性悪*Perpetual


時計の針はもう夜の7時を回った。暗くなってきた夜空には点在する星もかすかに散らばっている。だけどその数も少ないのは午後から夕方にかけてだんだんと曇ってきたからだろう。いつもならこの時間きっちりに、白いテーブルクロスがしかれたテーブルの上での夕食が始まるはずだ。毎日毎日フルコースとはいかないが、専属のシェフが作ってくれた夕食が並んでいるはずで――服部綾香(女子10番)はそんな過去の残像に頭をやられながらも、もう既に水だけで空腹をしのいでいる自分を恥ずかしく思った。
こんなの。こんなのいつもの私じゃない。
そうは思いつつも、たった一個しか与えられていないパンはもう既に食べきってしまったし、ペットポトルに入った水もそろそろ切れる頃だ。


一番はじめ、分校にいたとき自分を殺すと大衆の前で宣言した遠藤雅美(女子2番)から守ってもらおうとし――だってあんな凶暴男女に、か弱い私が勝てるはずがないでしょう?――偶然に遭遇した森井大輔(男子15番)に、住宅街で見つけた刀を渡すと、裏切りもいいところ、すぐに頭を渾身の力を込めて蹴られ気絶させられる。
そして気絶から立ち上がった後、以前まで金魚のフン並に連れて振り回していた日高かおる(女子11番)に遭遇。絶好のチャンスに銃を持った蓮川司(女子9番)が乱入し、日高が目の前で殺害され命かながら蓮川から逃走した。
そんな今にも消してしまいたい屈辱と恐怖の記憶を、服部は思い出しては奥歯を噛み締めた。疲労が足にたまっているというのにもかかわらずそのことを考えると不思議と歩幅が大きくなる。苛立ちと焦りばかりが先走っていた。
彼女にとって遠藤は純白のドレスに染み付いた泥のようなものだが、森井や日高にいたっては期待を裏切られた、まるで飼い犬に手を噛まれたような――飼い犬、というほど親しくした覚えはなかったが、とにかくそんな屈辱を味わった。


現在時計の針は7時半過ぎを示している。1時間半ほど前に流れた放送は、かろうじて書き留めることが出来たが、もうそれで気力をすべて使い果たしてしまった。
コンパス片手に散々さまよった挙句パンはもう残りひとかじりしかないし、水もそこにほんの少し底にたまる程度だ。それでも腹は一向に減るし体力もなくなり、今は気力だけで自分を保っているようなものだった。
ひとつ気を抜けば今にも発狂しそうな勢いなので、服部はふらつく足に力を込めながら木を手で伝って、大型果樹園のあるH−08エリアにたどり着いた。果樹園というだけあるのだからここに行けばばなにか食べ物があるかもしれない、と踏んでの散策だ。禁止エリアが近くに2つあるが、それももちろん弱った思考回路がきちんと考慮している。I−09エリアは23時から禁止エリアになるらしいがそれまでまだ4時間もある。食べ物を探してすぐに離れる予定だったので、それは十分過ぎる時間だった。
わずかに残っている理性が死なないための一本道を丁寧に作り上げる。なるべく音を立てないようにゆっくりと歩きながら、懐中電灯で足元を照らしつつ前へと進んだ。


思えばこんなことになったのは全部あの遠藤のせいだ――と責任転嫁もいいところ、服部はすべての責任を彼女の心の奥深くにいる遠藤の残像に押し付けた。明るめの茶髪、それに数個付けられたピアスは、いたって平凡な学校ではよく目立つ格好。そんな人々の注目をある意味で浴びる遠藤が、服部にはねたましくて仕方がなかった。
遠藤がそういう格好をし始めたのは中学校上がりたての頃。事情はよく分からないがある日突然髪の毛を明るく染めてきたのだ。その時代にとって髪の毛を染めることはほとんど異質なものだったので、当然のごとく誰からも注目を浴びることになる。そしてそれ以上に、遠藤は女子の中でも大ボス的存在だったものだから一層畏怖に拍車をかけることになった。
そういう経路をたどって今に至る遠藤の何もかもが服部は許せなかった。強気な態度も癪に障るし、運動も勉強も(と言っても勉強は小学校までだが)常に服部より一歩先に立っていた。そんなことは服部のプライドが許さなかったため、小学校から今の今までずっと悪口を口を出しては罵る毎日が続いた。
『何よあんな男女、ちょっと勉強と運動が出来るからって気取っちゃって。実はみんなの目を引きたいだけなのよ』
『皆は遠藤のこと怖い怖いって言ってるけど、あれのどこが怖いのかしら? 私にとってみればあんな男みたいな女は足元にも及ばないもの。性別を間違えて生まれてきたわね』
『うるさいわよ! 不良のクセして私にたてつかないでくれない?! あんたは不良なのよ、字のままね、不良品の不良なの! 少しは自分の立場をわきまえたらどう?!』
口に出した結果、当然同じようにプライドの高い遠藤との中は悪くなる。したがって今の2人の関係が出来上がった。


