞き覚えがあった。しかし彼の表情を見ただけで野口はぐっと言葉に詰まる。普段の藤原らしいすこし怒ったような表情も無くなり、ただ恐怖とおびえだけと格闘しているかのように青白く歪んでいた。彼が分校にいるとき、夏葉翔悟に撃たれた右腕も、もう機能していないのか、だらんとたれ下げたままただそこにくっついている、ようにしか見えなかった。


「藤原! 大丈夫?!」
いつものように笑って、とはいかないが驚いて野口は彼に駆け寄った。藤原は光のない瞳だけをギロリと動かして彼より背の低い野口を見下す。固まった表情のまま不器用にカクカクと体を動かした。
「だ……だ……い」
大丈夫、といいたいのだろうけれど、藤原はただ動かしにくそうに口を揺らすだけしか出来ていなかった。
「ほら、腕とか……!!」
野口が傷付いて血だらけに鳴った腕の触ったとたん、藤原が「さわるなあ!!!」と大声を張りあげた。その勢いに驚いた野口はあっけにとられて2,3歩あとずさりする。やはりその体躯から自然と湧き出てくる恐怖のオーラに慣れきったわけじゃない。野口は藤原の怒る場面を久々に見た。
「ごっ、ごめん」
その迫力に押し負けて野口はくぐもった声で謝る。触ったことによって彼の気に触れたのか、それとも痛みがあったのかよく分からないが、自然に口からは謝罪の言葉が出ていたのだ。


「それよりさ、郡司どうした?」
合流しなかったの?と野口は付け足して藤原に聞いた。
「タ……タカは……知らない。捕まえられなかった」
郡司崇弘(男子6番)の名前が出たことで藤原の単純細胞からなる思考回路に、オーバーサイズの情報たちが湧き出てきた。彼らは家が近いので幼い頃から一緒に遊び、共に育ってきた相方。相澤圭祐(男子1番)と森井大輔と同じように凸凹コンビとはよく言われたものだが、それでもやっぱり藤原は、強がっていても郡司がそばにいないとダメだった。気が強くても、喧嘩に負けたことが無くても、一人で生きていく頃が出来ない彼を唯一支えてくれたのは、郡司なのだから。
そんな彼が分校出発後自分を待っていてくれなかったと思うと藤原は怒りがまたふつふつと芽生えてきた。あの裏切りにも似た感情を思い出すだけではらわたが煮えくり返るほど頭に血が上る。決して郡司自身に当り散らすことはなく、だけどどこかで恨んでいる。そんな複雑な心情が脳裏をかすった。

「そ……そっか!」
一方野口はふっと頬を緩めた。こんな今にも暴れだしそうな藤原に郡司が一緒にいたなら、すぐに彼は藤原に手違いで殺されそうだと思ったからだ。上手く彼女は言葉にして考えることは出来なかったが、確かに藤原は危ない、と感じ取ることは出来た。
しばらくの間、重い沈黙が続く。


「何がおかしい」
藤原の声が静寂を切った。きっと彼女が頬を緩めたのが笑顔に見えたのだろう。
あのドスの聞いた声。ガッチリした体躯でクラスでも比較的背の高い彼。そこから発せられる人を見下すような視線。それらはすべて彼の目の前にいる野口に向けられていた。怒った合図だ、と彼女はすぐに理解できる。彼は導火線が短いタイプなので、すなわち自分のみに危険が及ぶのではないかと勘違いした。野口はびっくりして一歩だけ足を後ろに下げる。
「何で逃げるんだよ?」
「……それは、ちょっと驚いて」
撃たれたところから出血多量で全身に血が回っていないのか、彼の顔は青白くなっていた。一見すると不健康そうな、だけど実は相変わらずがっちりとした体つき。
メンタル面に弱い藤原の逆鱗に触れれば、喧嘩相手として認識されること間違いない。しかも精神的に弱っているとくれば、また判断もつかなくなるような頭の回転が悪いときた。


――最悪なパターンだ。
彼女は眉を寄せた。
夏葉翔悟に撃たれて彼の富士山より高いプライドはズタズタだろうし、撃たれた傷口から失った血の量は半端じゃないだろう。脳に血が回っていないなら上手く考えることって容易じゃない。そしてまた彼は元々考えることなどしないような猪突猛進タイプ。これらの要因から考えられることは、血の巡りが悪くなり頭で状況を整理できなくなって、きっかけがあればすぐに暴れだすだろう、という仮定だ。
だけどそれは仮定だから、結論じゃない!――野口は必死に仮定を否定した。
「お前、もか? 野口」

逃げなきゃ、というのが無意識のうちに全身に命令が言っていたらしい。体がギクシャクしながらだけれども確実に後ずさりしている。彼の顔が怖いというのもあるかもしれない。これから何がおこるのかわからないというのもあるかもしれない。
しかし、それにしては救いの望みすらない。説得すれば彼が変るだろうという望みは、何故か始めから無かったように思える。
野口は元々考えていた和平を呼びかけるという目的をすっかり忘れ、今では自分の身を精一杯守る意識に摩り替わっていた。藤原が一歩近づくことに、野口も一歩遠のく。


「お前も拒絶するんだ」
使える左手を上げて野口の肩をぎゅっとつかむ。力いっぱいその肩を握り締めた。あのクラスでもおとなしいほうでいつもゲームの話ばかりしていた榊真希人(男子7番)も、藤原の顔を見た瞬間血相を変えて逃げていった。そして同じく、野口も藤原から逃げようとしている。

