学活*Godless


「ぷっ……」
車の後部座席に座って数秒したとたん、夏葉翔悟がいきなり噴き出した。いきなりどうした、ついに頭が狂ったか、といぶかしむ表情で彼の顔を覗き込んだ蓮川司は、その後、彼の爆笑の渦に飲み込まれることとなる。
「ぶっ……あははははは!!! あーもーやばい、腹痛いー!! ほんっと面白いわ! 蓮川、見たかあのハゲ!! 卒業証書渡すときに怖くて噛み噛みになってやんの! いい気味だぜまったく! 蓮川もよくやった!!」
隣に座る司の背中を豪快にバンバン叩いて笑い続けた。まさに抱腹絶倒といえる光景だ。クマがまだうっすら残る不健康そうな目に、涙さえ浮かんでいたからとんだお笑い草である。
「卒業証書しっかりもらったからぁ、お前も晴れて卒業だな! 卒業おめでとうございまーす! あーでもまだ腹いてえー!」
笑い崩れたので腹が痛くなったのか、夏葉は腹を押さえひーひー言いながら祝辞の言葉を述べた。それが仮にも元担任であった人間が言う態度かどうかはわからないが。
「いいの? 仮にも校長先生なんだし、そんなこというと教育委員会に訴えられちゃうんじゃ?」
「あー、だいじょーぶだいじょーぶ。どうせ俺非常勤だし? 辞表はプログラム前に提出したしな。一応卒業式には担任として出ちゃったけど……まあ気づかれなかったからいいか。お前の存在が濃すぎて俺、影薄かったし」
またケラケラと笑って心配するな、といわんばかりに手をひらひらと振る夏葉。大船に乗った気でいろとはよく使うものだが、この人の場合は大船ではなくもはや大型豪華客船に乗った気でいると表現してもおかしくはない。


「さぁて、じゃ、本来卒業式退場後にやるはずだった最後の学活やりますかね」
彼は立ち上がって向かい合わせになっている車の後部座席から立ち上がり、司の正面に座った。どっかりと黒革のシートに座ると偉そうに足を組み、タバコに火をつけた。まだ思い出し笑いを重ねるのか、肺に入れ損なった煙でむせるあたり見ていて馬鹿らしいとさえ思える。
「んでー? お前が分校に特攻宜しく入ってきたとき俺がくれてやった我が闘争、どうしたよ」
やはり彼の質問は脈絡もなくいきなりだった。司は始め、呆れてものも言えなかったが、病院までの暇つぶしと思って口を開いた。
「もちろん持ってるに決まってるでしょ? 第一あれは私のものだし、くれてやったって言う表現は気に食わないね。あれは私の生きる道を示してくれた大事なものだからちゃんと持ってるわよ。今は……先に病院に帰った青沼先生が持ってると思う」
夏葉はうんうんと首を縦に振りながらタバコをふかした。

「なーるほどねぇ……。んじゃ、次の質問。プログラムの様子はどうだった? 率直なお前の感想が聞きたい。特に最後の銃撃戦」
まるで警察の尋問だな、とテレビで定番のあのシーンを思い出しながら「別に……相手が馬鹿しかいなくて助かった。なんだか、その前のほかの誰よりもずっとあっけなかったように思える」と返した。警察の尋問で定番の牛丼でも出ればいいのに――しかしそんな司の空腹の思いも察せず、あつかましい態度で夏葉は更に質問を繰り出してきた。
「でも苦労したんじゃないか? 千田とかさ。あいつも一応5人殺してるんだぜ?」
「知ってる。でも数ならずっと私のほうが上じゃない? それに……千田より市村のほうがずっと死ぬかと思った……」
ほう、と彼は関心を寄せた。


盗聴記録から考えると、市村翼は親友の新宮響を司に寝取られて(この表現はどうかと思うが)怒った、と思うのが普通だ。親友を奪われた怒りが本気の殺意を呼び覚ましたのか、となんとなく過去の翼と響の姿を思い起こして夏葉はうなずく。もちろん他の男子とも仲が良かったのだが、基本的には女子のグループのようにいつも同じ2人で行動していた。席替えで席が離れたとき、翼は我が侭だなと思うくらい執拗に抗議してきたものだ。
「俺的には、まさか最後に新宮が残るとは思わなかった。お前もそう思うだろ?」
この意見はプログラム終了間際に同じ事を本部でもぼやいたが、そこにいた兵士や青沼も同調してくれた。こっそり行われているトトカルチョでも新宮響のランキングは決して高くなかった。だから誰もがここまで生き残ったことに驚いていたのだ。何よりも持っていたものが地図とコンパスのみという丸腰もいいところだから、この上ない強運の持ち主だった、と言っていいだろう。運命が2人をたぐり寄せたのかと思わざるを得ないほどだ。
「まったくもって……心から同意するわ。でもね、実際誰が残っていたとしても私は……あれ以上取り乱すような真似はしないと思う」
あれ以上、と言う言葉を少しだけ強める。

