卒業*Seeming smile


今年は桜の開花が一足早く、3月中旬にもかかわらず桜が満開になっていた。ピンクの花弁が時折風に吹かれては空中に舞い、そして落ちていく。
千葉県高原市の閑静な住宅街の中央に位置する高原市立高原第五中学校では、少し古びた体育館の中でちょうど卒業式が始まろうとしていた。


1999年3月15日午前9時。白い制服に身を包んだ生徒と、卒業生の親、それから教師という総出の卒業式が厳かに行われた。
まず始めは卒業生の入場。司会を務める主任の教師がそうアナウンスすると同時に、体育館のギャラリーに構えていた吹奏楽部の部員が、指揮者の合図と共に楽器を上げる。ガラッと体育館後方、右寄りに位置する扉が開いた。
その瞬間に誰もが盛大な拍手を送る。まずはB組担任と副担任が並んで入場だ。彼らが一礼をし、数歩歩いたところで生徒が2列に並んで入場してくる。中央に引かれた赤いビロードの両脇には、下級生が座っている。その間を歩いて、体育館の半分よりステージ側にある卒業生用の椅子に腰掛けるまでがしきたりだ。狭いビロードの道を、横から拍手を受けながら歩くのはかなり気恥ずかしい。制服の胸ポケットのところにピンクと白の造花をつけ、卒業おめでとうと書かれたリボンをピンで留めている姿がやけに凛々しく見える彼らは、少し顔を赤らめて視線のやり場に戸惑いながら少し足早に歩いた。
B組のあとにはC組が続く。C組の担任が女性の教師なのだが、今年はかなり気合を入れているらしく、フラメンコよろしくスカートのひだが何十にも重なったドレスを身にまとっていた。


全3クラスのうち、2クラスが入場を終えた。卒業式練習の際に指示されたとおり、C組の生徒が一斉に座るまで拍手は続いた。しかし下級生達は不思議に思っただろう。確かに卒業式の予行練習の時には、3クラスいたはずなのに、“ひとクラス足りない”のだから。

その答えは、開会の言葉のときに明かされた。
開会の言葉、と言う主任のアナウンスで教頭が立ち上がる。ステージの端にある階段からあがり、まずは左の壁側にいる来賓に頭を下げ、そして中央のマイクに口を近づけた。
「これより、第46回卒業証書授与式を開会いたします」
これまでは、台本どおりだった。ここですぐにもう一度来賓に頭を下げてその場を引くはずだったが、教頭は言葉を付け足した。
「ですがその前に、ひとつだけ悲しいお知らせがあります。皆さんの中には既にご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが……我が校の3年A組が、第69番プログラムに選出され、立派な最期を遂げられました。よってここに、黙祷をしたいと思います」
一応ここまで教頭は話し続けたのだが、3年A組がプログラムに選出された、と言う時点で、体育館内が騒然とした。つまり、“ひとクラス足りない”ネタのタネは、プログラムだった、という事になる。そういう答えを知った生徒、教師、そして親。さすがにA組の生徒の親達は選ばれた時点でそれを知っているが(しかしその親達がこの卒業式に来ているかどうかは分からない)、他のクラスの親は初耳だっただろう。かの有名な第69番プログラム、つまり、クラスメート同士の殺し合い。しかもそれが運悪く卒業式前に行われたというのだから悼まれない。
どういう心境だったろうか。受験という苦悩を味わい、それを乗り越え、あと少しで卒業――と思ったのに、生きる希望もすべて根こそぎ取られたその気持ちは。

「最後まで勇敢に戦ったA組の生徒に、祈りを。黙祷――」
その場はしかし、黙祷どころではなかった。死んでいった31人の生徒も、誰かの友達であり、誰かの先輩であり、誰かの子供であるのだから。卒業式に出席している誰もの知らない場所で、どれだけの思いをして死んでいったかなぞ、想像付くはずもない。しかしこうして残されたのはぽっかりある空虚。本当に死んだの?と思わせんばかりのあっけなさがあった。
始めは騒然としていたが、教師などに咎められてそのうち静かになっていく。すすり泣く声も聞こえなくはなかったが、体育館内がほとんど無音状態になった。


