懐旧*Dolece


シュンッ、タンッ、シュンッ、タンッ、シュンッ、タンッ。リズムよくステップを踏む音が、ここH-06エリアに静かに響き渡る。砂浜と近くにある果樹園の間にあるここいら一帯は地図には詳しく書かれていないけれど雑木林が広がっていて(防砂林か何かなのだろう)、コンクリートで出来たテトラポットのようなものがいくつも積まれている場所がある。そこに望月千鶴(女子13番)はいた。
彼女は出発したあと、まずは数ある住宅のなかの一軒を捜索し、何か便利なものを探した。あいにく夏葉翔悟(担当教官)が放送で流した、『住宅地に隠してある役に立つ武器』は見つからなかったが、それでも彼女が好きだったバドミントンのラケットを見つけることができた。
中学に入学してから続けてきたバドミントン。今はもうとっくのとうに部活を引退して、先に見えていた高校の部活の練習を今から行こうかどうか迷っていたところでこのざまだ。挙げ句の果てには定時放送で小学校時代からの親友、高木時雨(女子6番)町田睦(女子12番)が死んだと流されたではないか。望月はあの放送の後ずっと、気を紛らわせるためにラケットを握り素振りを繰り返してきた。


彼女の丸眼鏡の奥にある瞳に素振りをした瞬間見え隠れする彼女自身の腕をみとめると、鮮明にあの日の事がよみがえってくる。あの日――バドミントンという中学部活の引退を賭けた県大会のベスト4決めの日だ。部活内で1人だけシングルとして出場した彼女の耳の鼓膜を振るわすのは、ギャラリーが叫ぶ選手への歓声、どこかの学校の監督の怒鳴り声、そして蝉のやかましいまでの泣き声。その思い出を頭に浮かばせるのに集中すると、親友が死んだと言う嘘か真かわからない情報が脳裏の奥に引っ込んでいくのだ。


ただひたむきに、シャトルを追い、ラケットを振り上げる。ガットが空を切る音がして、天井のライトとシャトルが重なる瞬間。相手が受けるフォームに入ったところでこちらも構える。したたりくる汗が額から滑り落ちて行くのがわかった。
――しかし、今そんな過去の栄光を思い出したとしても、あぁそんな事があったなですべてが簡単に片付くんだ、ということが理解できた。しかし彼女はあきらめてたまるもんかと口を真一文字に結んだ。陸上部で名を馳せていた野口潤子(女子8番)神谷真尋(女子4番)のように引き締まった筋肉はあいにく持ち合わせていなかったが望月はいわゆるスポコンタイプだった。結局引退試合は県大会準決勝で負けてしまったが、上位の成績を収めたので、それでいて現在学級委員(まぁ、とある事情によりクラスにハメられたようなものだけれども)ときたものだからクラスでも一握りに入る推薦試験合格者となった。


――ちくしょお、誰か居ないのかなぁ?
望月は苦々しく顔を歪めてそんなことを考え、素振りを続けたまま更に顔をゆがめた。
彼女の友達はその命をすでに断っているものが多い。女子とは比較的広範囲に友達だったが、一番信じたい人間がもう既にここに心は無い。他の友達も親友ほど信用は出来ない人たちばかりだ。しかし生きている友達のうち男子には幼なじみの工藤依月(男子5番)。それから同じ学級委員の郡司崇宏(男子6番)がいた。後、生きている人間のなかで馴染みがあるのは千田亮太(男子10番)くらいだ。全員を信用できるか定かではないが、とりあえず生きてはいる。


