樹海*Unruhig


ちょうど雨足が強くなって、差していたビニール傘がぱたぱた、と音をたてていた気がする。画面はモノクロなのにもかかわらず、映画のようにかなりはっきりとしたものだった。画面に映る『幼い頃の俺』は、家出した『彼女』を探すために雨のなか家を飛び出し、近所の公園まで来ていた。
俺と彼女がよく一緒に遊んでいたところでもある。何の変哲もない公園だ。ただドーム状になっている遊具と、それからブランコに滑り台などと代表的な遊具が揃っているが、広さはあまりない。
傘を差したままの俺は全速力で走ってきたせいか、かなり息があがっていた。公園の入り口に着くなり、まっすぐドーム状の遊具に走りよった。そこは俺と彼女にとって特別な場所であることに違いない。なぜならほぼ毎日のように秘密基地ごっこをして遊んだ記憶があるからだ。
幼い俺はそのドーム状遊具のくぐり穴から中を覗いてみる。中は真っ暗だが、他の穴から入ってくる光が淡く揺らいでいた。彼女の名前を呼んでみる。しばらくすると中から雨音に負けそうなくらい弱々しい泣き声が聞こえてきた。いや、弱々しいのではなく、ただ単に声を押し殺して泣いているから小さく聞こえるのだ。
「ひーくん」
俺の名前、新宮響の響からとったあだ名を呼ばれた。

やっぱりここにいたんだ。
だから俺はそう受け答えてあげる。幼い俺の目の前にいる彼女、蓮川司はびしょぬれの体を震わせたまま、膝を抱えてうずくまっていた。
まだ黒くて(と言っても色素は元々薄かった)長い髪には雫がついて、色白の肌も今では病人並に青白くなっていた。
帰ろう。
司に手を差し伸ばして家に帰ることを促してみるけど、なかなかそうはうまくいかない。きっとまた仲の悪い兄貴達と喧嘩でもしたのだろうと家をでるときから踏んでいたが、やっぱり予想は的中したようだ。この「家に帰りたくない」態度はすべての理由を想像させる。


大丈夫だって、きっと時哉君たちだってもう――。
「司はね、神様なんだよ。死と全能の神、ヒトラーの生まれかわりなんだもん」
幼い俺の言葉をさえぎって、司は頭を抱えながらもそう力強く言い切った。
そして次の瞬間、彼女映像の部分にぐにゃりと歪みが生じ、それからモノクロのシーンに唯一のキレ鮮やかな場面が埋め込まれた。
それは白いブレザー、水色のワイシャツ、青いネクタイ。それから灰色のチェックスカート。そしてそれを斜めに横切るどす黒い帰り血。制服姿の司は幼い頃の司ではないことを物語っていた。
彼女は光りのない石のような瞳で幼い俺をにらむ。


すると次の瞬間、背中の生地が割け、黒い翼がそこにあらわれたではないか。生まれたてのカラスのような濡れてさらに黒みが増したような漆黒の翼。まるで西洋の絵画にあるような悪魔の姿だと――。
しかし翼も立派なものではなく所々ただれている。本当に醜い以外に形容しざるをえなかった。
つか……さ。
幼い俺は目の前に突如としてあらわれたその悪魔を凝視しつづけた。濡れた翼は痛々しくただれている部分がある。そこからたれ落ちたウミが異臭を放っていた。

「だけどみんな私のことを指差してこういうの」
そんな翼を背負ったまま、司は伏せていた顔をゆっくりとあげる。そこにいる幼い俺は彼女の顔があがるにつれて、何か心の奥底にたまっていたもやもやが自然に膨張し、飽和状態になる一途を徐々に感じ取っていた。
彼女の頭が一ミリでもずれるたびに恐怖という名のもやもやがカウントダウンを奏でるかがごとく膨れていった。

