兄弟*Rnubrette


「怖いんだよ……。司を見てるとまるで母さんが……俺たちに復讐しに来たんじゃないかって!!」
蓮川家の三男坊、蓮川時哉がそういいはなったあとしばらく、誰もが口を結んだ。重苦しいまでの沈黙がまたしばらく流れる。
千葉県高原市の郊外にあるお屋敷、蓮川司の家のリビングには、亡き母や飲んだくれの父に代わり一家をまとめる長男の晴一、引きこもりで家族にさえもめったに顔を合わせない次男の貴正、髪の毛を茶髪に染めたいささか態度の悪い三男時哉、それから司の下の弟であるしっかり者の四男真人に、甘えん坊で泣き虫の末っ子洋介。この男ばかりの兄弟が集まっていた。
もとより父親は酒ばかり飲む(もはや酒が主食と言ってもいいほどに)アル中で、今は晴一に酒ビンを渡されたあと部屋に帰っていった。かすかに聞こえる鼾が、今彼が就寝していることを表している。
蓮川家は、いたって『異常』の家族だった。同じ血や肉を分けた親や兄弟であろうとも女ならば誰でも阻害する、まさに男尊女卑の世界がこの家には風習として残っている。それにのっとって母の美津子、それから長女の司も酷い仕打ちを受けてきた。
下の兄弟2人はまだ小学生なので母親に対する憎しみなどこれっぽっちもなかったから除外されるが、上の兄たちはこの上ない限りに母親を嫌っていた。晴一は父親に対して無駄な抵抗を続けるみっともない母親を哀れみ嫌い、貴正はひとりぼっちだった自分に見向きもしてくれない母親を怒り憎しみ、時哉は母親の遺伝として受け継がれた白い肌のせいでいじめられ続けたと憂い逆恨みしていた。彼らにとって実の母親など、いていないような存在に等しい。
しかしその母親も、一年と半年ほど前に死亡している。原因は持病の心臓病が心臓発作を引き起こしたからだ。享年41歳、急逝だった。


「だから……なんでだよ、何で姉ちゃんが兄ちゃんたちを殺しにきたりだとか……母さんが復讐しに来たとか……ワケわかんねーよ! 俺にも、洋介にもわかるように説明してよ!」
来月の4月で中学校に上がる真人を見て、晴一はふっとため息をついた。ああ、こいついつの間にこんなに大きくなったんだっけ――およそ10もの歳の差が開いている弟の成長ぶりを、今改めて実感した。ここで子供だから何も知らなくていいというわけにはいかないだろう、彼もれっきとした蓮川の人間なのだから。もちろん、洋介も。
「わかった、説明する」
家族内で起きたいがみ合いは、下の弟二人にはまだ降りかかっていなかった。後とり候補として上げられていないので【蓮川さんちの事情】をまったく知らない幼い2人。彼らは何が起こっても大丈夫だ、というのだろうか、眉間にしわを寄せた真剣な表情で長テーブルの上座に座る晴一を見詰めた。


「俺たちが、母さんを殺したんだ」
食事の途中だった洋介の小さな手から、箸が滑り落ちた。
 

――


あれはちょうど2年弱前の話だ。
確か春先の長編ドラマを珍しく上の兄三人で見ていた気がする。そのとき真人と洋介は同じミニバスに通う友達のところにお泊りすると言っていなかった日。それにもあまり気を使わず、晴一・貴正・時哉の三人の兄はリビングにある大型テレビをソファーに堕落した格好で座りながら見ていた。
今日の飯は格別不味かった。本来なら母親の作る料理など触れたくもないという根性の曲がった考えを持っていた兄たちは、今日でた夕飯のスープが少ししょっぱかったからと言って一口食べて残した。こんなわがままし放題なのも、この家がいわゆるお金持ちだからだろう。残った食事は次の日の母親の昼ごはんになる。
何度も舌打ちをしながら兄たちは不機嫌な表情でソファーにねっころがっていた。そのときだ、突然大声が上がったのは。
「てめえ何度言ったらわかるんだ! このクソガキを俺の前に二度と出すんじゃねえ!!」
――また始まった。彼らの舌打ちが今度はため息に変わる。蓮川家の主人であり、最大の厄介者である父の蓮川修造がまた不満を美津子にぶつけているのだ。今回は何なんだよ、と時哉はあまり興味なさそうな顔つきで振り返る。リビングの後ろ側にあるキッチンでは、酒ビンを持った修造と、それに必死になって頭を下げている美津子、それからその母の影でじっと父を睨みつけている司の姿があった。


