帰宅*Atonement


千葉県高原市にある蓮川家には、今日も明かりが灯っていた。大きく構えられた豪華な門は誰にも触れられることなくしんとしていて、そこから続く大理石のビロードが、もうそろそろマンションの陰になって消えていく夕焼けをかすかながらに反射して赤く輝いている。紺と紅のグラデーションが見事に西の空を彩り、家々が黒く逆光を受けて、幸せの一時である夕食を迎えるために少し騒々しい。

そんな中でも、蓮川家の家はひっそりしていた。
通常の一軒家が4つほど入るような敷地に建てられた厳かな家は、古風で年季も入っている。そこに住んでいる人間の年齢層から考えると不思議に思うくらいな古さだったが、それが蓮川家の伝統を物語っていた。
扉を開け、真っ直ぐな廊下をひたすら突き進む。その突き当たりにあるのがリビングだ。広いリビングで、家族全員が座れるような長机に椅子も用意されているのだが、家族全員が揃って食事をしたためしはない。なにせ長男の蓮川晴一は家業を継ぐために無職だが家計を助けるために食事を作ったあとはバイトに明け暮れ、次男の蓮川貴正は二十歳を迎えた今でも自室に引きこもってほとんどでてこないし、三男の蓮川時哉は遊びに行ったまま滅多に帰ってこない。今度中学生になる弟の蓮川真人は2個下の弟、蓮川洋介を引き連れてミニバスケットボールクラブに通うことに励んでいる。一応真人は引退済みなのだが、中学でバスケをやると意気込んで、体力づくりを疎かにしないのだ。そして肝心の父親である蓮川修造は、自室で酒に帯びたまま就寝しているだろう。
少なくとも、蓮川家はそれぞれが孤立した家庭に間違いない。


しかしどうだろうか、時哉と真人の間にいる唯一の紅一点、蓮川司がプログラムに選ばれたと聞かされて以来。晴一はバイトを休み、貴正はいつもリビングにいて、時哉も家の中にいる。したがって、ミニバスから帰ってくる真人と洋介と同じ時間に食事を一緒にとることが多くなった。


男兄弟がすべて揃い、夕食をとる3月14日の夜、しかし彼らが恐れていたことが起きた。

「いっただっきまーす!」
上三人の兄たちが抱える絶望や不安などの詳細をつい先日教えられたにしろ、いまいち実感がわかない末っ子の洋介は、兄弟が揃った喜びを噛み締めて元気に手を合わせ、箸をすばやく取った。普段だったらにこやかな光景なはずなのに、どうしてか、誰も笑わなかった。神妙で重苦しい雰囲気だけを残し、他の4人は箸を取る。いつ最期の食事となるかわからないのだから、せめて美味しく食べようとは思っても、なかなか食事はのどを通らない。司が選ばれたと言うプログラムの結果が明確なものになるまで、生殺しの状態が続いた。
「いただきます」
兄たちの事情をうまく飲み込めなかった真人は、それでも洋介ほど気楽に構えられるわけではなかった。司の3つ年下というすぐ下の弟であるから、どれだけ彼女が辛い思いをしてきたかその目ではっきり見ているからだ。男兄弟とは歳が離れているため、人一倍責任感の強い彼が、今後どのように兄たちに触れていけばいいのかと悩まないはずがない。


『それでは次は、各放送局からの報道です。千葉放送局の鶴見さーん?』
貴正が付けっぱなしにしていたのだろう、国営放送の夕方のニュースの時間だった。この時間帯になるといつも東京にあるテレビ放送局からではなく、順番に各地の放送局からその地域の話題を取り上げるリレー方式となっている。女性アナウンサーが千葉放送局アナウンサーの鶴見さんを呼び出した。
『はい、こちら千葉放送局です。先ほど入った情報ですが、前年同様千葉県で行われていたプログラムが本日午後2時46分に終了したと、政府および専守防衛軍より発表がありました』
この報道を担当した鶴見アナウンサーは、きっと自分が特定の人間にとって、全身の血を抜かれるよりむごいことをしたとはちらりとも思わなかっただろう。原稿に書かれた文章をそれっぽく読み上げ、テロップを流し、画面いっぱいに広がっている『蓮川司(女子9番)』の画像を映し出すことが千葉放送局および鶴見アナウンサーの仕事なのだから。