「結局……誰が相手に来ようとも殺人なんて一瞬で終わるのよね。自分が生き残る為だし、それがユダヤ人を殲滅させる方法だと知ってたから、相手の事情なんて考えている暇さえもなかった。こう、人差し指で一回引き金を引いて、パン、はい終了」
設楽聖二神谷真尋、などと比較的はじめの方の被害者のことを示唆しているのだろうか。振り返りざま、そして不意打ち――彼女は初めて持った人を殺す道具を間違った形で使っていたのかもしれない。彼女は大きなため息をついてしばらく黙りこくった。タイヤが動く音と、時々鳴るウインカーのチッカッチッカチッカ、という音だけが2人の間を取り持った。運転手はもちろん喋らないし、会話に入る込んできそうな気配もない。銅像のように動かないその姿は、プログラム中、分校でメカニックに仕事をこなしていた兵士のものと酷似している。司はその後頭部を見てため息をついた後、また口を開いた。


「よく小説とかテレビのドラマとかで言うじゃない? 争うことが憎しみの連鎖だ、って。戦って失って、恨みを抱いてまた復讐して……でもね、その連鎖を断ち切るなんて……ふふっ、実はすっごく簡単。だってみーんな、殺しちゃえばいいんだから。邪魔なものは、全部殺すの」
両手を広げて、まるでヒトラーが民衆の前で身振り手振りを加えた演説をするように、胸を張って司はそう言い切ってみせた。ここまで堂々と言われると、それがもしかして正しいことなのではないか、という錯覚さえ覚える。かつてヒトラーに魅入った人間も、さぞ同じ幻覚を持っていたに違いない。

このような中学三年生とは思えない意味合いの取り方に夏葉はどことなく興味を抱いていた。
これがプログラムを終えた人間の精神、これが、人を殺し続けた人間の精神――ヒトであることを捨てた“モノ”の、生き様。
しかしそれはやけに現実味を帯びている台詞のように聞こえた。復讐の連鎖を断ち切る、など普通の会話ではでてこない。心当たりでもあるのか?――リアルな表現に夏葉はふと疑問に思った。が、すぐさま消された。
「私がプログラムで得たものはね、こんな風に考えて実行しても痛くも痒くもないくらいに理性とか……感情なのかな? とにかくそれらがちょうどよく消滅した状態よ」
目を細め口端を吊り上げにっこり笑ったその姿は、やはりどこかしら人間離れしたものを感じさせた。それが理性の消滅した状態だというならうなずける。理性を捨てるという事はこういう事かと改めて思い知らされたような気がした。並大抵の人間には到底理解できない範疇のことが、ついに彼女の中での常識と摩り替わったようだ。
「人を殺しておけば、人を殺すことに慣れるって思ったから……」
独り言のように、今までとは打って変わって蚊の鳴くような小さな声で彼女はボソリとつぶやいた。
「ハッ……てめえの感情っていうのは随分頑丈なんだな。ひとり分ぶっ壊すのに15人の命が必要か」
正論とも嫌味とも取れる夏葉のはき捨てた台詞に反応することなく、司は膝に置いた掌を見つめ続けた。


その後、軽く乾いた笑いを漏らした夏葉は、それでももう先ほどの大笑いのように笑わなかった。よくよく考えれば目の前の華奢な少女は、それでも15人の大量殺人をその手でやってのけた人間なのだ。これが一般人のしたことなら後世にまでテレビのゴールデンタイムでよく放映される凶悪犯罪特集で取り上げられることだろう。しかも、たった15歳の女が。人々はその少女を既に人間の領域を超えたものであることを忘れていた。不器用で、破壊しか知らないモノだということも。
「……こういうの知ってるか? 人間の総人口の2%が攻撃的精神病質……まぁ今では社会病質者っていうんだけどな、それなんだよ。こう……なんというか人を殺したくてたまらないとかいう殺人者もこれに当たる。人を殺してもそうとは思えない人間もだ。……これってよ、まさにお前のためにあるような言葉だよな」
「ふーん……たかが2%されど2%ね。人間がどれだけいると思ってるの?」
「だから俗にいう凶悪犯罪ってのが減らないんだろ」
「それもそうね。正論かも」
肩をすくめておどけてみせた。が、それでも司の目に映るのはにごった光だけだった。