またあのクソガキか。時哉にとってすぐ下のきょうだい、2つ離れの妹・司は、今中学2年生だ。それでも貧弱そうな灰色の髪の毛、色素の薄い肌はどことなく時哉と同じものを受け継いでいる。次男の貴正にいたっては一番司とよく似ているのだ、時々貴正と母と妹を間違えそうになる。
あー、早く死んじまわねーかな、いっそ自殺でもしちまえばいいのに――時哉は兄弟の中でも一番司を疎く思っていた。歳が近いこともあってか、近所では何かと話題に出される。そのたびに悪寒すら走ったが。彼にとって、司は迫害されて誰からも必要とされてなくて、なのに母の隣ぴったりくっついているその姿が疎ましかったのだ。
どうせ今回も同じようなことを父も思っているのだろう。時哉はくるりと前を向きなおすと、メロドラマ系の長編ドラマをまた見始めた。
「でも、食事のときくらいはいいじゃないですか! 司だって、食事を――!!」
「家主の俺にたてつくのか! いい度胸だな! いつ俺がお前に口答えを許した! この家じゃ俺が法律なんだよ!」
セミロングの髪の毛を結ばずにまっすぐとさせている美津子の姿。顔には多少しわが入っているがその顔立ちはとても端整だ。しかしその顔もいまや歪んでいる。何せ存在自体が法律とわめく夫に対抗しようとしているのだから。
「来い!」
ぐっと美津子は腕を掴まれて、すざましい力でキッチンから引きずり出されていく。元々病弱な美津子は抵抗できずに、引きずられるまま廊下へと出て行った。


「……行ったな。離れ」
晴一が振り向きもせずにボソリとだけつぶやいた。ブラウン管からは無機質な音声が飛び交って聞こえる。
「親父も、いつまでたってもアチラのほうお元気ですねえ」
皮肉交じりに、だけど無表情のまま貴正が答えた。
「あの夫婦にセックスレスなんていう言葉はねーんだよ。しかもあの親父の成分は酒かドSの性欲しかねえし。おーコワ、あーいう大人にだけはなりたくないね」
くっくっく、と小さく笑う時哉には薄い微笑が浮かんでいたが、それはいつものことなのであまり興味がわかないらしい。
「下ネタやめろよ」

晴一があきれた、といわんばかりに時哉に注意する。蓮川家の跡取りとして小学校から大学までの私立マンモス校にエリートとして通っていた晴一には、礼儀をわきまえた常識しかないので時哉のようにあまり汚い言葉は使わない。
「あっはっは、免疫ねーなー晴一兄は。もしかしてまだ童貞?」
「るせーよ、俺のプライベートに入ってくるな」
けらけらと兄をからかう時哉は、腹の痙攣を抑えつつ涙をぬぐった。それから急に耳に付けているピアスが気になって近くに掛けてある鏡で確認しようとしたところ、不意にまだ立ちすくんでいた司が目に入る。彼女はじっと兄たちのことを睨みつけたまま微動だにしなかった。


「……んだよテメー、なんか文句あんのか?」
耳たぶを押さえつけたまま時哉もギロリと司のほうを睨んだ。
「うぜーんだよてめえはよ。消えろ、死ね」
司に対しての『死ね』という言葉はいつしか一種の挨拶にように日常化されていた。司の兄たちは何か気に入らないことがあるとすぐに彼女に向かって『死ね』と言う。日常会話に組み込まれていて、誰も不自然を訴える人がいなかった。それが、司が幼い頃から受けてきた制裁の1つだ。そう、女としてこの蓮川家に生まれた制裁。
ふいと顔をそむけた司はキッチンから出て行って、2階にある自室へと向かった。最近何を考えているのか、近所に住むドイツ人から譲り受けた本を熱心に読んでいる姿をたまに見つける(もちろん、そのあとすぐに司は自発的にいなくなってしまうが)。しかしよもや妹がどんな行動をしてどんな生活をしているかだなんて興味なかった兄たちは、やっと邪魔者が消えたとして安心してテレビを見始めた。


しかしそのあとだ。急に貴正がこんなことを言い出したのときっかけに、歯車は完全に絡み始める。
「ねえ。母さん、殺しちゃおっか」
引きこもりの影響かは理解不能だが、貴正はいつも妙なことを口走る癖があった。今回もそのクセの1つだろうと他の2人はタカを括ってあー、はいはい、と適当にあしらっていたが、「マジだよ」という真剣な貴正の声が聞こえたので、一同は視線を彼に向ける。
「だって、俺たち皆母さんのこと嫌いじゃん。そうだろ、晴一兄、時哉」
一度だって兄弟たちが母について愚痴をこぼしたことはないはずなのに、貴正にすべてを見透かされていた。まあそれもそうだろう。あからさまに態度が変わったり、食事を残したりと、父の母に対する洗脳まがいの範囲を軽く超えているから容易に想像は付く。