カラン、カランカラン……


時哉の右手から、箸が滑り落ちてフローリングに落ちた。時哉だけではない、晴一も、貴正も、真人も。そして無邪気に振舞っていた洋介でさえ、口をぽかりとあけて黙り込んでしまった。誰もが、画面に映し出され、どこか嘲笑した笑いを続けている司に釘付けになった。彼女の白い制服は、左肩の部分が真っ赤に染まっている。その上、返り血らしいもので色がどす黒くにじんでいた。どう考えても、戦闘を避けて通ったようには見えないその姿に、死神を重ねざるをえない。
『対象になっていたクラスは高原市の高原第五中学校3年A組です。会場は臨海側埋立地エリア28。優勝者決定までの所要時間は1日と11時間37分でした。なお、こちらは速報となっていますので、遺体の回収と検死はまだすんでおりません。ですのでおって放送したいと思います。それでは、優勝者のコメントをどうぞ』
鶴見アナウンサーはにこりと笑った。そしてすぐさま画面いっぱいにまた司の姿が映し出される。ブラウン管の前でたたずむ彼らは、ゾクリとしたものを背筋に感じざるを得なかった。

「私の名前は蓮川司。高原市立高原第五中学校3年A組女子9番。千葉県高原市の少し奥側にある大地主の娘です。私が殺したクラスメートは15人。クラスの半分は私が殺しました。
 待っててね、晴一君、貴正君、時哉君。もう少ししたら、帰ると思うから」
ガタンッ!!
司が言い終わるのが早いか、時哉が机をこぶしで叩きつけるのが早いか。いずれにしろ不良という立場で自由奔放に生きてきた時哉は青ざめた顔で椅子から立ち上がった。
「やっぱり、司優勝したじゃんか」
食事の続きだと言わんばかりに、平素な顔をして貴正が箸で野菜をついばむ。それでも彼の少し長い髪の毛がかすかに曇った表情を隠した。声色が少し震えている。


恐れていたことが本当に起きてしまった。可能性はあるとしても、持っている能力で言えばクラスの中でも印象に残らないような凡人なはずなのに、それでも彼女は優勝した。
心のどこかでは死んで欲しい、と願っていた兄たちの企みは、音を立てて崩れてゆく。
「ちくしょぉ……っ! ……決めた! 俺はこの家出て行く! アイツ、プログラム優勝した……ってことはマジで俺たちを殺すとしてるんだよ!! しかも関東全域に流れてるぜ? 俺たちの名前が!! 冗談じゃねえよクソ!」
無様な姿で名前を呼ばれたことに身の毛がよだつような思いをした時哉は、思うが侭に吐き捨てた。
「そうだ……殺されるの待ってるだけじゃ意味ないんだよ……。殺される前に殺しちまえばいいじゃんか……なんで俺こんなこと思いつかなかったんだ? どうせ俺たちゃもう人殺してるんだよ……何もためらう意味ないじゃん。1人殺そうが2人殺そうが――」
「止めろ時哉! 無茶言うな!」
晴一が時哉の腕を引っ張って怒鳴るがそれでも時哉は上の空といった調子で、長男の制止の声も馬耳東風だったようだ。

