審判*Judgment Day


彼女が欲しかったのは、どんな言葉だったのか。


2003年7月2日。
週刊誌が高原一家惨殺事件のネタを追うのに飽き飽きし、次から次へと湧いてくる新たなネタに食らいついていたとき、犯人である蓮川司が捕まったという報道があったので記者たちは忘れかけていた惨殺事件を急に崇め始めた。誰もが知っている惨殺風景、そのデコレーションを見事にやってのけた犯人が弱冠20歳、しかも女ときたらこれに食いつかないものはいない。過去のトラウマだとかプログラムで狂ってしまっただとか、とにかく根も葉も無い噂を書き連ねては世間を騒がせていった。それは何も週刊誌だけではなく、テレビのワイドショーやニュースも同じ作用を起こしている。

蓮川司は逮捕された。
警察の記者会見で警察側が述べた動機は「自分を蚊帳の外に置いた家族への憎悪」。それ以上の回答は警察側から得られず、結局数週間後に検察に起訴され、容疑者から被告人になった。


               


蓮川司は東京にある拘置所の独房にていつも黙想していた。2ヵ月程前、家族をその手で殺し、プログラム終了後からずっと住んでいた宮崎にまた舞い戻り、そして1ヶ月前に警察に捕まって、そして捜査本部が置かれている千葉に一番近い東京の拘置所に収容された。そして今に至る。
警察、それから検事、弁護士たちからそれぞれの取り調べを受けた。司は一切反省の色を見せず、しかしながら無表情で殺人の動機を話した。それはあまりにもあらかじめ用意されていたといっても過言ではないほどによく出来た言い訳だった。流暢なまでに淡々と吐き出される言葉たちを前にして、取り調べ官たちは彼女を機械に重ねる。聞かれた質問が同じ内容なら、同じ内容で切り返す。まさに用意されていた答えだ。

身内の面会人はおろか、弁護士すら必要以上に彼女と接触しようとしなかった。もとより救いようもない殺人鬼、逮捕されたことにより絞首台の生贄になることが確定した人間に救いの余地はなく、よって社会的な問題で私的弁護士を雇えない司を嫌々ながら受け持つことになった国選弁護士が何を話しに来るというのだろうか。
誰にも会わず、誰にも干渉されず、ただひっそりと彼女は狭い独房で膝を抱えて時間を費やしていた。しかし狭いはずなのにそこはどこと無く広く感じられ、彼女にとっては楽園だった。


そういった暮らしがそれから2ヵ月ほど続いた。9月、コンクリートの要塞では暑さを感じることも少なくて、したがって夏の暑さという季節感もなく、あっという間に秋が来てしまった。そんな中でも、やつれるどころかどこと無くより一層若々しさを取り戻したような姿になった彼女は、脱色されていたベージュの髪の毛を徐々に黒に戻し、長かったストレートヘアも肩までに切った。ほとんど別人になったような彼女に相変わらず面会人はなく、せいぜい定刻に流れてくるラジオと体操の時間にしか音を聞かなくなった。
彼女には中学生中程に女子少年院にいた時代があった。罪名は殺人未遂。突然倒れた母親に対し父親はぞんざいな態度で関わったため、司は逆上し、父親の腹を包丁で刺した。残念ながら蓮川の金と権力で事件は公にならなかったのだが、司はやはり更迭された。それは世界から存在を掻き消されるかのごとく。
その時は雑居の部屋にいて、周りの人間はみなまるで獣のように誰もがなにかに飢えていた。それに比べれば独房とは何と神聖で穏やかな所なのだろう。特に女子棟は待遇がよく、イメージしていた独房とは随分違う華があった。年末年始にあえて逮捕されて拘置所に拘束されたい人の気持ちも今ならわかると彼女は考えた。


そんなある日、珍しく運動の時間以外に独房の扉が開けられた。

「裁判が始まります。出廷ですよ」

裁判――ふと顔を上げた。たった2ヵ月程度で裁判にもちこめるか、と思ったが特にそれについては何も言わなかった。
早く裁かれたい。確かにそんな気持ちがあった。
「ハイ」
しばらくぶりに声を出したからか、随分しゃがれた声が喉から搾り出された。そんな馬鹿みたいな情景を目の当たりにしても女性看守は顔色一つ変えず彼女の手首に手錠をかけて牢から出して連れていく。

