月陽*Calcand


プログラムという血生臭い香りが漂うエリア28。重い足かせをつけたまま針の山を歩く囚人は、星を見上げて嘆いた。僕らはいつ、ここから解放されるのだろうか、と。

それは針の山から灼熱地獄へ移動するほんの一瞬の様な出来事――
「ねーねーてんこーせえー、足いてえよ俺ー。疲れたー」
閑話休題。そんな間の抜けた声と共に相澤圭祐(男子1番)はぶつぶつ文句をいい歩いていた足を止める。彼のわがままな態度にあきれ果てながらも、転校生のこと柏崎佑恵(女子3番)は後ろを振り向き、腰に手を当てて深く深くため息をついた。
始めこの2人が出会ったときに、ちょうど千田亮太(男子10番)が近くいて危なく狙撃されそうになったので、佑恵は無意識のうちに圭祐を連れて逃げたがそれがこの不幸の始まりか、わがまま王子を後ろに連れて森井大輔(男子15番)を探さなければならなくなってしまった。


佑恵はとにかく。出来るだけ自分の手を汚さず優勝する気だった。
1人でいて憔悴による精神かく乱になるよりは、誰かと一緒にいて話し相手がいるほうが大分落ち着いていたようだ。分校を出発した時点での鋭い目線と敵意は今はほんのりとそがれている。
『転校なんてしなきゃよかった』
一時期相当つぶやいた言葉が今になってまた蘇ってくる。そんな言葉を頭の隅に今だ置いておきながらも、もう一度彼女はハァ、とため息をつき圭祐と向き合った。
「うるさい」
「だって、ここらへん道がたがたなんだよ。足痛いし。転校生痛くないの?」
相変わらず圭祐はにっこりと笑ったまま佑恵に聞き返した。髪の毛だけは茶色のメッシュが入ったものだが、身長や顔立ちとしてはいたって普通の中3男子。しかしとても中学3年生とは思えないほど無邪気な笑顔を浮かべる彼。
彼女はその笑顔を見て心が痛む。いずれこの人を不意打ちにも殺さなければならない未来がすぐそこに迫っているかもしれないからだ。また同時に不安にも襲われる。先ほどから何回も何回も考えていたことだが、彼が見せた一瞬の冷酷な無表情が今でも彼女の脳裏に焼き付いてはなれない。人は裏の人格があるとは言ったものだが、これほどまでに表裏の激しい性格を持った人間を、佑恵ははじめてみた。
まるで何かを隠すような、悲痛の叫びを上げながら。


「痛くない」
元々中国人とのハーフなのでとても流暢とはいえないが、それなりの大東亜語でぶっきらぼうに答えると、佑恵はまた前を見て歩き出した。圭祐の親友である森井大輔を探しに。そして一分一秒でも命を永らえて、あわよくば優勝するために。
「じゃ、寒くない?」
「寒くない。私、前まで石川県に住んでたし、その前は中国の山岳地帯に住んでた。寒いのは慣れっこ。むしろ暖かいかな」
「へえ?! そうなんだ! 知らんかったし!」
圭祐はやけに派手に驚いた。というのもそれらのことは全部佑恵は千葉に転校してきてから他人に話したこと一度たりとも無かったし、話そうとも思っていなかったからだ。3学期に転校してきてからというものの、普段人とは余り話さなかったほうの彼女だが、ここに来て何かが変ったらしい。本人もうっかり口を滑らせたことを悔やんだ。

――言っても言わなくてもどうせ同じか。
ため息をつくと幸せが逃げるというが、こんな状況では幸せもクソもないかと佑恵は思いつつもまたため息をつく。
「知らなくて当然でしょ……誰にも話してないし。それに、私ここに来てまだ2ヶ月しか経ってないから」
2ヵ月しかすごしていない生徒達と一緒に殺しあいだなんて転校を選んだ自分に対しての嘲笑と後悔を含みながら、そうつぶやいた。
「そっか、転校生1月の始めに来たもんね」


転校、ということで佑恵はまた転校してきた頃の出来事を思い出す。冬休みのあいだに伯母の家に引越しをすべて済ませ、終わりかけた頃新しく買ってもらった制服に身を包み職員室に担任の夏葉翔悟(担当教官)に挨拶しに行ったこと。始業式の日、偶然隣の席になった市村翼(男子3番)の目に止まってしまったこと。その他諸々。
「じゃぁ、俺たちのことは知ってる? 俺とー、大輔のこと」
「中学入ってからの親友でしょ」
「そのとおり!」
圭祐はもう一度白い歯を見せながらにっこりと笑った。佑恵は彼のことを同じクラスで何かと話した野口潤子(女子8番)神谷真尋(女子4番)からよく聞いていた。野口が大輔と同じ小学校出身で、神谷が大輔と圭祐のペアを気に入っていたこともあり、給食や昼休みなど何かと雑談で彼らのことが出てきたこともあった。