いっそ殺してやりたいくらい憎んでいた。それは服部にとっても同じだ。
――あいつさえいなければ、あいつさえいなければ…………!!
今頃こんな恐怖に煽られて行動することなんてなかっただろうに。そう締めくくった。


しかし突然、奥の方からだっだっだっと言う足跡が聞こえてきた。服部は衰弱しつつも辺りに警戒心だけは払っていたので、今までもわずかな草の音や遠く花火のように聞こえる銃声にも敏感に反応していたほどだ、今回の足音だって俊敏に体が反応する。彼女はクルリと振り向いたあと、また右方向に体を向けた。そして左、前、と自分のいる場所360度を見回してみる。どこを見ても、相変わらず背の高い木々がまだらに生えているだけだ。
服部の小学校からの天敵、遠藤雅美はまだ放送時に名前を呼ばれていない。先ほど流された放送でも名前は挙がっていなかった。つまりまだこのエリア28のどこかで生きている、ということになる。遠藤は口調も一人称も男だが変なところで女らしいので、分校で青沼聖(副担当教官)の前で宣言した服部を殺すという執念だけはその体朽ちるまでつづくだろう。
だからこそこの音は追い掛けてきた遠藤の足音じゃないかと思うと、否が応でも体は反応してしまう。死にたくないという思考はもちろんあったが、特に服部にとって遠藤は見下すべき下等生物なのだから、それにやられるのかと思うと、身震いすら覚える。
事実上支配下にあり、いつも後ろをつれて歩いていた飯塚理絵子(女子1番)関根空(女子5番)然り、服部を守ってくれる人は誰もいなくなったのだ。生きるためには自分で自分を守らなければならなくなる。


服部はわずかに残った理性を働かせてそう考えた。しかし迫り寄ってくる足音はとまる兆しを見せない。むしろ近寄ったかのように聞き分けられる。彼女は誰?!と叫びたかったが喉に何かつまったように感じて声がでない。渇き切った口腔を開けしめしてから、ようやく「誰?!」という擦れた声がでてきた。
「誰なのよっ! 遠藤なの? 遠藤なのね?!」
彼女は恐怖に押しつぶされ感情任せに叫びあげた。だが実際次の瞬間に聞こえたのは、遠藤の低いどすの聞いたような声ではなく、むしろ突拍子なくらい高い声だった。ほんの少し聞くだけでも誰だかわかるような、あの特徴ある甘ったるい猫なで声。
「綾香ちゃーん、若菜だよぅ、雅美ちゃんじゃないようー」
少し離れたところに薄黒い影ができた。服部は持っていた懐中電灯の光を土屋若菜(女子7番)であろう影にあててみた。ストレートヘアは今はもう絡まっていて、短くした灰色のチェックスカートも泥で汚れていた。丸い光でライトアップされた土屋は顔を歪めていく筋にも割れた涙を何回も拭っていく。
「わ、若菜……」
相手が遠藤ではなく土屋だということに半分驚き、半分安心と複雑な気持ちになったが、服部はそれによって警戒心を解くことはしなかった。相変わらず見ているだけでイライラするどことなくぶりっ子的な仕草してるのね――服部は同じく五大性格ブスと呼ばれていた土屋を眉間にしわを寄せながら見つめた。
それから一拍間をおいて、棒立ちになっている彼女を見て服部はふと何かに気付いた。そして懐中電灯をもつ手をゆっくりと下げて、明かりの範囲を土屋の手元までおろす。するとやはりそこには、まだみたこともないような拳銃が光を反射してくれた。


――本物の銃!!