するとそのとき、突然閉じられていたはずの入場してきたドアが勢いよく開いた。
黙祷による静寂が一気に破られる。
「キャアアア!!」
おそらく一番ドア側に近い親の席から上がった悲鳴だろう。金切り声に似たそれは、ちょうどよく人々の視線をひきつける役目を果たした。
白い制服を赤黒く染め、獲物を狩る獣のような鋭い目をし、貪欲に復讐を求めた『それ』は、入り口で偉そうに立って周りを見渡すと、すたすたと歩き始めた。


誰、誰なのよあの子!
うっわ、何あの制服の色……。
ねえ、あんな子知ってる?
不審者?!
怖い……きもちわるい……。
おい、あれってもしかして……。
え、あいつA組の奴じゃね?
俺去年同じクラスだったんだけどアイツと!
あれって蓮川さん?



入り口から入ってきた『それ』は、戸籍上の名前を蓮川司といった。だけど今はもっと別なものかもしれない。彼女は夏葉翔悟青沼聖に病院から連れ出してもらい、何の意図があってか、こうして卒業式に乱入することに成功した。いや、乱入と呼ぶのもおかしいかもしれない。なんたって彼女も、卒業生の一人なのだから。この式に参加する権利はしっかり持っている。

赤いビロードの上を通り過ぎていくごとに、ころころと変わる噂声。変化自在なその噂声のたどり着いた結論は、ただひとつ――彼女がたった一人の生き残り、優勝者ではないだろうかという事。
ステージに一番近い前一列、空席となっているその横一列はA組の生徒が座るべき場所だった。彼女はそこまで行くと、自分の椅子に何食わぬ顔で座った。
もちろんその後ろの席の人間にとって、彼女は脅威だっただろう。制服の赤はすなわち人間の返り血、そんなことはど素人でも判別が付く位あからさまだったからだ。この人は、人を殺した、そんな思いが周りの人間に恐怖を植えつけることほど容易いことはない。何か話せばその鋭い視線で射殺されてしまいそうな威圧感があったため、始めは小声で噂ばかりしていたはずなのにいつの間にか誰もが喋ることを忘れていた。


「主任、校歌斉唱ですけど?」
乱入者――しかも白い制服を赤に染めた異端児――の出現によって、顔を真っ青にして固まっていた司会の主任に、“3年A組の担任の夏葉翔悟”が耳打ちした。主任の教諭は今しがた到着したその姿に一瞬疑問を持ったが、すぐさま主任の式の続きを執行しなければという使命感にそれはかき消された。
「校歌、斉唱」
例え両手を握って震えを隠そうとしていても、声の震えまでは隠せなかった。そんな主任の視線の先には、無礼講にやってきては平然と何事もなかったかの用にパイプ椅子に座る司の姿がある。純潔の白の中にある汚れた色は、まさに異端の象徴に思えた。
主任の号令のあと、ばらばらと生徒が立つのを見た。誰もがためらっていたのだ。突然あんなものが乱入したのに、誰も異議を唱えないことに。誰よりも早く俊敏に立ち上がったのが、他でもない司だからなおさらだ。
校歌を歌い終えたあとは、卒業証書授与に入る。本来ならA組の男子1番、相澤圭祐(男子1番)がまず正規に定められた礼をし、それから後続の有馬和宏(男子2番)市村翼(男子3番)が続く、という形だったが、どう考えても相澤圭祐があらわれるような予兆はない。

「卒業証書、授与。1998年度卒業生、A組、蓮川司さん」
卒業証書の際にはクラスの担任がアナウンスすることになっている。したがって元担任でもある夏葉が主任からマイクを頂き、司の名前を呼んだ。
「はい」
それなりに通った声で返事をした司は、立ち上がって団の中央にある階段の前で、左側にいる来賓客、右側にいる教師陣に挨拶をし、それから壇上にいる頭の禿げ上がった校長に黙礼した。

「そ……そそそ、そつぎょうしょうしょ……」
蛇に睨まれたネズミのような態度で校長はろれつの回らない舌で話し始めた。それでも司は凛としている。何事も無かったかのように、じっと動揺し続けている校長を無表情のまま睨みつけた。
「ささささんねん、えーぐみ……は、はっ……はすかわ……」
テンパっていると言う表現は俗だが、まさにこの校長にぴったりの表現だ。なかなか卒業証書の文を読み終わらない(一番初めの人の卒業証書だけ全文読んでくれるのだ)校長を前にしても、司は瞬きひとつせずずっと見つめていた。痺れを切らしたのは、司ではなく、むしろその他大勢のほうだった。