「俺、大輔いないとダメなんだ。あ、別にホモとかゲイとかそんなんじゃないけどな?」
元気のあるクラスのムードメーカーの圭祐。クールで口数は少ないが理知的に見える大輔。佑恵がクラスメートとして彼らと一緒にいた期間は短いが、それでも佑恵にだってこの2人の仲の良さはよく目にしていたほどだ。
「だから、探したいって事?」
「そゆこと! な、お願いだよ転校生!」
一度は大輔を探すことを承諾したのだが、圭祐の目には佑恵が不満を持っているようにしか見えなかったのだろう。むっすりとした態度で圭祐の話題をほとんど一言二言で受け流す彼女と圭祐は、なかなか(というよりまったく)会話が弾まなかった。

「分かってる。でも、かなり難しいって事、覚えておいて」
――共同戦線は森井君を探すまで。それ以降は別れよう。佑恵は圭祐との視線をはずして地面を睨んだ。
このまま行けば彼らもほうっておけばあの千田亮太みたいなやる気のある人間に殺されるだろう。しかしそれは本望だ。最後に不意打ちで殺すことはなんとなくためらわれる。ただ、それだけ。
はじめに持った強い鋼鉄の意志がだんだんと炎に溶かされて揺らいでいくのを感じ、佑恵は必死に自分の甘い考えを否定した。
「うん、分かった」
何度も目を細めて笑うその仕草を見て、両親が死んで以来失われていた明るさが元に戻ってきたような、そんな幻覚。口には決して出さなかったが、何かが佑恵の中で変わってきていた。


「さっきみたいに、千田とかが襲ってきたら、どうするの?」
一言一言が糸を引いているように粘り強く出てきた。上手く口が回っていないようだ。圭祐を連れて千田の銃弾から逃げてきたとき、佑恵の心の中であった必死さは恐怖への抵抗だったものであるために、今でもあのことを思い出すだけで身震いがした。爆竹が数十個いっぺんに爆発したような、心臓に悪い音。あんな現実離れしたことはもう二度と起きて欲しくない。大輔を探しつつも逃げ回っているのは、佑恵がそう思ったためだった。
「そんときゃそんとき。俺と大輔、強いもーん!」
相変わらずけらけらと不安を笑い飛ばしている圭祐を見て佑恵は呆れ、同時に羨ましいとまで思った。こんな非常時にどうして笑っていられようか、彼女には分からない永遠の謎だった。
もしかしたら、親友を探すという目標があるからこそかもしれない。確認をとろうと思うが、なかなか言い出せない。このもどかしい気持ちを佑恵はずっと心にとどめておく気だった。そう、死ぬか生きるかの境界線がはっきりするときまで。
「そう」


曖昧に納得すると佑恵はくるりと前を向いて歩き始めようとした。しかしまた圭祐に「ねーねー、てんこーせー」と呼び止められて向きなおす。
「何で転校生って、佑恵っていうの? 確か中国人じゃん? 名前的にはそんな雰囲気ないけど」
ピクリと佑恵の眉間にしわが寄った。
「ハーフだから。大東亜人と、中国人の」
「へー、ハーフか。じゃ、佑恵って名前は何で?」
千葉に着てからというものの、転校生というあだ名が付けられ一度たりとも佑恵と呼ばれたことは無かったので、むずがゆい心地もしたが、彼女はすぐに
「ユェリャン」
という単語だけ答える。
「ゆぇりゃん?」
圭祐はまた目の前の人が宇宙語でもしゃべっているのかと言うような面持ちで、オウムが言葉を反復するようにそのまま聞き返した。
「中国語で、月っていう意味。そのユェリャンの上を取って、ユエって訳」
「そーなんだ」
今度は余り驚かなかったようだ。圭祐は余り関心を寄せたようにも見えなかったので、佑恵は黙りこくってしまった。しばらくあいだを空けたあと、彼女はつぶやいた。


