葛藤*Brillante


――隠れなきゃ、隠れなきゃ、逃げなきゃ、逃げなきゃ!!
周りの草むらをかき分けて、牧野尚喜(男子13番)は辺りを落ち着きなく右往左往していた。彼はプログラムという殺し合いの恐怖からパニック状態になり、相澤圭祐(男子1番)が血相を変えて走っていくのを見て恐怖に拍車がかかり、さらに砂浜では吉沢春彦(男子17番)を誤射してしまった。それからというものの、その幼くて中性的な顔に長い爪を食い込ませて自分を責め続けてきた。
どうして、どうして引き金を引いたんだ。
俺が悪いのか?それとも……。

普段の学校生活で、牧野はどちらかというと相澤圭祐や藤原優真(男子11番)市村翼(男子3番)などのいじめられ役として彼らのグループに溶け込んでいた。しかし一番信頼し、尊敬していたのは吉沢春彦だ。牧野は背が低くおっちょこちょいな性格をしていたが吉沢はクラスでも一番の長身で穏やかでいつも笑って優しい性格をしてた。彼らは1年生の頃に同じクラスだったので、何かと仲がいい。特に牧野の持っていた吉沢に対しての羨望の眼差しは卒業も間近というつい先日までずっと途切れることなく続いていた。
それでも、そんな風に思っていたとしても、牧野は恐怖に負け吉沢に向かって銃口を持ち上げその引き金に指をかけてあっという間に引いてしまった。腕をしっかりと固定していなかったため、今まで体験したことないような例えがたい痛みがひじを貫いたが、それよりも何よりも、視界の中に映った真っ赤な鮮血の色が今でも忘れられない。


信じていたはずなのに、どうして俺は。
優しくしてくれたのに、どうして俺は。

牧野はゆっくりと膝をついて地べたにしゃがみこんだ。頭を抱えて髪の毛を引っ張り始める。色素の薄い髪の毛が数本、ぶちぶちと音を立ててむしられたが、当の本人は痛みに気付いていないようでチャームポイントである大きな瞳を、恐怖のために更に大きくして地面を睨みつけていた。視界が魚眼レンズを通して見たかのように歪んで見える。頭を押さえつけたまま牧野は塞ぎこんだ。
顔は既に爪のくい込んだ痕がついて、色白だった肌も血がにじんだ汚い肌色になってきている。しかし今となっては、痛みさえ感じられる最後の感情として大切にしなければならないということを、牧野は知らない。
彼は吉沢から誰かと会ったときのアドバイスを貰い、そのあとただがむしゃらに走ったあと、砂浜のおよそ南に位置する場所へとたどり着いた。そこは防砂林のような針葉樹林の林が立ち並んでいて、汐が香る海風を遮断していた。そろそろ夕方だというものだから周りは少し薄暗くなってきている。3月の夜はまだ寒い。風が、なんとなく冷たく感じられた。


牧野の心の中でいつまでも反芻される吉沢の「自分を責めないでくれ」という言葉は、すでに彼にとって救いの言葉ではなく、むしろ負荷を余計に加えていく最低の言葉になりつつあった。確かに牧野は吉沢の言ったとおり自分を責めまいと必死になって別のことを考え続けてきたが、それでもやはり思考は吉沢を撃ってしまったという事実に引き戻す。あの時感じた痛みと、聞き取った音がいつまでも残っていた。
耳を塞げばあのときの鮮血の色が網膜に鮮明に蘇ってくるし、目を閉じれば耳をつんざくような銃声が轟く。深呼吸をして自分の高鳴る鼓動を抑えようとするが、呼吸すらもままならない今となっては深呼吸など夢のまた夢だった。
とにかくも、彼の中に残された淡い希望とやらは、すべてプログラム、そして死への恐怖に摩り替わっていってしまったのだ。
耳を塞げば、あの苦痛に歪んだ顔を必死に笑顔に変えようとする吉沢の苦悩が浮かんできて、目を閉じれば不協和音を奏でる彼の心臓の音と、卒業式に歌うはずだった歌が聞こえてくる。
ああ、とにかくも牧野は罪の足かせと死への恐怖という名の茨の冠をかぶせられ、路頭を彷徨っていた。


ひとつのきっかけが彼に襲い掛かったのは、そんなときだった。精神の形をハートに例えるなら、今の牧野のハートの形は中央から真っ二つに割れ、せいぜいあと数ミリで二つに分裂されそうなほどの緊迫状態。今すぐにでもそれは崩壊しそうだった。
「尚喜!」
しかし彼を呼ぶそんな声が精神のハートをあっけなくゆさぶらし、そして更に崩壊への一途をたどらせることとなる。牧野は大きく肩を揺らして驚く。ゆっくりと振り返ってみれば、一直線に自分のことを見続ける望月千鶴(女子13番)の姿がその大きな瞳に認められた。クラスの女子ではある意味で大ボスのような存在で(ちなみにいうと姐御は野口潤子(女子8番)だ)、クラスの誰からも好かれていた女子学級委員。余り人のことをまとめるのはお世辞にもうまいとはいえなかったが、クラスの住民ほとんどからの策略に堕ち、学級委員への他者推薦、そしてあっけなく当選、という末路をたどった彼女。
牧野の記憶の端にふっと思い起こされたそんな記憶が蘇ってくる。彼もまた学級委員選出投票で望月に一票投じているのだ。