全員が藤原から逃げようとした。
全員が藤原を拒絶しようとした。
誰一人、藤原を受け入れてくれる人は、いやしなかった。

「そうか、お前が全部黒幕なんだな……?」
男ということもあるが元々喧嘩慣れして(何しろ他校まで喧嘩しに乗り込んで行った男だ)腕力や握力のある藤原にとって、相手の骨に大ダメージを与えることなど一握りで簡単に出来るのだろう。野口は力いっぱい握られた右肩に激痛を覚える。


「黒幕……? 何それ……どーいう事?」
痛みに必死に耐えながらも野口は藤原を睨みつけた。何もしてないのに何で、という考えだけがただぐるぐる回っている。いろいろ弁解しようとは思っても、なかなか言葉にはならない。野口は藤原の左手を両手でつかんで離そうとした。しかし試みもむなしく、藤原の腕はびくとも動かない。
「お前が全部やったんだろ! 俺を……俺をこんなにするために! タカをどっかにやったのも、夏葉に撃たれたのも、榊に逃げられたのも、全部、全部!!」
ゆっくりと使えないはずの藤原の右手が上がって、野口の首に指が巻きついた。腕のところには藤原のお気に入りだった白いタオルバンドが巻きつけられ、流れ出た血で赤黒く変色している。腕の部分は壊死しかけているのだろうか、肌色が薄っすらと奪われアザのように青黒くなっていた。
――言い掛かりだ!!と、野口は叫んでやろうかと思ったが、それより一瞬早く彼の右手が首を絞め始めた。お得意の腕力をつかって野口の首が絞められていく。
苦しい。
そう思った時には既に息が詰まっていた。のどに綿を押し詰められたような息苦しさを覚える。
藤原のほうは藤原のほうで元々の馬鹿力を、理性を失ったことで遺憾なく発揮しているようだ。いつもよりも更に力のこもった指が野口の首を取り巻く。


「ちがっ……ち……」
野口の足が宙に浮いた。木に叩きつけられてそのまま少しだけ持ち上げられたのだ。藤原は目の色を失った状態で両手でぎゅっと野口の首を絞める。もう彼の視界に人、というものは存在せずに、何か人形のようなものに八つ当たりしているという感覚しか、彼の脳には残されていなかった。
彼女は足をばたばたとさせるが、藤原の身体に当たってもまったく効果なし、といった様子で顔色ひとつ変えずに相変わらず藤原は力をこめて野口の首を絞め続ける。
「ちがくねえ! 全部お前が悪いんだろ! どうしてくれるんだよ!」
声にならない息が野口の口から漏れる。彼女は必死に指を藤原の手首に絡めてその手を解こうとするが力は抜ける様子を一向に見せず、むしろ更に入ったかのように思える。
――違うよ藤原、それは違う。私はただ、殺しあわないでって言おうとしただけなのに……!!
ただ、彼女の思いは虚空に散った。

「ごめ……ん」
決して野口自身は悪くないというのにもかかわらず、口から出た言葉は弁解のかけらも見せない謝罪だった。謝ればこの手が解けるのかと本能的に思った彼女はつい口を滑らしてそんなことをつぶやいたのだ。
しかしそんな思いは結局無駄となる。藤原はやっぱりそうだったのか、と思いこみ彼の中にある極限の力をその手に込めて首を木に押し付け、締めていった。
「やっぱりてめえか!!」
更に一層怒りの力がその両手にこもり、野口も一気に抵抗の色を現した。ばたばたと足を動かして抵抗する。まるで、まな板の上に上げられた魚のような。
「死ねよ、お前なんか死んじまえよ!!」
――お前が死ねば!!――自分の悪い部分を野口に押し付けることで、藤原は自分の中に留まっていたすべての不可解な事実を正当化させていた。こいつが悪い、全部こいつが悪いんだ、と思っているだけでずいぶんと気が楽になってく。
だんだんと野口の顔色が真っ青になっていった。どちらかというと青白いというよりどす黒いといったほうが正しいのかもしれない。

一瞬間をおいたあと、野口の体がだらんと垂れ下がった。


藤原の手首を引っかいていた彼女の手も力なく重力に従い、足も動かなくなった。彼女の身体は風になびくブランコのように、ただ流されるまま、といったような姿になってしまった。
はぁ、はぁ、はぁ、という藤原の息遣いがしんとした林の中に響き渡る。手をぱっと離した瞬間野口の体が崩れ落ち、彼女の口から青黒く染まって膨張した舌がのぞいた。ぐりんと見開いた瞳はどこか違う方向の空を仰いでいる。
――俺が、殺した。
薄っすらと取り戻した理性の中に、町田睦(女子12番)を突き飛ばして死に至らしめてしまったことが記憶として思い出される。あの時は必死になって自分がやったという行為を否定していたのに、今となっては自分自身が殺してしまったという自覚が――……なかった。
彼は記憶の中に町田睦を突き飛ばしたということまでは思い出したが、もうそれ以上、殺してしまったのだということは思い出されなかった。元々少ない記憶容量、それ以降の事はすべて吹っ飛んでいたのだ。
そして今になっても、眼下にいる野口潤子の死体を見てもなんとも思わずにただ、呆然としているだけだった。

月に嘆いた狼が、覚醒しきったかのように思われた。
それは物語の終焉を語るような、しとやかな泣き声。
実はその声に無意識が満ちていようとは、誰も思わない。




野口潤子 死亡
残り19人


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