ぱこんっ、と小意気のいい音がした。
「……?」
司は驚いて後ろを見る。何かが司の後頭部に当たったのだ。後ろを見るとすぐに飛んできたものが何かわかる。上履き――中央の階段につながっている赤いビロードの上に、ひとりに男子生徒が仁王立ちで立っていた。その足の片方には上履きがない。
その男子生徒は司にとっては名前も知らない生徒、つまり疎遠であることには間違いはなかった。3クラスしか学年にないので学年中の人間の顔と名前が一致しても普通はおかしくないのだが、それはやはり司なのでいたしかない。しかしサッカー部の元部長だったような、と思い出した。
「てめえ……っ!! 達也と翼……響はどうした!! 優真もタカも仲良かったんだぞ! それだけじゃねえ、のぐっさんだってカミヤマだって……あの性格ブスの土屋とか服部も……お前が殺したのか?!」
彼の顔は血の気のない真っ青な顔だった。勇敢に立ち向かうひとりの英雄気取りのようだが、足が震えている。絶望に満ちたその視線が、司の視線とかち合った。

それをきっかけにして、堤防が決壊したかのように人々の声が沸きあがった。
「返してよ! あたしの友達、返して!!」
「殺人鬼! ハルもイサもどうせお前が殺したんだろ?!」
「有馬は? 有馬はどうしたんだよ! あんなにいい奴だったのに……!」
「でしゃばんなよ! ケースケの役取るんじゃねえよ!」
「もっちゃん返してよ! 時雨もむっちゃんもうちらの友達なんだからさ!!」
「何でてめえだけのこのこ帰ってきてるんだよ! 冗談じゃねえよ! お前も一緒に死ねばよかったんだ!」
「ていうか、わざわざこんなとこ来ることなくない?」
「何しに来たのよ……あんたなんて、サイテー!」


友達――返して――鬼――死ね――最低。
沸きあがる罵声の数々も、もうどうでもいいといわんばかりに司は目を瞑った。しばらくすると『気取ってんじゃねえよ! 何目ぇ瞑ってんだよ! 神様にでもなったつもりか?!』という声が聞こえてきたので、彼女はようやく目を開けた。
ステージの上から見下した世界は、実に混沌としている業の塊だった。

彼女は動き、壇上にある小さなハンドマイクを手に取った。スイッチが入っているのを確認すると、トントンと叩いてとマイクのテストをする。
「どうも。3年A組女子9番蓮川司です。このたびは1998年度第50号プログラムで優勝させていただき、誠に光栄でございます」
無表情だった仮面を引き剥がし、司はまたあの笑みを見せた。嘲笑を鼻にかけたあの、にやりとした笑いを。
「プログラム中に私が殺したのは15人。高木時雨市村翼吉沢春彦関根空日高かおる神谷真尋設楽聖二諸星七海遠藤雅美飯塚理絵子藤原優真森井大輔柏崎佑恵千田亮太新宮響、以上。何か質問ありますか? 例えば――彼らをどうやって殺したのか、とか」
クックック、と冷笑交じりに司は声に出して笑った。実際、笑いが込み上げてきて仕方がなかったのだ。殺したクラスメートの名前を言った途端にあれほど騒然としていた場内は一気に空気を冷却され、誰もが口をつぐんだ。絶句していた、といえば分かりやすいかもしれない。
1年から3年の生徒、来賓客、親達、教師達……500人程度の人間の口をたった一人の人間がつぐませたと考えると、実に快い。まさしく『神』になった気分だった。