「おまえは化け物だって」

頭を上げ切った瞬間、右半分が赤くただれている顔と目が合った。息を飲む間もなく、視線も離せられない。まさに化け物ににらまれた子供のように立ちすくんでしまう。
手が震え、持っていた傘が指から滑り落ちた。
違う、違う違う違う!!
司はこんな二目と見れない姿なんかしていない!
俺の知っている司は、俺の知っている司は――
――だが俺は彼女の何を知っている?
この場所でこうして泣き伏せっている彼女を知ってる。
家族から虐げられ、それでも普通を取り繕っていた彼女を知ってる。
自分だけに微笑んで、自分を信用してくれた彼女を知ってる。
じゃあ、プログラムで平然と人を殺す彼女を俺は知っているのか?
彼女の何かを少しでもわかってやれたか?彼女にとって、俺の存在理由はどうなっている?
疑問符ばかりで何一つも肯定できない。
俺は、司に俺だけの司でいて欲しかったのか?
自分の気持ちにさえ、曖昧すぎる境界線を引いた。


――


「ヒビキッ!」
あまりにも大きい声が一発、眠りについていた新宮響(男子9番)の鼓膜を直撃した。一瞬にして跳ね起きた響はまだ混乱した頭を左右に軽く振る。針葉樹林の黒い影が見え、舗装された道路も視界の端にうつる。ここは地図でいうところのF−07で、近くには海岸線沿いの港もある。ただ遠くのほうで波が行ったり来たりを繰り返しているような気がした。
「大丈夫かオマエ、うなされてたぜ?」
そんな中、彼らは適当な場所で休息を取っていた。寝ていた響の隣にしゃがみ込み顔をのぞく市村翼(男子3番)は呆れ半分心配半分の微妙な顔つきのまま口元を緩めて笑った。
「つかさーつかさーって。おまえは夢んなかでも蓮川でいっぱいか? ああん? このムッツリ」
彼が常時「大好きだー!!」と連呼していた対象の柏崎佑恵(女子3番)の態度とは違い、響と蓮川司(女子9番)の関係は幼馴染、そして少なくとも翼と佑恵以上の関係(と言っても万年片思いだが)にあることを羨ましがっていた。


「……誰がムッツリだっての。人のこと言えるかバカア」
顔を少し赤らめながら言い返す。はじめは直視することすら抵抗があった首輪もすでに体の一部になりつつあるような幻覚を見せ付けるプログラム。実に理不尽な戦闘実験であるという現実が目の前に突き付けられ響は、頭の中が冷えた今、ようやく夢であることに気付いた。違和感の会った翼の首に付いている(もちろん、響の首にも付いているのだが)銀色の首輪は、こんな夜でさえ、わずかな光を集めて光っている。それは非日常的を醸し出しているかのようだった。
「人のこといえるかだって? いやだなぁ響君。この爽やかでカッコイイ俺がそんなエロさを心の奥に隠しているような真似するわけないじゃないか。俺は純白で純粋なんだよ?」
目に少しかかる程度の髪の毛をふわりとかき上げてキラリと歯を見せる。もちろんいつもはここで響の『バカナルシスト』というツッコミが来るはずなのだが、今日はやけに響が静かだ。不審に思った翼はもう一度彼の顔を覗き込んで
「変な夢でも見たのか? 蓮川が工藤にとられたとか」と聞いた。

2人で話し合い、体力保持のため交替で少しずつ仮眠をとろうということになったので先に翼が寝て、今回は響の番だった。しかしそれのおかげで悪い夢を見て、背中のワイシャツが汗で濡れるくらい焦燥の意にかられた。ワイシャツが汗でべったり張りついている感触に眉をひそめる。
「ああ、サイテーな夢だ」
ぼそりと響が言った後翼はすぐに
「俺も夢、見たぜ。さっき」と付け加えた。
「あ、俺の前に寝たとき?」
「そうそう。恵と光が俺に風呂洗えって命令してきてさぁー。俺、今日は俺の番じゃねえって言ったのに!」
「あっは、夢んなかでも恵君らしいなぁ」


市村家の男子は同じくサッカー部だったため、2個上で兄の恵は響とも知り合いだ。翼の兄だけあって整った顔立ちは血を争えない。まるで身長の違う双子を見ているような錯覚さえ起こすあの兄弟に何度響は笑っただろうか。一方の翼は苦い顔をしながら夢のことを思い出す。兄の恵(めぐむ)、5個離れで長女の光(ひかり)。彼らが出てきてはいつものように末っ子の翼に家庭の雑務を押しつける。少なくとももう二度と戻ってこないこんな日常を夢にみて、翼は何とも言えない複雑な感情を味わった。