皆は今生きているだろうか。次々と浮かんでくる中の良かったクラスメートの表情。
工藤依月は頭がずば抜けて良く、意見の食い違いから何かとケンカをすることはあったが、基本的に望月は彼に揺るがない絶対的信頼を寄せている。好きという感情とはまた別物の信頼。
それから関根空(女子5番)飯塚理絵子(女子1番)。彼女達は服部綾香(女子10番)のしもべ状態になっていたが性格は良く、何事にも熱心に取り組み陰口のかけらも見せない素直な子達だった。飯塚に関しては学級委員として服部のあのイジメに近い行為を止めようとは思っていたが、なかなか手が出なかったことも悔やまれる。
千田は分校をでる際に「あと80年は会えないぜ」と殺された有馬和宏(男子2番)につぶやいていたことからして危険だ。それにもともと彼はおもしろいところがある反面、非常にオタク系キャラで(今ではそれも売りとして笑いの種になっているが)なおかつとても残忍なところがあったりする。ときどき高木時雨なんかと流血の話をしていたくらいだ。善良なる一般市民の望月にとってその会話を聞くことは未知の領域に足を踏み入れるようなものだった。
うまくは言えないが――と思いながら望月は相変わらず素振りを続けた。

六、七、八、九、一万。

素振り一万回をカウントしたところで望月は腕を下ろした。ここ数時間まわりに誰かいるような気配はなかったので彼女はずっと素振りを続けた来たのだ。その回数が一万を超えるまで。
はぁっ、はぁっ、はぁっ、という荒い息遣いが場の静寂を切る。いつになく重いリスクを付けた(何せ素振り一万回だ)ものだったので、さすがの望月も休憩を挟みながらとはいえ息が上がっていた。何しろ彼女ももれなく既に部活を引退してあと少しで卒業、という中学3年生のひとりだったのだから。


『一万回越えた。早く移動しなきゃ』
彼女はすぐに支給武器であるU.S. M79というグレネードランチャーを肩に乗っけて荷物の紐の部分を手に握って走り出した。雑木林に廃棄させられたように積まれていたテトラポットの陰から、周りを用心しながら走り出る。彼女自身、肩に乗っけているグレネードランチャーに余り期待はしていなかった。なにせこの大きなロケットランチャーのようなものは、到底普通の女子である望月が扱えるようなものではなかったし、それなりのリスクが伴う。彼女が見た最近の映画で出てくる筋肉だらけの主人公が、この武器を使っていたので、必然的に『マッチョしか使えない』というイメージが彼女の中で固まっていた。
兎にも角にも彼女は使えない武器を肩に乗せている……つまり、誰かが襲ってきても余り抵抗は出来ないというわけだ。そのことを承知で彼女はあえて行動する。というのも彼女は千田ほどではないが、このプログラムという状況にほんの少しだけ、好奇心をうずかしていた。いや、むしろ現実離れしすぎて、逆に余裕が出てきた、というのが本当のところだろう。余りに馬鹿らしくて笑ってしまうようなものだ。

しばらくしてからふと彼女は歩いていた足を止める。周りには特に障壁というものも無いので、もし敵がいるなら即狙い撃ちされてもおかしく無いような場所だ。まだ明るく昇る太陽が、木々の隙間から見える地平線を明るく照らし続けている。そんな情景をぼやっと見ながら彼女はにっこりと笑ってみた。
――殺し合いに参加しようなんて思うわけではない。ただただ、そんな環境に笑いしか込みあがってこなくて。
彼女は持っていたバッグとバドミントンのラケットをぎゅっと握った。そろそろ夕方に分類される時刻に差し掛かる。まだ春先の夕方だ、日が沈むのも結構早い。今何時か確かめようと思ったが――彼女の中にそんな精神的身体的余裕は残されていなかった。


もう一度引きつった頬を延ばして笑ってみる。
ねぇ、私の顔。完璧な笑顔になってる?