服部に支給されたようなモデルガンが他の人にも支給されていると考えるのはおかしい。普通に考えてみればあれは実銃だといえるだろう。ごくりと生唾を飲んだ。死にたくないという気持ちは相変わらず彼女のなかで生きているので、銃で撃たれるかもしれないという危険性が更に高まったことによって反射的にしり込みする。
「綾香ちゃーん」
泣きべそ混じりに土屋は呼び掛けた。
「綾香ちゃんも、若菜のことが嫌いな、の?」
彼女から何メートルか距離の離れた場所にいる服部には土屋のしゃくり上げた声は聞き取りづらい。服部は汚い雑巾を摘みあげる時のように露骨に表情を歪めた。目前で意味不明なことをぶつぶつつぶやき、中3にもなってまだ幼稚園児みたいに駄々をこねている姿をみれば、いくら恐怖と空腹によって身を引き裂かれるような思いをしていたとしても、怒りという名の理性を取り戻すにはそんなにたいした時間は掛からなかった。

「うるさいわねっ! いつまでも大声だしてるんじゃないわよっ!」
しかしその大声以上に大きな声をだして、服部はヒステリーを起こす。気に入らないことがあればすぐに金切り声をあげるのは、何一つ不自由なく育った服部の一種のくせだった。
「綾香ちゃんも、若菜が嫌いなの〜?」
弱々しく問いかけてくる土屋に怒りしか持たない服部は、相手の気持ちを考えるだとか同情云々をすべて振り払って、鋭く
「アンタなんて大っ嫌いよ! 早くどっか行っちゃってよ! 邪魔なの! あんたの声聞いて遠藤がきたらどうしてくれるの!?」と突き放す。

2人の怒声と泣き声が妙な協奏曲を奏でている中、息継ぎ代わりの荒いしゃくり声が唯一の休符だった。いいたいことをすべて言い切った服部はこぶしを握ったまま気休めにもならないモデルガンを握りなおした。また早く逃げなきゃ、遠藤に見つかってしまうという気持ちばかりが先走ってくる。2人が直立姿勢を保ったまま数分の時が流れた。


「私はねえ、遠藤から逃げてるのよ! アンタにかまってる時間なんてこれっぽっちもないんだからね!」
ハァッ、ハァッ、とまた肩で荒く呼吸をした。焦ることなんて何一つないとわかっているはずなのに、どうしてか声を荒げてしまう。服部は頭が痛くなった。


「俺が、どうしたって?」

罵声が飛び交っていた中、低い声がその場を沈めた。
バァンッ!!バァンッ!!バァンッ!!
一瞬の静寂のあと、すぐに3発の銃声がする。服部は驚いて音のした後方のほうを振り向こうとした瞬間――
「ぐっ……」
体が宙を浮いた気がした。何かの反動によってふわりと体が持ち上がったのだ。服部の軽くウエーブのかかっている長い髪の毛が同時にふわりと広がった。
――痛いっ!!!
痛みを感じるのと同時に、食道の奥から血が込みあがってき、口から吐き出された。
ゲホッ、ゲホッ
痛みと衝撃とでダブルパンチを食らった服部は、今何が起こったかをうまく整理できるほど人間を保っていられなかった。膝から崩れ落ちると、すぐに地べたに寝そべってしまった。
足が、足が熱い。お腹のところも――まるでナイフをじかに日に当てて、それで刺されたような痛み。轟々たる炎に放り投げられたような、耐え難い痛みが服部を襲う。痛みに耐えかねず、服部は声にならない声を漏らした。


「いいザマだなぁ服部ィ」
その声が、意識が薄れていく服部の耳へと届いた。
「この……声っ……」
忘れもしない。片時だって許したこともない憎むべき相手……そう、どこからか現れた天敵、遠藤雅美の声だった。



残り16人


Next / Back / Top

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送