困惑*Al fine


薄ぼんやりとしたライトアップ。草や木の幹が邪魔してうまく先のほうへと光が届かなかったが、それでも辺りに何があるのか正確に知るためには十分すぎた。なんとなく目も慣れていたし、東京湾の夜空は近くにある工場の明かりの影響明るいこともあってか、向こうにいる『例の誰かさん』をすぐに見つけることが出来た。
「……優真?」
響がボソリとつぶやくがまだ確証はない。
がっちりとした体躯でいささか目つきが悪い。不良ではないのだが気が短く怒るとすぐに手が出るほうで、売られた喧嘩は即買ってしまう短気な藤原優真(男子11番)
今、新宮響(男子9番)市村翼(男子3番)の前にいるのは、十中八九その藤原優真だった。彼はいつもつけている白いタオルバンドを夏葉翔悟(担当教官)に撃たれた右腕に括りつけている。あれだけの傷を負いながら今まで生きて来れたこともまさに奇跡に等しい。
「優真なのか?」
響が一度だけ問いかけてみるが、向こうがこちらに気付いていないようで何の返事もない。響は翼が持っていた懐中電灯をもらい、左右に動かして光を藤原らしき人影のほうへと持っていった。


「藤原かよ……クソッ」
その後ろで翼が舌打ちするのが聞こえた。響と翼は同じ小学校出身だが、藤原とは違う。翼は小学校のころから短気で怒りっぽかった彼を中学で初めて見たころから、あまり快くない印象を抱いていた。中学3年生になってから同じクラスになったので、なぜか自然に藤原優真と郡司崇弘(男子6番)、このペアと相澤圭祐(男子1番)森井大輔(男子15番)を合わせた6人で行動することが多くなっていった。しかし一緒にいて何かと鼻につく男だったので、翼はなんとなく藤原に苦手意識がある。
「俺、実はあんま藤原得意じゃないんだよ、アイツ暴力的だし」
今のいい雰囲気を壊したくないのか、翼はあまり感情を顔には出さないように努力してみたが、やはり少し顔が歪んだようだ。響が翼を見詰める表情が険しい。
「でも、優真は友達だから」
響はくるりと前を見ると、藤原に向かって大きく手を振り始めた。するとその声に気付いたのだろうか、藤原は歩いていた足を止め、懐中電灯の光が指す方向へと向きなおした。ギロリ、という強烈な視線が2人を襲う。もう既に正常な意志をもてない藤原の野性的な視線は、何か矢のような鋭さがあった。これにはさすがに響も『友達』だった頃の藤原を見出すことは出来ない。
変わってしまったのだ、きわめて短時間で。


視線の威力に負けて二人とも口を閉ざした。彼の白いブレザーは血で真っ赤に染まり、黒に近い色を施している。また、まるで地獄を見たようなその視線につばを飲み込んだ。動けない、緊張なのかそれとも恐怖なのかはわからないが、足がすくんでしまった。
「逃げるぞ……響」
かろうじて搾り出せた言葉に、威勢のかけらも含まれていなかった。恐怖に飲まれそうな翼はこぶしをぎゅっと握ると、いつでも走り出せるように荷物が置いてある場所を確認し、右手で保持している銃をちらりと見た。
「でも……優真は」どこかまだ未練がましく響は藤原を見つめた。
「ばっか、アイツはもう藤原じゃねえよ! アレ見ただろ! あいつは……なんも、誰も信じちゃいねえよ! アイツはもう俺たちの知ってる藤原優真じゃねえ!」
翼は響の腕をぐいと掴んで逃げるように促したが、響は断固としてそこを動こうとはしなかった。


「死にてえのかバカ響!」
「るせえよ!」
翼の響に対する罵声より、響の翼に対する反抗の声のほうが大きかった。いつもは温厚で本気で怒ったためしなんてほとんどなかったこの優男のこと新宮響が、しかも小学校来ずっと親友だった翼に向かって本気で「るせえよ!」などと一度たりとも言ったことはない。
初めてそんなこと言われた、というショックからか、翼は口をぽかんと開けて黙りこくってしまった。
「少なくともなぁ、俺は優真の友達だ! 俺が信じてやらなきゃ、他に誰がアイツ救えるって言うんだよ!」
――……立場が、逆なんじゃないのか?俺。
翼はようやく心の中に疑問を浮かべることが出来た。響が蓮川探すって言ったんだ。死ぬ気なら、何でもできるって、こいつ言ったよな?そいで俺はどこまでもついて行ってやろうじゃないかって、思ったんだよな。俺がヘタレ響をサポートしてやらなきゃならないって、俺、思ったよな?なのに逆じゃないか。俺がヘタレてる。
俺が弱くなったのか?それとも響が強くなったのか?
だけど、俺の言ったことは、間違いじゃないだろ。なぁ、そうだろ?
翼は自分を否定しながらも肯定するというきわめて不思議な体験をした。