彼女の聞きたかった言葉は、


               


車に揺られ、一見すると市役所みたいな見た目の裁判所にたどり着いた。第一審はここで行われる。判決が下される第一審・二回目で控訴すれば建物が立派になっていく仕組みなのか、と小学校の時社会科見学で行った第三審裁判所を思い出しつつ物思いに耽った。当然記者でごった返しになっている表門から入れるはずもなく、何が悲しくてこんなところから、と考えざるをえないようなさびれた裏門から入っていった。
裁判所の入口では国選弁護士が腕を組んで待っていた。眼鏡で七三にきっちり前髪を分けた初老の男性は、司を汚物を見る目で見てからくるりときびすを返す。ついてきなさいという無言の指示だった。
第一審・一回目の裁判では判決は言い渡されない。始めは検察側と弁護側で意見をぶつけ合う。それをもって裁判官が二回目の裁判で判決を言い渡す。中学3年になってから出て来た公民の授業を5年ぶりに思い出した。
言い合うも何もないだろう。どんな証拠も口を揃えて犯人は絶対に蓮川司だと言っているし、7人も惨殺しておいて(しかも犯罪史上に名を残すような)、極刑以外の判決に何があるだろうか、いや、ない。したがって双方の意見交換も殆どないと踏んだ。
ある程度歩いたところで弁護士から警察官らしき人に手錠のつがいが手渡された。彼に引き攣られて司は法廷の扉をくぐる。まるで葬式会場のようにしずけかえった法廷は、彼女が足を踏み入れると途端にきしんで悲鳴を上げた。
誘導され、法廷のほぼ中央に位置したところにすわらされた。

「開廷します」
裁判長がそう告げると、傍聴人や弁護士、検事が起立を解いて椅子に座る。
「被告人は名前と年齢を」
それから3人いる裁判官の中央の人がまず始めにそう尋ねたので、司は「蓮川司……20歳です」とはっきりとした口調で答えた。
「被告人は着席しなさい」右隣りの裁判官が告げた。


それよりは検察側から事件の内容を印字した冒頭陳述があり、証人が喚問された。陳述に対する証人は司の母方に当たる叔母。直結の祖父母は若くして亡くなっているし、父親は一人っ子なので事実上証人が唯一の親族と言える。弟の真人や洋介が司のプログラム優勝後に預けられて育てられたのも、本家に遊びに行った彼らから連絡がないので不審に思い訪問した際に死体を発見したのも彼女だ。
弁護士から検察や証人への質問が受け付けられる。被告人に対する質問はその後だった。あのやる気のない国選弁護士が事件要項に質問するはずもなく、その場は終わった。

被告人ヘの尋問が始まる。検察からの質問も弁護士からの質問も言ってしまえば確認程度で、以前の取り調べの際とほとんど同じ質問を受けた。
どうして血の繋がった家族を惨殺したのですか?
……。
ご存知の通り被告は家族から冷たい仕打ちを受けています。よって根本より発祥する自発的な殺意ではなく、家庭的な事情が複雑に絡んだ副産物のようなものであると弁護人は考えております。
こちらは被告に質問しているのです。さあ答えてください。黙秘ですか?それとももっと別な理由があっての惨殺ですか。例えば……”あなたの母親が殺害された兄たちに殺された”など……。
異議あり!証拠も無しにあたかも真実であるかのように詰め寄る態度は撤回を要する!
証拠がないわけではありません。こちらとて今まで無駄に時間を浪費していたわけではありませんから。先日証人より被害者蓮川貴正の手記が手渡されました。ほぼ4年前に同宅に送られたようです。筆跡鑑定でも本人のものと認証されました。改めましてこれを証拠として提出します。
警察ではなく、あなた方が発見したのですか?
そうです。内容を読み上げますか?
――……!!
……ええ、よろしければ。
それでは……


ガタンッ
それまでの応酬を沈黙したまま聞いていた司だが、突然立ち上がって驚愕の色を示した。心なしか、笑顔さえ浮かべていたように見える。
正直なところ、検事側から新たな証拠として出されたことにとても驚いたのだ。まさか兄が自分の罪を告白するような手紙を送っていたことなど露知らずだったためである。例え新たな証拠が出ようが出まいが特に司の罪が逆転して無罪になるわけでもないから本当はどうでもよかったのだが、兄が送ったこの手紙により、誰かがこのことを調べたり司が証言するよりも先に、一般人に“兄らが母親を殺害したこと”をしらしめることになりそうだ。しかも次男の直筆なら百聞は一見にしかずとなる。

それは、非常に有利じゃないか?