「友達とか、信頼とか、聞いて呆れる。やっぱり人は生きることに貪欲なのよ。いざプログラムに放り込まれてみたらどう? 誰もが正義面したその皮を引きはがれるからね。あんたたちは単に運がよかっただけ。とりあえずこのプログラムは50号だったから、もう誰もプログラムに選ばれることはないわ。でも1,2年生は分からない。どうでしょうね、本当に死ぬ目にあうとわかっていても、人なんて信じられる?」
マイクを強く握り、司は続けた。
「私は誰も信じなかった。私は強く生きた。それがこうしてこんな色の制服を作った。15人分の返り血がここに刻まれているの。汚いわ、そりゃぁね。人殺しの血も混じっているし、狂って馬鹿になった奴の血も混じってる。だけど最後に覚えていて。私が知る限り、あのプログラムの中で“あなたたちが知っているA組の人間”はひとりも死んでいない」
意味深げにそう言い切った司の表情は明らかに晴れ晴れしていた。そして誰もが司に居た堪れない視線を送った。


ニヤリ、彼女は哂う。

汚れと返り血で白を忘れた制服。そしてその手によって殺された人は後を絶たなかった。
「これがあなたたちが『友達』と思っていた人たちの末路よ。自分の信念を貫くためには、人殺しさえためらわない」
それだけ言い残すと、司はマイクのスイッチを切って校長のほうに戻した。卒業証書だけあっさりと校長の手から奪うと、階段を下りていく。自分の席には戻らず、赤ビロードのほうへと向かう彼女の前に、今度は先ほどのサッカー部部長とは別の人間が立ち図っていた。
「返せよ……」
手を大きく広げて通せん坊をしているつもりなのだろうか、彼はそのままつぶやいた。
中学3年生にもなって、死んだ人間はもう二度と帰らないという事を知らないのには、呆れてモノも言えなかった。司の鼻であしらう態度に憤怒したのか、通せん坊の彼は彼女に掴みかかってきた。
「返せよ!! 俺の友達返せッつってんだよ!!」
荒い鼻息がじかに掛かるほど近づけられた顔。一瞬にして彼女の脳裏に舞い戻ってきたのは森井大輔の顔だった。振り下ろしてきた刀に対してキャリコの銃身で受け止めたが、力で押し切られそうになった。あのときの心臓の鼓動は、未だに思い出せる。
それでも、武器を持たない人間が近づいてきても、もう恐ろしくもなんともなかった。殴られるかもしれないが、死ぬわけでは、ないのだから。


「残念。あなたの友達でも、私の友達じゃないからね」
司は口の端を吊り上げて、心底馬鹿にしている表情になった。つかまれた手に自分の手を重ねて対抗しようとする。しかしもう少し、と言うときに「やめろ、高田」という低い声がして司と高田と呼ばれた生徒の間が広まった。


「くだらねー。お前、家で教わらなかったのか? 死んだ人間はどんなにあがいてももう帰ってこねえんだよ」
そうそう、と内心で独り言ちた。司と同意見を持っていたのはやはり担任、夏葉翔悟。彼は同じぐらい背のある高田の巨漢を引き剥がし、司の腕を引っ張った。
「これでもう満足したろ? 行くぞ」
夏葉は司の腕を引っ張ると、赤いビロードの上を颯爽と歩いていった。入退場に使う木製のスライドドアまで来ると、極力音を立てずにそのドアを開け、閉めた。その後姿に、どれだけの人間の痛い視線があっただろうか。それでも2人は歩き続け、体育館の保護者用入場口の前にある駐車場へとそのまま向かった。


「待って」
無言のまま歩き続けていた2人は、ちょうど病院からここまで乗ってきたリムジンに差し掛かる手前で足を止めた。
礼服に身を包んだ30歳後半程度の女性が、うつむいたまま体育館に入っていくのが見えた。こちらのほうに気付いたのだろうか、淑女はちらりと見た。そしてすぐさま持っていたバッグをどさりと落とす。
「あれ、響のお母さんだ」
視線の方向だけで人物を指した司の目線を追って、夏葉もそちらのほうを振り向く。なるほど、まだまだ若くて新宮響によく似ていた。響の母は手からこぼれ落としたバッグを拾い、駆け足で体育館に消えていった。


車に乗り込むと運転席に座っている無愛想な男の顔がバックミラーにうつって見えた。卒業式に出たいと言う司の望みを叶え、終わったあとすぐに病院に戻れるように待機していたのだ。まるでこのまま葬式に行けそうなほど地味なスーツに身をまとった男は、ドアが閉まる音を聞くとエンジンをかけた。
十分満足したと言う割には表情が一転して切なげなのはどうしてだろうか。それでも司は座席に深く腰掛けた。





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