「友達信じないんじゃ、友達なんて言えねえよ!」
友達――つい前に、千田亮太(男子10番)に襲われている上条達也(男子4番)を見殺しにしてしまった場面も思い起こされる。同じサッカー部で仲のよかった『友達』の上条を置いてきてしまったのだ。もちろん彼は千田の手にかかってそのまま殺害され、その殺した張本人の千田もおそらく今だこのエリア28を意気揚々と歩いているだろうと思われる。
一度裏切ったために失ってしまった友達。もう誰も裏切りたくない、信じていたい。もう二度と失いたくない。失うくらいなら、最後まで信じてやりたい。それが響の願望だった。

響のそういう意志をそれとなく感じ取った翼は、すぐに与えられたパズルのピースを組み立ててこれから響にどう接していいのかを考えた。答えは容易に出る。これ以上強情にならず、譲歩することだって世の中には必要な時だってあるということだ。
「わかったよ、前言撤回」
出来るだけ端的に用件を伝えたかったので、翼は少し早口で喋った。
「ただしな、もし藤原が響を殺そうとしたなら、俺は全身全霊をかけてでもあいつを殺すぞ。俺にはまだお前を失うわけにはいかないんだからな、響」


そういい終わるのと同時に向こう側から藤原の叫び声(いや、むしろ吼えたような声)が聞こえてきた。
「うおおおお!!」
何事だ、と2人ともすぐに面を上げる。やはりそこにはさっきと同じく藤原がいて、血相を変えた彼が空に向かって声を上げていた。
「ひびっ……き、つば……さ。俺は……俺は……」何かを求めるような弱々しい声だった。
藤原の中でうごめくのは拒まれたくないということ。親友の郡司崇弘に待っていてもらえず、町田睦(女子12番)榊真希人(男子7番)野口潤子(女子8番)にも藤原自身の存在を否定されるかのように拒まれた。富士山より高いのに、そのくせナイロンの糸より細い藤原のプライド。その土台が崩れた今となっては、彼に理性や純粋を求めたところで無駄骨となるしかない。
「なぁ、俺は。誰からも……必要とされてないのか?」
彼はただ幼馴染の郡司崇弘のように、自分を立てて必要としてくれる存在が欲しかった。手に入らないなら奪い取るだけの環境が心地よかった。
ただただ、自分を否定するすべてが疎かっただけで。
それがなくなってしまったら、もう自分が自分じゃなくなるような現実。
だがそんな外見的には見て取れるはずもない悲痛な叫びが、まともな会話手段を失った今、響と翼に伝わるはずもないが。


「大丈夫だよ、優真。俺は優真の味方だから」
それでも響はいつものようににこりと笑う。悪意の欠片も持たずに、友人としての付き合い方。おそらく今の響なら、例え藤原が銃を持っていたとしても同じように笑って手を差し伸べただろう。友達だから、そう信じて疑わない響だった。
一方の翼は響の陰に隠れながらも(一応翼のほうが少し背が高いので、顔が見えないようにかがんでいた)、右手にはしっかりとコルトキングコブラを保持している。藤原を警戒している証拠だった。ぱっと見ればすぐわかるくらい、藤原は狂乱していた。それもこれも彼が夏葉翔悟に撃たれた右腕の失血が影響しているのだろうと踏んでいる。
「俺は、優真信じるよ」
翼から受け取った懐中電灯で藤原を照らしていた響の手がぎゅっと握られた。その光に当たって、藤原の表情があらわになる。少しあっけに取られたような、そして今までに見たこともないような無防備な表情。