だが、もはや牧野の思考回路に正常なクラスメートの姿は映し出されなかった。モザイクがかった視界だけが彼の恐怖心を更に募らせていく。牧野は支給武器のS&W M10を手にしてじりじりと望月へと近づいた。攻撃しようとか、彼女に話を聞いてもらって気を少しでも紛らわせようとしたのではない。ただ何も考えずにすべてを失念した結果、身体だけが前へつんのめるように歩き始めたのだ。
「ち……千鶴」
小学校のとき、地域の女ガキ大将として名を馳せていた彼女にいつも牧野はからかわれていた。思えばそのときからから既にからかわれ役に回っていたのかもしれない。


「尚喜! 大丈夫か?」
すぐに彼女は牧野に向かって走り出してきた。するとふっと牧野は歩いていた足を止め、心配そうな顔つきで走り寄ってくる望月をじっと見据えた。その光の無い瞳に写るのは望月千鶴の姿ではなく、ただ単に、化け物か何かのようなものが走り寄ってくることしか映らなかった。まるで怪物と謳われたものが絶叫をわめき散らしてなりふりかまわず突進してくるような――とにかくも、恐ろしいの一点張りでそれ以上でもそれ以下の感情も抱ける瞬間はなかった。
「くっ……来るなぁああ!!」
高い声を張り上げて、彼はその涙であふれる大きな目をぎゅっと瞑った。銃を両手でぎゅっと握り、腕をピンと伸ばしてまっすぐ望月(いや、もう彼にしたらただの怪物かもしれないが)のほうへと向ける。
びくんっ、と望月の体が硬直し、走っていた足がゆっくりとスピードを緩めてやがて止まる。彼女の視界に見える拳銃を構えた牧野の姿はいったいどのようにして写ったのだろうか。
敵意と殺意を垂れ流しているクラスメートの姿。初めて訪れた死への第一歩。
ああこれがプログラム。普通の人間から普通を奪うモノ。
2人の緊張感の間に流れるのは、跳ね上がったチェンバロが奏でる死へのメロディー。静寂が2人を包んでいたはずなのに鼓動という和音が息苦しさを糧にして徐々に音を上げていく。


はぁ……と牧野は大きく息を吐いた。拳銃を構えたことで不意に網膜にまた吉沢の姿がまるで亡霊のようにぼんやりとうつり、彼が言った言葉が脳裏を掠めたからだ。亡霊のような姿の吉沢の口が開き、『深呼吸をしろ』という形を作った。彼の言葉どおり、深く深呼吸をして気持ちをやわらげ自分の心を落ち着かせようとしたが、なかなか思うようにうまくいかない。むしろしゃくりあげている所為で深呼吸どころか呼吸だってままならないのだ。深呼吸が出来ない、という焦りからまた牧野は混乱状態に陥る。猪突猛進型にただ吉沢の言った事を信じ、それが出来ない自分を罵った。

怖い。何も出来ない自分が、このまま壊れていくのが怖い。

今まで見せたこと無いような泣きじゃくった顔を上げて、牧野は助けを求めるかのように望月を見た。既に涙は彼の頬をつたわり、きれいに整ったあごの線に沿って流れ落ちた。

「俺、もう、わかんないよ」
誰にいうともなくただそれだけボソリとつぶやくと、彼は伸ばした腕にぎゅっと力を込めてから引き金に指をかけた。
そんな牧野の行為を望月は丸眼鏡越しに見ていたとはいえ、彼の暴動を止めることすら出来なかった彼女は、目を見開いたまますでに変ってしまった牧野の姿を見つめ続けた。気が小さくてシャイで、小柄で可愛くて――そんな昔の姿はもうどこにも無い。器の小さかった牧野尚喜というガラスの入れ物に、恐怖という名の密度が高い溶液があふれんばかりに入れ込まれ、器が割れてしまっただけで。そう、ただそれだけで、ここまでになってしまった。
牧野の行為に絶望した望月は、身動き一つ出来ずに彼が引き金に指をかけてそしてその人差し指に力を入れるまで、ずっと立ちすくむことしかできなかった。


バァンッ!バァンッ!!
拳銃の中では比較的軽量、そして小型の類に属するM10はすんなりの牧野の腕に吸い付き、反動と爆発音を伴いながら2発の銃弾をかっ飛ばした。
撃った、という感触を確かめる暇もなく目の前の望月が左肩からまるで殴られたような反動と一緒に倒れた。牧野は耳では銃声の余韻を、鼻では硝煙のにおいを、そして目では彼女が血を出して倒れるのを見た。
「あ……あ」
自分のやったこと、これから自分のやるべき事が見当もつかない牧野は、ただ呆けたように口をあけてその場に立っていた。腕は妙な痛みでジンジンとしびれている。それと同じような痺れが頭にも伝わった。

どうして俺は、いつもこうなんだろう。
やってはいけないと言われ諭されたことをやってしまうというのは牧野の治りそうも無い癖だった。実際、テニス部に所属していた彼は顧問に何度同じ間違いをすれば気が済むんだと怒鳴られたことだって多々ある。
しかし今回はテニスでのサーブミスだとか、そういった類の範囲で許されるものではない。
――また、俺が撃った?俺が千鶴を殺したんだ?
「う……ぁあ」
表情は更に恐怖にゆがみ、鉛弾が貫通したであろう望月のほうを見続けたまま、その場にぺたんと座り込んでしまった。
右手には拳銃を、その表情には、壊れた人形のようにかすれた笑みを浮かべて。



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