「だったらやっぱり俺はこの家出て行く!」
「無理だよ。だいいちお金、どーすんのぉ? お前まさか知らないわけじゃないよね。うちの貯金の暗証番号は父さん一人しか知らないんだよ? ていうか、この家継いだ人間だけしか知ることが出来ないの、覚えてるでしょ。例えば父さんが死んだとしても遺産は一番長生きした人間に与えられるんだしね。前からそうやって父さん言ってたじゃん? 結局無駄骨だよ、司が俺たち殺しに来るって分かったら疑心暗鬼になってるあの人がお前を逃がすわけないだろ。俺たちはアイツの盾になるんだよ」
もうそんな行き先は、とっくのとうに理解していたと言わんばかりに貴正は淡々と言葉を並べた。機械のようにうまく整理されたそれらの言葉の裏側には、もうあがなえない未来が迫ってきていることを確信させる。
そして彼はこう続けた。「死ぬ時は、皆一緒だよ」、と。


死ぬ、と言う単語が顔を覗かせただけですぐに怒りで赤面し、絶句する時哉はいたって単細胞といえる。彼はしばらくそのつたない脳細胞で出来る限りの解決策を導き出そうと、拳を握って奥歯を噛み締めた。ようやく解決策が見出せたようで、時哉はいきなり顔を上げる。
「なら働いてやるよ!! 兄貴みたいにバイトして……働いて、溜まった金で別の場所に――」
「給料もらう前に司が殺しに着たら、どうするの? 無駄無駄、諦めろ」やはり、貴正に一蹴された。
どうしても司の血に染まった手から逃げ出したい時哉と、対照的に貴正は冷静だった。むしろそれは、死ぬという恐怖すら飲み込んでしまおうと必死に冷静になれと言い聞かせているようだった。
「だけど、司が戻ってくるとは限らないだろう?」
晴一がテレビのリモコンを取り、電源を落とすと弟達のほうを向きなおしてつぶやいた。長男として可及的冷静に対処したいと思っているのだろうか、そのうつむき加減の視線は、どこかを泳いでいた。しかしそれでは泥のような世界を生きてきた時哉にとっては、正義感を振りかざすうっとうしい人間としか映らない。早速彼の批判が飛んだ。
「ハッ、危険を知らないぼんぼんのエリートは羨ましいぜ! そうやってのうのうと生きてられるんだな? 後悔するそん時まで!」
結局晴一の発言は時哉の怒りに油を注いだようなものだったらしい。それでも晴一はまだ続ける。長男としての貫禄が少し垣間見えた。

「俺たちはただ、罰を受けるだけだ。……俺たちは間違ってたんだよ。母さんを殺そうとしたことがな。でも、計画を提案した貴正ばっかり悪いわけじゃない。それに乗った俺や時哉にも等しく罪はある。その罰が下るだけだ」
さすがの時哉も己が犯した罪の事を持ち上げられると今度はもう言い返せなかったらしい。ようやく喧騒はおさまり、また元の通りの静寂が訪れた。


そのときを狙っていたかのように、インターフォンがピーンポーンとなる。
「俺出るよ」
率先したのは真人だ。彼はリビングのドアのところにある対応機のところまで走ると、受話器を取った。何度か画面を見ながら、はい、はい、少々お待ちくださいと頭を下げつつ型どおりに答え、そして受話器を置いた。
「晴一兄、政府の人が……」
それ以上、真人は何も言わなかった。


          


それをきっかけにして夕食の途中だが兄弟は流れ解散した。司が優勝したということが分かった以上、家族みんなで夕食をとるなんてのんきなことをやっていられないと思ったのだろうか、ひとり、またひとりとリビングから姿を消した。いち早くインターフォンに飛びついた真人も、それをきっかけにこの場から消えてしまいたかったのかもしれない。
結局、リビングではひとり寂しく食事を取る洋介以外、それぞれ部屋へと帰ってしまった。
晴一は、本当ならば玄関へ出たくなかった。政府の人間がきたというのなら、もちろん司も一緒に帰ってくるだろう。どうして長男はこうも面倒なことばっかり押し付けられるんだ……と自分の運命を呪った。飲んだくれでアル中になったの父親の世話、母親の葬式の準備、食事洗濯。そして、人殺しの妹の出迎え。正直なところ、死んでしまいたいとさえ思った。
しかしそれが出来なくてこうして悶えている今の状況こそ、司の復讐の始まりであることを彼は知らない。