最後に自分の顔をみたのはいつだろう、彼女は自分の記憶の中から最後に鏡を見た記憶を引き出す。もしかしたらそれは住宅地に立ち寄ったときに鏡を見たときかもしれない。それで無ければ、卒業式3日前だ、とクラス全員で作った日めくりカレンダーをめくったあの日。トイレから出るときに鏡を見て髪形を直したときだろうか。とにかくも今鏡が手元にあるとしたらこの完璧な笑顔を自分で確かめることをしたかった。歪みきって、涙さえにじんでいるこの笑顔を。
そんなことを考えているから、涙が出て来るんだ、と彼女は愚かな思考に蓋をした。ぎゅっとこぶしを握り、しゃくり出てくる息を必死に止めながら、めがねを取り、目を荒っぽくこすって涙を吹いた。
諦めるなんてまだ早い。
それだけ考えながら彼女はまた歩き出した。

――

どれだけ歩いただろうか。そろそろどこか適当な場所に身を隠してまた素振りをし始めようかと思って荷物を置いたとき、彼女は異様な雰囲気に身を包まれた。というのもなんだか辺りに不審な音がするのだ。荷物を降ろしている途中の格好のまま望月はぴたりと体勢を止めた。まさか、と思う前に体中から脂汗が湧き出してくる。あわただしく、しかも不協和音を奏でる心臓の鼓動が、息苦しさを感じさせた。
緊張感というものならいつでも感じているはずだった。例えば部活の練習。顧問がやけに厳しく、練習のときは気をひとつでも抜いたら即蹴られるような状態だったのだ。あの地獄とも言えるような時間帯に感じた緊張感。しかし今回はその緊張感とはまたひとつ違うものがある。

誰か……居るのかな。
備えあれば憂いなし、とはことわざに言われたもので、彼女はすぐにあたりを警戒するために伸び上がった。あいにくグレネードランチャーは重たいのですぐに持ち上げることは出来なかったが、それでも持ち手をぎゅっと握りいつでも持ち上がる準備は出来ていた。弾も一つ一つがまるで丸い電球のように大きく、石のように重いので一つを手に持っていることはダンベル――もちろんそれは言いすぎだが、今の彼女にはそう感じられた――を持って上げ下げしているような気がした。


「誰?」
ためしに小さく声に出してみた。しかし緊張感の所為か、乾いた唇は言葉を出すことを拒み固く閉ざされ、やっとこさ小さく開いた隙間から声がぽろっと漏れる程度だった。それよりも頭上を飛ぶ小鳥の鳴き声のほうがもっと大きく聞こえる。春の陽気を運び始めた風の囁き、かすかに聞こえる飛行機のエンジン音。それらの音に負けないように、もう一度望月は口を開いた。
「誰かいるの?」
足元の土を踏みしめて足を前後にずらした。今度の声は自分の耳にも届くような声だったので、もし何かあったときにすぐ逃げ出せるような姿勢を構えたのだ。相手の様子はまだうかがえない。だけど確実に、誰かがいる。

大して確信はなかった。ただ疑うことがすべてのこのプログラムでは、信じるより疑うほうが正しい判断だと思われる。
彼女の目に留まったもの。それは白い制服に灰色のズボン、茶色がかった少しだけ長い髪の毛に小柄なほうの身長。その背中を遠くに見つめながら望月はああ、とため息をついた。学校のアイドルともてはやされかわいい可愛いと女子から大人気だったあの牧野尚喜(男子13番)ではないか。
女子の視線の的であったため、他のクラスの男子からの声は余りかんばしくなかったが、それでも同じA組の男子衆からはよく遊ばれていた光景を目にしたことがある。本来ならシャイで恥ずかしがり屋で、異性の前ではろくに言葉も発せ無かった彼が(今思えばそれが女子に好評だったのかもしれない)、今ではその輝かしい残像も影すら見当たらない。


彼は望月の足音に気付いたのか、ゆっくりと顔だけをこちらに向けた。絶望と恐怖が入り混じった感情に名前をつけることが出来るなら、今この瞬間必要になっていたかもしれない。彼の中にはそんな複雑な感情のともし火がともっていた。強い強風に煽られ、今にもその火は吹き消されそうな、そんな例示。
「尚喜!」
余りにも先日の面影が無いため、驚いた拍子に望月は彼の名前を呼んでしまった。そうとなれば今度こそ彼の表情は青ざめていく。無意識に進ませた足が、確実に望月に近づいていった。




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