「母親がつけたんだけど……馬鹿だよね、月ったって恒星じゃないから自分じゃ光れないのにさ。どうせなら太陽のタイヤンにすればよかったのに」
ただ太陽の光を浴びながら地球の周りを回っているだけの月。苗字はひらがなにすると文字数が長いので余り好きではなかったが、名前もまた好きではなかった。最愛の母親がつけたというのにしても、余り好ましいものではない。よく彼女は小さいころ、近所に住んでいたタロット好きのおばさんの娘からタロットの『月』とかけられて『気まぐれ』だとか『偽り』など言われていたこともある。幼少の頃の軽いトラウマが大きくなってもわずかに残っていた。

「じゃ、俺が太陽にでもなってやろっか?」
うつむき加減だった佑恵はふっと上を見上げた。と言っても佑恵と圭祐の身長は余り変らず両者とも160前後なので目線は余り変らない場所にある。だが佑恵はまるでヒマワリが常に太陽のほうを見上げて咲くように、自然とその言葉に惹かれるものを感じた。
「俺がずっと、佑恵ちゃん照らしててあげる」
こんなことを何の恥じらいもなく言ってのける爽やかな中学3年生は、世の中に何人居るのだろうか。きっと指折り程度だろう。馬鹿かこいつは、と佑恵は思ったのと同時に、言葉の本質的意味を分からずにいっただけだろうと、先走って違う意味にとっていた佑恵は恥ずかしさの余り顔を真っ赤にした。
――いや、それよりも。今圭祐が言った言葉に疑問を抱いてみた。


「……今、佑恵ちゃんって」
それは聞くだけで背筋に悪寒が走った言葉だった。好意を寄せているらしい市村が(佑恵にとってはうっとうしいこの上ないが)佑恵を呼ぶときに使う言葉と同じ言葉。中国人学校のクラスメートには敬称なしで呼び捨てにされていたため、なんだかそう呼ばれることに抵抗がある。もっとも、彼が馴れ馴れしいのは元より承知だが。
「あ、もしかしてダメ? 翼専用?」
「それはない」
考える間もなく無意識に佑恵の口から否定の言葉が出た。


一瞬にしてまるでどこか違う世界に放り込まれたような気がした。気分は不思議な国のアリス。ウサギを追いつつさまざまな不思議に巻き込まれる少女。その少女と自分の姿が重なる。きっと少女も怖い思いをいっぱいしただろう。ただ、そのときは好奇心にかき消されたいたのだと思うが。
普段とは違うもの。銀色の首輪。ブレザーのポケットには拳銃。相反した環境。人工の楽園。そしてほとんど話したことのないクラスメートが目の前にいる。
危険と隣り合わせ。振り返れば道は黒く染められ、前を見れば血の色。それでも生きる道を選んだ自分は、どこに足を踏み出せばいいのだろうか。
路頭に迷う。出口のない迷路をさまよっているような、そんな気分。優勝するためには目の前で笑っている人をいつかは殺さなければならない。こんな状況でも笑っていられるほど能天気で、馬鹿で、馴れ馴れしくて。それでいて佑恵の持っていなかったものを持っていて。だけど一瞬見てしまったあの冷酷な表情が忘れられなくて。危ないと分かっているのになぜか離れることが出来ないこの衝動。
この思いはどこに吐き出せばいい?


「行こう。またやる気のある人と会ったら大変だから」
佑恵はあふれ来る不安ともどかしい思いを全部捨てて、ただ前だけ見ようと心に誓った。優勝して、亡き両親の墓を立派にして、お世話になった伯母に感謝の意を述べるまで死んでも死にきれない。
――くだらないことを考えている暇があったら、さっさと森井大輔を探して相澤圭祐とくっつけて、そして別れて行動しよう。そうすれば気が楽になる。
佑恵も馬鹿ではないのでひとりで勝手に混乱して、でも解決策を見出せないことくらい、分かっていた。
「オッケー」
佑恵の心を見透かしたのか、それともただ単に抜けているだけなのか。圭祐はやわらかく応答した。


エリア28は半分が海であるが予想以上に広い。その中で誰か特定の人を当ても無く探すというのはかなり困難なことだろう。それでも一縷の望みにすがりついて、彼女らはまた歩き始めた。
今後どんな目にあうかは分からない。あと数分後には誰かに会って銃撃戦になって死ぬという事だってありえる話。そんな視への恐怖を募らせた中でのほんの些細な安らぎの時間。安らぎとはいえるかどうかは分からないけれど、佑恵の圭祐に対する価値観が変わってきた一瞬でもあった。

それでも、彼女の中に固められた意志は揺るがされない。
――フゥーチン(お父さん)、ムゥーチン(お母さん)。イーマー(伯母さん)。佑恵は絶対、この手を汚さずに、優勝します。


残り19人
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