「俺んちも、母さん何やってるかなぁ」
急に肩をしょげさせて大きくため息を吐く響。実は母子家庭である新宮家。唯一の肉親である息子を奪われ望みを切り捨てられ、母はどんな気持ちなんだろうと思い詰めた。きっと母親だって、息子が殺人鬼になった幼なじみを止めようとしているなど、夢にも思わないはずだ。
だけど、誰が悲しもうとも今はただ司を止めることだけに集中しようと響は考えた。それはただ、せめていいことをして死にゆく自分に免罪符を与えたかっただけかもしれないが。
それからしばらくは2人の会話が途絶えた。いつもの帰り道のような笑い声が耐えない2人組はもうどこにも存在しない。沈黙がどうしようもない不安を呼び、不安が彼らの視野を狭めていった。あるいは電灯一つもないこの真っ暗な場所で、明るく振舞えというほうが酷なのかもしれない。


まるで樹海に足を踏み入れた気分だった。手探りばかり進めていても出口のない迷路は終わりを見せることすらない。待つ先にあるのは死だけのその世界は、希望もはかない。樹海の中で大声で正論をとこうとしても、誰一人として聞いてはくれない。そこでは筋の通った正論さえただの罵声にしか過ぎなくなる。そうするとどれが正論だかわからなくなって、次第に正しいものすら見つけられず、すべてを否定する自分が出来上がる。
今、こんな悪循環のさなかにいるなら、それはまさに樹海にもぐりこんだ自殺志願者。当てなくさまよい死を迎える人。

だが樹海のように音もない雰囲気は妙に緊張感を張り詰めさせている。その雰囲気のおかげで、彼らは近づいてくる脅威に気付くことが出来たのは幸運だ。
「……何だ……?」
翼が急に顔をしかめた。どうも先ほどから誰かが近くにいるような気配を感じ取っていたのだ。彼は休む暇もないのか、と内心舌打ちをしながら響に静かにするように示唆した。響も響で、もうこのような緊急事態が起きても、はじめの頃のように取り乱したり下手に動揺したりはしなくなった。
「なんか聞こえた?」
コンタクトの使用期間が切れ、裸眼の翼に変わって響が辺りを見回す。お互いがお互いを守るために目となり耳となっているのだ。
「暗くてよく見えないなぁ……」
響は目を凝らしながらつぶやく。確かに目が暗闇に慣れているといえど、辺りは雑林で障壁が多すぎる。


「でも足音がするんだ。誰かいるに違いない」
「じゃぁ、俺が見てくるから、翼は後ろにいてくれよ」
すぐに立ち上がって暗闇に向かい声を上げてみた。
「誰かいるのかー?! いたら返事してくれー!!」
くれーという語尾だけがこだまし、あとは返事一つすらない。響はもう一度声を上げようとしたが、すぐに後ろにいた翼に口をふさがれた。


「来たぜ、その例の誰か、が」
翼はぺろりと唇をなめるといつでも来いと言わんばかりに銃に手をかけた。それはさながら部活の試合、パスしてもらったボールをドリブルしながら相手のディフェンダーに突っ込んで行く我らがエースストライカー市村翼の姿。響はそんな横顔が自分のすぐ近くにあるだけでほっとした。我らがエースの揺るぎない得点力、ゲームでの絶対的信頼。こいつなら何かやってくれるんじゃないかという期待。日常のそれらがそのままこちらの世界にも通用している。
2人は中背で身長差もあまりない。体を近くに添えるだけでお互いの心臓の鼓動が直に聞こえた。
大いなる信頼をこめて、響はただ一度だけこくりとうなずく。
視線の先、暗闇の中では姿は見えない。翼はバッグに入っていた懐中電灯を取り出すと、スイッチを入れた。
樹海の向こう、出口はどこだと探す人のように、その光が希望の光となるように願いながら。




残り14人


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