「だって、俺ら友達だろ」
違うのか?ともう一度念を押すように響は藤原に問いかけた。急に藤原の表情が歪み、目に涙が浮かんできた。求めていたはずの信頼を改めて感じ取り、無意識のうちに感動していたのかもしれない。
その様子を響の後ろから見ていた翼は、内心やった、と思った。と同時に響の無垢で純粋な信頼の力を改めて理解する。自分のように卑屈で曲がった根性を持ち、常に生きるための結果を最優先するために友達を信じてやることができないのとはまるで訳が違う。生まれ持った人間性の違いかな、と翼は大きくため息をついた。
「とも……だち。しんじ……て」
ほんの少しだが、藤原の表情がやわらかくなったように見えた。それもそうだろう、今まで拒まれて虐げられて、精神的にもかなりダメージを受けていた藤原が、今ようやく受け入れてくれる人を見つけたのだから。暗闇といえど響がその瞬間を見逃すわけが無かった。彼はすぐに藤原にもっと語りかけようとした。
「そうだよ、俺たち友達なんだ! だから、殺しあうなんて思うなよ!」


こんなバカみたいなことしなくたって、いいんだよ、と付け足そうともう一度口を開いたが、次の瞬間響の鼓膜をつんざくような連続音がした。
ダダダダダダッ……
響の後ろからすぐに翼が覆いかぶさって、2人とも地面に倒れこんだ。衝撃で響はひじを地面にぶつけてしまったが、不思議と痛みは感じない。しかしその代わりに、とても言葉にはならない光景を目にしてしまった。
――優真が、撃たれた?
彼はすぐに起き上がろうとしたが翼の手が許さない。――お前をまだ失うわけにはいかない――そう言った翼の哀しそうな表情が脳裏に浮かんでくる。
ただ、地面に顔を臥せって何も見えないまま、響はこぶしを握った。立ち上がってなぜ銃声がしたかの根拠を調べようにも、あいにく武器は絆創膏と包帯セット。明らかに力の面が欠如していた。何も出来ない自分に、ただただ怒りが込みあがってきて。
それでも響は藤原のことを信じていた。最後まで、最後まで。


連続音はそれっきりしなかった。1,2分たったころ、急に響の頭を抑えていた翼の手の力が緩んだので、彼はすぐに立ち上がって周りを懐中電灯で照らしだす。
「優真?!」
辺りを懐中電灯で照らしてみるが、藤原の姿がどこにも見つからない。辺りは背の高い草むらで覆われているためにそれらをかき分けなければうまく視界も良好にならないようだ。響は急いで藤原を探すために、翼の制止する声も無視して目の前に広がる草を掻き分けて走った。
今聞こえた連続音を銃声と思い込む心を必死になって否定したかった。そしてその音がしたあとに藤原の姿が急に消えたことにつながるまでの過程を否定したかった。答えはすぐにでてくると言うのに、どこか心の奥でそれを押し殺していた。
藤原が、誰かの銃で撃たれたのではないか、という答えを。
「優真? 優真! 返事しろよ!」
響はわらにもすがるような思いで草を掻き分け藤原を探し続ける。時間が一秒、また一秒と過ぎるにつれて出したくない答えの輪郭が次第にはっきりする。

「藤原優真、男子11番。F−07エリアで銃で撃たれ、死亡」
草のガサガサッ、という音に紛れてわざと大きくまるで叫ぶような声が聞こえた。響や翼のような男の低い声ではない。

「加害者、蓮川司」


ハスカワ・ツカサ――
その固有名詞が聞こえてきた瞬間、響は体中の筋肉が一斉に運動を停止したような緊張感を植えつけられた。まるで心臓の筋肉まで止まってしまったかのように苦しい。気管が押しつぶされ、だけど鼓動は急速にスピードを上げていく。掻き分けていた手が、急につったように痛くなった。
掻き分けた草の向こう、懐中電灯で照らされた先には、藤原優真のあっけない死に顔と、新宮響の幼馴染にして死と全能の神と名乗る化け物蓮川司(女子9番)がそこにあった。
響の懐中電灯で照らされたその場面はまるで美術館の一番の見物、何重にも張られたガラスケースにライトアップされたようなものだった。関係者以外立ち入り禁止のそのエリアには独特の雰囲気が漂っている。ただしこちらは題名をつけるとすれば死人と殺人鬼、だろうか。美術館に飾られるだけの価値はまだこの絵にはない。


「つか……さ」
ごくりとつばを飲む。相変わらず血で汚れて黒くなった白い制服を身にまとっている司から視線を離せず、響はただ呆然としていた。
あれだけ『会って彼女のすべてを阻止してやる』と心に誓ったのに、今更足がすくんでしまった。
勢いだけ勇ましくて、だがいざとなったらやはり足がすくんでしまう自分の弱さと
人を殺した罪悪感すら感じられず、むしろ威風堂々とその場に立つ彼女の強さを
彼は呪った。


男子11番 藤原優真 死亡
残り13人



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