「お待たせしました」
まだ新しいヒノキで出来ている門をスライドさせて開く。屋根の瓦からつい先ほどまで降っていた雨粒が滴り落ちては、足元の水溜りに落ちるのを見た。
「こんばんは。ええと、蓮川司さんのお兄さんっすか? 保護者の方は……」
モスグリーンのコートを着込んだ青年(同年代のように見えるが、背は晴一のほうが大きい)が晴一を怪訝そうに見上げて問いかけた。こんな対応は一度や二度ではない。別に政府の人間でなくとも、こうして時々人がたずねてくる事がある。そのたびに嘘をつく。母親は上の三人の兄弟に殺され、父親はアルコールに入り浸ってまともな会話が出来ないことを隠すために。
「母は亡くなりました。父は今とても人と会える状況ではありません。話なら自分がうかがいますが」
少し胸を張って堂々と対応しようとした。大体これから来ることは分かっている。詮索か、衝撃か。それでも目の前に立つ彼はそれほど詮索する様子もなく、目を細くして少し笑った。


「蓮川司さんが、プログラム優勝したことは、ご存知になりましたか?」
「……ええ、先ほどの速報ニュースで」
「そうっすか。さすがに手配が早いっすねー。それじゃぁ、妹さんのことなんですが、今は左肩に銃弾を受け、昨日の夕方に手術を受け、今は眠っています」
怪我をしたのか、あいつ――プログラムの報道からすぐご対面なんて気まずくて仕方ないと思っていたが、さすがにプログラムにおいて無傷で帰ってくるわけはないらしく、司は国営病院でしばらく入院とリハビリをすることになった。訪れた政府の人間は、そう端的に伝える。


「司は……あの子は、元気ですか」
なぜこんなことを聞いたのだろうと自問した。焦ってその質問を訂正しようとしたが、その前に彼がにっこりと笑って答えたのでもうどうしようもなかった。
「ええ、そりゃぁもう! 奇跡的な回復を見せてるっすからね! 医者が言うにはリハビリや休養を見積もって、多くても2ヶ月かそのくらいで日常生活が出来るらしいっすよ、よかったっすね!」
そんなこと言われてもまったく嬉しくない。それでも表情は笑いながら晴一は「そうですか、それはよかった」と返した。
「彼女は千葉市にある国営病院にいますので、お見舞いはこちらのほうにしてください。紙、渡しときますね。あと、プログラム優勝者への保証金のことですが、一生涯の保障がつくということはご存知っすよね? 口座のほうに振り込ませていただきますので、後ほど銀行のほうに手続きしに行ってください。その際にはこちらの用紙をご一緒に提示していただけると幸いっす。それから、強制転校についての件なんですが、こちらの決定では妹さんは宮崎のほうへと転校することに決まりました。こちらはご家族揃って転居されたいと思うのですが……いかがですか?」
あまりにもいろいろなことを一気に言われたので、晴一はついボーっとしてしまい「あ、はぁ……」と生ぬるい返事しか返せなかった。


「これだけ大きなお屋敷っすからね、そう安々と手放せないとは思いますが……近所の目って、ありますよね」
訪れた男は黒塗りの高級車(蓮川家にも似たようなのがあったが、父親が売ってしまった)をちらりと見ると、すぐさま晴一に視線を戻す。
「次回、妹さんが退院した際にもう一度うかがいます。そのときまでに決めておければ幸いかと思いますので!」
病院と病室のことを書いた紙と、保障を受け取るための用紙を渡して、彼は颯爽と帰っていってしまった。
その車の後姿を見送りつつ、晴一はため息をついた。

近所の目……か。
意味深長につぶやいた青沼の言葉を思い返しては、首を振る。近所の目が何になると言うんだ。この家に司は存在しないことになっているんだ。だから――そんなことを考えながら、彼は門をあとにした。



Next / Back / Top



SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送