少しの間沈黙が訪れる。車が市街地の大通りに出て真っ直ぐ国営病院に向かっているのに気付いた。病院に帰ればまた被弾した肩の検査とリハビリ、そしてあのひとり部屋に押し込められる生活が続くのだろうと思う。それでももう誰も自分のことを殺しやしない、と考えると気が楽になった気がする司だった。
自分の両手に視線を落とした。攻撃的精神病質とやらが本当に実在するのなら、それはきっと自分みたいな人間ではないだろうと彼女は考える。目の前にいる人間は自分のことを好戦的で血のためならなんでもする人間だと思っているのだろう。だがそれは違う。確かに感情を押し殺し、人がいくら死んでもちっとも構わないような精神の持ち主になるために今まで何でもやってきたが、決して好戦的な人間ではない。邪魔だから、殺したのだ。この世に不必要だから、駆除したのだ。
そう思っているのは、自分だけ?
司は自分を哀れんだ。


このてが、にんげんをこばんだ。
このてが、にんげんをころした。
このてが、すべてわるいの?
このては、あとはなにをもとめるの?

「この手は、復讐のためにあるの」
自分の中に浮かんできた疑問符を断ち切るかのようにはっきりと言い切った。その疑問は誰から、もしくはどこから寄せられたものなのかすら見当がつかない。今更夏葉の言葉によってプログラムに対する罪悪感がでてきたと言えば全部嘘になるが、そうまでして優勝するべきだったのだ、と断定できる力が少し弱くなってきた気がした。
忘れたの?あの時、私は誓ったはず。邪魔なだけのユダヤ人を殲滅する、と――。


ユダヤ人を殺すこと以外には何も使えない。腐った世の中を見ないように目を隠したのも、兄たちから死ねといわれることを拒むように耳を塞いだのも、自分を有能なるドイツ人に見立ててユダヤ人を殺したのも、全部この手。見上げた太陽がまぶしいからって、それをさえぎる資格なんてこれには与えられていない。そう、さしのばしてもらった手に自分の手を重ねることも。

「復讐のためにある? 何のことだ?」
意味不明な言葉を並べる司を見つめつつ今まで黙って聞いていた夏葉が顔をしかめて聞き返した。
「……なんでもない」
ふと、横を見た。黒く見えるシールを貼ってある窓の向こうでは、うっすらと住宅街やマンション、ショッピングセンターが見える。この辺りは高原第一中学の学区内だ。第五中と同じように、第一中でも卒業式が行われているだろう。何事もない、ありきたりで普通の卒業式が。
そう思い返せば第五中は今頃どうなっているのだろうかと考えてしまう。突然風のように現れては、風のように去っていった異端児。その話題で持ちきりだろうか、それとも誰も何も言えずに重苦しくて気まずい時間を過ごしているだろうか。
結局司にとってはどちらでもよかった。なんにしろ、まだ“司の計画通り”にことが運んでいるのだから。


「先生、聞いて。私ね、プログラム中に考えたことがあるの。教科は道徳よ」
「何だ? 言ってみろ」
珍しく自分から話し始めた司は、満面の笑みを浮かべ身を乗り出して口を開いた。
「テーマはどうして学校では人を殺してはいけないという議論をしないのか。……答えは案外簡単だったみたい。先生達は生徒を嘘吐きにしたくないんでしょ? 人を殺してはいけません……その嘘の言葉を語るのが倫理上正解なんだろうけどね。生徒ってね、意外にわかんないものよ。じゃあどうして人を殺しちゃいけないの? っていう質問には特にね。先生はどうして人は人を殺しちゃいけないって思う?」
確かにプログラムを体験すれば倫理とか道徳やらは奇麗事に見えるよな、普通――夏葉は我を手放したと言う少女を目の前に据えて少し勢いをなくした。彼も29年人間をやってきているが、こうやって『なぜ人を殺してはいけないんですか?』と問われてこんなにも答えるために時間を要した事はない。今いる立場が確立しないからだ。もし担任としての立場だったら人殺しはいけないと言っただろうが、プログラム担当教官としてならむしろ人殺しを推奨しているだろう。しかし今の立場はそのどちらにも当てはまらない。目の前にいる質問者は人殺しで、既にプログラムも終わっている。