「これ以上さ、あの人がこの世に存在するの、嫌なんだよね、俺。司もそうだけど、アイツはそのうち出て行くだろうし。でも俺たちがこの家にいる限りあの人はずっといる」
俺たちがこの家にいる限りは――という言葉に、裏を返せば金銭的にこの家にいざるを得ないという兄たちの事情があった。やはり金だけは人間の生きる上に必要なものとなってくる。晴一は家を継ぐために無職だし、貴正は引きこもりの為外には一歩たりともでない。時哉はかろうじてバイトをしているがその金はすべて遊びに消える。なので蓮川家の金を頼りに皆この家に自縛霊宜しく留まっていた。
「ハハ、遊びでいってんの? 貴正兄」
「別に、遊びじゃないけど。それとも何? 時哉にはやっぱり母親が必要なの?」
ピクリと時哉の眉間が動いた。暴力的な子供に育った時哉のこぶしは、とても力強い。その手が振るわれる前に、と急いで晴一は言葉を挟んだ。


「で、具体的にどうすればいい」
言った後にしまった、と晴一は顔をゆがめた。まずは長男として母親を殺すなんて事を言い出した次男坊を咎めるのが先決だろうと考えていたのに、無意識のうちにそれを肯定し、しかも促すような発言をしてしまったのだ。
貴正は意味深ににやりと笑い「俺にいい案がある」と答えた。
「なんだよ……晴一兄までやるのかよ……」
1人だけ置いてけぼりを食らった時哉は、貴正の視線が示唆する『甘えん坊なんだね、実は』という言葉に反抗するようにソファーから立ちあがった。
「俺もやるよ……俺だって母さんいらねーって思ってたんだからよ……上等じゃねえか」
貴正はまた晴一にしたように意味深な微笑を浮かべると、ソファーのやわらかい背もたれに背中を預けた。
「決まりだ」
それから、計画は始まる。


――


「やり方はいたって簡単だったんだ。だって母さんは重い心臓病にかかってて、薬飲まないと心臓が誤作動を起こすんだ。だからその薬を……」
唖然としている真人と洋介を置いてけぼりにして晴一は話を進めるが、途中になって急に罪悪感にさいなまれたのか、急に語尾が消えかかる。その後続を買って出たのは計画を提案した貴正。いつもどおりの無表情で淡々と話し始めた。
「カプセルの入れてあるプラスチックのところを切って、形がそっくりな風邪薬と入れ替えた。あと、図書館でその薬の副作用を起こす類の薬も調べて、カプセル分解してその中に風邪薬に副作用起こす薬入れた」
そこで一旦言葉をとぎり、また話し始めた。
「本当はこんなことでほんとに人が死ぬのか? って思った。だけど実験は大成功。うまくいったよ。母さんはその日の昼間に心臓発作起こして、手術の甲斐もなく夕方死んだ」
あまりにも冷静に話し続ける貴正に苛立ちを感じたのか、今度は洋介がテーブルをだんっ!!と叩いてすぐ隣に座る貴正に反抗した。


「そんなことどうだっていいよ! そんな……そんな理由で母さん殺したの?! 兄ちゃんたちはいいかもしれないけど、俺、すっごく悲しかったのに……俺、母さん死んで……すっげえ悲しかったのに……」終いにはぐずり始めた。その肩をそっと抱く隣の席の貴正は、また続けた。
「逃げないで聞けよ。本題はここから始まるんだから……」
いつもののんびりとした口調とは一変して、はきはきとした鋭い口調となる。その口調の変化に驚いた真人はにきびが増えてきた頬に垂れる冷や汗をぬぐいながら「本題って……なんだよ」と聞く。
「本題は……ていうか、問題は、その母さんが倒れたところを運悪く司に見られた、っていうことだ」
確かに、司は母親が倒れたところを目撃し、急いで救急車を呼ぼうとした。しかし焦りのあまり手はずがわからず、和室にいた父を頼ったが結果は当たり前のように拒絶。むしろ美津子の身体にちっとも興味を示さず、「ほっとけ」といったっきりまた酒を飲み始めた始末だ。その態度に堪忍袋の緒が切れた司は、父親の腹を鋭利な包丁で刺し、殺そうとした――そういう事実が確かにある。
貴正のいう問題というのは、母を唯一の味方と思っている司が、その目の前で味方を奪われたのを見た、ということだ。
「司はあの人が大好きだった。この家での唯一の安息の場と言ってもいいと思う。確かに真人や洋介も司と仲良かったけれど、男であるお前らにはいつか裏切られるんじゃないだろうか、って思ったんだろうな」
分析の結果、といわんばかりに機械的に貴正はずっと平坦な口調で話し続ける。まるで前々から台本か何かが用意されていたかのように……。