司は改めてアドバンテージに立たされたこの状況を驚き、素直に喜んだ。次兄がおばに送った手紙の内容は手に取るように分かる。それはきっと世間の誰もが知らなかった新たな事実――母親を殺された復讐のために家族を誅殺した司の動機。その輪郭が手紙(むしろ遺書ともいえる)によって次第に形を成して来た。ともあれこの検察の口から発せられた手紙の事は事実だし、それが誰も知らない衝撃的なことだったというのは傍聴席いっぱいに座っている聴衆の反応で手に取るようにわかる。
「被告人、着席しなさい」冷淡に諌められた。
それでも彼女の微笑は止まらない。それまで終始一貫無表情を貫いてきたので、さすがに誰もがその行動を疑ったが。


それより検察により次兄の手紙が朗読された。
過去に自分たちが母親の薬をすり替えて死にいたらしめたこと。
それにより妹に殺意を抱かれていること。
妹がプログラムに選ばれ優勝して帰ってきたこと。
その噂が広まり、幼い弟を中心に数々のいやがらせを受けたこと。
もし万が一復讐にきたとき、蓮川の汚名が被らないように弟2人をそちらに預かってほしいということ――
自分達の罪という名の恥を赤裸々に語られていた。


罪を認めていた次兄、確かに彼は自ら首をかっきって死んだ。あれは彼なりの懺悔のつもりだったのだろうか。母親殺しの発案者である次兄に何故だか畏敬の念さえ生まれた。
被告人はこの事実を知っていましたか?検察にそう聞かれた。母親の死が兄たちに原因があることは母の葬式のあと、彼らが話しているのを聞いて知った。それにより殺意を抱いていたのも事実だ。プログラムに選出されたこともまた然り、優勝したこともそうである。弟達が学校でいじめを受けていたことも、晴一の妻である夏樹から聞いて知っている。弟達が後に養子に出されたことについてはそのイジメから逃げるためだと思っていたが。
「はい。存じていました」
座ったまま、ボソリとつぶやいた。とても、清々しい気持ちで。



様々な応酬が続く中、聞かれた質問には用意された答えを返してきたが、その中で司がたったひとつ口を閉ざしたことがある。
被告人、殺害に使用した刀及び拳銃、サバイバルナイフはどこから入手しましたか?
法廷だけではなく、警察や検察、弁護士、誰に聞かれてもそのことについて彼女は一切口を開かなかった。
犯行に使われた拳銃は海外製のものと判明し、密輸入されたことが既に判明しています。あなたは既にそちらの容疑もかかっているのですよ?こちらはまだ刑事告発されていませんが。
少し釣り上がった口元は相変わらず、目を閉じて俯いた。話すつもりはさらさら無いらしい意志が湧き出ていた。
まあ良いでしょう。そちらは別の裁判にてまた罪を問われるでしょうから。
検事は意味深な微笑を残すと席に座った。それよりは当時の状況、殺害状況、死体が動かされた跡があったということについての尋問を受けたが、司は受け流した。飛行機で東京まで来て、それから真っすぐ家に向かったことや、三男時哉を恐怖のどん底に落とすために死体を全て一つの部屋に置いたことのいきさつを事細かに説明した。やはり冷淡で緩急のない言葉を用いて。


開廷から3時間余りで第一審は閉幕した。これら第一審のことを参考にして裁判官は被告の処罰を決める。
判決の下される第一審・二回目では、司の聞きたかった言葉は……はたして法廷に響くのだろうか。
そんなことを考えて司は法廷を後にする。
誰もが哀れみと同情の視線をその背中に向けた。






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