「……お前の考えは半分正解で半分はずれじゃねえの? 俺だって人殺していいかだなんて知らねえよ。こうしてプログラム担当教官になれば嫌でもガキ達が人を殺す場面とか見る。それを見るといつも思うんだ。ああ、所詮人を殺してはいけないなんて、奇麗事にしか過ぎないんだな……ってな」
彼女が覚えている限り、夏葉翔悟は今まで一度たりとも道徳の時間等で人の死について議論はしたことなかった。こういう気持ちがあったからなのか、と今更理解する。そう考えれば夏葉翔悟という人間はなんとも親切な人間なのだろうか。なんたって彼が放置主義でほとんど授業をまともに行わず、おかげさまで道徳の授業はいつも自習だったから、余計な邪念なく死ぬことの恐怖をありのままに受け止められることができたのだから。


「あー。俺も何でプログラム担当教官なんかになっちまったかねー。普通に教師続けてりゃ良かったぜ」
自嘲気味につぶやいた後、短くなったタバコを携帯灰皿にこすり付けてもみ消した。
「担当教官をやっていたことを、不幸と思うの?」心底不思議そうに司は聞き返す。
「んーまぁ、こっちのほうが給料高いからな。自分の身は自分で守んなきゃ死ぬかもしれないって言うデメリットが盛りだくさんだけど、別に不幸ってほどじゃないぜ」
新しいタバコを取り出してはもう一度火をつける。夏葉はヘビースモーカーもいいところで、将来は肺がんで死ぬ予定だと言い切っているほどタバコが病みつきになり、一日に一箱タバコを消費する。狭い車の中でタバコの煙が充満するが、誰も文句は言わなかった。
「先生。どんな不幸にも必ず意味はあるんだって。知ってた?」
「知らないな。不幸に意味なんてあるのか? って言いたいくらいだ。意味のある不幸なんてナンセンスだよ。被害妄想だ」
「そう、なら知っておいたほうがいいと思う」
口の端をつり上げて笑うとあまり使えない左肩をそっと右手で押えた。痛みがまた戻ってきたのか、少し笑みが引きつっている。


ガタンッ、と車が上下に揺れ、なんともタイミングのいい事に気がつけば国営病院の駐車場に車は進入していた。病院のロビーの前に車が到着する。待ち構えていたといわんばかりに医者と看護婦が4人ほどでお出迎えしてくれた。

夏葉とはここでお別れだ。彼も彼なりの生活があるので、いつまでも司のそばにいるわけにもいかない。それに、早く家に帰ったら?と進めたのは誰でもなく、司なのだ。
「じゃ」
開いたドアから出て行った司が振り向きざまに簡単な別れを告げた。タバコを片手に持ち、肺に入れた煙を全部吐き出すと、しかし夏葉は「待てよ」と声をかけた。彼女の動きがぴたりと止まる。正面に彩られた血まみれの制服が見えた。

「俺はお前のその饒舌さを不幸と思うぜ。さぁ……これにも意味があるのか?」
少しずつ距離を開けていくその背中に、夏葉がそうたずねた。そして彼と司はほぼ同時ににやりと哂う。

「当たり前じゃない。私の行動に意味のない事なんてひとつもない」

返すべき答えを返し、くるりときびすを返して身を反転した後、吸い込まれるようにロビーの自動ドアの向こうに消えていった。
パタンと軽く閉められた車のドアを見つめながら、彼は相変わらずタバコをふかしていた。私の行動に意味のない事なんてひとつもない――最後の言葉だけがどうも引っかかって仕方なかったのだ。


――アイツ面白いな……!
彼自身、プログラム優勝者はかれこれ5人ほど見てきたが、これほどまでに興味深い人間はいなかった。皆、ありきたりな生徒達ばかりだったからだ。狂って自殺した奴もいれば、真っ当な上っ面をかぶってのうのうと生きている人間もいる。
リムジンの進行方向と後ろ向きに座っていた夏葉は元々司が座っていたほうの座席に座ると、向かい側の座席にだらしなく足を伸ばした。

――わざわざ速報で自分が優勝したと言うニュースを流したことも、傷かばって卒業式に出たことも、全部意味があるっていうのかよ?
彼の顔は今、恍惚に満ちている。



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