「しかも司は……俺たちが母さんを殺した、ということを知ってるから厄介なんだよ」
加えるように晴一が口を挟んだ。真人が目を飛び出しそうなくらい大きく開いて驚いている。
「そうだな……アイツの葬式のとき、少年院から保護観付きで葬式に来たとき、偶然遺族控え室で俺たちがこのことについて話してるの、あいつ聞いてたんだよ……。だから、アイツは俺たちのことを心の奥から憎んでるだろうね」
時哉がその葬式のときを思い出しながら苦々しく唇を噛む。あまりにもあっけなさ過ぎる母親の死に、好奇心の欠片から企てた母親殺人計画の処理をどうするか兄たちと相談していたときのことだった。ちょうど和室だったためにふすまの隙間から話が漏れていたらしい。司はその隙間から話を聞いていたのだ。しかし司の隣に保護観がついていなかったのは、不幸中の幸いといえたかもしれない。


「ああ……そうか、だから姉ちゃんは……兄ちゃんたちを殺しに来るって……」
これですべての糸は1つにつながった。兄たちの恨みを知らず知らずに買っていた母親。その母親を慕っていた司。慕っていた人物が殺された(しかも、よりによって血を分けた兄たちが犯人)なら、恨みも募り、例えプログラムに選ばれようが選ばれまいが、必ず復讐しに来るだろうと考えてもおかしくはない。
しかも司はプログラムに選ばれたのだ。きっと彼女は死の感覚さえも麻痺させて帰ってくるに違いない。いつか、兄たちを殺すために。よもやもっと別の壮大な計画が彼女の中にあったとしてもまったく変なところはないといえる。
「そういうこと。だから、俺たちはあいつがプログラムで死んで帰ってくることを願ってる」
また貴正が口を開いた。もう一度付け加える。
「司はあの人が死んでから1人で生きてきたんだ。悲しみと孤独に身を引きちぎられそうにあってもなお、俺たちという傍観者には膝をつくことすら許さなかった」
父親殺害未遂ということで当時の彼女は『家庭の事情』と偽り少年院へ送還された。しかし模範生、そして裁判所でも父親にも非があるということが露見したために、少年院から半年で出所できた。その司が、今度は父親ではなく憎しみの対象を3人の兄、晴一、貴正、時哉へと向けた。


実のところ彼らは、司がプログラムに選ばれたと聞いたときに、心のどこか奥深くではほっとしていたのだ。いつやられるかわからない殺意の視線にさいなまれながら生きる生活はもう終わったのだ、と。
しかしよくよく考えてみれば、兄たちに対する恨みは母親の司への愛情に比例する。司は、一度決めたら信念を貫くタイプなので、例えどんな汚い手やせこい手を使ったとしても、必ず優勝して自分たちを殺しに来る――。
「だから俺は始めっから予想してたでしょ。司は、絶対に優勝するって」
それは幼い少女から唯一の味方を奪ったことへの罰。すべてわかりきっていたことだけれども、改めて考えることはなんとも皮肉だ。
疎み、忌み嫌っていた妹に、いつか殺される日が来るだなんて。


時哉が立ち上がって長テーブルの横にある大きな窓を開けた。ふわりと入り込んできた夜の風が彼の茶髪を揺らす。薄ぼんやりとしたダークグレーの空では星が数個キラリと光っている。それはどこかで戦っている妹の殺意が光となって、自分たちを監視しているようだった。
逃げることは簡単だ。だがしかし蓮川家の古い風習が足かせとなってそれを妨げる。少数家系は親戚も少ない。しかもここは本家のため、そしてあの飲んだくれが家主のために親戚中から嫌われている。金はあるがここ1日2日で逃亡でき、司から一生逃れるだけの術は用意できない。
「それでもなぁ、俺は祈ってるんだよ。クソ司がプログラムで死にますように、ってなぁ」

彼らに残された贖罪の道は、祈ることしかなかった。




(残り12人)


第三章・終了


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